2017年6月11日日曜日

『日本人』は実はみんな『キリスト教』/『日本人』と『ユダヤ』の関係

☆おとといの記事に貼った動画ををみて・・
そして今日貼る記事の二つ目をよんで
わたしはそう(題名のように)思いました。

二つ目の記事は今年3月か4月にも見ていて
その時は
そんなこと思いませんでしたが
このところ
わたしの意識がどんどんと変わって行って
そして
おとといの動画をみた後に
再度これをみて

気づきました。


その流れのなかで

『昨日の記事を書くことの必要性』を感じた
ので
あいだに
昨日の記事を挟みました。

日本にある神社のほとんどを
『宗教政治の巣』にしてしまう
ことに関して
おおまかなことを
昨日の記事で書きましたが

そのつながりとしては
もちろん
お金の問題もあります

ほとんどの宗教に
お金は付き物です

ただ
『神社』の場合

日本人は
『宗教とはあまり関係ない』と思っている人が
多いと思います。

昨日書いたような
『政治団体としての神道』は別として・・
あれは本当の『神道』ではありません

本当の『神道』を
日本の一部の
『政治家が乗っ取った』
(形上のみで)

言えると思います。


調べてみると
やはり↓

神道は古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な民俗信仰自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[2][3]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[4]
神道には確定した教祖、創始者がおらず[5]キリスト教聖書イスラム教コーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが[6]、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[7]森羅万象が宿ると考え、天津神・国津神祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[8]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神と共にあるの意)」であるといわれる[9]。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる。
神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた(神仏習合)。一方で伊勢神宮のように早くから神仏分離 して神事のみを行ってきた神社もある。明治時代には天皇を中心とした国民統合をはかるため、全ての神社で神仏分離が行われた。
神道と仏教の違いについては、神道地縁血縁などで結ばれた共同体部族など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や救済国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[2]
神道は日本国内で約85,000の神社が登録され約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて氏子とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札等の呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する[10]

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考えてみると
そうなんですよね
日本人の多くが
例えば
旅行などに行った時に
たまたま神社の前を通りかかると
『お参りして行こうか?』
と言って
賽銭をして『じゃらんじゃらん』と
鳴らす・・なんていう物なのか?
太い綱に大きな鈴?みたいなのが付いたもの

あれを
やったりします
そのほか

昨日書いたように
多くの方が
正月には神社に『初詣』に行くことが当たり前

のように思って
実際に行く人が多いです

そして
『厄(やく)の年』には
●前厄
●本厄
●後厄
『厄払い』のために
結構なお金をかけて
神社に向かう方がいます
『厄神さん』に
毎年行く人もいます

それから
商売をやっている人などは特に
『えべっさん』と言われる神社
例えば
『福男』で有名な『西宮えびす』みたいな、、

ああいう神社にも行く人は多いですよね?

それに
神社の祭りや初詣には
『屋台』が出ることもあって
そういう意味での楽しみや
あと
そういう雰囲気
おみくじや巫女さんの雰囲気とか

そういう
年中行事を雰囲気として楽しむ
とか
そういう行事には
行っておかないと
何か気になる

とか

そういう人も
多いんじゃないか?

と思います。

わたし自身は
特にこの活動を始めてからは
全くそういうもの(年中イベント)に
興味を失くしていたのですが・・

それから
子供さんがいる方は
『七・五・三』のために
これもまた結構なお金をかけて
神社で祈願をしてもらったり

あと
お宮参り

子供が生後一か月くらいに
祈願してもらうの・・
わたしも
そういうことを全てしてきました

田舎生まれで
親がそういうことに
うるさかったので、、
(神戸ですが
ど田舎です)

1回目の結婚式もそうです

式も披露宴もやりたくなかったのですが
(そういうことに大金をかける意味がわからなかったので)
親がうるさく
神前式(着物)と披露宴をやりました

高い桐の『府中のタンス』なんかも
嫁入り道具にさせられて(狭い団地に住むのに)
嫁入り道具を運ぶ運送屋さん?
のトラックの荷台には
『紅白のリボン』がかけられて
タンスが運ばれるまでに
近所の人が
タンスやタンスの中身を見にきたりするので

