☆昨日、徳島の野犬ちゃんの子犬の白いコ、最後の4頭目のコの譲渡に夫が行きました
夫は週休2日で、今週は水・木連休だったので、、
里親さまは、神戸市の方です
(写真を夫がとり忘れたので、またわんちゃんに会いによらせてもらうことになっていますので、その時に・・)
同じ敷地内の別宅に住むご両親が、常に2~3頭は中型犬や大型犬を飼ってこられて、現在も一頭飼っておられます
今回は、その息子さんご一家ですね・・
別にお住まいのお姉さまが、ある店舗に貼ってもらっている、里親募集の張り紙をみて
ご希望いただきました
1時間弱、夫が話やご家族みなさんで一緒に散歩したりして、、
このコはだいぶ夫になついてきていましたが、子供さんたちに相手してもらってテンションがあがってきて、、ワンちゃんも安心してきた様子だったそうです
これまでわんこを飼ってこられて、おうちに天井付きのゲージがあったので、それを使われるとのこと
室内飼いと言っても、脱走には十分に注意していただかなくてはなりませんので、
①誰もみていられない時は、必ずゲージに入れる
②ゲージから出す時は、ドアや窓からの脱走に注意する
③網戸を簡単に破ったり、カギが開いてると、サッシが軽いので簡単に窓を開けてしまう
④子供さんが小さいので、子供さんがゲージのドアを閉める場合、『閉めたつもりでも開いていないか?』
十分に注意してください
(ある程度手がかからない年齢に子供さんがなってから希望いただく方がほとんどなのですが、猫の希望者の場合は、もう少し小さなお子さんがおられる場合があります
そういう場合は、譲渡までに、親御さんと子供さんとのあいだで、『子供さんが一人でゲージの開け閉めを絶対にしないこと』を約束してもらいます)
⑤子供さんおひとりでの散歩は、まだまだ避けてください
子供さんがこけてしまったりして、リードを放してしまい、犬が走って行ってしまい迷子になることがあります
⑥首輪のゆるみには、十分に注意してください
成長とともに首輪のサイズを合わせていく際に、両手で「くくっ」と手前に引っ張っても抜けないか?
確認してください
散歩の際に、犬が「まだ行かへん」とふんばってるのに、犬を見ずに「おいで!」と無理やりリードを引っ張ると、首輪が「スポッ」と、抜けることがあります
首輪の緩みに注意をして、必ず犬を見ながら、散歩をしてください
⑦首輪に必ず電話番号(非通知拒否などしないで)を油性ペンで書いてください
迷子になった時に見つけた人が、「警察」「動物愛護(管理)センター」の、どちらに連れていくかわかりません
警察署により、何日でセンターに送るかはまちまち(早い場合は即日)ですが、直接動物愛護センターに連れて行かれた場合、殺処分は早いです
ですので、見つけた人から連絡が来るように、首輪に電話番号を書いてください
あと、写真入りのポスターに電話番号を書き、目撃情報を待つということもしてください
⑧子犬・子猫の場合、迷子になってしまい、人に警戒するようになってしまって(放浪中、人間にいやなことをされた場合など)捕まらない場合があります
その場合、どこかでえさにありつけても、成長とともに首輪がきつくなり、クビが締まっていって窒息することもあります(過去に保護した猫のキッシーが、捕獲器を使わないと保護できず、推定4か月でした)
その点も、十分に注意してください
⑨まずはおうちに慣れてもらって、おうちが「安心できる場所だ」と、わんちゃんが認識できたら
少しずつ、無理をさせないで散歩の距離を伸ばして行ってください
その際に、一つのコースに慣れたら、別のコースも教えてください
万一迷子になった場合に、自力で帰ってきやすいように。
⑩年々温暖化がひどくなります
熱中症には十分に注意してください
小型犬は寒さに弱いです
冬は服を着せて暖房するなど、凍死に注意してください(猫も特に寒さに弱い)
(朝方の5時~7時くらいが、一番気温が下がります)
若いあいだは寒さに強くても、高齢になると寒さに弱くなるコもいます
それは、中型以上の大きな子もそうです
でもなかには、中型犬で寒さにものすごく強いコもいます
中型以上はそのコそのコでまちまちなので、よく観察してください
⑪子犬の場合は、成犬(たいたい1年)になるまでに、引っ張り防止訓練をご自身で行ってください
子犬の時に、引っ張られ放題で、大きくなってから飼い主が困り果てる場合がよくあります
そうなると、飼い主側が散歩が精神的苦痛となり、一番かわいそうな思いをするのはわんちゃんです
ただ可愛いだけでは犬は飼えません
可愛がるとき、しつけする時のめりはりをつけて、最期まで同じ家に住む家族として、犬と人間が
愛し愛されることが当たり前です。
これらのことを、最初の電話でお話して、必ず守っていただきますが、、、
それから、最初の電話でわたしがする質問です
↑に書いた注意事項や、↓に書いている質問などは、里親さんのご年齢や家族構成、、お仕事の時間帯や、、また、里親さんが自ら話してくださる内容や里親さんからの質問など、、、
いろいろ取り混ぜながら、話を進めていきます
箇条書きにはしていますが、決して
『質問責め』のようにはしません
会話の中の流れで、里親さんのお人柄とかも、こちらに伝わってきます
●これまで犬を飼ったことがありますか?
●外飼いですか? 室内飼いですか?
●何歳くらいで亡くなりましたか?
●何年前まで飼っていましたか?
●フィラリアの予防薬は飲ませていましたか?
●ごはんは、決まった種類のフードをあげていましたか?
決まっていれば何をあげていましたか?
●散歩は主にどなたがされますか?
☆それから、一番大事な質問
●迷子にならぬように、十分注意はしていただくのですが、
それでも、万一迷子になった場合に、どこに連絡するかご存知ですか?
保護活動を開始した当初から、希望者にはこの質問をしていますが、多くの方が、この一番大切なことをご存知ありません・・
今回の4頭の子犬の兄弟の里親さんのなかで、ご存知だったのは、おひとりだけでした
行政機関の公務員が、いかに啓発ができていないか??
ということが、よくわかる質問です
こういうことは、「犬を飼っている・飼っていない」に関わらず、全市民・国民に、広く周知をされなければならなかったこと
広く周知をすることが、
『いのちを大切にする』という啓発につながるのです
わたしがまだ保護活動をする前、デモやパネル展をやっていたころに、『AC』(日本広告機構?)に電話でお願いしたことがありました
「ACジャパンのCM」にて、このこと
●飼い犬・飼い猫がいなくなったら、管轄の警察署と、自治体の動物愛護(管理)センターなどに、すぐに連絡してください
飼い主からの連絡が来ないために『殺処分』となる犬や猫が、あとを絶ちません
この内容でTVで放送して欲しいと、、、
ACは「ご意見として参考に」
はあ・・いつものことか、、、
ほんまに、、イノチ助けるって、一番大事やのに、、、って思いました
そのころ、神戸市役所に娘と一緒に行きました
担当は、今もいる竹原課長
効率よく周知するために、狂犬病予防接種の案内に、これを書いてくれ
とお願いしたところ
(1年目に予防接種を受けたら、次の年からは自動的に自治体から案内が届くので)
竹原課長
「狂犬病の担当は別の部署なので、無理です」と
はあ、、、お金と時間と労力かけずにイノチを大切にする啓発ができるというのに、、
役所・公務員というのは、なんと効率が悪いのか、、税金なのになあ、、
と思ったことがありました
でも結局、数年後に、これが実現されてたんですよね
結局は、最初からできたこと なんですよ
もっと、頭をまわしてほしい と、思うことだらけです。
今現在は、当会は、犬猫を飼っていない人にも周知が必要(これがイノチに対する啓発)と思っているので、市の「広報」に書くように、いろんな役所でお願いしています
他に里親さんに電話と譲渡の際にお話することは、、
●トイレのしつけ方
●絶対に交配させないこと
猫はもちろん室内飼いでも手術可能な月例になれば必ず避妊・去勢をしていただきますが、犬に関しては、飼い主の管理で交配できないようにじゅうぶんできますので(ただ、その犬の気質または、性質・特徴により、当会で避妊・去勢を行ってからしか譲渡しないコもいます)
ただし、複数飼いで室内フリーなどの場合は、オスまたはメスのどちらか、あるいは両方に必ず避妊・去勢をしてもらうか(子犬の場合、生後半年くらいの手術可能な月例になってから)
成犬の場合は、当会で手術を終えてから譲渡します
理由)
当会は、殺処分に反対しており、そのため、ペットショップやブリーダーの生体販売にも反対しています
新しいイノチを産ませるのではなく、今あるイノチで、殺処分されるコを助けることが当たり前だと思っていますので。
●必ず、家族として愛し、最期まで飼ってくださる方に譲渡していますが、万一飼えなくなった場合には必ず当会に連絡してください
連絡なしに第三者に譲ることはしないでください
どうしても飼えなくなった事情ができた場合は、当会が引き取ります
これらの内容を書いた誓約書にサインをいただきます
それから、譲渡は必ずこちらからお宅まで伺います
これは規則としています
今の時代、なかにはおかしな人もいて、犬猫をもらっては転売して金もうけをしたり交配させて不幸な犬や猫を増やしたり、、猫、特に無抵抗な子猫が標的にされることが多いのですが、子猫をもらっては、首切る腹(はら)切るという、虐待・虐殺目的で、里親希望する人もいますので。
ここでだいたいの人が驚きます
「里親募集サイト側が、虐待犯と思われる人物を実名でメールで、里親募集掲載者に情報提供もしています
この人間は気を付けろ!」というように
犬や猫を飼うお部屋を、ゲージなどと一緒に見せていただきますが、これがいやだという方や家まで来られたくないという方にはお譲りしていませんので。
おためし期間やその後も、順調に慣れているか?特に問題はないか?
