2016年2月29日月曜日

ご支援のお礼/神戸市「久元市長」へ手紙

☆ご支援のお礼

兵庫県Yさまより 2月4日 1000円
大阪府㈱マリーンサービスさまより 2月12日 3万円
兵庫県Mさまより 2月12日 1万円

Mさまは、明石公園の譲渡会で子猫2匹の里親になっていただいた方です
この2匹は、三木市役所 吉川支所が月一で行う「ひどい住民サービス」不要ネコの引取り日(市はこんな書き方はしませんが、現実はそれが実体であり、わたしは、こんな住民サービスは動物虐待と同じ意味を持つと思っていますが・・・

この支所からある月に、わたしが保護した39匹の子猫のうちの2頭をもらっていただいた方です

この子らを引き取って、猫の病気で動物病院をめぐった際に
「獣医師の技術とはこんなものか」と、思いました

この内容はまた書きます

Mさまから、「車見ましたよ」とメールをいただきました

車のリアガラスにステッカーを貼って啓発活動をしていますので、、、


Yさま・Tさま・Mさま
本当に
ありがとうございます

武田弥生


☆神戸市長へ「意見・抗議」の手紙


神戸市は「市長への手紙」を受け付けています

おそらく、今日か明日神戸市役所に届くと思います

















このところ連続で書いた神戸市に関するブログの記事と、神戸空港・医療産業都市構想について、別の方のブログ記事、それから、市長へのわたしの率直な気持ちを書いた手紙を入れて送りました

「市長への手紙」なんだから、「市長の言葉」による、「返事」が欲しいと思います






2016年2月21日日曜日

自分で/福知山市立小学校校長のスピード復帰

①そろそろ・・と思うタイミングが来たので、パンとクッキーを手作りにて

どちらも天然酵母&国産小麦です

以前から、アルミフリーのベーキングパウダーでもからだによくないことを感じていて
重曹使用のケーキやクッキーだと大丈夫だったのが、福知山市の大気汚染による健康被害を受けてからは、重曹の悪さもからだで感じるようになり、、

もう、天然酵母しか無理になりました

発酵に時間はかかるけど、、なんとか毎日、手作りをしてお客さんに出していきたいと思います

↓パン&ココアクッキーの種、発酵中(あったかいまきストーブのそばで)

お客さんがきはって、
「あーすんません すぐのけますね」

お客さんはみんな
「えーよえーよ おいとき」

って、やさしい


↓ココアクッキー(原材料 国産小麦・自然塩・紅花油・ココアパウダー・ホシノ天然酵母・きび砂糖)
ほろ苦おいしくできました
サービスのクッキー



↓『白崎茶会』さんの、力入れてこねなくてすむやり方で

3回目に、やっと成功

天然酵母パン(原材料 国産小麦・紅花油・ホシノ天然酵母・自然塩・きび砂糖)