ほとんどが母親の手縫いでしたが

和ダンスいっぱいに着物が入っていたりして・・・

そんなの着ないんですよ
娘のお宮参りに1枚の着物を一回来ただけ

あと
父親の葬式に
着物の喪服を・・

そのためだけに
親が和ダンスと中身の着物を嫁入り道具に・・
他に
整理ダンスと洋服ダンスもあったので

引っ越しのたびに
高い引っ越し代がかかって
とても
不経済だし
意味が無い
と思っていて

離婚後
実家に戻って福知山へ越す時に
実家に置いてこれたので
『荷物が減ってウレシイ』感じでしたが・・

動物のことをやっていくと

本当に
『荷物になるもの』など
いらない
生活に
変わりました。

と、、
ちょっと話が
自分のことにそれていきましたが、、

そういう
古いしきたりの家に生まれたので

今考えると
その
『日本人』は『キリスト教』と
特に
気づけたのかも
しれないです。
実家は
玄関を入ってすぐ左の部屋は
『居間』
家族がくつろぐ部屋であり

その奥にも
同じ広さの和室がありました

その和室は
『かみのま』
と呼ばれていました

子供のころからその部屋のことを
意味もわからず
『カミノマ カミノマ』と呼んでいました

子供のころはよくその部屋で遊んだりもしていたし
昼寝をしたりもしていた

昨日夜に初めて
気づきました
(恥ずかしながら)

あれは
『神の間』
だったんだ・・・と

その部屋には
『床の間』(とこのま)があって
そこに
いくつかの置物が置いてあって
その壁には
『天照大神』(アマテラスオオミカミ)の
掛け軸がかかっており
その部屋の高い位置には
家族がもらってきた
『表彰状』や『現在の天皇皇后が結婚した時の写真』
などが
額縁に入れて
飾られていました

父親が死んで
床の間のとなりに
仏壇ができていました

そしてこれも
昨日思い出したのですが

●そういえば
台所に『神棚』(かみだな)があった
母親が奉っていた

実家は真言宗でしたが
正月に住職が
その台所にある『神棚』を
参りにくるんですね・・

村の真言宗の家のなかで
また当番というものがあって
その人が
正月に
住職を真言宗の家を
順番に案内していく

お坊さんがその
神棚の神様にお参りするのは
3分もかかったかな??

