2017年3月2日木曜日

動物園は『動物虐待』ゾウ編/『ブリーダー』『ペットショップ』は『動物虐待』

タイで、観光客を乗せた『ゾウ』がほかの同じく『ゾウ』に攻撃して日本人が転落した事故・・
ですが、、、

もう・・・

なんでさ
そうやって動物を利用するのか?

のりたがる人間がおるから、乗せる商売が成り立つ

ペットショップやブリーダーと同じ

買う人間がいるから商売が成り立つ

毛皮もそう

動物実験も実はそう
そういう薬とか物とか消費したがるから『動物実験という商売』が成り立つ

動物使ったサーカスも

象牙の印鑑や水牛の印鑑や・・

昔のわたし(最初の結婚したころ)は水牛の実印買った
親とか印鑑屋からすすめられて・・・

今は実印でも普通の認印と同じ
だいたいなんで実印なんかつくらなあかんことにされてしまっているのか?

車の登録とか・・別に認めでいい
めんどうくさい
印鑑証明とるのに、また市町村にお金むしりとられる

そういう詐欺的な国ですからね・・

熊の胆嚢の漢方薬の虐待もだし

フォアグラの虐待もだし・・

牛皮のバックとか?くつとか?サイフとか?

羽毛とかメリノウールとか・・数え上げたらきりがない・・


競馬もそう

あんなCMに出てる芸能人もどうかしてるよ・・

『土佐の闘犬』もそう

娘が2歳の時、同じ年の女の子を持つ家族とで四国旅行に行った
(わたしは昔からどこかに出かけたいという気持ちがほとんどなかった人間なのですが
元夫は、出かけていないといられないタイプだった)

徳島動物園では、友達の子供はすぐ近くにいるモルモットに泣いていたけれど
娘は抱いていた

高知では『土佐の闘犬』(これを見に行くと言ったのは元夫)ショーを見た

観客席が遠かった
というより娘のリアクションでそれより前に行かずに
最後部で立ち見

友達の子供はふつうに見てたけど、娘は、ギャーギャー泣きまくった

恐怖心からだったと思うが、あの土佐犬が闘犬をしていなかったら泣いていないのは間違いない

犬や猫、動物全て好きだったから

犬が血を流してけんかしていた(していたんじゃない 人間の金欲という汚れた魂のために、無理やりけんかさせられていたし、けんかをするように、無理やりブリーダーに産まされケンカするように訓練されていたのが真実)から泣いた

わたしはそのころは・・いわゆる一般人の感覚だったから

娘が泣いてもあやしながらその場にみんなでいたし

ショーをみた後味は悪かったが

どれほどその犬たちを思いやれたか?

大して思いやれていない

動物の活動に入ってから土佐市に何度か抗議はしたが・・

娘は2歳だったが、今でもあのことは覚えているらしい


タイのゾウも、、
そりゃ無理やりいやなことさせられたらストレスたまって
たまにはあばれたくなる

人間だってそうでしょ?

監禁されてどっこも行ったらあかん・・なんて耐えられますか?
ここからここまでの路だけを、ただ直線上にまっすぐと歩いて
途中で一切休憩もせず、気になることがあってもわきめもふらず
そのことだけに集中しなさい 
って・・

まあいえば
『ここかゆい』『くしゃみでる』『しゃがみたい』『今ちょっと眠たい』
そういうのずーっと我慢させられて、過密労働させられてるんですよ

人間だったら耐えられない

でも人間は、自分だったら耐えられないことを
動物に要求するんです

そう カネのためにね

ブリーダーやペットショップ、まんまでしょ?
散歩なんて、一切連れて行かないよ
うんこおしっこにまみれて
したくない交尾無理やりさせられて

で、、売れ残って、運よく殺されなかった犬猫は
一生狭いとこに閉じ込められて

そう
『ブリーダー』『ペットショップ』など
『生体販売業者は動物虐待者』


感じて気づいた人間から、声をあげていく

そうすることで社会は変わる

逆に言うと

そういうことでしか

社会は変えられない のだ。


動物は一頭一頭、こころを持っています

動物園でおりの外からただみただけで
一体何がわかるというのですか?

