会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2025年8月13日水曜日
満洲事変
学校では、いついつ何があったか?を、試験のために記憶させるだけ。真実を伝えなければ同じことが、起きるだけだ。
縄文人が日本人の祖先という定義を私は信じている。
弥生時代になり、大陸から日本へやってきた人たちにより、
土地の私有所有が始まり、稲作なども開始された。
神社も作られた。
縄文時代までは、やおよろずの神が存在すると言われ、人間も
動物も自然も、全て対等いや自然がうえであったのが、弥生時代に入り人間が一番上で、支配をするようになってしまい、自然や動物を敬う心が、消されてしまった。
弥生人達に追いやられるように、縄文人は北へ南へと逃げた。
北海道アイヌは、縄文遺伝子を受け継ぐと言われ、日本人の
祖先と言われている。
沖縄にも縄文遺伝子を持つ人が30パ一セントいるということ。
本土にも少しは残っていたようだ。
自分はそれだと思っている。
なので、戦争開始を決めた人間らが、弥生系の大陸から来た者だった可能性はあるが、しかし、いずれにしても日本は日本なのだ。
他国侵攻という、はかなく浅はかな戦争。
勝った負けたのための殺し合い。
取った取られたの殺し合い。
果たして勝ってそれが幸せなのか、
取ってそれが幸せなのか。
真実は真逆、不幸。
人のものを奪って一体何になる、
人の命を奪って一体何になる、
自分の身内が殺されたら悲しみ怒るくせに。
しかもハワイ真珠湾攻撃では、攻撃開始してから宣戦布告の
フライング。
このときも、日本軍が行った鉄道爆破を中国がやったと
因縁をつけたのが、きっかけとは。
日本て、なんて幼稚で汚いのだろうか。
日本て、汚い、卑怯。
今の政治家とおんなじだ。
本当の歴史を学び、自分自身に向き合わなければ、
物事や、人に向き合うことは、不可能だ。
満洲事変→
満州事変とは、1931年9月18日に中国東北部(満州)で発生した、日本と中国の間の武力衝突です。日本軍(関東軍)が、奉天(現在の瀋陽)郊外で南満州鉄道の線路を爆破したことをきっかけに、中国軍を攻撃し、満州全土を占領した事件です。この事件は、日本が満州を支配下に置くための侵略行為であり、その後の日中戦争や太平洋戦争へとつながる重要な出来事となりました。
より詳しく説明すると:
柳条湖事件:
満州事変の発端となったのは、1931年9月18日に奉天郊外の柳条湖で発生した南満州鉄道の線路爆破事件です。この事件は、関東軍が自作自演したもので、中国軍の仕業に見せかけて満州への侵攻を開始する口実とされました。
関東軍の行動:
事件後、関東軍は中国軍を攻撃し、満州全土を占領しました。日本政府は不拡大方針を打ち出しましたが、関東軍の行動は止まらず、満州は日本の事実上の支配下となりました。
満州国の建国:
1932年には、関東軍の主導で、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀を傀儡として擁立し、「満州国」を建国しました。これは、満州を日本の支配下に置くための形式的な独立でした。
国際的な批判と日本の孤立:
満州事変と満州国建国は、国際社会から激しい批判を浴びました。特に、国際連盟は、日本を非難し、満州国の承認を拒否しました。これに対し、日本は1933年に国際連盟を脱退し、国際的に孤立を深めました。
日中戦争への発展:
満州事変は、日中間の緊張を高め、1937年の盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争へと発展しました。
満州事変の背景:
世界恐慌の影響:
1929年の世界恐慌は、日本経済にも大きな打撃を与え、国内の不満が高まっていました。満州進出は、経済的な活路を求める動きの一つでした。
軍部の台頭:
日本国内では、軍部の影響力が強まっており、満州を日本の勢力圏に組み込むことを目指す動きが活発化していました。
中国の状況:
中国では、国民党と共産党の内戦が続いており、国内のまとまりを欠いていました。また、日本による満州支配を容認しない動きも強まっていました。
満州事変は、日本の中国侵略の始まりであり、その後のアジア太平洋戦争へとつながる重要な出来事でした。
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