いい感じにふくらみました

食は生きることの基本です

衣食住を自然なものにして、心もからだも健康に

=それは、大気・水・土壌の自然を回復することにつながり

やがて温暖化もストップされることにつながるでしょう

全ての生きもの(地球も含めて)が健康に




②わたしも交通事故を起こした経験があります

あと、下り坂を走っている時に、ハトがフロントガラスにあたったこともその前にありました

わたしは、動物を車ではねたりすることも、何か、自分の生き方に問題があると今は思っています

たとえハトが飛んできた

としても・・・

そして、その後起こした車対車の事故で心身ともにひどく苦しみました

立ち直るまでに、そうとうの年数を要しました

そして、わたし自身、精神的にもがらっと変わりました

まるで人間が違うみたいに、、、

だけど、今のわたしは本当は、自分の本能に素直に生きているのだと思っています

それまでのわたしのほうが、おかしかったのだ・・と

自然な生活をすると、自分の生まれ持った本能が目覚める・・という感じで
自分に素直に生きることができるようになりました

ただ、つらいとか悲しいとか、そういうものはもちろんあります

特に、動物たちの現状を知ってからは、

時々急に
「ワッ」と泣くことがあります

やっぱり、いつでも動物たちとわたしは一緒のところに心があるような気がするからです

人生に起こることは偶然はない

わたしが常に努力し向上心を持ち、イノチを救う気持ちが、純粋にあるから

物事が、自然とあるべき方向に流れていく

驚くこともたくさんあります

わたしは、動物たちに助けられているんだな・・って


福知山市にいい印象をわたしは全く持っていません

以下のニュースでも、交通事故で他人を死亡させた校長が、『異例の速さ』で校長に復帰しています

普通は、こんなに簡単に、気持ちの切り替えはできないよ

言葉で反省を口にしていても、心はそれほどではないと
わたしは思います

車と歩行者だと、絶対に車が悪いとなる

『前方不注意』により人を殺してしまった校長が、わずか半年で別の小学校の校長に復帰して
児童の前で

いくら言葉で何かを伝えようとしても

伝わるものは何もないと思います

校長は生徒に

「自分たちを守れる子、つらいことも乗り切れる子となるよう教育していきたい」

と思ったようだが、、、

わたしは思う


甘すぎる

交通事故で人を死なせた人間が、何をエラそうに、「自分たちを守れる子」「つらいことも乗り切れる子」だ・・

「自分たちを守れる子」というのは、まるで

「あなたがはねた男性に過失があったと主張している」ように、わたしには聞こえますよ

「つらいことものりきれる子」というのは、まるで

「あなたがつらいことをもうすでに乗り切った人(こんなに早く)」のように、わたしにはとれます

「そうなるように教育していきたい」

の言葉などは

「それ以上言うと恥ずかしいですよ
何をえらそうに、、『教育』ですか

あなた、いったい何をしたのか自分でわかっているんですか??」と言いたいですね

『教育』という言葉自体が、上から目線で、わたしは大嫌いです

子供たちは自分たち教師と対等な立場

『子供を教育』とは、とてもエラそうな言葉だと、常々思っていました


福知山市の大気汚染はひどく、福知山を運転していると、あたまが もうろうとしたり、眠気がおそいます

化学物質は、覚醒作用があるから、、

交通事故って、紙一重で誰の身の上にも起こりうることだと思っています

交通事故を起こすということは、自分の生き方自体に

さまざまな問題があるのだという、いわば、自分に対する警告なんだ

とわたしは思っています

それが人間ではなく、鹿や猫の場合も、わたしは、同じく警告の意味を持つのだ
と思います

福知山市の教員であるこの校長に対する処分の甘さなどは

「やはり福知山だな」って、思います


一方、新潟で交通事故を起こした新潟市の女性職員が、焼身自殺をした疑いがある
というニュースがありました

自殺をすることが正しいとは、全く思いませんが、同じ公務員でも、加害者としての物事のとらえかたに大きな差があるニュースでした↓(ネットニュースより)

2015.6.9 11:00

【関西の議論】
「実は私は交通事故を起こしました」校長が突然告白、そのとき児童は…「一生背負う」覚悟で決めた復帰の是非

着任式で壇上に立ち、交通事故を起こして人を死亡させたことを告白する校長。児童たちは終始静かに聴き入った=4月7日、京都府福知山市
 昨年11月に京都府福知山市内で交通事故を起こしたとして現行犯逮捕され、懲戒処分を受けた小学校の校長(58)が今春、別の小学校の校長として着任した。事故の被害者は事故後の3月に死亡しており、交通事故を起こした加害者が児童たちを教える校長として復帰してもいいのか、悩んだ末での結論だった。新しい小学校の着任式で、校長は児童たちに「皆さんにお話をしておくことがあります。実は私は交通事故を起こしました」と異例の告白をした。校長の言葉は児童たちの心にどう響いたのか。(池田進一、永山準)
処分決定は異例の早さ
 事故が起きたのは昨年11月14日午後8時15分ごろ。福知山市内の国道で、勤務先の小学校から帰宅途中の校長が運転する車が、横断歩道を歩いて渡っていた近くの無職男性=当時(67)=をはねた。無職男性は意識不明の重体となり、校長は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで京都府警に現行犯逮捕された。
 男性は事故の約4カ月後に死亡。校長は5月7日に自動車運転処罰法違反(過失運転致死)容疑で書類送検されている。
 福知山署によると、事故は無免許や飲酒運転といった悪質性を伴うものではなかった。しかし、前方不注意による事故であり、男性の死亡につながったという結果は重いと判断した。
 事故を受け、府教委は1月15日、校長を減給の懲戒処分とし、校長の職を解いた上で、福知山市教委で研修させる措置をとった。府教委によると、交通事故を起こして逮捕された教職員に対する一般的な措置だ。
 京都府が定めた懲戒処分指針の処分標準例には、交通事故のうち、今回のように人の死亡に関係する交通事故を起こした場合は、「免職、停職または減給」とされている。



 復帰後、児童の前で最初に話す機会に、自分が起こした事故のことは話そうと決めていた。「事故を起こしてしまった校長として、体験も話しながら、自分たちを守れる子、つらいことも乗り切れる子となるよう教育していきたい」という思いからだ。
 事故の詳しい状況だけでなく、被害者に大けがを負わせ、後に亡くなったことも包み隠さず吐露した。
 「お亡くなりになった方やご家族に対して、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました」
 静まり返る体育館。姿勢を崩さず、話に聴き入る児童たち。告白は続く。
 「皆さんは私のように交通事故を起こしたり、交通事故にあったり、絶対にしてほしくない。これから皆さんが交通事故にあわないようにするためには、どうしたらいいかということを一緒に考えていきましょう」。そう締めくくり、一礼をして壇上から下りた。
 時間にして約4分間の告白。児童たちは動揺をみせることはなく、終始神妙な面持ちだった。
難しい加害者の社会復帰
 校長の事例では、周囲や遺族の理解があったこともあり、比較的スムーズに職場に戻ることができた。
 命にかかわる重大な交通事故を起こした人が子供たちを教える校長職につくことの是非については、さまざまな意見があるに違いない。実際、前任校のPTA関係者からは「あんな事故を起こしたら引退するのが普通ではないか」「復帰はちょっと考えられない」という意見も上がっていたという。
 一方、重大事故を起こした人が、償いをした上で、何らかの形で社会復帰をしようとしたとしても、なかなかスムーズにはいかないという現状もある。事件や事故の加害者家族の支援を行っているNPO法人「World Open Heart」(仙台市)によると、交通事故を起こして相手が死亡した場合、加害者は勤めている会社などを退職せざるを得なくなることも少なくない。
 同法人の阿部恭子理事長は「もちろん被害者が最優先されるべきだ」と前置きした上で、「再雇用は難しく、加害者の家族も心理的負担が重い」と話す。現在の日本では加害者の社会復帰を支える制度はなく、個人の努力に任されているのが現状という。
 校長のケースについては「遺族の了解があったということで社会復帰までの期間が短くなったと思う。ただ、加害者にとっても人をはねたというショックは大きい。これで校長の苦しみが終わるわけでもないだろう」と話す。
 校長は言う。
 「長年にわたって、辛いとき、苦しいとき、どんなときも諦めずにやっていく、という教育信条を子供たちに伝えてきた。事故のことは当然、一生背負っていく」


