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2016年8月30日火曜日

少年犯罪は「大人社会の責任」

川崎と同じことが、また埼玉で起きましたね、、

川・全裸で泳がせる・集団暴行


川崎の事件の加害者は、事件の前に(同じ年)バイクで乗ってた大人の男性の頭を

何度も鉄パイプでなぐったという

あの時に、きちんと警察が逮捕していたら、、


そういう、きちんとした周囲の大人の姿勢が

その後の『抑止力』になったと思う


親というのは、被害者側も加害者側も

いろんな人間がいて

子供を守りきれない親っていうのは(守ると全く逆の場合も)

いっぱいいて、、、


今の世の中、人と人とのつながりがない

そのうえ、食べ物・日用品・外気・住宅・携帯の電磁波とか、、、


そういった化学物質の影響で、みんなおかしくなっていってる


わたしは化学物質や電磁波の害に敏感だからよくわかる


もう、、自然な衣食住とか、、自然を壊さない産業とかになって、、

そうすると


大規模な産業なんて当然無理になってきて、、


そうなると、必然と「人のつながり」が産まれて

人の孤独感もなくなって


化学物質や電磁波の影響による

攻撃性もなくなっていって、、、、


それしかないと思いますよ


しかしそうなるまでに

こういった事件はまだまだ起こるでしょう

それを止めることも同時にしなければなりません


できない親はいくらでもいる

(被害者側も加害者側も)


対象が子供の場合、身近な他人と、その責務を担う仕事をしている他人が

即座に手を差し伸べて助けることは当たり前です


日本は、それが全くできていないから

何度も何度もこういう事件や


いじめによる子供の自殺が起こる


学生の場合に助けるべき他人は

まず

教師と警察(どちらも公務員)

もっと小さいこどもならば

保育所や児童相談所と警察


あとは

近所の人もすごく大事

いつもいつも手遅れだ


この日本は、犬猫を殺処分するという

恐ろしい

「法律で許されているというだけ」の

『まぎれもない動物虐待』というものがある


神戸市垂水区の猫をベランダで(犬も過去に)焼き殺したという女性の事件も同じ

逮捕後、「取り返しのつかないことをした」と言っているが


本当に

「取り返しのつかないことをした」

と、逮捕直後に言うような人間が


本音でそう思っているわけがない

ということが、なぜわからないんだろうか・・と思う


川崎の加害者が鉄パイプで大人の男性をなぐった後もそう言った


あの時になぜ警察が逮捕して罪をつぐなうことにならなかったのか??


こんなだから、集団いじめ・集団リンチがなくならない


よく似たぶたつの事件とも、加害者はみな

ひとりで素手ではなんにもできないものたちである


本当は弱いものたち


そういう弱いものが、集団で武器を持ち、

自分たちとは別の、きれいな心を持つものに襲いかかる


わたしは思います


それをさせているのは


集団いじめを、黙認してきた大人たちの責任だ・・と


川崎の事件などは


税金で収入を得ている警察官という人間たちが


『いじめを黙認』してきた
(被害少年は死ぬ前にも一度、加害者に暴行されたことを警察は知っていたのだから)

その結果が、

『いじめを増幅』させている
その時もう手遅れ

人が死んだのだから


先日の「やまゆり園」の事件も同じことが言えますね、、
(犯行声明を、国と警察は『放置』していたのですから)


犬猫の殺処分もです

神戸市垂水区の飼い主と同じことを

実は


税金で給与を得ている行政機関の人間が

毎日毎日全国で行っている


垂水区の猫は苦しみと恐怖とともに


『炎』が見えて 耐えがたい『熱さ』があった


公務員に殺処分される犬猫は

生きているうちに

『炎』は見えず 『熱さ』は感じなかった


しかし、、『苦しみ』と『恐怖』はおなじだ


たとえ『麻酔』によりイノチを絶たれたとしても

『魂の苦しみ』は同じだ


昨年1月に、この国がTVで流してしまった

「イスラム国(による?)後藤さんたちの拘束の映像」

それから

「イスラム国(による?)外国人を焼死させようとする
炎の上がった映像」

これら、米国寄りの(つくられた可能性が十分にある)映像を

その映像が真実であるという証拠もなく

TVで流す日本


正直、わたしはあの映像を信じていません

後藤さんが殺されたというのも、わからない話だと思っています


あの映像でこの国がどういう効果を求めたのか?

