2016年11月30日水曜日

化学物質に『覚醒作用』は付きもの

最近、覚せい剤事件も多いですよね・・
有名人とかほかもあるけど・・
だけどね
覚せい剤じゃなくても、
『化学物質』て、必ず何らかの、『覚醒作用』があるんです
それは現代人ならみなが生活に取り入れているもの(衣食住のほかに汚染水・汚染大気含む)でもあります
あと、向精神薬なんかも『覚醒作用』きついですよね・・

以前かかわった(ブログで何度か書いたことある人)西脇市の犬多頭飼育の、半アル(コール)中(毒)の男性の
彼女が、かなりきつい精神の病気で、、
(わたしも2回会ったことありますが・・
ロレツが回ってないし、、意味わからないこと言ってて・・
精神薬長年常用するとこうなるんや・・って思った)

その男性は、『向精神薬』を飲んでいる彼女に、
いきなりひら手で顔たたかれたり、、
別の日には、いきなり包丁を向けられたりとかもあったそう・・

男性は病院に行って、彼女のかかりつけ医に
「●●ちゃんのこと、ロボットにする気やろ!」って怒ったことあるそうですが・・・

今変な事件や、事故の多さも
『化学物質を大量摂取する社会』の跳ね返りだと思います

『覚せい剤』ですが、、今年はじめに店のお客さん(80代)に聞いたことありました
●「昔ヒロポンってあってな・・
打ったら元気になるんや
農作業の時とか、徹夜で麻雀する時とか、、
わしも知り合いに打ったろ言われて
、『いらんいらん』って逃げたんや」
わたしは「えーー??」ってびっくりしましたが、、

別の日にその話を70歳くらいの別のお客さんにすると、さらりと・・
●「そうよーー
戦争で特攻隊とかに使ってたんよ
でないとあんなこと、正気ではできひんでしょ?
で、戦争が終わってようさん余ったから、それが国中にあふれてたんよ」
わたしはまたまた「えーー??」ってびっくりしましたが、、

自分の親からは聞いたことない話だったので、驚きましたが、、
今いるこの町は
結構ざっくばらんに話する人が多いので、、
こんな昔の情報も教えてくれるんだろうな・・って
思いました

そういうお客さんの話を裏付ける、ある人のブログ発見
当時のパッケージ?まで掲載されていて
「うわ やっぱりほんまにそうやったんや!!」って・・・

↓ある人のブログより
まずは下の画像を見てほしいんだな。
 
ヒロポンの宣伝
ヒロポンの宣伝

 体力をつけ、倦怠感や眠気を取り除き、作業の効率を高める薬の宣伝です。適応症を見ると、体や精神を酷使するとき、徹夜作業のとき、疲労しているとき、そして2日酔いや乗り物酔いの時にも効果があると書かれています。なんだか夢のような薬ですが、この「ヒロポン錠」、実は覚醒剤なのです。
 かつて、覚醒剤は日本の薬局どこでも買える普通の薬でした。そんなバカな、と思うでしょうけれど。
 今回は、そんな覚醒剤の誕生についてのお話。

 
 まず、覚醒剤とは何か?
 「覚せい剤取締法」で規制されている薬物は、基本的には

・フェニルアミノプロパン(アンフェタミン)
・フェニルメチルアミノプロパン(メタンフェタミン)

 の2つを指します。メタンフェタミンのほうが、アンフェタミンより強い興奮作用があり、いわゆる「シャブ」「エス」「スピード」「アイス」と呼ばれるものに相当します。

 化合物としては比較的古くから知られているんですが、このメタンフェタミンを合成したのは日本人。薬学界の長老だった長井長義博士が、「麻黄」の有効成分で喘息や咳の薬として使われるエフェドリンを創製したとき、その誘導体の1つとして作られました。明治26年(1893)のことです。

 効能としては催眠剤の反対で、眠気を去り、疲労感をなくし、気分を高揚させ、多弁になり、行動的な状態になります。眠気を去り疲労感をなくすといっても、一時的に無理ができるというだけで、その後は休養や睡眠が必要だし、しかも連続使用するとさまざまな障害が起きるため、医薬品としては特に重要ではありませんでした。抑鬱症とか睡眠発作(ナルコレプシー)とかだけに用いられる特殊な薬だったんですね。

 ところが、1938年にドイツでメタンフェタミンが発売されます(商品名は「ぺルビチン」「ベンゼドリン」など)。ドイツ軍は長時間にわたる過度の軍務を容易にし、一方では士気が高まることから、兵士への供給を開始します。それを見た日本軍もさっそく導入を決め、製薬業者に生産させ、軍用に使ったのでした(1940年にメタンフェタミンの市販開始)。

 その頃は覚醒剤の問題点(中毒性や精神障害など)は知られておらず、普通に薬局で市販されていました。宣伝の惹句は「除倦覚醒」で、内服用に1mgの錠剤のみ販売されていました。当時の覚醒剤は4〜5mgもあれば十分に効果があったので、錠剤4〜5錠飲んで徹夜するというのはわりと当たり前の光景でした。

 軍隊でも軍需工場でも覚醒剤の使用が始まりました。よく特攻隊が自爆攻撃できたのは麻薬を服用していたからだといわれますが、これは事実でしょう。ただし、繰り返すように当時は普通の市販薬だったので、特に悪いことではなかったはずです。
 薬害についても、戦時中は命令的に適量を一時的に使っていただけなので、深刻な被害は出ませんでした。


 戦後、日本では大量のストックが市場に流れ出しました。新聞雑誌で大きく宣伝されたうえ、敗戦の混乱で希望のない気分に向いていたせいか、単なる医薬品というよりは嗜好品として大流行します。そのうち錠剤より効き目の強い注射薬が発売されるに及んで、大量使用が始まるのです。
アゴチン錠
こちら仕事場向けのアゴチン錠
(精神、肉体の過労に対する治療および予防、徹夜時の睡気、心身過労の除去に効果)


 流行とともに覚醒剤は多くのブランドで発売されました。

・メタンフェタミン…「ヒロポン」「ホスピタン」など
・アンフェタミン……「ゼドリン」「アゴチン」「ソビリアン」など


 なかでももっとも宣伝された大日本製薬のヒロポンが覚醒剤の代名詞となったのでした。


 日本で覚醒剤のリスクが認識されたのは昭和22年に入ってからでした。ただ、海外の文献にも薬害のくわしい記載はなく、最初は精神疾患と誤解されました。
 その後、昭和25年に薬事法で劇薬に指定、さらに翌年に「覚せい剤取締法」が施行されましたが、時すでに遅く、すでに覚醒剤はきわめて深刻に蔓延していたのでした。

 昭和29年、どれくらい覚醒剤が蔓延しているかの調査が行われました。主として15〜30歳をターゲットに20万枚の調査票が配られました。12万枚ほど回収されたなかで、8865人が使用経験ありと答えています。

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