前日に交通事故起こした女性市職員、翌朝に焼死体で発見 新潟市





 17日午前7時20分ごろ、新潟市東区大形本町の同市職員、石本昇子さん(51)方から火が出ていると近所の住民から110番があり、木造2階建て住宅を半焼。焼け跡の2階居間から1人の遺体が見つかった。新潟東署によると、遺体は石本さんと確認された。
 石本さんは火事の前日の16日午後8時ごろ、同区河渡新町の国道で乗用車を運転中、自転車に乗っていた男性をはねる事故を起こしていた。男性は70歳近くで病院に搬送されたものの、意識不明の重体という。
 事故後、現場に駆け付けた警察官が石本さんを2時間ほど聴取。石本さんは警察官とともに同署に移動し、午後11時ごろに帰宅した。同署は交通事故と火災の関連を慎重に捜査している。
 15日には、新潟県教委が飲酒運転などをした教職員4人を懲戒免職とする処分を発表していた。

2016年2月15日月曜日

福知山市長田野工業団地 大気汚染公害による健康被害

福知山市 長田野工業団地による大気汚染公害は、大変深刻なものです

からだが敏感なわたしにはよくわかるのですが、一般の方からしたら、それと以下のニュースがつながらないと思います

まれにおこるマラソン中の死亡事故ですが、

福知山マラソンでは、2002年の大会でマラソン中に2名が死亡
死亡原因は、2名とも『心筋梗塞』によるもの

そして2014年の大会で1名がまたもや危うく命を落とすところでした

これは、大気汚染公害が、大きく影響していると
わたしは実感しています

わたしも『呼吸困難』になります
呼吸困難以外にも、たくさんのさまざまな症状が出ますが、わたしの場合は敏感なので倒れるまでに自分のからだの異変を察知できます

が、ふつうの人はなかなかそうはいかないので、いきなり倒れる・・などになるのだと思います

わたしが福知山に行った場合に、呼吸が苦しくなり元の(福知山市の大気汚染公害が届いていない)場所まで帰ってくるまでに、からだが持つのか?
間に合わない場合は『死ぬ』のだと思います


2002年11月25日の両丹日日新聞WEBニュース↓

 WEB速報 福知山マラソンでランナー2人死亡
 23日に行われた福知山マラソンで、ランナー2人が、それぞれ急性心筋梗塞で死亡した。1人は福知山市出身、滋賀県守山市在住の男性会社員(59)。中間点付近(大江町二箇下)で倒れた。もう1人は福井県金津町の男性会社員(58)。38k付近(福知山市筈巻橋近く)で倒れた。大会で死者が出たのは12回の歴史で初めて[23日19:05]


↓ヤフーニュース



マラソン大会 命救ったリレー

2014年12月3日(水) 9時11分掲載

福知山マラソンで絶妙リレー 人命救う

男性倒れ、通りかかった走者2人が迅速処置

 1万人がエントリーして11月23日に開かれた福知山マラソンで、愛知県の60代男性ランナーがレース中に一時心肺停止の状態になり、福知山市民病院に搬送されていたことが分かった。現場では、近くにいた別のランナーや救護係員らが救命措置を行い、男性の意識が回復。連携した適切な処置が命を救った。男性は現在も入院中だが、快方に向かっているという。(両丹日日新聞)



両丹日日新聞2014年12月 2日のニュース

福知山マラソンで絶妙リレー 人命救う

AEDを手に当時の様子を説明する深田医師 11月23日に開かれた福知山マラソンで、愛知県の60代の男性ランナーがレース中に一時心肺停止の状態になり、福知山市民病院に搬送されていたことが分かった。現場では、近くにいた別のランナーや救護係員らが救命措置を行い、男性の意識が回復。連携した適切な処置が命を救った。男性は現在も入院中だが、快方に向かっているという。
■男性倒れ、通りかかった走者2人が迅速処置■

 フルマラソンに参加していた男性は、35キロ地点(筈巻)付近で急性心筋梗塞により倒れた。通りかかったランナー2人が、すぐに大会関係者に伝えるとともに、胸骨圧迫など心肺蘇生の処置をした。間もなく、救急救命士のバイク隊が到着。AED(自動体外式除細動器)などでの救命措置をとり、男性はうっすらと意識が戻り、「手を握って」という声かけに反応できるまでになったという。

 ちょうどその頃、緊急時に備え医師を乗せてコース上で待機していたドクターカーが現場に駆けつけ、男性を市民病院に搬送。搭乗医師が搬送中に詳しい容態を病院に伝えることができたため、到着後に各検査や治療を迅速に行うことができた。

 ドクターカーに乗っていた福知山市民病院救急救命センターの深田良一医師(51)は「あと数分処置が遅れていれば、どうなっていたか分からない。連携して素早い動きがとれたことで、男性の命を救えたのだと思います」と胸をなでおろす。

 また「心肺蘇生をしてくれたランナー2人は、それぞれ医療と消防の関係者だったと、あとから聞きました。レースに復帰されたため、どなたかは分かりませんが、本当に感謝しています」と話していた。

 福知山マラソン実行委員会事務局を務めた市スポーツ振興課は「第12回大会で、ランナー2人が亡くなったことを受け、次の回からバイク隊にAEDを持たせるなど、医療体制を強化した。それが今回機能し、男性の命が助かってよかった」と喜んでいる。


写真=AEDを手に当時の様子を説明する深田医師

福知山マラソンがメディカルランナー導入 緊急医療体制強化
両丹日日新聞 2015年11月12日(木)8時1分配信
 第25回福知山マラソン(福知山市など主催)が23日、猪崎の三段池公園総合体育館前をスタート・ゴールに開かれる。昨年の大会でランナーが一時心肺停止状態になったことから、教訓を生かして今年は医療関係者が走者として登録するメディカルランナー制度を導入し、AED(自動体外式除細動器)の配置を増やすなど、緊急医療体制を強化。安全面に十分配慮した大会にする。