あっという間だったのですが
住職に払う金額は5千円と
決められていて
結構高いんだな・・
って思ったことがありました

で、、
その
昨日気づいたことというのが・・

あれ?
なんで真言宗の住職が
台所にある『神棚』を参っていたのか?
と、、

このところ
わたしが書いているようなことに
つながらなければ
たぶん
そういう疑問は
わかなかったと思います。

やっと
わかりました。

台所の『神棚』とか
床の間の『天照大神』とか
『神の間』とは・・

『神様』なのだけど

その発祥の元は『イエス』であり
『キリスト教』である
ことに
わたしの脳みそが
行きつきました。

その『神の場所』である神社のほとんどが
『宗教法人』となり
『政治利用』をされ

ということは
昨日書いたように
もちろん選挙にも
かかわる
ということは
憲法改正など
いろんなことに
関わって行っているわけで

そしてその資金
というものが

国民のみなさんが
純粋な気持ち?
で神社におさめた
●賽銭(さいせん)
●さまざまな祈願のお代
結婚式の費用や
神道の葬儀の費用なども・・
ですかね、、

そういうものが
『政治献金』や
『政治家主催のパーティー券購入』
などに使われ

そしてまた
そういう政治家たちが
それにより
権力をさらに
拡大し

法までも
自由自在にあやつる・・

という
成れの果て
なってしまったのではないのでしょうか・・

神社を
『宗教政治団体』にしたのは
他にも
大きな意味がある
と思います。

しかし
まだ
それでも
遅くはない
と思います。

今日はまず
↓の二つの記事を読んでください。

一つ目↓ネットより
東儀秀樹氏とば、イケメンの雅楽演奏家として女性たちに人気がある。この人が、実は古代イスラエル人の末裔かもしれないといえば、驚く人も多いだろう。東儀氏は、奈良時代から続く雅楽の楽家(がくけ)の家系に生まれ、1500年ほど前までさかのぼる由緒ある家柄なのだ。
 8世紀の平安京の建設にあたって、東儀家の先祖は中心的な役割を果たしていたという。それは、古代豪族の秦氏(はたうじ)で、韓半島から渡ってきた渡来人だった。聖徳太子が生きていた時代の秦氏の族長が、東儀氏の先祖である秦河勝で、聖徳太子のブレーン及びパトロンでもあった。
 明治時代の佐伯好郎という学者は、中国で「景教」と呼ばれたネストリウス派キリスト教の世界的権威だった。佐伯氏によれば、秦氏たちはユダヤ人の景教徒だったという。
 神道にはユダヤ教と類似した点が多く見られるが、その多くは秦氏がもたらしたものだ。文化勲章受賞者で著名な哲学者である梅原猛氏も、その著書「うつぼ舟I 翁と河勝」で、「秦河勝は日本最初のキリスト教信者であり、聖徳太子もそれに影響されたのではないか」と書いている。
 同じく文化勲章受章者で、「騎馬民族征服王朝説」で知られる考古学者の江上波夫氏も、オフレコの場ではキリスト教徒が古代日本に来ていたことを周囲に語っていたという。実は、江上氏は前述の佐伯好郎氏の教え子であり、秦氏景教徒説の影響を受けていたとしても不思議はない。
 イスラエル王国が滅亡した後で、12支族のうちの10支族は行方がわからなくなった。イスラエル人や世界中に住むユダヤ人たちは、いまだに「失われた10支族」の行方を追い求めている。
 霊覚者の本山博師が、ある欧米人の弟子の過去生を霊視したところ、彼が応神天皇の時代に日本に流れてきたユダヤ人だったことがわかった。その時代に日本に来た渡来人として最も当てはまるのは、秦氏だろう。
 私のこれまでの研究でも、秦氏がキリスト教徒だった可能性が高い。だが、景教徒ではなく原始キリスト教徒ではないかと思う。そして本山師が霊視したように、10支族の末裔だった可能性が高い。
 かつてベルギーに、国家がその力を認めたベラ・コチェフスカという最高の超能力者がいた。彼女はある時TVのインタビューの途中で、言ってはいけないと(指導する見えない存在から?)言われていたことをうっかり喋ってしまった。だが、スタッフが撮影したビデオを再生してみると、音声だけが消えていた。その口止めされた内容は、古代イスラエル人が日本に渡来したという話だった。私はそれを聞いて「やっぱり」と思ったものだった。
 ユダヤ人のヨセフ・アイデルバーグ氏も、10支族の行方を追い求めた一人だった。日本の文化を知るために、京都の神社に住み込みで働いたこともあった。氏によれば「日本人はイスラエル10支族の子孫」なのだというが、日本人全体が10支族の末裔だというのは、現代の科学的研究の成果を無視したもので、あり得ない。古代日本の渡来人の一部に、古代イスラエル10支族の末裔がいたというのであれば同意できる。
 10支族の一部は、これまでイスラエルのアミシャーブという機関によって、「インド」「ミャンマー」「アフガニスタン」「中国」など世界の数ヶ所で発見され、その一部はすでにイスラエルへ「帰還」している。発見された民族が住む地域を見ると、シルクロードの周辺に多い。古代イスラエルでは東は聖なる方角であり、10支族は東を目指してシルクロードを移動していったと思われるのだ。
 そして東の果てにある国は、シルクロードの終着点である日本だ。
 応神天皇の時代に渡ってきた秦氏の数は、1万人以上だったと言われている。すでに日本には数百万の人口があったようなので、全体からすると少ない数だが、日本の政治・文化・信仰などに大きな影響を与えたことは確かだ。秦氏がキリスト教徒だったとしても、そのことを公言はせず秘密にしただろう。
 仏教が入って来た時でさえ、神道派との間で大変な混乱があったのだ。秦氏が創建した神社は多いが、そこにユダヤ教の慣習やイエスの教えが密かに取り入れられていたと考えると、ワクワクしてくる。
 前回書いたように、日本は人種の吹きだまりで、「中国」「ペルシャ」「インド」など、さまざまな国から人々が渡来したと思われる。10支族も、全体の中の大多数でないにしても、日本人に同化して多くのルーツをもつ日本人の一部となった。
 東儀秀樹氏が奏でる雅楽を、「古代イスラエル人の末裔が、先祖がシルクロードからもたらした音楽を演奏しているんだな」と思って聴くと、かなり印象が異なってくるのではないか。