は、

容易に想像がつきます


私は思っています

が、、、

あの映像ののちに特に


凶悪事件が増えた(覚せい剤逮捕も)

そのサイクルというかスピードが
ものすごく速い

ものすごく速いスピードで

世の中が変わろうとしているな・・と


これもすべて社会が変わっていくための経過

その経過のなかで

一人ひとりが

どれだけ、社会を良い方向に向く努力をするか?



一番の問題であり、それが、個人個人の修行のようなものである

と、

わたしは思います。




2016年2月21日日曜日

自分で/福知山市立小学校校長のスピード復帰

①そろそろ・・と思うタイミングが来たので、パンとクッキーを手作りにて

どちらも天然酵母&国産小麦です

以前から、アルミフリーのベーキングパウダーでもからだによくないことを感じていて
重曹使用のケーキやクッキーだと大丈夫だったのが、福知山市の大気汚染による健康被害を受けてからは、重曹の悪さもからだで感じるようになり、、

もう、天然酵母しか無理になりました

発酵に時間はかかるけど、、なんとか毎日、手作りをしてお客さんに出していきたいと思います

↓パン&ココアクッキーの種、発酵中(あったかいまきストーブのそばで)

お客さんがきはって、
「あーすんません すぐのけますね」

お客さんはみんな
「えーよえーよ おいとき」

って、やさしい


↓ココアクッキー(原材料 国産小麦・自然塩・紅花油・ココアパウダー・ホシノ天然酵母・きび砂糖)
ほろ苦おいしくできました
サービスのクッキー



↓『白崎茶会』さんの、力入れてこねなくてすむやり方で

3回目に、やっと成功

天然酵母パン(原材料 国産小麦・紅花油・ホシノ天然酵母・自然塩・きび砂糖)