 昨年の24回大会では、愛知県の60代の男性ランナーがフルマラソンのレース中に急性心筋梗塞で倒れた。通りかかったランナーの医師と消防士2人が胸骨圧迫など心肺蘇生の処置をしたあと、救護バイク隊が到着。AEDなどでの措置でうっすらと意識が戻り、病院に搬送され、一命を取り留めた。こうした事例を受け、今年は例年以上に緊急医療体制を充実させる。

 メディカルランナー制度は、一般参加の出走者のうちの医師、看護師、救急救命士が体の目立つ部分にマークなどが入ったステッカーを貼って走り、緊急事態発生時に居合わせた場合、救急活動の補助をしてもらう。市がエントリー時の予備調査を通じて、今年は医師ら163人から協力を得ることになった。

 またAEDは昨年24台を配置したが、今年は健康機器の開発・販売会社のオムロンヘルスケアに協賛を得て、40台に増やす。コース内の関門15カ所やスタート・ゴール地点などに置く。

 このほかスタート・ゴール地点の救護本部に待機する医師を4人から5人に増やす。これまで通りドクターカー、医務車各1台、救護バイク隊8台も配備する。
大会支えるボランティアに市民救命士講座
 大会で給水、走路監察係などを務めるボランティアにも緊急時に市民救命士として活動してもらおうと、市消防本部がこのほど、養成講座を開講。37人が受講し、胸骨圧迫などの心肺蘇生法やAEDの使い方を学んだ。

 受講者の一人、寺本吉勝さん(67)=東野町=は「以前コース沿いでボランティアをしている時に、足元がふらついているランナーがいたので、救急車を要請したことがあります。万が一の場合にしっかりとした応急処置をしたい」と話していた。

 市スポーツ振興課では「ランナーのみなさんに安心して走ってもらえるよう、緊急時にはより早く対応できる体制を整えたい。当日までに体調に不安のあるランナーは出場を取りやめることも考えてほしい」と呼びかけている。
両丹日日新聞社
最終更新:2015年11月12日(木)8時1分
両丹日日新聞



以上、新聞記事を掲載しましたが、
いくら救命努力を行ったところで、根本解決がなされなければ問題は絶対に解消されません

問題は、
福知山市 長田野工業団地の40近い企業の大きな工場から排出される

『化学物質による大気汚染公害』である

と、わたしは思っていますので・・・

どなたも気づいておられませんが
わたしは確実にそうだと思っています

わたしが福知山市と長田野工業団地に対して何度も行った陳情などに
全く耳を傾けず、

『これまで市民からの苦情は一度もなかった』

とウソをつく『長田野工業センター』とそのうそを知っていながら目前でセンターに対して何も言わない『福知山市』

(この時の話し合い時にも、福知山警察から警察官に来てもらっていますので、警察の記録に残っているはず)

命とひきかえに安全を売る福知山市行政のやりかたは、とても卑怯だ

と、わたしは思っています

こうしてわたしの健康被害の苦情の声など、
全くなかったかのように現在でもきれいごとを並べるだけの

長田野工業団地 ホームページ表紙の文言↓

私たちは
人権の尊重と公害や犯罪のない
魅力ある工業団地造りを
地域の人々と一緒になって推進し
活力と安心・安全・快適な
地域づくりに邁進しております。


こんなことをやっている福知山市には、また

「やったことは帰ってくる」

ということが起こる

と、わたしは思っています



2016年2月10日水曜日

次回裁判/駐在さんにお願い/悲しい年代

次回の裁判日程が決まりました

☆京都地方裁判所にて
3月10日 16時~ MMに対して
そのあと引き続き(およそ30分前後で)HMに対して

相手側の弁護士(代理人)は同じ人

昨年3月の答弁の時だったと思います

福知山の簡易裁判所から同じく福知山地方裁判所に移して(請求の拡張をしたので)
初回だったと思うのですが、、

裁判官より

「インターネット上での名誉棄損裁判はまだ前例が少ないです
この裁判所(京都地方裁判所 福知山支部)で行うことの他に、京都地方裁判所にて行うということも選択できます

京都地方裁判所だと3人の裁判官により審議を行います
原告側の希望により選択できます」

との内容のことを言われました

わたしは、その日の答弁が終了した時に

「裁判官が一人なのと3人なのとで結果が違うというのはおかしいと思いますので
こちら(福知山裁判所)での裁判のままでお願いします」と書記官に答える

ということがありましたが、

今回、福知山市の長田野工業団地の大気汚染による健康被害のため
福知山支部には行けなくなり(行けば死ぬかもしれません)
京都地方裁判所にて裁判を継続することになりました

裁判が始まれば、また経過を書いていきます


☆飼い主に戻ったわんこのことで、おととい駐在所に行ってきました

12月30日に夫が道路で保護をして、1月4日に、飼い主が駐在さんとともにわんこを迎えに来た、、
その子のことです

先週店に来たお客さん(女性)が言いました

「おたくやんねえ、、迷い犬を保護しはったの?」

わたし
「はい そうです」

女性
「よう知っとうやろ?(よく知ってるでしょ?)
わたし、あの犬の飼い主と病院仲間でねえ、、
あの奥さんはあの犬のこと嫌いなんよ
旦那さんは好きやねんけどね」

わたしは心のなかで「やっぱり!」と思い
「え?おくさん、あのわんちゃんのこと嫌いなんですか?」

女性
「そうなんよ、、もう1匹小さい犬飼ってて、その犬のことは好きなんやけど・・」

わたし
「え?? もう一匹こうて(飼って)るんですか!?
で、その小さい犬のことは可愛がっててあの子は嫌いなんですか?」

女性
「うん、、
あの日な、、でかけてたらしく、帰ってきたら大きい方の犬がおらんようになってて、
奥さん、『すっとした』(関西弁で、意味は・・いなくなってやれやれ、、とにかくいなくなってくれて
すっきりした、よかった、、っていう意味)って思った言うてたわ」

