2019年9月28日土曜日

続き


ネット前記事より

しかしそのことは、幕府側にも倒幕側にもわかるはずはなかった。

また日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文は若いときに、長州藩の仲間と一緒にイギリスに留学している。
そしてイギリスのロスチャイルド家当主やそれにつながる人たちのお世話になっている。
この若者たちは5人いたので「長州ファイブ」と呼ばれたが、イギリス側からは「マセソン・ボーイズ」と呼ばれていた。
それは彼らの世話をしていたのが、ロスチャイルド一族に仕え、グラバーのボスでもあったマセソン商会社長のヒュー・マセソンだったからである。

日本人から見れば後に天下の宰相になるにしても、彼らはまだ20歳そこそこの少年たちに過ぎなかった。
伊藤博文をはじめとする5人の長州藩の若者は、いずれも後に明治新政府で要職に就くことになる。
ほかにも15名の薩摩藩士の若者たちがイギリスに留学している。
そして彼らは政治家になった後に、恩を受けたロスチャイルド一族の要求に沿った制度改革を実行に移していくことになる。

こうしてイギリス人の存在も含めて明治維新を見直すと、それはロスチャイルド一族とその配下のイギリス人たちが、日本の下級武士たちに起こさせたクーデター(倒幕)であったことが見えてくる。
その後、イギリス勢は下級武士と協力し、明治維新と呼ばれる数々の構造改革を行ない、日本を間接支配していくのである。



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