電話でお聞きしたり、また、近くを通った際には、電話してから寄らせてもらうこともありますが、大丈夫ですか?
ここで、「はい もちろんです」や「いつでもどうぞ」
と言ってくださる方にしか、譲渡はしません
だいたいこんな感じで、希望者との話を進めていきます
今日は、流れで、希望者からの連絡を受けた場合についてや、譲渡の際の注意事項などを書きました
犬や猫を必ず幸せにしてくれる方に里親になってもらえるように、わたしなりに現在行っているやりとりです。
わたしは別に紙に書いて聞いているわけではなく、頭のなかでいつもこういうことを話します
たまにあとで「あれ言うの(聞くの)忘れた っていうことがありますが、そういうときは、もう一度電話します
でまた、その時の里親さんの反応が感じれたりして、そういうのがまた、役に立ったりもします。
こういった「見極めの時」に、わたしは一番神経を使います
当たり前のことですが・・
昨日の譲渡の帰りに、夫が、2頭目に譲渡したメスの黒いコの里親さんのお宅に寄らせていただきました
兵庫県西脇市で、帰り道だったので・・
里親さんの奥さん
「ああ~~ 武田さんかあーー」
夫
「嫁さんが何回か電話したんですけどつながらなかったので、寄らせてもらいました」
で、おうちに入らせてもらって、わんちゃんと会わせてもらいました!(^^)!
(夫 が車に乗ってから「また写真撮り忘れた」と電話で言ってました)
このメスのコは、夫のことを忘れていたようで、ちょっとビビっていたそうです
でも、ご家族にはとても慣れていたということで、安心しました
また寄らせてもらおうと思います。
今日、大阪の方からわんちゃんのことで質問の電話をいただきました
最初の電話でわたしが
「どんな小さいことでも、何かあったらいつでも電話ください」
と、みなさんにお伝えしているので。
今日で二日。
わんちゃん、里親さんにしっぽ振って喜んでくれてるそうです
もう慣れて、よかった!(^^)!
☆昨日譲渡した神戸市の里親さまより、1万円のご寄附をいただきました。
ありがとうございました。
会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2016年9月2日金曜日
2016年8月8日月曜日
「神戸市動物管理センター」 年間犬猫殺処分数が『増大』
さっき、神戸市動物管理センター職員と話した
今日長田警察から入った子猫
おなかすいたーーって元気よくないてる子猫
「今日中に殺す」ってさ
長田警察から入ってきて、、すぐに殺すって!
不幸な子猫減らす啓発もろくにせんとさ
地域猫制度だけつくって、えさやりにえさやらせてさ
えさやりの責任を管理もせんとさ
おなかすいて泣いてるだけの子猫、電話のむこうで元気よく鳴いてるだけの子猫
ブスッて、、、殺すねんてさ
電話終わったのが16時半過ぎ
神戸市動物管理センターは17時15分まで
その間に、
わきた?うめき?センター長はなんて言ったっけ?名前・・・
その3人とも、獣医師免許保持者
神戸市役所 竹原課長も獣医師免許保持者
いったい何考えとるんやろ?
やるべきこと怠って、すぐさま殺す・・・
今、17時50分・・もう・・殺されてる
助ける気ない人間ばっかりやな、、神戸も、、
助ける気あれば、もっと啓発がんばる頭に切り替えるよな、、、
犬も猫も・・26年度より27年度の殺処分、増えてるねんで・・
考えられへんわ、、、
もう、殺すことに感覚がマヒしてる公務員は、、どうしようもないなあ
ほんま、どうしようもない
この件は、また書きます。
昨日の記事で書いた「兵庫県動物愛護センター」職員の話
『兵庫県は神戸市と同じで譲渡基準がきびしいので』
ええかげんにして
あのころ、譲渡基準がきびしいんじゃなくて、
兵庫県も神戸市も『殺せ殺せ』やったんやんか、、
今日はまずコレを
↓2013年11月末
わたしが神戸市動物管理センターに出向いた時の記事3件
2013年11月29日「神戸市動物管理センター」に直談判①
↓門にある看板とわたし(井上)
↓動物慰霊碑スペース
殺しまくってくせして献花する労力や慰霊碑つくるスペースあるなら、なぜ生かすことに使わない!殺されて花供えられて、だれが喜ぶか!
きれいごとでは済まない
↓このスペースに「日本動物福祉協会」の募金箱が
生きたいのにガスで窒息死させられた犬猫たちのスペースに、なんで「殺す側」の募金箱があるのか!
↓事務所受付
「神戸市民の税金で造られた神戸市民の施設やねんから写真撮ってネットで公開するから・・」と一言
↓奥の男性二人は徳弘センター長(来春定年)と市役所生活衛生課 竹原氏
ピンクの上着が獣医師免許を持つセンター職員の湯木氏(実質センターで一番の実権者)
後ろ姿は一緒に行ったYさん
↓事務所内
夕方18時頃にYさんのご主人も来られて会議に参加しました
↓動物慰霊碑スペース
殺しまくってくせして献花する労力や慰霊碑つくるスペースあるなら、なぜ生かすことに使わない!殺されて花供えられて、だれが喜ぶか!
きれいごとでは済まない
↓このスペースに「日本動物福祉協会」の募金箱が
生きたいのにガスで窒息死させられた犬猫たちのスペースに、なんで「殺す側」の募金箱があるのか!
↓事務所受付
「神戸市民の税金で造られた神戸市民の施設やねんから写真撮ってネットで公開するから・・」と一言
↓奥の男性二人は徳弘センター長(来春定年)と市役所生活衛生課 竹原氏
ピンクの上着が獣医師免許を持つセンター職員の湯木氏(実質センターで一番の実権者)
後ろ姿は一緒に行ったYさん
↓事務所内
夕方18時頃にYさんのご主人も来られて会議に参加しました
2013年11月29日「神戸市動物管理センターへ直談判」②
3年半前より、この人たちにはいろんな意見や陳情をしてきました
今年10月半ばからはまめに電話をするようになり、特にここ3週間ほどは、1日に1~3回、意見、質問、抗議の電話をかけていました
(人事課・財務課・公聴課・秘書課にも)
どんなに言っても変わらないので、だんだんともう電話でもわたしは「ため語」を使っていました
電話で怒鳴ったことも何度もあります
電話の都度、
「この内容をブログに載せるから」と本人たちに言い、
「命を大切にする努力をしないなら、来春異動願を出してくれ、、とか、税金で給料もらってる人間がどうして市民などの声を聞かないのか、、とか、そんなに殺して楽しいか?、、人事課にもクレーム言うから、、」などなど
正直、かなりの事を言ってきました
でも、それでも変えようとする気持ちが無い、自分たちがやっていることが「正しい」と思ってしまい、反省する気持ちも、改善する努力をする気もない人たちでした
昨日が神戸西警察がセンターに送った2頭の犬の公示期限でした
この期限の日に、そして、ある程度の審査(譲渡候補にするための一次審査へ進めるのか、それとも「殺処分」にするのか)をするであろう「中塚圭子氏」の来る金曜日に「センター」に連絡せずに行こうと決めたのは、27日(水)でした
まず紙に、今日訪れた理由を書かされました
「住所」「氏名」「理由(意見・抗議のため)」など・・
そして会議に入ります
「湯木」職員が会議の主導権を握りたがっているのは見え見えでした
早口でペラペラと息つぎをめったにしないしゃべり方・・・
きつい口調といい・・
まずはやはりこのしゃべり方にクレームを・・・
竹原氏は、「まあ、これは癖ですから・・」と部下をかばう
最初に、現在収容棟にいる2頭について
「もう殺処分って決めてるんでしょ」と・・
「いやあまだ今日いっぱい公示期限ですので・・」
「今日いっぱいって、今日金曜だから今日いっぱい公示なら今日の殺処分はないですよね?」
「はい無いです」
「じゃ土日は職員が休みなんで月曜殺処分ですね?」
「だからわかりません それは・・・」
「わからないって、もうだいたい犬を見ていて、一次審査にまわさない子は公示期限きれたらすぐに殺すこと、今までいっぱいやってきたでしょ!」
「あの子たちは、今日団体の方が見にくるんですよ」
「あっそう 2匹とも?」
「そうです」
「ふーん じゃ、柴の老犬は神戸ナナプロジェクトが見にくるんやね?