いい感じにふくらみました

食は生きることの基本です

衣食住を自然なものにして、心もからだも健康に

=それは、大気・水・土壌の自然を回復することにつながり

やがて温暖化もストップされることにつながるでしょう

全ての生きもの(地球も含めて)が健康に




②わたしも交通事故を起こした経験があります

あと、下り坂を走っている時に、ハトがフロントガラスにあたったこともその前にありました

わたしは、動物を車ではねたりすることも、何か、自分の生き方に問題があると今は思っています

たとえハトが飛んできた

としても・・・

そして、その後起こした車対車の事故で心身ともにひどく苦しみました

立ち直るまでに、そうとうの年数を要しました

そして、わたし自身、精神的にもがらっと変わりました

まるで人間が違うみたいに、、、

だけど、今のわたしは本当は、自分の本能に素直に生きているのだと思っています

それまでのわたしのほうが、おかしかったのだ・・と

自然な生活をすると、自分の生まれ持った本能が目覚める・・という感じで
自分に素直に生きることができるようになりました

ただ、つらいとか悲しいとか、そういうものはもちろんあります

特に、動物たちの現状を知ってからは、

時々急に
「ワッ」と泣くことがあります

やっぱり、いつでも動物たちとわたしは一緒のところに心があるような気がするからです

人生に起こることは偶然はない

わたしが常に努力し向上心を持ち、イノチを救う気持ちが、純粋にあるから

物事が、自然とあるべき方向に流れていく

驚くこともたくさんあります

わたしは、動物たちに助けられているんだな・・って


福知山市にいい印象をわたしは全く持っていません

以下のニュースでも、交通事故で他人を死亡させた校長が、『異例の速さ』で校長に復帰しています

普通は、こんなに簡単に、気持ちの切り替えはできないよ

言葉で反省を口にしていても、心はそれほどではないと
わたしは思います

車と歩行者だと、絶対に車が悪いとなる

『前方不注意』により人を殺してしまった校長が、わずか半年で別の小学校の校長に復帰して
児童の前で

いくら言葉で何かを伝えようとしても

伝わるものは何もないと思います

校長は生徒に

「自分たちを守れる子、つらいことも乗り切れる子となるよう教育していきたい」

と思ったようだが、、、

わたしは思う


甘すぎる

交通事故で人を死なせた人間が、何をエラそうに、「自分たちを守れる子」「つらいことも乗り切れる子」だ・・

「自分たちを守れる子」というのは、まるで

「あなたがはねた男性に過失があったと主張している」ように、わたしには聞こえますよ

「つらいことものりきれる子」というのは、まるで

「あなたがつらいことをもうすでに乗り切った人(こんなに早く)」のように、わたしにはとれます

「そうなるように教育していきたい」

の言葉などは

「それ以上言うと恥ずかしいですよ
何をえらそうに、、『教育』ですか

あなた、いったい何をしたのか自分でわかっているんですか??」と言いたいですね

『教育』という言葉自体が、上から目線で、わたしは大嫌いです

子供たちは自分たち教師と対等な立場

『子供を教育』とは、とてもエラそうな言葉だと、常々思っていました


福知山市の大気汚染はひどく、福知山を運転していると、あたまが もうろうとしたり、眠気がおそいます

化学物質は、覚醒作用があるから、、

交通事故って、紙一重で誰の身の上にも起こりうることだと思っています

交通事故を起こすということは、自分の生き方自体に

さまざまな問題があるのだという、いわば、自分に対する警告なんだ

とわたしは思っています

それが人間ではなく、鹿や猫の場合も、わたしは、同じく警告の意味を持つのだ
と思います

福知山市の教員であるこの校長に対する処分の甘さなどは

「やはり福知山だな」って、思います


一方、新潟で交通事故を起こした新潟市の女性職員が、焼身自殺をした疑いがある
というニュースがありました

自殺をすることが正しいとは、全く思いませんが、同じ公務員でも、加害者としての物事のとらえかたに大きな差があるニュースでした↓(ネットニュースより)

2015.6.9 11:00

【関西の議論】
「実は私は交通事故を起こしました」校長が突然告白、そのとき児童は…「一生背負う」覚悟で決めた復帰の是非

着任式で壇上に立ち、交通事故を起こして人を死亡させたことを告白する校長。児童たちは終始静かに聴き入った=4月7日、京都府福知山市
 昨年11月に京都府福知山市内で交通事故を起こしたとして現行犯逮捕され、懲戒処分を受けた小学校の校長(58)が今春、別の小学校の校長として着任した。事故の被害者は事故後の3月に死亡しており、交通事故を起こした加害者が児童たちを教える校長として復帰してもいいのか、悩んだ末での結論だった。新しい小学校の着任式で、校長は児童たちに「皆さんにお話をしておくことがあります。実は私は交通事故を起こしました」と異例の告白をした。校長の言葉は児童たちの心にどう響いたのか。(池田進一、永山準)
処分決定は異例の早さ
 事故が起きたのは昨年11月14日午後8時15分ごろ。福知山市内の国道で、勤務先の小学校から帰宅途中の校長が運転する車が、横断歩道を歩いて渡っていた近くの無職男性=当時(67)=をはねた。無職男性は意識不明の重体となり、校長は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで京都府警に現行犯逮捕された。
 男性は事故の約4カ月後に死亡。校長は5月7日に自動車運転処罰法違反(過失運転致死)容疑で書類送検されている。
 福知山署によると、事故は無免許や飲酒運転といった悪質性を伴うものではなかった。しかし、前方不注意による事故であり、男性の死亡につながったという結果は重いと判断した。
 事故を受け、府教委は1月15日、校長を減給の懲戒処分とし、校長の職を解いた上で、福知山市教委で研修させる措置をとった。府教委によると、交通事故を起こして逮捕された教職員に対する一般的な措置だ。
 京都府が定めた懲戒処分指針の処分標準例には、交通事故のうち、今回のように人の死亡に関係する交通事故を起こした場合は、「免職、停職または減給」とされている。



