2017年6月11日日曜日

『日月神示』より『アセンション』を読む

☆今日は題名通りの
ネット記事を貼ります
今回の地球のアセンションを
大変わかりやすく書かれていると思います。

(数年前の記事より)

日月神示は、ガイア意識「国常立尊(スサノオ)」からのメッセージだが、「日月」とあるように、「天照大神」「月読命」からのメッセージでもある。
つまり、「大日月地大神」であり、究極的には宇宙の根源神「天之御中主神」からの啓示だともいえる。
『日月神示』によると、天の岩戸が開いて「ミロクの世」になるという。
そして、次のようなヒントが示されている。

「天明九十六歳七ヶ月、開く」

天明が九十六歳七ヶ月(当時は数え年)まで生きていたとすると、それは「1993年8月」に当たり、その時に「天の岩戸」が開けるということになる。
つまり、天照大神のお出ましである。
太陽神「天照大神」の岩戸開きの次には、地球神である荒ぶる神「スサノオ」が鬼門の封印を解いて現れることになる。
それは、天の岩戸開きによる朝日と共に、日出ずる国「日本」の時代の幕開けを暗示する。

『日月神示』には「地震、雷、火の雨降らせて大洗濯する」と示されている。
国常立尊は地球意識であるが、世界の雛型である日本を中心とした世界の神である。
そして1995年1月17日、阪神大震災が起きた。
スサノオが八岐大蛇の八つの首を切り落とした伝説に因む神戸(こうべ=頭)に、一宮から八宮までの地名が付けられている。
その阪神大震災によって、神戸(神の岩戸)が開かれ、鬼門に封印されていたスサノオ(国常立尊)が目覚めたのだ。
つまり、1993年8月に天の岩戸(太陽)から出てきた天照大神が、地球のアマテラス国家である日本を目覚めさせたのだ。
しかし、すぐにミロクの世になった訳ではない。

「今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに良いことばかり無いのざぞ」

では、それはいつまで続くのか。

「三年と半年、半年と三年であるぞ」と示されており、それは聖書の「艱難の7年」と一致し、天の岩戸が開いた1993年8月から数えて西暦2000年8月までを指す。
今まで聖書の預言を検証していて、西暦2000年に終末を迎えるという結論になったのは、その為だ。
では、いつからミロクの世になるのか……昭和24年に次の神示が降ろされている。

「五十二歳、二(つぎ)の世の始め」

昭和24年生まれの子供が52歳(数え年)になるのは、西暦2000年である。
つまり、西暦2000年8月には、ミロクの世が始まっているはずなのだ。
しかし今の世の中を見て、ミロクの世が始まっているとは思えない。

日月神示には、その理由が示されている。

「一度に立て替えすると世界に大変が起こるから、延ばし延ばしにしているのざぞ。
目覚めぬと末代の気の毒できるぞ」

「12年おくれているのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程忙しくなってくるぞ」


つまり、「2012年8月頃」に延期されたということになる。
これは、私が予測している「ハルマゲドンとイスラエル10支族の帰還」の時期とほぼ一致する。

そして神示には、こう示されている。

「立て替え、立て直し一度に来ている」

「この世の終わりは神国の始めと思え臣民よ」


つまり、「この世の終わり」と「神国の始め」が同時進行で展開していくのだ。
そして、ミロクの世になるのは「2012年」からである。
国常立尊は「龍神」として表現されているが、神示にはミロクの世の始めの年が示されている。

「新しき御代の始めの辰の年、あれ出でましぬ隠れいし神」

「新しき御代の始めの辰の年、スメ大神の生れ出で給ひぬ」

「辰の年はよき年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ」


2012年は、ピタリ「辰年」である。
2012年から「ミロクの世」が始まると言っても、2012年の年明けから「ミロクの世」が始まる訳ではない。
2012年12月22日がマヤ暦の「第5の太陽の時代の終焉」で、翌23日がタイムウェーブ・ゼロ理論の「時間の終焉」であるなら、2012年の年末が「ミロクの世」の幕開けという事になるだろう。
結局、2012年12月25日、つまり、2013年頃から「ミロクの世」が始まると言う事になる。