黒い子は?」
「神戸市の団体です
まだ団体譲渡の実績がなかった・・」
「そう・・ で、もう1カ月半も前に、個人の譲渡団体の名前も教えてって言ったよね?」
「あっそうそう
みなさん名前を公表してもいいと言われましたので教えますね
●灘区の動物病院は●●動物病院です
●大阪市のシュナウザー限定の引き取り団体は「TSR」です
●神戸市西区の老犬引き取り団体が「神戸ナナプロジェクト」ですね
●あとひとつ、8月に譲渡団体の登録をして
まだ実績がなかったのが、神戸市中央区の「ラブフォーアニマルズ」です
今日は「神戸ナナプロジェクト」と「ラブフォーアニマルズ」が見に来られます」
と聞き、そして会議の終わりがけに2頭はどうなったのか?聞くと
「神戸ナナプロジェクト」は柴の老犬をみて、「引き取るのは難しいような感じ」
その後に来た「ラブフォーアニマルズ」は、2日前にも犬を見にきていたらしく、今日再度来て
「2頭とも引き取ることを決めた」ということでした
ラブフォーアニマルズは、普通の一戸建てで、あずかりの方が数人いるそうで、40歳前後の男性が代表者だということです
「神戸ナナ・・」も普通の一戸建てです
大阪市の方の家のことは聞いていません
「ラブフォー・・・」は、これまで主に小型犬の保護をしていたが、今回、こういう子たちもがんばってやってみる・・と言われたそうです
他にある神戸市の譲渡団体は法人の
「日本動物福祉協会」(本部 東京)と、西宮市の「ペッツ・フォー・ライフ・ジャパン」です
この団体譲渡の件で、今回の会議で大きく前進することができたのが
①譲渡基準に当てはまらない犬であっても、団体・個人を問わず、
譲渡団体として申請をしていれば(もしくは保護犬台帳などを見て、飼い主が期限までに現れなければ引き取りたいと思った時に譲渡団体として申請をすれば)神戸市の審査を受けて通れば、誰でも引き取りができる
その際個人の場合は、特に団体名など付けなくても、個人名で登録・申請ができる
そのように申請した者は、「一般譲渡」ではないので、「一般の家庭」に譲渡をしても良いし、そのまま飼い続けても良い
その際「センター側」が自宅訪問もする
「一般譲渡」ではないので、特に頭数制限は設けないが、建物の広さや世話をする人数にみあった頭数となる」
噛む・唸るなどの行為が見られる犬は神戸市からの「一般譲渡」はしないが、「登録申請」をした個人や団体が責任を持って最期まで飼う、とか、きちんとその行動を亡くし、そういう子でも受け入れてくれる一般家庭があるのであれば、責任を持って譲渡しても良い
その際、譲渡後に「噛む」など事故があっても、「神戸市」は責任を持たない
ということになりました
ですので、わたし
「全ての生命を尊ぶ会」としては、
「一般譲渡」や、「すぐに出る子犬や若い可愛い系の犬だけを選んで引き取る団体」が引き受けないような、、
審査で落とされる犬を引き取る、ということで
「神戸市へ譲渡団体の申請」を来週早々にすることにしました
ブログを見ているみなさんも、ぜひ、個人でも、団体でもいいので、譲渡の登録申請をなさってください
これまで「神戸市動物管理センター」ホームページの保護犬台帳に意識的に掲載されなかった子犬(のら犬の子犬や、夜間の授乳が必要な乳飲み子犬も含めて)など、「飼い主持ちこみでない犬」に関しては、全て保護犬台帳に掲載することになりました
これを見て、「助けたい」と思ってくれる人を増やすためです
ミルク子犬の場合は、「預かりボランティア」も募集をしています
これまで、ミルク犬のあずかりがいない時は「殺処分」してきました
Yさんのご主人が、どうしてもミルク犬のあずかりや譲渡申請がない場合は、「動物病院にあずけるべき」と主張しました
「譲渡対象犬」でなく、「保護犬台帳」に掲載されている期間の子がけがや病気の場合は、神戸市各区にある「神戸市指定の動物病院」で診察を受けます
この場合、簡単な診察であろうが、何日か入院しようが、1件に付き5千円と決まっています
これは「神戸市」から支払われます
とにかく命を救うために・・
Yさんのご主人の提案は、今後検討していく、、と言われました
この、「飼い主持ちこみ以外の犬」は、子犬であろうが全て保護犬台帳(ホームページ)に掲載するとしたのが、2つ目の大きな前進です
「飼い主持ちこみ」の犬も、「飼い主放棄犬」として、ホームページに載せてくれと言いましたが、今回は却下されました
今年10月半ばからはまめに電話をするようになり、特にここ3週間ほどは、1日に1~3回、意見、質問、抗議の電話をかけていました
(人事課・財務課・公聴課・秘書課にも)
どんなに言っても変わらないので、だんだんともう電話でもわたしは「ため語」を使っていました
電話で怒鳴ったことも何度もあります
電話の都度、
「この内容をブログに載せるから」と本人たちに言い、
「命を大切にする努力をしないなら、来春異動願を出してくれ、、とか、税金で給料もらってる人間がどうして市民などの声を聞かないのか、、とか、そんなに殺して楽しいか?、、人事課にもクレーム言うから、、」などなど
正直、かなりの事を言ってきました
でも、それでも変えようとする気持ちが無い、自分たちがやっていることが「正しい」と思ってしまい、反省する気持ちも、改善する努力をする気もない人たちでした
昨日が神戸西警察がセンターに送った2頭の犬の公示期限でした
この期限の日に、そして、ある程度の審査(譲渡候補にするための一次審査へ進めるのか、それとも「殺処分」にするのか)をするであろう「中塚圭子氏」の来る金曜日に「センター」に連絡せずに行こうと決めたのは、27日(水)でした
まず紙に、今日訪れた理由を書かされました
「住所」「氏名」「理由(意見・抗議のため)」など・・
そして会議に入ります
「湯木」職員が会議の主導権を握りたがっているのは見え見えでした
早口でペラペラと息つぎをめったにしないしゃべり方・・・
きつい口調といい・・
まずはやはりこのしゃべり方にクレームを・・・
竹原氏は、「まあ、これは癖ですから・・」と部下をかばう
最初に、現在収容棟にいる2頭について
「もう殺処分って決めてるんでしょ」と・・
「いやあまだ今日いっぱい公示期限ですので・・」
「今日いっぱいって、今日金曜だから今日いっぱい公示なら今日の殺処分はないですよね?」
「はい無いです」
「じゃ土日は職員が休みなんで月曜殺処分ですね?」
「だからわかりません それは・・・」
「わからないって、もうだいたい犬を見ていて、一次審査にまわさない子は公示期限きれたらすぐに殺すこと、今までいっぱいやってきたでしょ!」
「あの子たちは、今日団体の方が見にくるんですよ」
「あっそう 2匹とも?」
「そうです」
「ふーん じゃ、柴の老犬は神戸ナナプロジェクトが見にくるんやね?