 復帰後、児童の前で最初に話す機会に、自分が起こした事故のことは話そうと決めていた。「事故を起こしてしまった校長として、体験も話しながら、自分たちを守れる子、つらいことも乗り切れる子となるよう教育していきたい」という思いからだ。
 事故の詳しい状況だけでなく、被害者に大けがを負わせ、後に亡くなったことも包み隠さず吐露した。
 「お亡くなりになった方やご家族に対して、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました」
 静まり返る体育館。姿勢を崩さず、話に聴き入る児童たち。告白は続く。
 「皆さんは私のように交通事故を起こしたり、交通事故にあったり、絶対にしてほしくない。これから皆さんが交通事故にあわないようにするためには、どうしたらいいかということを一緒に考えていきましょう」。そう締めくくり、一礼をして壇上から下りた。
 時間にして約4分間の告白。児童たちは動揺をみせることはなく、終始神妙な面持ちだった。
難しい加害者の社会復帰
 校長の事例では、周囲や遺族の理解があったこともあり、比較的スムーズに職場に戻ることができた。
 命にかかわる重大な交通事故を起こした人が子供たちを教える校長職につくことの是非については、さまざまな意見があるに違いない。実際、前任校のPTA関係者からは「あんな事故を起こしたら引退するのが普通ではないか」「復帰はちょっと考えられない」という意見も上がっていたという。
 一方、重大事故を起こした人が、償いをした上で、何らかの形で社会復帰をしようとしたとしても、なかなかスムーズにはいかないという現状もある。事件や事故の加害者家族の支援を行っているNPO法人「World Open Heart」(仙台市)によると、交通事故を起こして相手が死亡した場合、加害者は勤めている会社などを退職せざるを得なくなることも少なくない。
 同法人の阿部恭子理事長は「もちろん被害者が最優先されるべきだ」と前置きした上で、「再雇用は難しく、加害者の家族も心理的負担が重い」と話す。現在の日本では加害者の社会復帰を支える制度はなく、個人の努力に任されているのが現状という。
 校長のケースについては「遺族の了解があったということで社会復帰までの期間が短くなったと思う。ただ、加害者にとっても人をはねたというショックは大きい。これで校長の苦しみが終わるわけでもないだろう」と話す。
 校長は言う。
 「長年にわたって、辛いとき、苦しいとき、どんなときも諦めずにやっていく、という教育信条を子供たちに伝えてきた。事故のことは当然、一生背負っていく」


前日に交通事故起こした女性市職員、翌朝に焼死体で発見 新潟市





 17日午前7時20分ごろ、新潟市東区大形本町の同市職員、石本昇子さん(51)方から火が出ていると近所の住民から110番があり、木造2階建て住宅を半焼。焼け跡の2階居間から1人の遺体が見つかった。新潟東署によると、遺体は石本さんと確認された。
 石本さんは火事の前日の16日午後8時ごろ、同区河渡新町の国道で乗用車を運転中、自転車に乗っていた男性をはねる事故を起こしていた。男性は70歳近くで病院に搬送されたものの、意識不明の重体という。
 事故後、現場に駆け付けた警察官が石本さんを2時間ほど聴取。石本さんは警察官とともに同署に移動し、午後11時ごろに帰宅した。同署は交通事故と火災の関連を慎重に捜査している。
 15日には、新潟県教委が飲酒運転などをした教職員4人を懲戒免職とする処分を発表していた。

2016年2月5日金曜日

ご支援のお礼/神戸市職員/「スポーツマン精神」って?