わたしは感情をおさえて、、
「そうですか、奥さんあの犬のこと嫌いなんですね
でも、旦那さんは好きなんですね」

女性
「うん、そうやなあ、、」

わたしはあの子がどうしてるか、気になっていてあれから2回駐在所に行ったのだけど、留守だったので、女性からそのことを聞いておととい行ってきました

そして駐在さんにこの女性が話した内容を伝えて

●うちにあった赤い首輪をつけたまま、元々付いていた胴輪は付けないようにお願いしたけど、
またあの胴輪を付けているかもしれない(重くて固い胴輪のバックルが背骨に当って痛かったはず)

●ご主人は可愛がっていると聞いたけれど、家に帰ってあの子がどんな様子でいるかを
見てきて欲しい

このことをお願いしました

田舎の駐在さんは、高齢者や一人暮らしの方などを特に気にして定期的にパトロールを兼ねて
住民が元気か見まわったりするので、そういう感じで見てきて欲しい
あの子が帰ってちょうど1か月くらいたつので、、と

駐在さんは
「はい いつも行っているような感じになりますが、また見てきます」

と言ってくれました

それと駐在さんには

「よくあるんですよ
旦那さんが可愛がってて奥さんが嫌いな場合、高齢の旦那さんが入院したり死んだりしたら
奥さんが保健所に犬を持ち込むパターンが・・
あの子は老犬のようだったので、年齢的にだんなさんが最期までみとってくれるとは思いますが

できるだけ早くみてきてください」

と、お願いしました

この夫妻は70歳代以降に見えました

わたしは思うんです

この奥さんも、あのわんこが子犬の時は可愛がっていたんじゃないか?って
(小型犬をかわいがっているので)

で、大きくなって、『可愛くなくなった』んだろうって

それが

差別』なんですよ


 また駐在さんに、行ってどうだったか?聞いてきます



☆それから、こちらも70歳代の、1月に店に来たお客さん

犬を代々飼ってきた、という夫妻で、犬の話をしていました


わたしが今いる場所は「兵庫県動物愛護センター 三木支所」が管轄する地域で、
このお客さんも先ほど書いたお客さんも、同じ『三木支所』管轄の地域です

この夫妻が何代目かに飼った柴犬の

『毛の色が気に入らなかった』という

奥さん

「気に入らんかったんやけどこう(飼う)ててんけど、いややからある日、棄てに行ったんよ」

わたしは、、この時も感情をおさえて・・
「え??
すてたんですか!?」

奥さん
「うん ところがな  何か月も経ってな 帰ってきたんよ 
びっくりしてな ほっと振り返ったらおるから
でな 涙ためてんねん」

わたし
「犬って泣くんですか?」

奥さん
「うん 目に涙いっぱいためてたわ」

わたし
「そうですか、、
棄てたけど帰ってきたから、今度はそのわんちゃんを最期まで飼われたんですよね?」

奥さん
「いーやそれがなあ やっぱり棄てに行ってん」

この瞬間、わたしは脳もからだも硬直、、

「また捨てたんですか?」

奥さん
「はあ 今度はな 社(やしろ)の処分場に持っていった」

もう・・・言葉が出ない

気を取り直して、、

「さっき、最後に飼ったゴールデンは寝たきりになっても看取ったって言ってましたけど、、

その、、

最期まで看取ったゴールデンと、棄てても帰ってきたのにまた処分場に持って行った、、
その、違いはなんなんですか?」

それまで会話をにこやかに聞いていただんなさんが

「年かな?
自分らが年とったからかな?」

わたし
「年?」

だんなさん
「若いころは仕事に忙しかったし・・」

(このだんなさんの言葉を他の犬好きのお客さんに言ったところ、
『そんなんおかしい 勝手な言い訳や』って言ってましたが)

この夫婦は、柴犬の話をする前に

「最後に飼っていたゴールデンが一度迷子になって、探したところ、やしろの処分場で殺処分される寸前だった  迎えに行ったわたしらを見て目に涙ためてた  その処分場にはいっぱい犬がいたが、自分の犬しか連れて帰られへんしな・・」

という話をしていた

その話のあとで、この、『目に涙』ということから、その前に飼っていて殺した(こんなことをするなんて、自分が殺したも同じ)柴犬の話をしたので、わたしは,
その夫婦の感覚というものにびっくりするのですが、、、

本人たちは、なんっとも思っていないようで、、、


こういう人って、やっぱり目つきや表情に現れてる、、

怖い


身なりや化粧(化粧は環境破壊です)をきちっとしてるんだけど、、、

だけど、

わたしは思います


人間、身なりや化粧じゃない

問題は中身


こういう年代や若い人でも

結局、犬や猫を『選ぶ』(助ける目的がなく自分の欲求だけで)
人って、、なんか、そういう、『人からの見た目』を気にする

『自分が人からよく思われたい』って・・

だから、犬は特に散歩などで人目につくから

若くて可愛くて、、純血種 なんかを欲しがり

気に入らなかったら棄てる、保健所に持ち込む

こんな人がいっぱいいる


わたしが思うのは、、それって


連れてる犬で、自分を格上げしようと思ってるんじゃないか?

自分を少しでもよく見せるために、

犬を利用する』という・・


そしてそういう人っていうのは、、

『自分に自信がない』から


っていうのが、その理由なんじゃないかな?