黒い子は?」
「神戸市の団体です
まだ団体譲渡の実績がなかった・・」
「そう・・ で、もう1カ月半も前に、個人の譲渡団体の名前も教えてって言ったよね?」
「あっそうそう
みなさん名前を公表してもいいと言われましたので教えますね
●灘区の動物病院は●●動物病院です
●大阪市のシュナウザー限定の引き取り団体は「TSR」です
●神戸市西区の老犬引き取り団体が「神戸ナナプロジェクト」ですね
●あとひとつ、8月に譲渡団体の登録をして
まだ実績がなかったのが、神戸市中央区の「ラブフォーアニマルズ」です
今日は「神戸ナナプロジェクト」と「ラブフォーアニマルズ」が見に来られます」
と聞き、そして会議の終わりがけに2頭はどうなったのか?聞くと
「神戸ナナプロジェクト」は柴の老犬をみて、「引き取るのは難しいような感じ」
その後に来た「ラブフォーアニマルズ」は、2日前にも犬を見にきていたらしく、今日再度来て
「2頭とも引き取ることを決めた」ということでした
ラブフォーアニマルズは、普通の一戸建てで、あずかりの方が数人いるそうで、40歳前後の男性が代表者だということです
「神戸ナナ・・」も普通の一戸建てです
大阪市の方の家のことは聞いていません
「ラブフォー・・・」は、これまで主に小型犬の保護をしていたが、今回、こういう子たちもがんばってやってみる・・と言われたそうです
他にある神戸市の譲渡団体は法人の
「日本動物福祉協会」(本部 東京)と、西宮市の「ペッツ・フォー・ライフ・ジャパン」です
この団体譲渡の件で、今回の会議で大きく前進することができたのが
①譲渡基準に当てはまらない犬であっても、団体・個人を問わず、
譲渡団体として申請をしていれば(もしくは保護犬台帳などを見て、飼い主が期限までに現れなければ引き取りたいと思った時に譲渡団体として申請をすれば)神戸市の審査を受けて通れば、誰でも引き取りができる
その際個人の場合は、特に団体名など付けなくても、個人名で登録・申請ができる
そのように申請した者は、「一般譲渡」ではないので、「一般の家庭」に譲渡をしても良いし、そのまま飼い続けても良い
その際「センター側」が自宅訪問もする
「一般譲渡」ではないので、特に頭数制限は設けないが、建物の広さや世話をする人数にみあった頭数となる」
噛む・唸るなどの行為が見られる犬は神戸市からの「一般譲渡」はしないが、「登録申請」をした個人や団体が責任を持って最期まで飼う、とか、きちんとその行動を亡くし、そういう子でも受け入れてくれる一般家庭があるのであれば、責任を持って譲渡しても良い
その際、譲渡後に「噛む」など事故があっても、「神戸市」は責任を持たない
ということになりました
ですので、わたし
「全ての生命を尊ぶ会」としては、
「一般譲渡」や、「すぐに出る子犬や若い可愛い系の犬だけを選んで引き取る団体」が引き受けないような、、
審査で落とされる犬を引き取る、ということで
「神戸市へ譲渡団体の申請」を来週早々にすることにしました
ブログを見ているみなさんも、ぜひ、個人でも、団体でもいいので、譲渡の登録申請をなさってください
これまで「神戸市動物管理センター」ホームページの保護犬台帳に意識的に掲載されなかった子犬(のら犬の子犬や、夜間の授乳が必要な乳飲み子犬も含めて)など、「飼い主持ちこみでない犬」に関しては、全て保護犬台帳に掲載することになりました
これを見て、「助けたい」と思ってくれる人を増やすためです
ミルク子犬の場合は、「預かりボランティア」も募集をしています
これまで、ミルク犬のあずかりがいない時は「殺処分」してきました
Yさんのご主人が、どうしてもミルク犬のあずかりや譲渡申請がない場合は、「動物病院にあずけるべき」と主張しました
「譲渡対象犬」でなく、「保護犬台帳」に掲載されている期間の子がけがや病気の場合は、神戸市各区にある「神戸市指定の動物病院」で診察を受けます
この場合、簡単な診察であろうが、何日か入院しようが、1件に付き5千円と決まっています
これは「神戸市」から支払われます
とにかく命を救うために・・
Yさんのご主人の提案は、今後検討していく、、と言われました
この、「飼い主持ちこみ以外の犬」は、子犬であろうが全て保護犬台帳(ホームページ)に掲載するとしたのが、2つ目の大きな前進です
「飼い主持ちこみ」の犬も、「飼い主放棄犬」として、ホームページに載せてくれと言いましたが、今回は却下されました
2013年11月29日「神戸市動物管理センターに談判」③
そして3つめの前進が、「保護犬台帳」掲載時に、オス・メス性別を載せること
これまでは、相手が飼い主でないと疑い掲載をしてこなかったが、これはおかしいと、、、
今回助けたい人がいれば譲渡申請できるようになったし、だいたい
疑いをかけるために性別を書かないという行為自体が悪い
他、けがをしているとか、中型・大型など、できるだけのことを書くようになりました
④これまで、飼い主持ちこみの犬は、「その日のうちに殺すことができる」とされており、神戸市は、譲渡対象にならない子に関しては、ほとんどをその日のうちに殺してきました
今後は、「飼い主持ちこみ犬」であろうと関係なく、できるだけ助けなければならない
「飼い主持ちこみ犬」は「飼い主が所有権を放棄した犬」なのだから、神戸市の所有になる
その子たちをホームページに掲載するのは今の段階では無理だと言われたが、わたしは今後も要望を続けるつもりです
そして、その日に殺すということをやめてくれ、、と
何とか助けたいと思う人間がいても、それでは待ったなしだ
電話で聞いた時には「もう殺しました」じゃどうしようもないから、、
ということで、「飼い主持ちこみ犬」のなかで譲渡対象にならなかった犬を「その日のうちに殺す」ことはなくなりました
助けることができるように、、、
これが4つ目の前進です
少しでも多くの命が助かるように・・・現在の一般譲渡家庭での飼育頭数上限を上げてくれと言いましたが、今の段階では却下されました
現在神戸市から「一般譲渡」としている頭数は
●犬2頭
●猫2頭
●犬猫合計なら3頭まで
としています
それを、各家庭の家の広さや世話できる人数、経済状況などを加味して、柔軟に対応してくれと要求しましたが、これについては却下されました
⑤各区役所で週1回行われている犬猫の引き取りをやめる
こんな「悪しく住民サービス」は早くやめるべきだ
竹原氏に
「今年度末(26年3月)で止めれますよね?」と言うと、
各区役所が関連していることなので今の時期からだと今年度末は絶対無理だと・・
役所仕事は遅いですからね・・・
「じゃ、来年度、年度途中でも止めれるよね?}と言うと、
「いや年度の途中は無理なんですよ・・来年度末(27年度3月)なら止めれます」
やっぱり役所はこんなもんです・・
「それと並行して、神戸市動物管理センターでの飼い主からの引き取りもやめなあかんわ
今年10月に、鹿児島県動物愛護センターが、「引き取り」も「殺処分」もやめて、飼い主不明の犬の譲渡に力入れるよね
神戸もそうしなあかん
「引き取り」も「殺処分」もやめたらええねん」
と、、、
すると「湯木氏」が、、
そうしたら棄てる飼い主増えますよ
棄てたら交通事故に会う犬も出てくるし放浪犬も出てくる、、と
「いや引き取りはやめなあかん
実際10月に区役所に持ち込まれた犬の多くは「白内障」とか、「立てない」とか、、、もうあとそんなに寿命のない子らが多い
神戸西警察にくる犬でも、そういった明らかに棄てられた犬が多かった
だけど、引き取りやめたらええねん
それで、じゃ、なんとか最期まで飼おうか思う人もいれば、
どうしようもない人間の飼い主は棄てるよ
棄てさしたらいい
それを拾ってあげたらいいんや
交通事故?それは、運命もあるよ
今、持ちこみどれだけ多い?