私の仮説が正しければ、2012年7月17日頃に天の岩戸(びっくり箱)が開く事になるが、そうするとどうなるか……。

「びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ」

「ヨハネの黙示録」にも、イスラエル10支族の帰還後、「神の印のない者を5ヶ月の間苦しめる」と予言されている。
それは「生きることも死ぬこともできない苦しみ」だと、「ヨハネの黙示録」も『日月神示』も共通して述べている。

そして、約5ヶ月後の2012年12月22日、ついに地球の自転が停止する。
同様の仮説は偶然にも、聖者カルキも唱えている。
つまり、1999年8月18日にグランドクロスに磔にされた地球が、遂に死を迎えるのだ。
勿論、これは仮説であるが、イエスがロンギヌスの槍で3ヶ所突かれて死んだ事は、地球の3ヶ所に小隕石が落下する事を暗示している。
それが引き金となって地球磁場が消滅し、地球の自転が止まる可能性がある。
だが、イエスの死は「復活」と「昇天」の通過儀礼である。
一度死んだ地球も、イエス・キリストよろしく3日後に復活する事になるだろう。
その日はまさに、イエスの誕生日とされるクリスマスである。
結論として、2012年12月25日に「イエス・キリスト」が再臨し、「ミロクの世」が始まるのだ。

ここで、もう一度振り返って分析してみよう。
本来、1993年から艱難の7年を経て、2000年から「ミロクの世」が始まっている。
だが、これは雛型経綸(リハーサル)のようなもので、『日月神示』に「12年遅れている」と示されている通り、2012年末から「ミロクの世」が始まるという事で合点する。
結論、2013年頃から「ミロクの世」になると言いたいところだが、『日月神示』の次の予言も二段階の話だと解釈して良いだろう。

「今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに良いことばかり無いのざぞ」

実際にナザレのイエスが再臨する訳ではなく、すぐに世界が平和になる訳でもない。
何故なら、その日から2020年までが「艱難の7年」の本番となると考えられるからだ。
私の推測では、2013年から世界恐慌、世界大戦、地球規模の天変地異が起きるのではないかと思われる。
『日月神示』には「20年遅れている」という表現もあるが、2000年を起点とすると「2020年」という事で合点する。
2020年なら、まだ暫くの猶予があるように思うかも知れないが、ここでよく考えて頂きたい。

①まず、人間はいつ死ぬか分からないということ。
毎日全国で無数に発生している交通事故や突然死を始め、頻発化する天変地異を見れば「明日は我が身」である事が分かる。

②もう1つは、「空飛ぶような人」と「地を這う獣のような人」に二極化するということである。
これは精霊界の「エンマの鏡」と同じような作用で、人間の本性が剥き出しになり、「善的人間」と「悪的人間」の2種類の人間に分かれるという意味である。

そして神示は、このように忠告している。

「子(ね)の年真ん中にして前後十年が正念場」

「前後10年」とは、普通は前10年と後10年を指し、2008年を基点とすると、正念場は「1998年~2018年」までとなる。


「子」という文字は「一(はじめ)」と「了(おわり)」を意味し、前後10年というのは、「2003年~2013年まで」の10年間が立て替え立て直しの時期だということになる。
その立て替え立て直しのクライマックスが「2012年」で、2013年から「ミロクの世」が始まるということだ。
ミロクとは、釈迦が説いた末法の世に現れる「弥勒菩薩」のことで、キリスト教でいう「イエス・キリスト」が再臨する年である。
そして、イエスは「私は最初であり、最後である」と名乗り、「子(御子)」である事を宣言したが、それは結局、我々に何を伝えているのだろうか……。


時間の加速化について、確かに日々の仕事が増加傾向にあり、爪や髪が伸びるスピードも速くなってきている。
情報量の増大や時代の変化も、めぐるましい勢いで加速している事は誰もが実感しているはずだ。
この時代に金儲けに夢中になったり、趣味に没頭する事ほど呑気な事はない。
2012年12月23日に時間がゼロポイントに達し、仮説通り「時間が終焉」を迎えるとどうなるのか。
恐らく、「混沌」の時代に突入し、「艱難の7年」の本番が始まると思われる。
一度に立て替えると丸潰れとなるので、二段階に渡って立て替えが起こる仕組みである。