当の本人は気づいていないので

「そんなことはない」  って言うと思いますが、、、


しかし、何の悪びれもせずにこんな話をする人間っていうのは、本当に恐ろしい

いったい、何を学び人生を歩んできたのか?って、思う


そして、そういう人たちを造ったのは、、、

啓発を怠ってきた行政機関の責任が大きい


平成25年度(平成25年4月~平成26年3月)

全国の都道府県別

殺処分ワースト1

『兵庫県』

平成25年度 犬の殺処分

1位 『兵庫県』 2360頭

猫の殺処分 5440頭


【犬猫合計】

殺処分 第1位

『兵庫県』

(データはアライブ調査による)


犬猫の、『イノチを助ける努力をしない公務員』は、春の異動で他部署へ移って欲しい

『イノチを助ける向上心ある公務員』が、この担当部署に来るべき

この夫婦のように犬を

『差別』 をする人間ができてしまうのも


『犬猫を差別し殺処分をし続ける公務員』が、その部署で力を握っているから


もう、そんな古い考えの人間は、異動するべきだ


社会にとって、、なにより

『一番の社会的弱者である動物』をいじめまくってきたこの社会に

正しい変化をもたらすのは

国民自らの原動力による

それしかない


「なにもしない」のは

「いじめを黙認すること」
と同じ

その

「いじめを黙認する人たち」

が、

「いじめ社会を増幅させている」

ということは、

現在の人間社会における日々の事件などにおいて

明白である


と、わたしは思いますが、、

みなさんは、どうでしょうか


全ての生命を尊ぶ会
武田弥生










2016年2月5日金曜日

ご支援のお礼/神戸市職員/「スポーツマン精神」って?

☆ご支援のお礼

2月1日 大阪府Tさまより 3万円
2月3日 兵庫県Yさまより 3千円

を、振込にてご寄附いただきました

Tさま、Yさま、いつもありがとうございます


☆前回の記事で書いた場所「神戸市産業複合団地」内に神戸市が設置した捕獲器にかかった『誠くん』の里親さんから写メをいただきました

お返事をお送りしましたが、届いていなかったらすみません

明るいご家族の元で、ご家族にぴったりのマコの写メがなんとも言えずほほえましく
ひさしぶりに、笑顔になりました

里親になってくださった京都市のHさま、本当に、ありがとうございます


☆黒猫「チコ」の名前の由来について

前に一度ブログに書いたことがありました

昔飼っていた「チコ」というメスの猫を、父親が棄てた ということを


須磨区役所付近で保護した黒猫は、家のなかをだーーっと、すごい速さで運動神経バツグンな感じで走り回ります

疲れたり、甘えたいときは、わたしに甘えてきたり寄り添ったり・・・


その感じが、父親が棄てた「チコ」に似ていたから、この子も「チコ」と名付けました


その、父親が棄てた猫は、父親が近所でもらってきました

わたしが中学くらいの時・・


もっと昔の話

大人になってから母親に聞いた話


わたしが自分で覚えていないくらい小さい時に、子猫をひらってきたそう・・

家に帰って母親は

「もとに戻しておいで」と

わたしは、泣きながら子猫を元の場所に戻しに行ったという・・


だけど、そのあとに父親は犬を飼いました

何頭か、、犬が亡くなると次の犬を飼う感じで・・


すぐ裏の家の敷地で、のら犬が子供を産んだことがあって、、

そこは男手がなかったから、父親に「どうにかして」と頼みにきて

父親が捕まえて、、

家の玄関土間に、父親は子犬たち5~6頭くらいをどっかに連れて行く準備してた


わたしが小学校中学年くらいの時だったと思う

あの時父親が、子犬たちを飼ってくれる人をさがすことをしないだろうことは
なんとなくわかっていた

いやたぶんわたしの中に、そういう発想(飼ってくれる人を探す)もなかったと思う



前に書きましたが、

わたしは、兄弟のなかで、両親の愛情を受けていません

子供のころから両親との会話というものが、ほとんどありませんでした


だけどあの時、なんで、

「子犬を飼ってくれる人をさがすことをしよう」と、
考え付く人間、父親に言える人間でわたしがなかったのか?