結局助ける人が少なすぎて、老犬や病気の犬はほとんど殺処分や
それやったら引き取りやめて棄てたい人間には棄てさせたらいい
そんな人間のとこおっても、犬は幸せじゃないから・・・
その子らを助けるんが、たまたま見つけて連れて帰って飼ってくれる住民や行政やん、、と
という事で、5つ目の前進が、区役所窓口での引き取りを無くすこと
同時にセンターでの飼い主持ちこみ犬の引き取りもなくすよう、押していきます
これまでは、相手が飼い主でないと疑い掲載をしてこなかったが、これはおかしいと、、、
今回助けたい人がいれば譲渡申請できるようになったし、だいたい
疑いをかけるために性別を書かないという行為自体が悪い
他、けがをしているとか、中型・大型など、できるだけのことを書くようになりました
④これまで、飼い主持ちこみの犬は、「その日のうちに殺すことができる」とされており、神戸市は、譲渡対象にならない子に関しては、ほとんどをその日のうちに殺してきました
今後は、「飼い主持ちこみ犬」であろうと関係なく、できるだけ助けなければならない
「飼い主持ちこみ犬」は「飼い主が所有権を放棄した犬」なのだから、神戸市の所有になる
その子たちをホームページに掲載するのは今の段階では無理だと言われたが、わたしは今後も要望を続けるつもりです
そして、その日に殺すということをやめてくれ、、と
何とか助けたいと思う人間がいても、それでは待ったなしだ
電話で聞いた時には「もう殺しました」じゃどうしようもないから、、
ということで、「飼い主持ちこみ犬」のなかで譲渡対象にならなかった犬を「その日のうちに殺す」ことはなくなりました
助けることができるように、、、
これが4つ目の前進です
少しでも多くの命が助かるように・・・現在の一般譲渡家庭での飼育頭数上限を上げてくれと言いましたが、今の段階では却下されました
現在神戸市から「一般譲渡」としている頭数は
●犬2頭
●猫2頭
●犬猫合計なら3頭まで
としています
それを、各家庭の家の広さや世話できる人数、経済状況などを加味して、柔軟に対応してくれと要求しましたが、これについては却下されました
⑤各区役所で週1回行われている犬猫の引き取りをやめる
こんな「悪しく住民サービス」は早くやめるべきだ
竹原氏に
「今年度末(26年3月)で止めれますよね?」と言うと、
各区役所が関連していることなので今の時期からだと今年度末は絶対無理だと・・
役所仕事は遅いですからね・・・
「じゃ、来年度、年度途中でも止めれるよね?}と言うと、
「いや年度の途中は無理なんですよ・・来年度末(27年度3月)なら止めれます」
やっぱり役所はこんなもんです・・
「それと並行して、神戸市動物管理センターでの飼い主からの引き取りもやめなあかんわ
今年10月に、鹿児島県動物愛護センターが、「引き取り」も「殺処分」もやめて、飼い主不明の犬の譲渡に力入れるよね
神戸もそうしなあかん
「引き取り」も「殺処分」もやめたらええねん」
と、、、
すると「湯木氏」が、、
そうしたら棄てる飼い主増えますよ
棄てたら交通事故に会う犬も出てくるし放浪犬も出てくる、、と
「いや引き取りはやめなあかん
実際10月に区役所に持ち込まれた犬の多くは「白内障」とか、「立てない」とか、、、もうあとそんなに寿命のない子らが多い
神戸西警察にくる犬でも、そういった明らかに棄てられた犬が多かった
だけど、引き取りやめたらええねん
それで、じゃ、なんとか最期まで飼おうか思う人もいれば、
どうしようもない人間の飼い主は棄てるよ
棄てさしたらいい
それを拾ってあげたらいいんや
交通事故?それは、運命もあるよ
今、持ちこみどれだけ多い?
結局助ける人が少なすぎて、老犬や病気の犬はほとんど殺処分や
それやったら引き取りやめて棄てたい人間には棄てさせたらいい
そんな人間のとこおっても、犬は幸せじゃないから・・・
その子らを助けるんが、たまたま見つけて連れて帰って飼ってくれる住民や行政やん、、と
という事で、5つ目の前進が、区役所窓口での引き取りを無くすこと
同時にセンターでの飼い主持ちこみ犬の引き取りもなくすよう、押していきます
2016年2月5日金曜日
ご支援のお礼/神戸市職員/「スポーツマン精神」って?
☆ご支援のお礼
2月1日 大阪府Tさまより 3万円
2月3日 兵庫県Yさまより 3千円
を、振込にてご寄附いただきました
Tさま、Yさま、いつもありがとうございます
☆前回の記事で書いた場所「神戸市産業複合団地」内に神戸市が設置した捕獲器にかかった『誠くん』の里親さんから写メをいただきました
お返事をお送りしましたが、届いていなかったらすみません
明るいご家族の元で、ご家族にぴったりのマコの写メがなんとも言えずほほえましく
ひさしぶりに、笑顔になりました
里親になってくださった京都市のHさま、本当に、ありがとうございます
☆黒猫「チコ」の名前の由来について
前に一度ブログに書いたことがありました
昔飼っていた「チコ」というメスの猫を、父親が棄てた ということを
須磨区役所付近で保護した黒猫は、家のなかをだーーっと、すごい速さで運動神経バツグンな感じで走り回ります
疲れたり、甘えたいときは、わたしに甘えてきたり寄り添ったり・・・
その感じが、父親が棄てた「チコ」に似ていたから、この子も「チコ」と名付けました
その、父親が棄てた猫は、父親が近所でもらってきました
わたしが中学くらいの時・・
もっと昔の話
大人になってから母親に聞いた話
わたしが自分で覚えていないくらい小さい時に、子猫をひらってきたそう・・
家に帰って母親は
「もとに戻しておいで」と
わたしは、泣きながら子猫を元の場所に戻しに行ったという・・
だけど、そのあとに父親は犬を飼いました
何頭か、、犬が亡くなると次の犬を飼う感じで・・
すぐ裏の家の敷地で、のら犬が子供を産んだことがあって、、
そこは男手がなかったから、父親に「どうにかして」と頼みにきて
父親が捕まえて、、
家の玄関土間に、父親は子犬たち5~6頭くらいをどっかに連れて行く準備してた
わたしが小学校中学年くらいの時だったと思う
あの時父親が、子犬たちを飼ってくれる人をさがすことをしないだろうことは
なんとなくわかっていた
いやたぶんわたしの中に、そういう発想(飼ってくれる人を探す)もなかったと思う
前に書きましたが、
わたしは、兄弟のなかで、両親の愛情を受けていません
子供のころから両親との会話というものが、ほとんどありませんでした
だけどあの時、なんで、
「子犬を飼ってくれる人をさがすことをしよう」と、
考え付く人間、父親に言える人間でわたしがなかったのか?
わたしはたぶん、子供のころから
「主張する」ということをしなくなってしまっていたのだと思うが、それだけではないと思う
子猫の時にあきらめたことが、子犬の時には、最初から
助けようとしなくなってしまっていたのだと思う
父親が死んでから母親に聞いた
「あの時の子犬は、藍那へ行く道で段ボールに入れてお父さんが棄てたんや
だれかがひらってくれるかも?って」
その後も、小学校の帰り、木津駅から家に帰る途中に、向こうから歩いてくるのら犬に出会ったことがあった
ランドセルに入れていた給食のパンののこりをあげました
犬は喜んで、わたしも、殺処分のことなど知らなかったので、犬が食べてくれたことを喜んで
犬とは逆方向に、何とも思わずに帰りました
このあたり、、なんともおもわなかった
というのもやはり
親が動物にしたことの影響・・というか、、大きくなってくるにつれて、自分も、動物の心の痛みを
感じなくなっていっていたのではないか?と、今は考えます
犬は代々飼っていたけれど、だいたい父親が世話していた感じでした
そしてわたしが中学の時に、父親が黒猫の子猫を近所でもらってきた
そのころは、猫を外で飼っているのがいなかでは当たり前でした
チコはやんちゃで、時々かえるをくわえてきたりしていました
わたしに一番なつき、夜はわたしのベッドに入ってきておなかの上で一緒に寝ていた
高校のある日、夜になってもチコが帰って来なかった
親から、
「チコはどこかに行ってしまったのではないか?」と聞いていた
そのまま大人になって、子供ができてから、犬と猫にまつわることもいくつかありました
そこはまた書きたいと思います
平成7年夏に、父が死にました
64歳
神戸市消防局に60歳まで勤務
須磨海岸の石油コンビナート付近の「防災センター」に二次就職をして
震災のあった年の夏に64で死にました
父は娘をかわいがってくれたので、だんだんと父と話すことも増えてはいましたが
父が死んで数年後に、母から
「あの黒猫なあ ほんまはお父さんが棄てたんや」
わたし
「うそやん?なんで??」
母親
「近所の家に入って魚とか食べたり、悪いことしにくる言われてな、、」
わたし
「どこに捨てたん??」
母親
「有馬の旅館街や・・ 有馬の消防に出勤する時にな
あのへんやったら、食べるもんに困らんやろ 言うて・・」
母親はわるびれもしない感じでわたしに言った
わたしは、そのころ殺処分の実態などをしり活動を始めていた
父がチコを棄てたと知ったあと、
父に線香1本も立てていないし、仏壇に手も合わせていない
だけどそういうわたしも、、
活動を始めるまでのあいだに
仕事に必死になっていたころ
偶然見つけた、助けられた犬や猫を助けなかったことが数回ある
だから、、
わたしには、気づきのチャンスが何度か訪れていたのだろうけれど
それでも気づかずにいたから
『交通事故』という、おそらく最後の気づきのチャンスを
与えられたのではないか?
