2016年10月22日土曜日

「命の差別」/「暴力主義な日本」

沖縄での大阪府警の機動隊員の言葉の暴力や、それを擁護した松井知事、座り込みの住民を無理やりどかせる暴力とか、、

原発反対運動の時もだし、、

おなが知事の「辺野古訴訟」に対する「鶴保大臣」の

にやにや笑い&「早く片付けて欲しい」発言とかも、、、

こういうのも、、『暴力』だ、とわたしは思います


京都府 砂津職員が作成したわたしに関する『虚偽公文書』も京都府の『不法侵入』も

『暴力』だと思います


『暴力』って、、なにも、けがを負わせることだけでない


「反社会勢力」って言葉がありますよね、、

これって、、『暴力団』とか、、そういう意味で通常使用される言葉だと思いますが、、、

「反社会勢力」という言葉に少しだけ加えて

『反(民主主義)社会勢力』

としたら、、どうでしょうか・・・


公文書の訂正の請求を『物的証拠がない』を理由に、一方的にはねのけた『京都府』や

わたしがずっと訴え続けても、全く耳を貸さなかった

工業団地大気汚染問題の『福知山市』『綾部市』『京都府』

このところ書いてきた

中丹西保健所『下村次長』の態度や


犬猫の殺処分問題

野生動物の殺処分問題


政治家たちが決めた、自分たちだけに甘いルール

政治家と大企業が結託した
自分たちだけが得をする税金のしくみや

出来試合の裁判

警察や検察の作るえん罪


憲法まで変えて戦争をしようとする国のトップ


オリンピックなど、スポーツをも、金に変えたい
政治家と、それとつるんでもうけたい「ゼネコン」

そしてこれらの問題にまつわる「行政公務員」


かぞえあげれば、まだまだきりがありません・・が


その全てに『政治』というものがからんできています


わたしにとっての『反社会勢力』とは

『反(民主主義)社会勢力』


民主主義社会であるはずのこの日本が実は

すでに民主主義ではない


自分が住む国すらまともに機能していないのに


海外支援?など、間違っている

まずは自分の国をまともにすることだ

と、思う


すでにあげたように

様々な暴力がある


ただ、わたしがとても強く思うのは、、、


みな、、自分にふりかかることには
必死になる

例えば今回の沖縄の問題を例に出すと・・


わかりますよ もちろん沖縄の人のこと


でも、ひとついいたいのは・・


高江の問題でも、人々は『環境問題』も持ち出します

野鳥や植物に与える問題・・ね


辺野古だってそうです

サンゴへの悪影響


そういうこと、持ち出しますよね、、、

わかりますよ


でも、じゃあ、、、


平成26年度

犬の殺処分数  

沖縄は全国で ワースト3位 1551頭


犬と猫の合計殺処分数

沖縄は全国で ワースト4位 4127頭


毎日毎日11頭の犬と猫を殺処分していることに
実際、なっているのです


沖縄を出したのは、『例として』です


決して沖縄を責めているのではありません


どこの県でも言えることは同じ


日本中、みんな、自分にふりかかったことは必死になる

だけど、、ね

この世に生きているみんなそれぞれが『自分』なんですよ


それはなにも『人間だけじゃない』んです


一頭の犬からしたら『自分にふりかかった問題』

一頭の猫からしたら『自分にふりかかった問題』

野生動物も、、それぞれに、ひとつしかない『命』です


このあたり、、

全体を見極めることができるようにならない限り

『真の平和』は

絶対に来ない

と思います


『人間だけの平和社会』など、絶対に成りえないのです


そこに気持ちと目を向ける人が

残念ながら政治家や行政公務員にいるとは

思えません


そこに気持ちと目が向くと

『動物園や水族園の虐待』

『サーカスの動物への虐待』

『実験動物への虐待』

『毛皮動物への虐待』

など

さまざまな問題に気づくでしょう


そしてそういった

『他生物に対する慈愛に満ち溢れた心』

が自分自身のなかで大きくなれば


『まず自分』ではなく『まず他生物』という心が持てるように
なるのではないでしょうか・・?


『まず自分』というおろかな心が

とても自己中心的な

現代社会をつくってきた

のだと思います。


そのことは現代の政治家たちが一番の

『悪い見本』

となって現れているでしょう。















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