わたしはたぶん、子供のころから

「主張する」ということをしなくなってしまっていたのだと思うが、それだけではないと思う


子猫の時にあきらめたことが、子犬の時には、最初から
助けようとしなくなってしまっていたのだと思う


父親が死んでから母親に聞いた

「あの時の子犬は、藍那へ行く道で段ボールに入れてお父さんが棄てたんや

だれかがひらってくれるかも?って」


その後も、小学校の帰り、木津駅から家に帰る途中に、向こうから歩いてくるのら犬に出会ったことがあった

ランドセルに入れていた給食のパンののこりをあげました

犬は喜んで、わたしも、殺処分のことなど知らなかったので、犬が食べてくれたことを喜んで
犬とは逆方向に、何とも思わずに帰りました

このあたり、、なんともおもわなかった

というのもやはり


親が動物にしたことの影響・・というか、、大きくなってくるにつれて、自分も、動物の心の痛みを
感じなくなっていっていたのではないか?と、今は考えます

犬は代々飼っていたけれど、だいたい父親が世話していた感じでした

そしてわたしが中学の時に、父親が黒猫の子猫を近所でもらってきた


そのころは、猫を外で飼っているのがいなかでは当たり前でした


チコはやんちゃで、時々かえるをくわえてきたりしていました

わたしに一番なつき、夜はわたしのベッドに入ってきておなかの上で一緒に寝ていた


高校のある日、夜になってもチコが帰って来なかった

親から、

「チコはどこかに行ってしまったのではないか?」と聞いていた


そのまま大人になって、子供ができてから、犬と猫にまつわることもいくつかありました

そこはまた書きたいと思います


平成7年夏に、父が死にました

64歳  

神戸市消防局に60歳まで勤務

須磨海岸の石油コンビナート付近の「防災センター」に二次就職をして
震災のあった年の夏に64で死にました


父は娘をかわいがってくれたので、だんだんと父と話すことも増えてはいましたが
父が死んで数年後に、母から

「あの黒猫なあ ほんまはお父さんが棄てたんや」

わたし
「うそやん?なんで??」

母親
「近所の家に入って魚とか食べたり、悪いことしにくる言われてな、、」

わたし
「どこに捨てたん??」

母親
「有馬の旅館街や・・ 有馬の消防に出勤する時にな
あのへんやったら、食べるもんに困らんやろ 言うて・・」

母親はわるびれもしない感じでわたしに言った

わたしは、そのころ殺処分の実態などをしり活動を始めていた

父がチコを棄てたと知ったあと、

父に線香1本も立てていないし、仏壇に手も合わせていない


だけどそういうわたしも、、
活動を始めるまでのあいだに
仕事に必死になっていたころ

偶然見つけた、助けられた犬や猫を助けなかったことが数回ある

だから、、
わたしには、気づきのチャンスが何度か訪れていたのだろうけれど

それでも気づかずにいたから

『交通事故』という、おそらく最後の気づきのチャンスを

与えられたのではないか?

って、思う

あの事故がきっかけで、

わたしの精神は大きく変わった


もしあの事故でも気づくことができなかったなら

わたしはたぶん、生きていても心ない人間、中身のない人間に
おそらくなっていたと思う


その、「助けられたのに助けなかった犬と猫」に対する後悔が、、、

それと、親に精神的に見捨てられたように育った自分と、

人間に捨てられた犬や猫の気持ちが

今でも重なることは変わらないから

わたしはこうなんじゃないかな、、って、思う


その、猫を棄てた父親について、、ですが

外ではとても人に受けのいい人でした

勤務時間以外でも、交通事故などに遭遇した場合のために、

自家用車に救急の道具を積んでいた

昭和6年生まれ・・なので、14歳の時に終戦を迎えています


前にブログで書いたことがあるのは、、

神戸市の市長選挙で、
『消防のもん(者)は、笹山市長候補に投票しろ』と上から指示があった

ということ

『決算(3月)が近づいた時に、来年度の予算確保のために
消防署の風呂(消防は泊り勤務なので)の湯を出しっぱなしにして、水道代を高価に計上した』
ことなど、、、

田舎の家なので、台所で父親が酒を飲んで2時間くらい母といろいろしゃべっているのが、
そこを通るたびに聞こえていた

トイレは外のぼっとんだったため、トイレに行くたびに、、

お風呂が台所の隣だったため、その時間とかに、、自然に耳に入る

わたしはそれをなんとなく聞いて育ちました
兄や姉も聞いていたのか?
聞いていたとしても、たぶん兄姉は、そういう両親に愛情を受けて育ったので
愛情を自分たちに与えた両親のことが好きだったのだと思います

わたしはその時には自分の気持ちを自分で分析することができなかったのだけど、
愛情をもらわなかった両親に対して、、

両親の言動にそのころから違和感を感じていた、、
それが成長するにつれて、しかも社会のゆがみを感じ始めて
だんだんと自分でもはっきりとわかっていったのだと思います

両親の言動の「ゆがみ」が、、

父親は酒が好きで、非番(勤務を終えて消防から昼前に帰ってくる日)の日は、昼ごはんのあと必ずコップ酒を飲んだり、夜もよく飲んでべろんべろんになっていました

その父が、わたしが小学校2年ごろから、藍那小学校に少年野球チームをつくって非番の日は、毎回(2日に一回は必ず)小学校に野球チームの監督に行くようになり、昼のコップ酒はしなくなりました

2つ上の兄が4年生くらいの時だったと思います

小さな小学校だけど、北区で優勝するまでになり、卒業後は「鈴蘭台中学校」へ

その頃北区の少年野球はとても強く、兄が1年の時に『鈴中(鈴蘭台中学校)』は、神戸市大会・兵庫県大会で共に優勝もしました

兄が3年になる時に、野球部の顧問であった体育教師が、同じ神戸市立の、ある高校へ異動しました

その高校は昔野球が強かった時期があり、その時代また強くなっていました

公立高校なので、学習面でクリアできる子が、鈴中からも進学し、兄の進学時にも、野球部顧問である鈴中の体育教師だったその人が顧問をしているその高校へ

兄はキャッチャーで、とてもうまく高校1年からレギュラーでした

その高校は神戸市西区に別グランドを持ち、厳しい練習に救急車がくることも、、、、

その別グランドは、今年4月にもう一校と合併して新校舎ができると神戸市のHPに書いていますが、、
強い野球部はなぜか?父兄たちが合宿の手伝いなんかにも行ったり、、普段からしょっちゅう野球部顧問との親交が深く、両親も例外ではありませんでした