今は経済困窮な人も多いし
子供自体少ないから

動物園とかに人が来なくなってるのは
いいことですね

残念ながら日本というのは
そういう理由からでないと
動物たちが救われる路はない・・

それが、『日本人の意識が低い』ということ。

↓『ゾウのはな子』の話(2016年記事)(ネットより)

「ゾウのはな子」日本にはたった1頭で暮らす孤独な象がたくさんいるという現状を考える
ゾウの「はな子」は戦後初めて日本にやって来たインドゾウで、今年の5月26日、井の頭動物園で69歳で亡くなりました。 はな子は絵本やテレビドラマの題材としても取り上げられ、世代を超えて愛され続けていました。しかし亡くなる直前、このはな子が「世界一悲しいゾウ」として世界中で話題となったことをご存知でしょうか?

はな子が日本にやってきたのは1949年のこと。日本では戦時中に、猛獣処分によって多くの動物が薬殺、絞殺、餓死などで亡くなっていました。戦後にタイ政府が「日本の子どもたちにゾウを見せたい」と東京の上野動物園に贈ったのが2歳半の「カチャー」でした。カチャーはその後、上野動物公園で亡くなった花子(ワンリー)にあやかって「はな子」と名付けられます。1950年から、はな子は移動動物園で日本各地を訪れています。多忙な日々でした。やがて武蔵野市・三鷹市ではな子の展示を求める声が上がり、1954年に上野動物園から井の頭自然文化園に移されました。


しかし、ゾウは本来群れで生活する動物です。1頭きりの生活を始めたはな子は、心労やストレスが増え、気性も荒くなっていきました。そして井の頭動物園に来てから2度の死亡事故を起こしてしまいます。深夜にゾウ舎に侵入した酔客、さらには男性飼育員を踏み殺してしまったのです。世間に「殺人ゾウ」として非難され、殺処分すべきだという意見も上がったため、はな子は狭いゾウ舎の中に前足を鎖で繋がれた状態で2か月以上も閉じ込められていました。その間、はな子はアバラ骨が浮き出るほどやせ細り、ストレスで4本のうち3本の歯を失なってしまいました。
人間不信になり、凶暴化していたはな子はその後、飼育員の山川清蔵さんと出会います。山川さんは、はな子を鎖から外して付きっきりの世話を続けました。しかし人を傷つけるまでに追いつめられていた孤独なゾウは、なかなか心を開いてくれませんでした。山川さんの存在に安心して手を舐めてくれるようになるまで6年、体重が戻るまでには8年もかかったそうです。山川さんははな子に深い愛情を注ぎ、30年に渡って飼育を担当しました。やがてかつての温厚さを取り戻したはな子は、井の頭動物園のマスコットとして人気を集めるようになります。1頭と1人の交流は本やドラマにもなり、多く人々の涙を誘いました。やがて定年を迎えた山川さんは動物園を去り、はな子の世話は息子の山川宏治さんのチームに受け継がれました。直接的な飼育方法がはな子の動きを生き生きとさせると評判を呼び、多くの来園者が動物園を訪れました。飼育員とはな子の信頼関係は高く評価され、賞を受賞したこともあります。
はな子の檻に変化が現れたのは、すでに60歳を過ぎた数年前のことです。飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が再び起きていたため、2011年から飼育方法が柵越しに世話をする準間接飼育に移行する措置がとられました。これは飼育員との直接の触れ合いが減ってしまうことを意味しました。人懐っこいはな子を知る飼育員たちにとっては悔しい決断でした。それからというもの、はな子は飼育員用の出入り口にたたずむようになりました。
はな子が海外で話題になったきっかけは、そんなはな子の様子を見た1人のブロガーの投稿でした。井の頭自然文化園を訪れた Ulara Nakagawa さんは、その時のことを次のように語っています。
「彼女が監禁されている状況を直接見て、ショックを受け、落胆した。現代では考えられないほど前時代的で、悲惨な動物園だった。彼女はたった1頭で、コンクリートの壁に囲まれ、快適も刺激も与えられず、まるで置物のように、ほとんど死んだように立ってた。他にできることは何も無さそうだった。心が痛んだ。さらに最悪なのは、この動物園が東京で最も豊かな地区の1つにあるってことだった。」

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