川崎と同じことが、また埼玉で起きましたね、、
川・全裸で泳がせる・集団暴行
川崎の事件の加害者は、事件の前に(同じ年)バイクで乗ってた大人の男性の頭を
何度も鉄パイプでなぐったという
あの時に、きちんと警察が逮捕していたら、、
そういう、きちんとした周囲の大人の姿勢が
その後の『抑止力』になったと思う
親というのは、被害者側も加害者側も
いろんな人間がいて
子供を守りきれない親っていうのは(守ると全く逆の場合も)
いっぱいいて、、、
今の世の中、人と人とのつながりがない
そのうえ、食べ物・日用品・外気・住宅・携帯の電磁波とか、、、
そういった化学物質の影響で、みんなおかしくなっていってる
わたしは化学物質や電磁波の害に敏感だからよくわかる
もう、、自然な衣食住とか、、自然を壊さない産業とかになって、、
そうすると
大規模な産業なんて当然無理になってきて、、
そうなると、必然と「人のつながり」が産まれて
人の孤独感もなくなって
化学物質や電磁波の影響による
攻撃性もなくなっていって、、、、
それしかないと思いますよ
しかしそうなるまでに
こういった事件はまだまだ起こるでしょう
それを止めることも同時にしなければなりません
できない親はいくらでもいる
(被害者側も加害者側も)
対象が子供の場合、身近な他人と、その責務を担う仕事をしている他人が
即座に手を差し伸べて助けることは当たり前です
日本は、それが全くできていないから
何度も何度もこういう事件や
いじめによる子供の自殺が起こる
学生の場合に助けるべき他人は
まず
教師と警察(どちらも公務員)
もっと小さいこどもならば
保育所や児童相談所と警察
あとは
近所の人もすごく大事
いつもいつも手遅れだ
この日本は、犬猫を殺処分するという
恐ろしい
「法律で許されているというだけ」の
『まぎれもない動物虐待』というものがある
神戸市垂水区の猫をベランダで(犬も過去に)焼き殺したという女性の事件も同じ
逮捕後、「取り返しのつかないことをした」と言っているが
本当に
「取り返しのつかないことをした」
と、逮捕直後に言うような人間が
本音でそう思っているわけがない
ということが、なぜわからないんだろうか・・と思う
川崎の加害者が鉄パイプで大人の男性をなぐった後もそう言った
あの時になぜ警察が逮捕して罪をつぐなうことにならなかったのか??
こんなだから、集団いじめ・集団リンチがなくならない
よく似たぶたつの事件とも、加害者はみな
ひとりで素手ではなんにもできないものたちである
本当は弱いものたち
そういう弱いものが、集団で武器を持ち、
自分たちとは別の、きれいな心を持つものに襲いかかる
わたしは思います
それをさせているのは
集団いじめを、黙認してきた大人たちの責任だ・・と
川崎の事件などは
税金で収入を得ている警察官という人間たちが
『いじめを黙認』してきた
(被害少年は死ぬ前にも一度、加害者に暴行されたことを警察は知っていたのだから)
その結果が、
『いじめを増幅』させている
その時もう手遅れ
人が死んだのだから
先日の「やまゆり園」の事件も同じことが言えますね、、
(犯行声明を、国と警察は『放置』していたのですから)
犬猫の殺処分もです
神戸市垂水区の飼い主と同じことを
実は
税金で給与を得ている行政機関の人間が
毎日毎日全国で行っている
垂水区の猫は苦しみと恐怖とともに
『炎』が見えて 耐えがたい『熱さ』があった
公務員に殺処分される犬猫は
生きているうちに
『炎』は見えず 『熱さ』は感じなかった
しかし、、『苦しみ』と『恐怖』はおなじだ
たとえ『麻酔』によりイノチを絶たれたとしても
『魂の苦しみ』は同じだ
昨年1月に、この国がTVで流してしまった
「イスラム国(による?)後藤さんたちの拘束の映像」
それから
「イスラム国(による?)外国人を焼死させようとする
炎の上がった映像」
これら、米国寄りの(つくられた可能性が十分にある)映像を
その映像が真実であるという証拠もなく
TVで流す日本
正直、わたしはあの映像を信じていません
後藤さんが殺されたというのも、わからない話だと思っています
あの映像でこの国がどういう効果を求めたのか?
は、
容易に想像がつきます
私は思っています
が、、、
あの映像ののちに特に
凶悪事件が増えた(覚せい剤逮捕も)
そのサイクルというかスピードが
ものすごく速い
ものすごく速いスピードで
世の中が変わろうとしているな・・と
これもすべて社会が変わっていくための経過
その経過のなかで
一人ひとりが
どれだけ、社会を良い方向に向く努力をするか?
が
一番の問題であり、それが、個人個人の修行のようなものである
と、
わたしは思います。
【関西の議論】
「実は私は交通事故を起こしました」校長が突然告白、そのとき児童は…「一生背負う」覚悟で決めた復帰の是非

昨年11月に京都府福知山市内で交通事故を起こしたとして現行犯逮捕され、懲戒処分を受けた小学校の校長(58)が今春、別の小学校の校長として着任した。事故の被害者は事故後の3月に死亡しており、交通事故を起こした加害者が児童たちを教える校長として復帰してもいいのか、悩んだ末での結論だった。新しい小学校の着任式で、校長は児童たちに「皆さんにお話をしておくことがあります。実は私は交通事故を起こしました」と異例の告白をした。校長の言葉は児童たちの心にどう響いたのか。(池田進一、永山準)
処分決定は異例の早さ
事故が起きたのは昨年11月14日午後8時15分ごろ。福知山市内の国道で、勤務先の小学校から帰宅途中の校長が運転する車が、横断歩道を歩いて渡っていた近くの無職男性=当時(67)=をはねた。無職男性は意識不明の重体となり、校長は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで京都府警に現行犯逮捕された。
男性は事故の約4カ月後に死亡。校長は5月7日に自動車運転処罰法違反(過失運転致死)容疑で書類送検されている。
福知山署によると、事故は無免許や飲酒運転といった悪質性を伴うものではなかった。しかし、前方不注意による事故であり、男性の死亡につながったという結果は重いと判断した。
事故を受け、府教委は1月15日、校長を減給の懲戒処分とし、校長の職を解いた上で、福知山市教委で研修させる措置をとった。府教委によると、交通事故を起こして逮捕された教職員に対する一般的な措置だ。
京都府が定めた懲戒処分指針の処分標準例には、交通事故のうち、今回のように人の死亡に関係する交通事故を起こした場合は、「免職、停職または減給」とされている。