兄が1年の秋だったと思いますが、、
兵庫県大会で優勝して近畿大会へ

1回戦で負けてしまい春の甲子園には兵庫県で2位だった学校が出場

甲子園に漏れた高校が出場する『明治神宮大会』で、準優勝していました

プロのスカウトなども見に来る大会です


甲子園に行けなかった悔しさを『次こそは・・』と

そして次の大会だったと思いますが、

兵庫県大会を順調に勝ち進んでいた時、準々決勝か準決勝の試合の時のこと

試合中に校長がやってきて

「この試合わざと負けろ」と

理由は・・

野球部を引退していた3年生が、新開地駅のトイレで国籍の違う男子に対し暴力をふるった

その子の親が

「●●高がこのまま勝ち進んだら、このことを新聞社に言う」と言ってきた

だからこの試合、わざと負けろ、、と


で、わざと負けた

この時、この校長は、兵庫県高校野球連盟の会長

その立場もあったと思います


この校長の妹が、藍那幼稚園でわたしと兄を受け持っていた人であったこともあり、

両親は校長ともある程度親しくしていました


そのあとで母親が言っていたこと

「●●ちゃん(殴られた子の母親)やったら子供の時の幼馴染(藍那の人)やから、わたしにひとこと
(事件のこと)言ってくれたらわたしから●●ちゃんに話したのに・・」

これを聞いた時のわたしは中3でした

その時の自分の感情をはっきりは覚えていないけど
違和感は感じたと思います

母親がもみけそうとしたかったという意図があったんだという違和感を


この時のピッチャーは、兄と同じ鈴中の同級生でした

兄は高3になり進路を決めることになりました


そのピッチャーの子と兄とのバッテリーと、、それから
ファーストの子(この子も鈴中出身)の3人で

監督とも話し合って京都のR大を受験することに

R大から、3人で来てほしいと言ってもらい、だけど、スポーツ推薦でも最低何十点は試験で取ってくれ
と言われ、、兄も勉強をしていました

その試験の日に、、
ピッチャーの子だけが来ませんでした

で、その夜に野球部の監督が家に来ました

玄関土間で監督が土下座をして父に謝っている光景が、ガラス扉1枚隔てた居間にいたわたしにもわかりました

父親は、声を荒げたりはしていませんでした


監督は、知っていた
だから謝りに来た

ピッチャーの子が、ある球団にドラフト外で入りました

(7年その球団にいて1軍には上がれずに引退しましたが、、)

R大は怒り、「今後●●高の野球部からはとらない」と


兄は急きょ校長が見つけてくれた企業に就職してサラリーマンをしながら社会人野球を・・

数年後に、神戸市水道局(社会人野球が強かった)から声がかかりましたが、大学に落ちたところを拾ってくれた会社に恩義を感じて水道局には行きませんでした


わたしは思うんですよ、、

なぜ父が神戸市の教職員(体育教師)であるその監督に怒らなかったか?


たぶん、、父も、怒れない(怒ることをしない)人間だったからだろうと


市長選挙のこともだし、、

そんなことがあったにも関わらず、そのピッチャーの子が行った球団のファンをまだしていた人で、、

しかも、、これも前に書きましたが

最期、社会保険中央病院に入院していて週1回の担当医の回診の時に、その病院では禁止されていたにも関わらず、毎回1万円を渡していた、、若い担当医もそれを受け取っていた

命が助かりたいから?

助かりたいなら、なんでたばこやめんかったん?
肺がんになっても吸ってた

死にたいのか、助かりたいのか?

最期の方、痛み止めのモルヒネも効かなくなって、苦しくて苦しくて、ベッドの頭の上にあった
ぶくぶくする、、なんていうのかな?鼻にチューブ入れて呼吸を楽にするための、、
泡がぶくぶくする、あのガラスの入れ物を手で割っていた

そうとう苦しかったみたい、、

そのころは父親がチコを棄てたことをわたしは知らない

C型肝炎→肝硬変→肺がん

で死にました


父は新薬を試していました

父が死んだ直後に病室に入ってきた若い担当医は涙を流し

母親に

「新薬の効果をみたいから死体を検体して欲しい」と

母親はOKした

「お父さんが死んだ時涙流してくれて、あの先生はいい先生や」と


今のわたしからすると

「は?医者が涙?
回診で規則を破って毎週患者から1万円受け取る医者がいい先生??」

って思います

結局父もおんなじなんですよね、、

あの体育教師(野球部監督)と

だからあの時監督に怒るという感情が起こらなかったんだな・・って

あの時、父や兄がもっと行動を起こしていたら、、

あの有名なコンビの似たそれは、なかったかもしれないな、、って

父や兄だけではないと思う

たくさんたくさんの同じような人が声を上げなかったんだと思う


で今結局野球がどうなったか?

野球離れは進み、そういうことやとばくや覚せい剤など、、

『スポーツマン精神』とは、ほど遠い人たち


その体育教師は神戸市教員として定年を迎えていますが、現在
全日本高校野球連盟の理事をしています


「スポーツ」って、第一に、精神面を鍛えるものだと思う

鍛えるっていうのは、単に強くなるということではない

相手を思いやったり、かけひき(プレー中の)を覚えたり、チームの和を保つことで社会性や協調性を養ったり、、、

そこの部分が間違っているから、野球がこんな風になったんだと思う

結局は、やっぱり

「やったことは返ってくる」


まだB型肝炎もC型肝炎も名前が無かったころ

神戸市民からの通報で

「神戸市の消防は、交通事故の現場で道に散らかった内臓なんかを
まるで汚いものをさわるかのようにゴム手袋をはめてしている」

この通報を受けて、

「素手でやれ」との命令が出てそうした時期があった

と、父親が死んだあとで母が言っていました


そういう命令もふつうはおかしいと思うし、そういう時にきちんとした言葉で

「それは違う」と言えない

というのも、

わたしはおかしい

って思います


だから、父親がチコを棄てたことからも、、


大切なことはなになのか?

を、全く

わかっていなかった公務員(神戸市職員)であったのだな、、って

思います


そして、ある程度より上の年齢の人って、

こういう人が多いんだろうな、、、って・・・


時代は必ず変化します

どう変化させていくかは、その時代時代を生きていく人たちの

生き方そのものにより・・


全ての生命を尊ぶ会
武田弥生