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二つ目 ↓ネットより

日ユ同祖論(にちゆどうそろん)という言葉があります。
これは、いったいどういう意味なのでしょうか?
日ユ同祖論の「日」は日本、「ユ」はユダヤを表し、要するに日本人とユダヤ人は、同じ先祖だという説です。
この説があまり知られてない理由は、敢えて伏せられてきたからなのです。
実は日本には、古代ユダヤにあったものと同じ文化や風習があるのです。
しかも、同じ言葉や似た言葉までもが、いくつも存在するのです。
古代ユダヤ人の人々は、間違いなく日本に来ていたのです。
日本とユダヤは太古から接点があり、それは「秦氏」によって、ユダヤ的な文化や知恵など、多くのものが日本に持ち込まれているのです。
その中の一部を挙げてみます。

●日本でもユダヤでも清めに水や塩を用いる。
●日本では古くからユダヤの星(六芒星)が家紋やデザインとして使われていた。
家紋
家紋
●日本では古来、男子が13歳になると成人を迎える儀式、元服式を行っていた。ユダヤの男子も13歳になると成人を迎える儀式、バル・ミツバを行う。
●カタカナとヘブライ文字には、形と読みが同じものや似ているものが複数ある。
●日本にも三種の神器があるが、イスラエルにもユダヤの三種の神器がある。
三種の神器
三種の神器
●日本の神社とエルサレムの神殿の構造には多くの共通点がある。
●三重県の伊勢神宮参道の石灯篭には、ユダヤの六芒星が刻まれている。
六芒星
六芒星
●京都にある元伊勢籠神社とも呼ばれる籠神社にある絵馬には、六芒星が描いてあり、三つ巴の家紋=666までが刻印されている。
籠神社の絵馬
籠神社の絵馬

●日本の神社には狛犬があるが、イスラエルのソロモン神殿にも同じように獅子の像があった。日本の狛犬は名前こそ犬だが、どう見ても獅子である。
狛犬
狛犬
●山伏は頭に兜巾と呼ばれる黒い小箱をつけホラ貝を吹くが、ユダヤ人は祈る時にフィラクテリーという黒い小箱を頭につけ、ショーファールという羊の角で作った笛を吹く。<下の画像1>
●祭りで担がれる日本の神輿の上には鳳凰がいるが、ユダヤの契約の箱にはケルビムという天使が羽を広げている。<下の画像2>
●京都の祇園祭の最大イベントは7月17日に行われるが、これはノアの方舟がアララト山に漂着したまさにその日である。<下の画像3>
●平安京をヘブライ文字に翻訳するとエル・シャロームで、これは古代イスラエルの首都のエルサレムと同じ。
●京都(平安京)の近くには琵琶湖があるが、エルサレムの近くには琵琶湖と似たガリラヤ湖があり、この湖は、古くはキネレテ湖と呼ばれていた。キネレテを訳すと『琵琶湖』になり、つまりエルサレムも琵琶湖があったことになる。<下の画像4>
●祇園(GION)の言語はユダヤのシオン(ZION)と同じ。
●旧約聖書の創世記32章には、ヘブライ人の族長であるヤコブが天使と力比べをしたと記されているが、これが相撲の起源だと言われている。この時、勝利したヤコブはイスラエル(神の戦士)という名前を授けられた。<下の画像5>
●神社にある鳥居は日本のものでありながら日本人には説明がつかない代物。しかし、ユダヤ人が見れば即座に理解できる。なぜなら、鳥居の形は古代ヘブライの建物(玄関口)と似た構造をしていて、しかも赤い色は宗教的根拠があるから。『トリイ』はヘブライ語アラム方言で『門』という意味。モーセは、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、『殺戮の天使』が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した。この有名なエジプト脱出事件が鳥居のルーツであり年越しのルーツである。<下の画像6>
ユダヤと日本の共通点
ユダヤと日本の共通点