って、思う
あの事故がきっかけで、
わたしの精神は大きく変わった
もしあの事故でも気づくことができなかったなら
わたしはたぶん、生きていても心ない人間、中身のない人間に
おそらくなっていたと思う
その、「助けられたのに助けなかった犬と猫」に対する後悔が、、、
それと、親に精神的に見捨てられたように育った自分と、
人間に捨てられた犬や猫の気持ちが
今でも重なることは変わらないから
わたしはこうなんじゃないかな、、って、思う
その、猫を棄てた父親について、、ですが
外ではとても人に受けのいい人でした
勤務時間以外でも、交通事故などに遭遇した場合のために、
自家用車に救急の道具を積んでいた
昭和6年生まれ・・なので、14歳の時に終戦を迎えています
前にブログで書いたことがあるのは、、
神戸市の市長選挙で、
『消防のもん(者)は、笹山市長候補に投票しろ』と上から指示があった
ということ
『決算(3月)が近づいた時に、来年度の予算確保のために
消防署の風呂(消防は泊り勤務なので)の湯を出しっぱなしにして、水道代を高価に計上した』
ことなど、、、
田舎の家なので、台所で父親が酒を飲んで2時間くらい母といろいろしゃべっているのが、
そこを通るたびに聞こえていた
トイレは外のぼっとんだったため、トイレに行くたびに、、
お風呂が台所の隣だったため、その時間とかに、、自然に耳に入る
わたしはそれをなんとなく聞いて育ちました
兄や姉も聞いていたのか?
聞いていたとしても、たぶん兄姉は、そういう両親に愛情を受けて育ったので
愛情を自分たちに与えた両親のことが好きだったのだと思います
わたしはその時には自分の気持ちを自分で分析することができなかったのだけど、
愛情をもらわなかった両親に対して、、
両親の言動にそのころから違和感を感じていた、、
それが成長するにつれて、しかも社会のゆがみを感じ始めて
だんだんと自分でもはっきりとわかっていったのだと思います
両親の言動の「ゆがみ」が、、
父親は酒が好きで、非番(勤務を終えて消防から昼前に帰ってくる日)の日は、昼ごはんのあと必ずコップ酒を飲んだり、夜もよく飲んでべろんべろんになっていました
その父が、わたしが小学校2年ごろから、藍那小学校に少年野球チームをつくって非番の日は、毎回(2日に一回は必ず)小学校に野球チームの監督に行くようになり、昼のコップ酒はしなくなりました
2つ上の兄が4年生くらいの時だったと思います
小さな小学校だけど、北区で優勝するまでになり、卒業後は「鈴蘭台中学校」へ
その頃北区の少年野球はとても強く、兄が1年の時に『鈴中(鈴蘭台中学校)』は、神戸市大会・兵庫県大会で共に優勝もしました
兄が3年になる時に、野球部の顧問であった体育教師が、同じ神戸市立の、ある高校へ異動しました
その高校は昔野球が強かった時期があり、その時代また強くなっていました
公立高校なので、学習面でクリアできる子が、鈴中からも進学し、兄の進学時にも、野球部顧問である鈴中の体育教師だったその人が顧問をしているその高校へ
兄はキャッチャーで、とてもうまく高校1年からレギュラーでした
その高校は神戸市西区に別グランドを持ち、厳しい練習に救急車がくることも、、、、
その別グランドは、今年4月にもう一校と合併して新校舎ができると神戸市のHPに書いていますが、、
強い野球部はなぜか?父兄たちが合宿の手伝いなんかにも行ったり、、普段からしょっちゅう野球部顧問との親交が深く、両親も例外ではありませんでした
兄が1年の秋だったと思いますが、、
兵庫県大会で優勝して近畿大会へ
1回戦で負けてしまい春の甲子園には兵庫県で2位だった学校が出場
甲子園に漏れた高校が出場する『明治神宮大会』で、準優勝していました
プロのスカウトなども見に来る大会です
甲子園に行けなかった悔しさを『次こそは・・』と
そして次の大会だったと思いますが、
兵庫県大会を順調に勝ち進んでいた時、準々決勝か準決勝の試合の時のこと
試合中に校長がやってきて
「この試合わざと負けろ」と
理由は・・
野球部を引退していた3年生が、新開地駅のトイレで国籍の違う男子に対し暴力をふるった
その子の親が
「●●高がこのまま勝ち進んだら、このことを新聞社に言う」と言ってきた
だからこの試合、わざと負けろ、、と
で、わざと負けた
この時、この校長は、兵庫県高校野球連盟の会長
その立場もあったと思います
この校長の妹が、藍那幼稚園でわたしと兄を受け持っていた人であったこともあり、
両親は校長ともある程度親しくしていました
そのあとで母親が言っていたこと
「●●ちゃん(殴られた子の母親)やったら子供の時の幼馴染(藍那の人)やから、わたしにひとこと
(事件のこと)言ってくれたらわたしから●●ちゃんに話したのに・・」
これを聞いた時のわたしは中3でした
その時の自分の感情をはっきりは覚えていないけど
違和感は感じたと思います
母親がもみけそうとしたかったという意図があったんだという違和感を
この時のピッチャーは、兄と同じ鈴中の同級生でした
兄は高3になり進路を決めることになりました
そのピッチャーの子と兄とのバッテリーと、、それから
ファーストの子(この子も鈴中出身)の3人で
監督とも話し合って京都のR大を受験することに
R大から、3人で来てほしいと言ってもらい、だけど、スポーツ推薦でも最低何十点は試験で取ってくれ
と言われ、、兄も勉強をしていました
その試験の日に、、
ピッチャーの子だけが来ませんでした
で、その夜に野球部の監督が家に来ました
玄関土間で監督が土下座をして父に謝っている光景が、ガラス扉1枚隔てた居間にいたわたしにもわかりました
父親は、声を荒げたりはしていませんでした
監督は、知っていた
だから謝りに来た
ピッチャーの子が、ある球団にドラフト外で入りました
(7年その球団にいて1軍には上がれずに引退しましたが、、)
R大は怒り、「今後●●高の野球部からはとらない」と
兄は急きょ校長が見つけてくれた企業に就職してサラリーマンをしながら社会人野球を・・
数年後に、神戸市水道局(社会人野球が強かった)から声がかかりましたが、大学に落ちたところを拾ってくれた会社に恩義を感じて水道局には行きませんでした
わたしは思うんですよ、、
なぜ父が神戸市の教職員(体育教師)であるその監督に怒らなかったか?
たぶん、、父も、怒れない(怒ることをしない)人間だったからだろうと
市長選挙のこともだし、、
そんなことがあったにも関わらず、そのピッチャーの子が行った球団のファンをまだしていた人で、、
しかも、、これも前に書きましたが
最期、社会保険中央病院に入院していて週1回の担当医の回診の時に、その病院では禁止されていたにも関わらず、毎回1万円を渡していた、、若い担当医もそれを受け取っていた
命が助かりたいから?
助かりたいなら、なんでたばこやめんかったん?
肺がんになっても吸ってた
死にたいのか、助かりたいのか?
最期の方、痛み止めのモルヒネも効かなくなって、苦しくて苦しくて、ベッドの頭の上にあった
ぶくぶくする、、なんていうのかな?鼻にチューブ入れて呼吸を楽にするための、、
泡がぶくぶくする、あのガラスの入れ物を手で割っていた
そうとう苦しかったみたい、、
そのころは父親がチコを棄てたことをわたしは知らない
C型肝炎→肝硬変→肺がん
で死にました
父は新薬を試していました
父が死んだ直後に病室に入ってきた若い担当医は涙を流し
母親に
「新薬の効果をみたいから死体を検体して欲しい」と
母親はOKした
「お父さんが死んだ時涙流してくれて、あの先生はいい先生や」と
今のわたしからすると
「は?医者が涙?
回診で規則を破って毎週患者から1万円受け取る医者がいい先生??」
って思います
結局父もおんなじなんですよね、、
あの体育教師(野球部監督)と
だからあの時監督に怒るという感情が起こらなかったんだな・・って
あの時、父や兄がもっと行動を起こしていたら、、
あの有名なコンビの似たそれは、なかったかもしれないな、、って
父や兄だけではないと思う
たくさんたくさんの同じような人が声を上げなかったんだと思う
で今結局野球がどうなったか?