☆ご支援のお礼

2月1日 大阪府Tさまより 3万円
2月3日 兵庫県Yさまより 3千円

を、振込にてご寄附いただきました

Tさま、Yさま、いつもありがとうございます


☆前回の記事で書いた場所「神戸市産業複合団地」内に神戸市が設置した捕獲器にかかった『誠くん』の里親さんから写メをいただきました

お返事をお送りしましたが、届いていなかったらすみません

明るいご家族の元で、ご家族にぴったりのマコの写メがなんとも言えずほほえましく
ひさしぶりに、笑顔になりました

里親になってくださった京都市のHさま、本当に、ありがとうございます


☆黒猫「チコ」の名前の由来について

前に一度ブログに書いたことがありました

昔飼っていた「チコ」というメスの猫を、父親が棄てた ということを


須磨区役所付近で保護した黒猫は、家のなかをだーーっと、すごい速さで運動神経バツグンな感じで走り回ります

疲れたり、甘えたいときは、わたしに甘えてきたり寄り添ったり・・・


その感じが、父親が棄てた「チコ」に似ていたから、この子も「チコ」と名付けました


その、父親が棄てた猫は、父親が近所でもらってきました

わたしが中学くらいの時・・


もっと昔の話

大人になってから母親に聞いた話


わたしが自分で覚えていないくらい小さい時に、子猫をひらってきたそう・・

家に帰って母親は

「もとに戻しておいで」と

わたしは、泣きながら子猫を元の場所に戻しに行ったという・・


だけど、そのあとに父親は犬を飼いました

何頭か、、犬が亡くなると次の犬を飼う感じで・・


すぐ裏の家の敷地で、のら犬が子供を産んだことがあって、、

そこは男手がなかったから、父親に「どうにかして」と頼みにきて

父親が捕まえて、、

家の玄関土間に、父親は子犬たち5~6頭くらいをどっかに連れて行く準備してた


わたしが小学校中学年くらいの時だったと思う

あの時父親が、子犬たちを飼ってくれる人をさがすことをしないだろうことは
なんとなくわかっていた

いやたぶんわたしの中に、そういう発想(飼ってくれる人を探す)もなかったと思う



前に書きましたが、

わたしは、兄弟のなかで、両親の愛情を受けていません

子供のころから両親との会話というものが、ほとんどありませんでした


だけどあの時、なんで、

「子犬を飼ってくれる人をさがすことをしよう」と、
考え付く人間、父親に言える人間でわたしがなかったのか?