聖書や大本神諭の予言によれば、人類の2/3が淘汰されるという。
救世主スサノオだった王仁三郎は、「自分が現れたのはナオの予言(大本神諭)を外す為である」と語っている。
だが、王仁三郎は「ミロクの世の日本人口は5000人になる」と予言している。
『日月神示』でも「何もかも三分の一になる」と示されている一方、次のような記述もある。

「残る臣民三分難しいぞ、三分と思えども二分であるぞ」

日本の人口が1億2000万人だとすると、3%(360万人)残るのも難しく、2%(240万人)であるという解釈が出来る。
消費税が2%だったら国民大喜びだが、残る人口2%は少し寂しい。
世界の人口で考えると、どうなるだろうか……。
国連人口基金の推計によると、2010年10月に69億人を突破し、2011年中には70億人を超えると予測されている。
そのペースで行けば、2012年12月22日には72億人くらいになるだろう。
72億人の2%は1億4400万人だが、偶然にもこの「144」の数字は、黙示録に記される選民の中の選民の数「14万4000人」と符合する。
ネズミが異常繁殖の末に集団自殺をするように、人類も人口爆発の末に集団自殺をすることになる。
これは年々増加している自殺率も含めての話だが、天変地異や交通事故などで死ぬのも「自殺」である。
少しだけ解説すると、次世代の波動と合わない為に、魂自らが肉体の自己完結を遂げているのだ。
運命論やカルマの法則などの話を持ち出すにしても、結局は「自己責任」という事になり、魂自らが肉体の死を選んでいるということになるのだ。
スウェデンボルグによると、地獄に堕ちて苦しむ霊は、実は自ら安住の地として地獄を選んでいるという。
それと同じような理屈だと考えてもらいたい。
総ての現象が内面の顕れであるなら、天変地異や交通事故による不慮の死も自殺行為なのだ。

さて、日本人口の2%(240万人)が生き延びるとすれば、5000人よりは遥かに多く生き残れることになるが、王仁三郎予言のように富士山が大爆発で隆起し、日本列島の端から端までが富士山の裾野になれば、5000人生き残るのも難しいと思われる。
果たして、そんな事が現実に起こるのか……。
『日月神示』にも「日本はお土が上がる」と予言されているので、王仁三郎にもそのようなビジョンが見えていたのだろうか。

「神の仕事しておれば、どこにいても、いざという時には神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ」

「いざというときには神が知らして、一時は天界に釣り上げる人間もあるのぞ。
人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ。
くどう気つけておくぞ。何よりも改心が 第一ぞ」


この記述は、黙示録の「空中携挙」、法華経の「虚空会」を彷彿させる。
UFOが一部の人間を救出してくれる事もあるだろうが、この予言の本質的な意味は「一時的なアセンション」を意味する。

「何処にいても救う者は救うと申してあろうが。悪き待つキは悪魔のキざぞ」

「どこにどんな事していても、助ける人は助けるのざぞ。
神の御用ある臣民安心しておりてくだされよ」

「原爆にも水爆にもビクともしない肉体となれるのであるぞ」


津波が襲ったすぐ傍の家に全く被害がなかったり、原爆の爆心地の家に全く被害がなかったり、
爆弾テロのすぐ近くに居ても奇跡的に助かった人がいたり、飛行機が墜落しても生きている人もいるし、かつて、私も交差点でトラックと顔面が衝突したが無傷だった。
富士山が噴火した時に火口に居ても、助かる人は助かるだろう。
原爆でもびくともしないという事は2013年~2020年の間には、一部の人類は半霊半物質の超人進化が始まると考えられる。
尚、終末論を考えるのは「悪き待つキ」ではなく、終末の大難を回避する為である事を理解して頂きたい。

終末論を考える事は決してネガティブな事ではない。
終末の兆候を無視したり恐怖したりするのはネガティブだが、終末を認識して対策をする事は、身魂磨きに不可欠な積極性である。
普通に考えて、世界が進んでいる状況は決して明るい未来ではなく、世界の破局である。
正念場と言う事は、「忌」まわしい己の心を内観して浄化する事である。
内観によって多くの人が、終末のカタストロフィーの原因と全責任は「自分の中にあった!」という事に気づくはずである。
それに気づかない限りは、根本的な改心とは呼べず、大悔悟に至る事はないだろう。

