2019年12月26日木曜日

続き

私は『信頼』を裏切られて、悲しんでいるんだなあ。『信頼』が欲しかったんだなあ」と欲しかったものに気づけると、悩みの渦を外側から眺められています。

3.その「欲しかったもの」は、今後もそのこと、その人からしか得られないことか?

そして例えばその「信頼」は、今後もそのことや、その人からしか得られないことでしょうか・・・?
現実にはそうではないでしょう。未来にはあらゆる可能性があります。
しかし、その可能性を信じられないと、「あの人は私に『信頼』をくれるはずだったのに!」と自分からしがみついてしまいます。これが過去への執着の中身になっています。


4.その出来事を経て、以前よりも自分が賢くなっている点を探す

どんな出来事も、人は学びに変えることができます。「渦中にいた時は辛かったけれど、あの経験がなければ、今の自分は生きた学びを得られなかった」ことは、どんな人にも無数にあります。
ただ、普段は余り意識していないだけです。
その出来事を経て、それ以前よりも、確実に自分が賢くなっていることは、どんなことがあるでしょうか?
この問いは、一回では終わらず、時間をかけて繰り返すことも大切です。そして、辛い出来事の中から学びを得られた、と実感できるたびに、その自分をねぎらい、認め、励ましています。
そしてまた、人には「その年齢にならないとわからない」こともたくさんあります。
今はまだわからないけれど、もっと時間がたつと「ああ、あれはああいうことだったのか」とわかるかもしれない、その未来の自分をイメージすることも、助けになります。


5.今後似たようなことが起きても、同じ結果にはならないことを確認

そしてこの点も非常に重要です。恐れは「また、あんなことが起きたらどうしよう・・・!」と思ってしまう限り、湧き上がってしまうからです。
「相手に『何でこうしないの!』『こんなことをするの!』ではなく、『自分はこう思った、こう感じた』を素直に伝えてみる」
「人を支配したがる人には、あまり深入りせず、サッと距離をあける」
「『この人についていけば安心!』と自分からすがらない。どんな人にも限界や欠点はある」など
対応策を自分が身に着けている、と実感できることが必要です。

6.今は無事に暮らせていることを確認

困難、トラブルの渦中にいる間は「この程度ですんで良かった」とは思えません。
今は全てが終わって、無事に過ごせているんだなあ、と実感できて初めて、安心して振り返ることができます。

7.傷ついたけれど、無事に乗り越えさせてくれた自分に感謝

そして、こうやって無事に乗り越えた最大の功労者は自分です。
もしかすると、他の人の助けを借りたかもしれませんが、他人が自分に成り代わって、困難を乗り越えることはできません。他人が自分に成り代わって、傷を癒すことも、学びを得ることもできないのです。
「無我夢中だったし、どんくさいこともいっぱいあったけれど、何とか無事に乗り越えたなあ」
その自分に「ありがとう、ともあれ、お疲れ様・・・!」と感謝とねぎらいの言葉をかけてあげると、大きな癒しになります。

8.「この程度ですんで良かった」は最終的に湧き上がってくるもの

これらのプロセスを踏んで、最終的に「ああ、この程度ですんで本当に良かった」と湧き上がってくる、そうなるとそれは、潜在意識レベルで「世界を肯定した」ことになります。
勿論すべての出来事を「あの程度ですんで良かった」とは思えないこともあるでしょう。親から受けた肉体的・精神的虐待などは最たる例です。
できる限り、「過去の嫌な出来事への執着を手放す」ことは、嫌な思いをさせた相手ではなく、自分自身を癒し、未来に希望を持つ原動力となります。
ですから、ご自分で取り組む場合は、どんな人生にも起こりがちな、小さな、でも癒し切れてはいない嫌だった出来事から始めることをお勧めします。「一か月後には忘れているだろうけれど、今はもやもやする」ようなことがお勧めです。
小さな、でも嫌な出来事は、もしかすると私たちを鍛える「小さな練習問題」としてやってくるのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