わたしはたぶん、子供のころから

「主張する」ということをしなくなってしまっていたのだと思うが、それだけではないと思う


子猫の時にあきらめたことが、子犬の時には、最初から
助けようとしなくなってしまっていたのだと思う


父親が死んでから母親に聞いた

「あの時の子犬は、藍那へ行く道で段ボールに入れてお父さんが棄てたんや

だれかがひらってくれるかも?って」


その後も、小学校の帰り、木津駅から家に帰る途中に、向こうから歩いてくるのら犬に出会ったことがあった

ランドセルに入れていた給食のパンののこりをあげました

犬は喜んで、わたしも、殺処分のことなど知らなかったので、犬が食べてくれたことを喜んで
犬とは逆方向に、何とも思わずに帰りました

このあたり、、なんともおもわなかった

というのもやはり


親が動物にしたことの影響・・というか、、大きくなってくるにつれて、自分も、動物の心の痛みを
感じなくなっていっていたのではないか?と、今は考えます

犬は代々飼っていたけれど、だいたい父親が世話していた感じでした

そしてわたしが中学の時に、父親が黒猫の子猫を近所でもらってきた


そのころは、猫を外で飼っているのがいなかでは当たり前でした


チコはやんちゃで、時々かえるをくわえてきたりしていました

わたしに一番なつき、夜はわたしのベッドに入ってきておなかの上で一緒に寝ていた


高校のある日、夜になってもチコが帰って来なかった

親から、

「チコはどこかに行ってしまったのではないか?」と聞いていた


そのまま大人になって、子供ができてから、犬と猫にまつわることもいくつかありました

そこはまた書きたいと思います


平成7年夏に、父が死にました

64歳  

神戸市消防局に60歳まで勤務

須磨海岸の石油コンビナート付近の「防災センター」に二次就職をして
震災のあった年の夏に64で死にました


父は娘をかわいがってくれたので、だんだんと父と話すことも増えてはいましたが
父が死んで数年後に、母から

「あの黒猫なあ ほんまはお父さんが棄てたんや」

わたし
「うそやん?なんで??」

母親
「近所の家に入って魚とか食べたり、悪いことしにくる言われてな、、」

わたし
「どこに捨てたん??」

母親
「有馬の旅館街や・・ 有馬の消防に出勤する時にな
あのへんやったら、食べるもんに困らんやろ 言うて・・」

母親はわるびれもしない感じでわたしに言った

わたしは、そのころ殺処分の実態などをしり活動を始めていた

父がチコを棄てたと知ったあと、

父に線香1本も立てていないし、仏壇に手も合わせていない


だけどそういうわたしも、、
活動を始めるまでのあいだに
仕事に必死になっていたころ

偶然見つけた、助けられた犬や猫を助けなかったことが数回ある

だから、、
わたしには、気づきのチャンスが何度か訪れていたのだろうけれど

それでも気づかずにいたから

『交通事故』という、おそらく最後の気づきのチャンスを

与えられたのではないか?

って、思う

あの事故がきっかけで、

わたしの精神は大きく変わった


もしあの事故でも気づくことができなかったなら

わたしはたぶん、生きていても心ない人間、中身のない人間に
おそらくなっていたと思う


その、「助けられたのに助けなかった犬と猫」に対する後悔が、、、

それと、親に精神的に見捨てられたように育った自分と、

人間に捨てられた犬や猫の気持ちが

今でも重なることは変わらないから

わたしはこうなんじゃないかな、、って、思う


その、猫を棄てた父親について、、ですが

外ではとても人に受けのいい人でした

勤務時間以外でも、交通事故などに遭遇した場合のために、

自家用車に救急の道具を積んでいた

昭和6年生まれ・・なので、14歳の時に終戦を迎えています


前にブログで書いたことがあるのは、、

神戸市の市長選挙で、
『消防のもん(者)は、笹山市長候補に投票しろ』と上から指示があった

ということ

『決算(3月)が近づいた時に、来年度の予算確保のために
消防署の風呂(消防は泊り勤務なので)の湯を出しっぱなしにして、水道代を高価に計上した』
ことなど、、、

田舎の家なので、台所で父親が酒を飲んで2時間くらい母といろいろしゃべっているのが、
そこを通るたびに聞こえていた

トイレは外のぼっとんだったため、トイレに行くたびに、、

お風呂が台所の隣だったため、その時間とかに、、自然に耳に入る

わたしはそれをなんとなく聞いて育ちました
兄や姉も聞いていたのか?
聞いていたとしても、たぶん兄姉は、そういう両親に愛情を受けて育ったので
愛情を自分たちに与えた両親のことが好きだったのだと思います

わたしはその時には自分の気持ちを自分で分析することができなかったのだけど、
愛情をもらわなかった両親に対して、、

両親の言動にそのころから違和感を感じていた、、
それが成長するにつれて、しかも社会のゆがみを感じ始めて
だんだんと自分でもはっきりとわかっていったのだと思います

両親の言動の「ゆがみ」が、、

父親は酒が好きで、非番(勤務を終えて消防から昼前に帰ってくる日)の日は、昼ごはんのあと必ずコップ酒を飲んだり、夜もよく飲んでべろんべろんになっていました

その父が、わたしが小学校2年ごろから、藍那小学校に少年野球チームをつくって非番の日は、毎回(2日に一回は必ず)小学校に野球チームの監督に行くようになり、昼のコップ酒はしなくなりました