野球離れは進み、そういうことやとばくや覚せい剤など、、
『スポーツマン精神』とは、ほど遠い人たち
その体育教師は神戸市教員として定年を迎えていますが、現在
全日本高校野球連盟の理事をしています
「スポーツ」って、第一に、精神面を鍛えるものだと思う
鍛えるっていうのは、単に強くなるということではない
相手を思いやったり、かけひき(プレー中の)を覚えたり、チームの和を保つことで社会性や協調性を養ったり、、、
そこの部分が間違っているから、野球がこんな風になったんだと思う
結局は、やっぱり
「やったことは返ってくる」
まだB型肝炎もC型肝炎も名前が無かったころ
神戸市民からの通報で
「神戸市の消防は、交通事故の現場で道に散らかった内臓なんかを
まるで汚いものをさわるかのようにゴム手袋をはめてしている」
この通報を受けて、
「素手でやれ」との命令が出てそうした時期があった
と、父親が死んだあとで母が言っていました
そういう命令もふつうはおかしいと思うし、そういう時にきちんとした言葉で
「それは違う」と言えない
というのも、
わたしはおかしい
って思います
だから、父親がチコを棄てたことからも、、
大切なことはなになのか?
を、全く
わかっていなかった公務員(神戸市職員)であったのだな、、って
思います
そして、ある程度より上の年齢の人って、
こういう人が多いんだろうな、、、って・・・
時代は必ず変化します
どう変化させていくかは、その時代時代を生きていく人たちの
生き方そのものにより・・
全ての生命を尊ぶ会
武田弥生
2月1日 大阪府Tさまより 3万円
2月3日 兵庫県Yさまより 3千円
を、振込にてご寄附いただきました
Tさま、Yさま、いつもありがとうございます
☆前回の記事で書いた場所「神戸市産業複合団地」内に神戸市が設置した捕獲器にかかった『誠くん』の里親さんから写メをいただきました
お返事をお送りしましたが、届いていなかったらすみません
明るいご家族の元で、ご家族にぴったりのマコの写メがなんとも言えずほほえましく
ひさしぶりに、笑顔になりました
里親になってくださった京都市のHさま、本当に、ありがとうございます
☆黒猫「チコ」の名前の由来について
前に一度ブログに書いたことがありました
昔飼っていた「チコ」というメスの猫を、父親が棄てた ということを
須磨区役所付近で保護した黒猫は、家のなかをだーーっと、すごい速さで運動神経バツグンな感じで走り回ります
疲れたり、甘えたいときは、わたしに甘えてきたり寄り添ったり・・・
その感じが、父親が棄てた「チコ」に似ていたから、この子も「チコ」と名付けました
その、父親が棄てた猫は、父親が近所でもらってきました
わたしが中学くらいの時・・
もっと昔の話
大人になってから母親に聞いた話
わたしが自分で覚えていないくらい小さい時に、子猫をひらってきたそう・・
家に帰って母親は
「もとに戻しておいで」と
わたしは、泣きながら子猫を元の場所に戻しに行ったという・・
だけど、そのあとに父親は犬を飼いました
何頭か、、犬が亡くなると次の犬を飼う感じで・・
すぐ裏の家の敷地で、のら犬が子供を産んだことがあって、、
そこは男手がなかったから、父親に「どうにかして」と頼みにきて
父親が捕まえて、、
家の玄関土間に、父親は子犬たち5~6頭くらいをどっかに連れて行く準備してた
わたしが小学校中学年くらいの時だったと思う
あの時父親が、子犬たちを飼ってくれる人をさがすことをしないだろうことは
なんとなくわかっていた
いやたぶんわたしの中に、そういう発想(飼ってくれる人を探す)もなかったと思う
前に書きましたが、
わたしは、兄弟のなかで、両親の愛情を受けていません
子供のころから両親との会話というものが、ほとんどありませんでした
だけどあの時、なんで、
「子犬を飼ってくれる人をさがすことをしよう」と、
考え付く人間、父親に言える人間でわたしがなかったのか?
わたしはたぶん、子供のころから
「主張する」ということをしなくなってしまっていたのだと思うが、それだけではないと思う
子猫の時にあきらめたことが、子犬の時には、最初から
助けようとしなくなってしまっていたのだと思う
父親が死んでから母親に聞いた
「あの時の子犬は、藍那へ行く道で段ボールに入れてお父さんが棄てたんや
だれかがひらってくれるかも?って」
その後も、小学校の帰り、木津駅から家に帰る途中に、向こうから歩いてくるのら犬に出会ったことがあった
ランドセルに入れていた給食のパンののこりをあげました
犬は喜んで、わたしも、殺処分のことなど知らなかったので、犬が食べてくれたことを喜んで
犬とは逆方向に、何とも思わずに帰りました
このあたり、、なんともおもわなかった
というのもやはり
親が動物にしたことの影響・・というか、、大きくなってくるにつれて、自分も、動物の心の痛みを
感じなくなっていっていたのではないか?と、今は考えます
犬は代々飼っていたけれど、だいたい父親が世話していた感じでした
そしてわたしが中学の時に、父親が黒猫の子猫を近所でもらってきた
そのころは、猫を外で飼っているのがいなかでは当たり前でした
チコはやんちゃで、時々かえるをくわえてきたりしていました
わたしに一番なつき、夜はわたしのベッドに入ってきておなかの上で一緒に寝ていた
高校のある日、夜になってもチコが帰って来なかった
親から、
「チコはどこかに行ってしまったのではないか?」と聞いていた
そのまま大人になって、子供ができてから、犬と猫にまつわることもいくつかありました
そこはまた書きたいと思います
平成7年夏に、父が死にました
64歳
神戸市消防局に60歳まで勤務
須磨海岸の石油コンビナート付近の「防災センター」に二次就職をして
震災のあった年の夏に64で死にました
父は娘をかわいがってくれたので、だんだんと父と話すことも増えてはいましたが
父が死んで数年後に、母から
「あの黒猫なあ ほんまはお父さんが棄てたんや」
わたし
「うそやん?なんで??」
母親
「近所の家に入って魚とか食べたり、悪いことしにくる言われてな、、」
わたし
「どこに捨てたん??」
母親
「有馬の旅館街や・・ 有馬の消防に出勤する時にな
あのへんやったら、食べるもんに困らんやろ 言うて・・」
母親はわるびれもしない感じでわたしに言った
わたしは、そのころ殺処分の実態などをしり活動を始めていた
父がチコを棄てたと知ったあと、
父に線香1本も立てていないし、仏壇に手も合わせていない
だけどそういうわたしも、、
活動を始めるまでのあいだに
仕事に必死になっていたころ
偶然見つけた、助けられた犬や猫を助けなかったことが数回ある
だから、、
わたしには、気づきのチャンスが何度か訪れていたのだろうけれど
それでも気づかずにいたから
『交通事故』という、おそらく最後の気づきのチャンスを
与えられたのではないか?
って、思う
あの事故がきっかけで、
わたしの精神は大きく変わった
もしあの事故でも気づくことができなかったなら
わたしはたぶん、生きていても心ない人間、中身のない人間に
おそらくなっていたと思う
その、「助けられたのに助けなかった犬と猫」に対する後悔が、、、
それと、親に精神的に見捨てられたように育った自分と、
人間に捨てられた犬や猫の気持ちが
今でも重なることは変わらないから
わたしはこうなんじゃないかな、、って、思う
その、猫を棄てた父親について、、ですが
外ではとても人に受けのいい人でした
勤務時間以外でも、交通事故などに遭遇した場合のために、
自家用車に救急の道具を積んでいた
昭和6年生まれ・・なので、14歳の時に終戦を迎えています
前にブログで書いたことがあるのは、、
神戸市の市長選挙で、
『消防のもん(者)は、笹山市長候補に投票しろ』と上から指示があった
ということ
『決算(3月)が近づいた時に、来年度の予算確保のために
消防署の風呂(消防は泊り勤務なので)の湯を出しっぱなしにして、水道代を高価に計上した』
ことなど、、、
田舎の家なので、台所で父親が酒を飲んで2時間くらい母といろいろしゃべっているのが、
そこを通るたびに聞こえていた
トイレは外のぼっとんだったため、トイレに行くたびに、、
お風呂が台所の隣だったため、その時間とかに、、自然に耳に入る
わたしはそれをなんとなく聞いて育ちました
兄や姉も聞いていたのか?