このように多くの共通点、類似点がありますが、これだけではありません。
ユダヤ語の音、訳 ― 音と意味が近い日本語が沢山あるのです。その一部を紹介します。
 ハーヤー=早く→日本語:早い
アンタ=あなた→日本語:貴方
バレル=明らかにする→日本語:ばれる
ダベル=話す→日本語:だべる
ミ・カドー=偉大な人→日本語:帝(みかど)=天皇
ミツ=蜜=果汁→日本語:蜜
ソトー=甘み→日本語:砂糖
シュラ=要塞→日本語:城
コオル=冷たい→日本語:氷
グンダ=軍団→日本語:軍団
ハラ=怒る→日本語:腹が立つ
シャムライ=守る者→日本語:侍
シュマショ=ユダヤ教会の事務所→日本語:社務所
アッパレ→日本語:栄誉を誇る
アラ・マー→どうした理由・何?
アノー→私に応答させてください
アリガトウ→幸運です
オハリ→終端
グル→団結する
グル→回る
サヨウナラ→悪魔は追い払われた
サラバ→平安あれ
スケベー→肉欲的に寝る
ダマレ→沈黙を守れ
ハッケ・ヨイ→投げろ、やっつけろ
ノコッタ→投げた、征服した
ワル→凶悪者

以上のように日本とユダヤには風習、文化から言葉まで驚くほど共通点があります。
言葉に関しては、このような類似語が500語も挙がっています。
英語とスペイン語のように近い国の言葉ならともかく、イスラエルと日本という遠く離れた国で500も似た言葉があるのは、過去に日本では、その言葉を話していた人がいたと考えられるのです。
実は日本とユダヤの共通点が多い謎を解く鍵は京都にあります。
例えば祇園際は今から1100年以上前、869年、疫病の災厄除去を祈って始まったと言われていますが、巡行に使う鉾は装飾に旧約聖書やギリシャ神話をモチーフとした「タペストリー」を使用している鉾もあります。
タペストリー(tapestry)とは、壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物のことです。
古くから続く日本の伝統的な京都の祭に聖書やギリシャ神話の絵が使われています。
タペストリー
タペストリー


秦氏は朝鮮半島からの渡来人と言われていました。
しかし、複数の研究家によれば、日本に来るときに朝鮮半島を経由したに過ぎないともいわれています。
では秦氏はいったいどこから来たのでしょうか?
実は秦氏は、イスラエル十支族の末裔かもしれないのです。
というのも、古代イスラエル王国はソロモン王の死後、二支族の南ユダ王国と十支族の北イスラエル王国に分裂します。
北イスラエル王国はアッシリアに征服され十支族は捕虜として連れ去られ、歴史から姿を消します。
これが『失われた十支族』伝説のはじまりです。
12支族の紋章
12支族の紋章

その後、十支族は世界各地に散らばり、その一部がシルクロードを通り日本に上陸したと言われていて、そのうちの一人が秦氏と言われています。
そして秦氏は、それまで日本になかった土木・農耕・醸酒・養蚕の知識や技術を持っていたそうで、京都の太秦を本拠にして、そうした技術を背景に力をつけていき、本拠地の近くに都を持ってきたのです。
それが平安京というわけです。
また平安京をヘブライ語に翻訳すると「エル・シャローム」と言います。
これは、つまり「エルサレム」のことです。
太秦は京都市右京区の地名で、そこには大酒神社があり、元の漢字は大避神社で大酒明神とも呼ぶそうです。
この大避は中国ではダビデを意味したそうで、これは古代イスラエルの王のことなのです。
また秦氏と聖徳太子は深い関係を持っていたと言われています。
聖徳太子も実は秦氏と同じ渡来人だったという説があるのです。
よく言われる『10人以上の話を1度に聞き分けた』という説は、当時の日本は言語が統一されておらず、数多くの言葉が使われていた中で、渡来人だった聖徳太子は『10ヶ国語を理解できた』と言う意味なのです。
渡来人だったからこそ、複数の言語を身につけていたというわけです。


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