2つ上の兄が4年生くらいの時だったと思います

小さな小学校だけど、北区で優勝するまでになり、卒業後は「鈴蘭台中学校」へ

その頃北区の少年野球はとても強く、兄が1年の時に『鈴中(鈴蘭台中学校)』は、神戸市大会・兵庫県大会で共に優勝もしました

兄が3年になる時に、野球部の顧問であった体育教師が、同じ神戸市立の、ある高校へ異動しました

その高校は昔野球が強かった時期があり、その時代また強くなっていました

公立高校なので、学習面でクリアできる子が、鈴中からも進学し、兄の進学時にも、野球部顧問である鈴中の体育教師だったその人が顧問をしているその高校へ

兄はキャッチャーで、とてもうまく高校1年からレギュラーでした

その高校は神戸市西区に別グランドを持ち、厳しい練習に救急車がくることも、、、、

その別グランドは、今年4月にもう一校と合併して新校舎ができると神戸市のHPに書いていますが、、
強い野球部はなぜか?父兄たちが合宿の手伝いなんかにも行ったり、、普段からしょっちゅう野球部顧問との親交が深く、両親も例外ではありませんでした

兄が1年の秋だったと思いますが、、
兵庫県大会で優勝して近畿大会へ

1回戦で負けてしまい春の甲子園には兵庫県で2位だった学校が出場

甲子園に漏れた高校が出場する『明治神宮大会』で、準優勝していました

プロのスカウトなども見に来る大会です


甲子園に行けなかった悔しさを『次こそは・・』と

そして次の大会だったと思いますが、

兵庫県大会を順調に勝ち進んでいた時、準々決勝か準決勝の試合の時のこと

試合中に校長がやってきて

「この試合わざと負けろ」と

理由は・・

野球部を引退していた3年生が、新開地駅のトイレで国籍の違う男子に対し暴力をふるった

その子の親が

「●●高がこのまま勝ち進んだら、このことを新聞社に言う」と言ってきた

だからこの試合、わざと負けろ、、と


で、わざと負けた

この時、この校長は、兵庫県高校野球連盟の会長

その立場もあったと思います


この校長の妹が、藍那幼稚園でわたしと兄を受け持っていた人であったこともあり、

両親は校長ともある程度親しくしていました


そのあとで母親が言っていたこと

「●●ちゃん(殴られた子の母親)やったら子供の時の幼馴染(藍那の人)やから、わたしにひとこと
(事件のこと)言ってくれたらわたしから●●ちゃんに話したのに・・」

これを聞いた時のわたしは中3でした

その時の自分の感情をはっきりは覚えていないけど
違和感は感じたと思います

母親がもみけそうとしたかったという意図があったんだという違和感を


この時のピッチャーは、兄と同じ鈴中の同級生でした

兄は高3になり進路を決めることになりました


そのピッチャーの子と兄とのバッテリーと、、それから
ファーストの子(この子も鈴中出身)の3人で

監督とも話し合って京都のR大を受験することに

R大から、3人で来てほしいと言ってもらい、だけど、スポーツ推薦でも最低何十点は試験で取ってくれ
と言われ、、兄も勉強をしていました

その試験の日に、、
ピッチャーの子だけが来ませんでした

で、その夜に野球部の監督が家に来ました

玄関土間で監督が土下座をして父に謝っている光景が、ガラス扉1枚隔てた居間にいたわたしにもわかりました

父親は、声を荒げたりはしていませんでした


監督は、知っていた
だから謝りに来た

ピッチャーの子が、ある球団にドラフト外で入りました

(7年その球団にいて1軍には上がれずに引退しましたが、、)

R大は怒り、「今後●●高の野球部からはとらない」と


兄は急きょ校長が見つけてくれた企業に就職してサラリーマンをしながら社会人野球を・・

数年後に、神戸市水道局(社会人野球が強かった)から声がかかりましたが、大学に落ちたところを拾ってくれた会社に恩義を感じて水道局には行きませんでした


わたしは思うんですよ、、

なぜ父が神戸市の教職員(体育教師)であるその監督に怒らなかったか?


