2017年6月6日火曜日

アメリカのペットショップは保護犬のみを販売!地方議会で可決



2015年の記事より↓

「ペットショップで売られるすべての犬は、シェルターなどの保護施設にいる犬でなくてはならない」との法律がアメリカのアリゾナ州で可決されました。日本でも、この法律を待ち望む人はたくさんいます。でも、可能?不可能?日本の法律や現状から探ってみたいと思います。

今年の7月、アメリカのアリゾナ州フェニックスにて、「requiring all dogs sold in pet stores to come only from shelters or non-profit rescues.ペットショップで売られるすべての犬は、シェルターなどの保護施設にいる犬でなくてはならない」との法律が制定されました。
犬を抱き締める女性
アメリカではいくつかの都市にて、すでに同様の法律が制定されているそうですが、フェニックスはその60番目となったそうです。
このニュースは日本の愛犬家の間でも話題になり、今もFBなどで肯定的にシェアされ続けています。
英語ですが、元の記事をご覧になりたい方向けに・・・↓
http://www.trueactivist.com/arizona-rules-all-dogs-sold-in-pet-stores-to-come-from-shelters/

法制定によって生じた希望

法廷の道具
なぜこの法律が制定されるに至ったか。
それは制定に尽力したフェニックスの女性議員が明瞭簡潔に語っています。
「アリゾナ州には家族を必要とする保護犬がたくさんいるのに、わざわざ他から連れて来る必要はないでしょう」
他から・・・とは、販売目的で犬を繁殖させている悪質業者、すなわち「パピーミル」を暗に指していると思われます。

パピーミルの縮小、廃業

パピーミルとは「子犬工場」のこと。「工場」と表現されるくらいですから、全ては利益優先です。
その劣悪極まりない環境、繁殖犬達の悲惨な姿は、これまでも取りざたされてきましたが、この法律制定によってパピーミルは縮小、廃業に向かわざるを得なくなるでしょう。

シェルターの犬を家庭に!

この法律制定によって大きく開かれたのが、シェルターに保護されている犬達の運命。街中のペットショップで彼らの姿がオープンになれば、譲渡の可能性がいっきに広がります。ひたすら里親の出現を待つだけの犬が減り、シェルターが常に満杯という状態も解消されることになります。
フェニックスではこれまで2万3千頭の犬が売られてきたそうですが、その犬達が全て保護犬にとって変われば、もはやシェルター自体、必要なくなる日が来るかもしれません。

日本の現状

保護される犬たち
様々な里親募集サイトを見れば分るように、あまりに保護犬が多すぎる。
全国からの里親募集情報を扱うあるサイトだけでも、累計約20,000頭の犬が投稿されています。
保護活動の現場では、里親募集をかけるには難しい、深刻なトラウマを抱えた犬、老犬や病犬など表には出て来ない犬がたくさんおり、レスキューされる犬は後を絶たず、全体では一体、何頭の保護犬がいるのか想像もつきません。
動物愛護法の改正や、殺処分ゼロ運動、愛犬家・愛猫家である芸能人達の活動などにより、日本のペットを巡る現状に多くの人々の目が向けられ、「犬を迎えるなら保護犬を」という波が広がりつつあり、保護犬を家族に迎える人も増えてきました。
でも、保護犬は減りません。
その背景にあるものについて、改めて考えてみます。

家庭動物に関する法律基準、対応の甘さ

虐待・遺棄に関する刑罰は定められてはいるものの、ショッキングな形で表に出ない限り、ことさらに事件として扱われ罰せられるケースはわずかです。
遺棄された犬の飼い主を捜して罰したという話は、殆ど耳にしません。
下記に『動物の愛護及び管理に関する法律(以下、愛護法と省略)』を一部抜粋してみました。
「第六章罰則」より
「第44条 動物をみだりに殺し、または傷つけた者は、2年以下の懲役、または200万円以下の罰金に処する」
「自己の飼養、保管する愛護動物について疾病、または負傷したものの適切な保護を行わない者は100万円以下の罰金」
「愛護動物を遺棄した者は、100万円以下の罰金」
庭先に猛暑日も酷寒日もつながれたまま、まともに水も与えられない犬達が、今この時もいる事実、そして道ばたに、あるいはトリミングサロンやペットホテルに意図的に置き去りにされる、つまりは遺棄される犬がいることは、法律の実効性が乏しいこと、表現が曖昧なこと、ひいては心ない飼育者に対して全く効力がない事実を裏付けています。

ペットショップの生体販売

生体販売はあくまで「犬」を「品物」として売るビジネスです。
現在の日本には、ペットショップでの生体販売を根本から規制する法律がありません。
ペットショップ側には「愛護法 第3章 第8条 動物の販売を業として行う者は、当該販売に関わる動物の購入者に対し、当該動物の種類、習性、供用の目的に応じて、その適正な飼養または保管の方法について、必要な説明をしなければならない」と定められていますが、果たして、これはその通り、行われているのでしょうか?
それ以前に、ペットショップ側は、犬を販売する相手が、適正に飼養できる者であると見極めることができるのでしょうか?
飼養する上で適切な判断ができない人に販売した結果、その動物が家族間でたらい回しにされたり、保護活動者にレスキューされる話が、実際にあります。
ペットショップ側には、顧客が適正飼養者であるか確認する義務はありません。現実的に確認は難しいとも思いますが、明らかに適さない人に販売しているケースもあります。
もちろん、動物を購入した側の飼養責任も定められてはいます。
しかし、飼育放棄が後を絶たないのは、誰でも簡単に犬を買える仕組みが堂々と成り立っていることが一つの要因となっていると、いえないでしょうか?