「世界見て己の心早う改心致されよ」

「戦恐れてゐるが、臣民の戦位、何が怖いのぞ。
それより己の心に巣くうている悪のみたまが怖いぞ」


終末論を真剣に考えば、自分の内面に辿り着く。
自分の内面こそが、地球環境を破壊し、人類を滅亡させる元凶だった事に気づくべきである。
それをポジティブ思考で乗り越えようとするのは、「偽のプラス思考」で悪想念の上塗りをする愚行に過ぎないのだ。
それをクリアした段階で初めて、至福千年王国(ミロクの世)のビジョンが自分の内面に映し出されるようになる。
その至福千年王国を統治する王の正体は、人間の心の岩戸の中の主・キリスト(真我)なのだ。
「イエス・キリストの再臨」とは、真我に目覚める事を意味し、それが現象界に顕れて「至福千年王国」が完成するのだ。

黙示録は「至福千年王国」について、次のように告げている。

「これらの言葉は信ずべきであり、誠である」

「誠」とは「言う事が成る」と書き、「予め言う」のが「予言」である。
故に、至福千年王国の建設マニュアルである『聖書』の予言は必ず成就する事になる。
但し、大難を小難に、小難を無難にする為に、ルシファーの預言書『日月神示』が降ろされたのだ。
何故、日本なのか……日本列島がルシファーの肉体であり、世界の雛形である日本人の意識進化が鍵を握っているからだ。

黙示録によると、空中携挙されるのは「真のクリスチャン」だという。
真のクリスチャンとは、キリストを唯一の「主」として帰依する者を指す。
残念ながら、現在のキリスト教徒の中には「真のクリスチャン」は存在しない。
それは、約2000前に処刑されたナザレのイエスを「唯一の主」としているからである。
何故なら、真のキリスト(イエスが言う「私」)の正体は、胸の岩戸に宿る天照大神(真我)だからだ。

イエスは次のような事を述べている。

「私はあなた方の手や足よりも近くにあり、心の扉を内側からノックしている者である」

また、イエスは「私はある」と名乗っているが、これはヤハウェ(YHWH)を意味する。
YHWHの四文字は、神道でいう「一霊四魂」を指している。
黒住宗忠は、それを「天照大神の分け魂」だと説いた。
つまり、イエスは人間の本質が「キリスト」である事を悟り、それを説いたのである。
天照大神が岩戸に隠れ、偽の天照大神が出てきたという話は、人間が自我に支配されて真我に目覚めなくなった事を表現している。
天照大神の岩戸隠れを「イエス・キリストの死」とするならば、その後に岩戸から出てきた偽の天照大神(偽キリスト)の正体はローマ・カトリック教会である。
それがナザレのイエスを絶対神と定め、真のイエスの教えである「真我」に目覚めさせなくさせている元凶なのだ。

そのキリスト教の教義を破壊し、人類の心の岩戸を破壊し、キリスト教に反対する者が「真の反キリスト」であり、それは日本から登場する事になる。
反キリストは西洋と対立する東洋から現れるはずで、ルシファー(国常立尊)の預言者である以上、日本から現れるだろう。
その人物は「真我」を説き、西洋の物質文明(体主霊従主義)に対抗する「霊主体従主義」を説き、金銭や物質を手に入れる為の西洋の成功哲学を破壊し、政財界に何らかの影響力を持って文明の転換に死力を尽くす事だろう。
本当は、内在神である真我は我々の外側の「宇宙そのもの」でもあり、霊主体従と体主霊従が融合した「霊体一致」が真理なのだが、変革を起こす為にはまず逆方向から攻めなければならないという事である。

辛い物を食べたら、水よりも甘い物を食べた方が中和する。
体が冷えた時は、適温よりも暖かい温度で体を暖める。
暑い時や火傷をした時は、その逆である。
「ゼロポイント」にする為には、マイナスに対してプラスで攻めるという原理である。
そして、人体を十字架に見立てた場合、胸の中心こそが「ゼロポイント」になるのだ。
結論として、666(ミロク)が「再臨のイエス・キリスト」なのである。

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