たぶん、、父も、怒れない(怒ることをしない)人間だったからだろうと


市長選挙のこともだし、、

そんなことがあったにも関わらず、そのピッチャーの子が行った球団のファンをまだしていた人で、、

しかも、、これも前に書きましたが

最期、社会保険中央病院に入院していて週1回の担当医の回診の時に、その病院では禁止されていたにも関わらず、毎回1万円を渡していた、、若い担当医もそれを受け取っていた

命が助かりたいから?

助かりたいなら、なんでたばこやめんかったん?
肺がんになっても吸ってた

死にたいのか、助かりたいのか?

最期の方、痛み止めのモルヒネも効かなくなって、苦しくて苦しくて、ベッドの頭の上にあった
ぶくぶくする、、なんていうのかな?鼻にチューブ入れて呼吸を楽にするための、、
泡がぶくぶくする、あのガラスの入れ物を手で割っていた

そうとう苦しかったみたい、、

そのころは父親がチコを棄てたことをわたしは知らない

C型肝炎→肝硬変→肺がん

で死にました


父は新薬を試していました

父が死んだ直後に病室に入ってきた若い担当医は涙を流し

母親に

「新薬の効果をみたいから死体を検体して欲しい」と

母親はOKした

「お父さんが死んだ時涙流してくれて、あの先生はいい先生や」と


今のわたしからすると

「は?医者が涙?
回診で規則を破って毎週患者から1万円受け取る医者がいい先生??」

って思います

結局父もおんなじなんですよね、、

あの体育教師(野球部監督)と

だからあの時監督に怒るという感情が起こらなかったんだな・・って

あの時、父や兄がもっと行動を起こしていたら、、

あの有名なコンビの似たそれは、なかったかもしれないな、、って

父や兄だけではないと思う

たくさんたくさんの同じような人が声を上げなかったんだと思う


で今結局野球がどうなったか?

野球離れは進み、そういうことやとばくや覚せい剤など、、

『スポーツマン精神』とは、ほど遠い人たち


その体育教師は神戸市教員として定年を迎えていますが、現在
全日本高校野球連盟の理事をしています


「スポーツ」って、第一に、精神面を鍛えるものだと思う

鍛えるっていうのは、単に強くなるということではない

相手を思いやったり、かけひき(プレー中の)を覚えたり、チームの和を保つことで社会性や協調性を養ったり、、、

そこの部分が間違っているから、野球がこんな風になったんだと思う

結局は、やっぱり

「やったことは返ってくる」


まだB型肝炎もC型肝炎も名前が無かったころ

神戸市民からの通報で

「神戸市の消防は、交通事故の現場で道に散らかった内臓なんかを
まるで汚いものをさわるかのようにゴム手袋をはめてしている」

この通報を受けて、

「素手でやれ」との命令が出てそうした時期があった

と、父親が死んだあとで母が言っていました


そういう命令もふつうはおかしいと思うし、そういう時にきちんとした言葉で

「それは違う」と言えない

というのも、

わたしはおかしい

って思います


だから、父親がチコを棄てたことからも、、


大切なことはなになのか?

を、全く

わかっていなかった公務員(神戸市職員)であったのだな、、って

思います


そして、ある程度より上の年齢の人って、

こういう人が多いんだろうな、、、って・・・


時代は必ず変化します

どう変化させていくかは、その時代時代を生きていく人たちの

生き方そのものにより・・


全ての生命を尊ぶ会
武田弥生