子犬流通の仕組み

子犬は繁殖業者のもとで生まれ、パピーオークションにかけられ、販売業者が競り落とし、ペットショップのガラスケージの中に展示されます。
ビジネスとしての規制は、「愛護法」の中で一部改正はなされました。
犬の成長過程を慮り、販売の週齢も辛うじて規制されました。
しかし、この流通の過程こそが虐待である、という認識そのものが公に欠けています。
流通のスタート地点であるパピーミル=悪質な繁殖業者における犬達の悲惨な実情は、保護活動者側によって、様々な画像が出回っていますので、あえて、ここでは述べません。
交配しやすくするため体の一部を切り取る、または障害のある犬や病気の犬も放置など、その残酷さは語ればキリがないからです。
「第一種動物取扱業者の規制」として「立入検査・罰則」はどこまで機能しているのでしょうか。
※第一種動物取扱業者=文中では主に販売目的の繁殖業者を指して用いています
パピーオークションは、子犬にとってストレスのない環境でしょうか?
ペットショップの、個別に仕切られたガラスケージは、犬どうしの関係を学ぶべき時期にある子犬が過ごすのに適切な環境でしょうか?
果たして、これらは本当に「動物の愛護」にかなっているのでしょうか?

カワイイのワナ

確かに子犬は可愛い。まっさらな状態から自分の愛犬として育てたい - その思い自体は決して責められるべきことではありません。
ただ、人々のその思いの結果が、パピーミルでありパピーオークションでありペットショップであること、売る側と買う側の利害が一致しているからこそ成り立っている構造なのだという認識が、もっと広まる必要があるのではないでしょうか。

日本でも「アリゾナの奇跡」は可能?

子犬

阻む “カベ”

犬の飼育率は年々、減少傾向にあります。高齢化問題、経済問題もあり、いずれ今のような子犬ビジネスは立ち行かなくなるでしょう。でもその時を待つ間に、どれだけ多くの犬が不条理に命を落とし、不条理に生み出され、いつ現れるとも分らない里親を待ち続けることになるのか。
「日本には家族を必要とする保護犬がたくさんいるのに、わざわざ他から連れて来る必要はない」のは明らかです。
日本でも「ペットショップでは保護犬のみ販売する」法律の制定は可能でしょうか?
論理的には可能であるはずです。
ただし、前項で述べたように、日本の子犬販売については、多くの問題が絡んでいます。
ペット販売に関して抜本的な大ナタがふるわれない背景には、一般の私たちの理解が及ばない利権や既得権益が存在するとも耳にします。

私たちができること

一方、「ペット動物との幸せな共生をはかる」ことを目的とする団体が、海外視察や研究を重ね、都道府県・市に対して意見書を提出したり署名を集めるといった地道な努力を続けています。
私たち、犬を愛する一般の飼育者としてできることは、まず、
  • 犬の販売の現状を知ること
  • 保護犬が生じる背景を知ること
  • さらなる法改正、条例の制定に向けて働きかけている団体の活動を知ること、協力すること
  • 子犬をパピーミルやオークションを経て仕入れている、または利益オンリーの自家繁殖を行うショップから購入しないこと
  • 保護犬を積極的に迎え入れること
  • 保護犬を迎えた経験を語り広め、声を上げていくこと
ではないでしょうか? まだまだできることはありそうですが、これについて多くの意見が出現することを期待したいと思います。

最後に

紅葉の散歩
個人的なお話を。
子どもの頃から飼ってきた犬達は、拾うかもらうか、でした。現在の愛犬は、家族がたまたま立ち寄ったペットショップの売れ残り犬。その末路が気になり、購入しました。私はこの犬をきっかけとして、今の犬達に起きていることに目を向けるようになり、保護活動のはじっこでお手伝いもし、2匹目に保護犬を迎えました。
キレイごとばかりは言えません。理由はどうあれ、我が家の犬もペットショップから購入したのです。唯一無二の存在となった以上、「この犬を買わなければ良かったのに」とは決して思いません。
ただ、こうして様々なことを知った今では、二度とショップで犬を購入することはありません
「知る」ということは、ある意味、何にもまさる武器になる、とはいえないでしょうか?
ひとりの「知る」が多くの人の「知る」につながるとはいえないでしょうか?
犬の大先輩のひとことが常に頭の中にあります。
「強硬に声を上げれば上げるほど、抵抗は強まる」。
強く非難すれば、反感が生まれ抵抗が強まり、時にはこっそり抜け道まで作られます。
声を上げることは必要ですし、人や立場によって大きな声を上げることも必要です。
その一方では「物事は搦め手(からめて)から攻める」という言葉もあります。意味は「城の裏門から攻める」ということ。
犬を大好きな一般の我々が、淡々と静かに、けれど信念を持って声を広めていくこと、それこそが大きな力になるのではないかと思いながら、この拙い記事を書きました。

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