聞いていたとしても、たぶん兄姉は、そういう両親に愛情を受けて育ったので
愛情を自分たちに与えた両親のことが好きだったのだと思います
わたしはその時には自分の気持ちを自分で分析することができなかったのだけど、
愛情をもらわなかった両親に対して、、
両親の言動にそのころから違和感を感じていた、、
それが成長するにつれて、しかも社会のゆがみを感じ始めて
だんだんと自分でもはっきりとわかっていったのだと思います
両親の言動の「ゆがみ」が、、
父親は酒が好きで、非番(勤務を終えて消防から昼前に帰ってくる日)の日は、昼ごはんのあと必ずコップ酒を飲んだり、夜もよく飲んでべろんべろんになっていました
その父が、わたしが小学校2年ごろから、藍那小学校に少年野球チームをつくって非番の日は、毎回(2日に一回は必ず)小学校に野球チームの監督に行くようになり、昼のコップ酒はしなくなりました
2つ上の兄が4年生くらいの時だったと思います
小さな小学校だけど、北区で優勝するまでになり、卒業後は「鈴蘭台中学校」へ
その頃北区の少年野球はとても強く、兄が1年の時に『鈴中(鈴蘭台中学校)』は、神戸市大会・兵庫県大会で共に優勝もしました
兄が3年になる時に、野球部の顧問であった体育教師が、同じ神戸市立の、ある高校へ異動しました
その高校は昔野球が強かった時期があり、その時代また強くなっていました
公立高校なので、学習面でクリアできる子が、鈴中からも進学し、兄の進学時にも、野球部顧問である鈴中の体育教師だったその人が顧問をしているその高校へ
兄はキャッチャーで、とてもうまく高校1年からレギュラーでした
その高校は神戸市西区に別グランドを持ち、厳しい練習に救急車がくることも、、、、
その別グランドは、今年4月にもう一校と合併して新校舎ができると神戸市のHPに書いていますが、、
強い野球部はなぜか?父兄たちが合宿の手伝いなんかにも行ったり、、普段からしょっちゅう野球部顧問との親交が深く、両親も例外ではありませんでした
兄が1年の秋だったと思いますが、、
兵庫県大会で優勝して近畿大会へ
1回戦で負けてしまい春の甲子園には兵庫県で2位だった学校が出場
甲子園に漏れた高校が出場する『明治神宮大会』で、準優勝していました
プロのスカウトなども見に来る大会です
甲子園に行けなかった悔しさを『次こそは・・』と
そして次の大会だったと思いますが、
兵庫県大会を順調に勝ち進んでいた時、準々決勝か準決勝の試合の時のこと
試合中に校長がやってきて
「この試合わざと負けろ」と
理由は・・
野球部を引退していた3年生が、新開地駅のトイレで国籍の違う男子に対し暴力をふるった
その子の親が
「●●高がこのまま勝ち進んだら、このことを新聞社に言う」と言ってきた
だからこの試合、わざと負けろ、、と
で、わざと負けた
この時、この校長は、兵庫県高校野球連盟の会長
その立場もあったと思います
この校長の妹が、藍那幼稚園でわたしと兄を受け持っていた人であったこともあり、
両親は校長ともある程度親しくしていました
そのあとで母親が言っていたこと
「●●ちゃん(殴られた子の母親)やったら子供の時の幼馴染(藍那の人)やから、わたしにひとこと
(事件のこと)言ってくれたらわたしから●●ちゃんに話したのに・・」
これを聞いた時のわたしは中3でした
その時の自分の感情をはっきりは覚えていないけど
違和感は感じたと思います
母親がもみけそうとしたかったという意図があったんだという違和感を
この時のピッチャーは、兄と同じ鈴中の同級生でした
兄は高3になり進路を決めることになりました
そのピッチャーの子と兄とのバッテリーと、、それから
ファーストの子(この子も鈴中出身)の3人で
監督とも話し合って京都のR大を受験することに
R大から、3人で来てほしいと言ってもらい、だけど、スポーツ推薦でも最低何十点は試験で取ってくれ
と言われ、、兄も勉強をしていました
その試験の日に、、
ピッチャーの子だけが来ませんでした
で、その夜に野球部の監督が家に来ました
玄関土間で監督が土下座をして父に謝っている光景が、ガラス扉1枚隔てた居間にいたわたしにもわかりました
父親は、声を荒げたりはしていませんでした
監督は、知っていた
だから謝りに来た
ピッチャーの子が、ある球団にドラフト外で入りました
(7年その球団にいて1軍には上がれずに引退しましたが、、)
R大は怒り、「今後●●高の野球部からはとらない」と
兄は急きょ校長が見つけてくれた企業に就職してサラリーマンをしながら社会人野球を・・
数年後に、神戸市水道局(社会人野球が強かった)から声がかかりましたが、大学に落ちたところを拾ってくれた会社に恩義を感じて水道局には行きませんでした
わたしは思うんですよ、、
なぜ父が神戸市の教職員(体育教師)であるその監督に怒らなかったか?
たぶん、、父も、怒れない(怒ることをしない)人間だったからだろうと
市長選挙のこともだし、、
そんなことがあったにも関わらず、そのピッチャーの子が行った球団のファンをまだしていた人で、、
しかも、、これも前に書きましたが
最期、社会保険中央病院に入院していて週1回の担当医の回診の時に、その病院では禁止されていたにも関わらず、毎回1万円を渡していた、、若い担当医もそれを受け取っていた
命が助かりたいから?
助かりたいなら、なんでたばこやめんかったん?
肺がんになっても吸ってた
死にたいのか、助かりたいのか?
最期の方、痛み止めのモルヒネも効かなくなって、苦しくて苦しくて、ベッドの頭の上にあった
ぶくぶくする、、なんていうのかな?鼻にチューブ入れて呼吸を楽にするための、、
泡がぶくぶくする、あのガラスの入れ物を手で割っていた
そうとう苦しかったみたい、、
そのころは父親がチコを棄てたことをわたしは知らない
C型肝炎→肝硬変→肺がん
で死にました
父は新薬を試していました
父が死んだ直後に病室に入ってきた若い担当医は涙を流し
母親に
「新薬の効果をみたいから死体を検体して欲しい」と
母親はOKした
「お父さんが死んだ時涙流してくれて、あの先生はいい先生や」と
今のわたしからすると
「は?医者が涙?
回診で規則を破って毎週患者から1万円受け取る医者がいい先生??」
って思います
結局父もおんなじなんですよね、、
あの体育教師(野球部監督)と
だからあの時監督に怒るという感情が起こらなかったんだな・・って
あの時、父や兄がもっと行動を起こしていたら、、
あの有名なコンビの似たそれは、なかったかもしれないな、、って
父や兄だけではないと思う
たくさんたくさんの同じような人が声を上げなかったんだと思う
で今結局野球がどうなったか?
野球離れは進み、そういうことやとばくや覚せい剤など、、
『スポーツマン精神』とは、ほど遠い人たち
その体育教師は神戸市教員として定年を迎えていますが、現在
全日本高校野球連盟の理事をしています
「スポーツ」って、第一に、精神面を鍛えるものだと思う
鍛えるっていうのは、単に強くなるということではない
相手を思いやったり、かけひき(プレー中の)を覚えたり、チームの和を保つことで社会性や協調性を養ったり、、、
そこの部分が間違っているから、野球がこんな風になったんだと思う
結局は、やっぱり
「やったことは返ってくる」
まだB型肝炎もC型肝炎も名前が無かったころ
神戸市民からの通報で
「神戸市の消防は、交通事故の現場で道に散らかった内臓なんかを
まるで汚いものをさわるかのようにゴム手袋をはめてしている」
この通報を受けて、
「素手でやれ」との命令が出てそうした時期があった
と、父親が死んだあとで母が言っていました
そういう命令もふつうはおかしいと思うし、そういう時にきちんとした言葉で
「それは違う」と言えない
というのも、
わたしはおかしい
って思います
だから、父親がチコを棄てたことからも、、
大切なことはなになのか?
を、全く
わかっていなかった公務員(神戸市職員)であったのだな、、って
思います
そして、ある程度より上の年齢の人って、
こういう人が多いんだろうな、、、って・・・
時代は必ず変化します
どう変化させていくかは、その時代時代を生きていく人たちの
生き方そのものにより・・
全ての生命を尊ぶ会
武田弥生
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