2017年1月6日金曜日

イルカやクジラ『食べ物じゃない』

和歌山県太地町のイルカ網切り事件は・・

またもやどこかの動物愛護団体?でしょうか、、、


しかし和歌山県のホームページ上には、イルカ猟を継続するいいわけが長々と書かれているのですが、見た目を変えれば、これだけの言い訳を書かなければならなくなってきている

というのが、すでに『そんなことをする時代はもう終わっているのだよ、普通の漁業に変換することさえできない和歌山さんの能力を疑うよ』

って言われているのを和歌山県自体が認めているようなもの と思います。

和歌山県ホームページよりほんの一部↓

イルカなどの小型鯨類はIWCの管理対象外で、各国が自国の責任により管理することとなっており、日本でも捕獲対象となる種類ごとに科学的調査に基づき、資源に影響のない範囲の頭数を捕獲しています。

4.イルカを殺して食料とすることを、伝統や文化と呼ぶべきではないのではないか

 日本は四方を海に囲まれた島国で、古来より海産物を重要なタンパク源として利用してきました。鯨やイルカもその一部で、有史以前の縄文時代からの長きにわたり食糧源とされてきたことが判明しています。
 和歌山県の紀南地方では、非常に山が多いため耕作地に乏しく、沿岸に来遊する鯨やイルカを古くから食料としてきたことは、ごく自然なことです。日本では、捕獲した鯨類は余すことなく活用されており、肉を食料とするだけではなく、その他の部分は工芸品の材料として利用されています。日本の捕鯨は、石油の利用が始まるまで、鯨油の採取のみを目的として捕鯨を行い、大量に鯨を殺しては、その大部分を海に捨ててきた一部の外国の捕鯨とは一線を画してきました。
 太地町で捕鯨やイルカ漁が重要な産業となり、その文化に取り入れられ、地域の人々の生業となったことは、その厳しい環境に対応するために生じた当然の結果です。
 自然の恵みに感謝しながら、捕殺された鯨やイルカの供養祭を行うなどの習慣が今も続いています。大量の家畜を飼い、と殺し、食している日本の農家の人々も同じです。家畜の命を絶つことの罪を感じ、自然に感謝しながら食べています。
 この営みを一方的に批判したり、不正確な情報で煽ったりすることは、価値観の一方的な押しつけに過ぎません。

5.日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか

 日本においては、経済活動の中心から遠く離れた離島や半島、奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。今なお、鯨やイルカの肉が伝統食の重要な一部となっている地域が全国に散在し、また、その地域の出身者や小学校の給食で食べた思い出のある人々はその味を楽しみ、買い求めています。このようなことを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。
 大量に流通、販売されているものではありませんが、現に今でも需要はあります。そして、鯨やイルカを捕獲して生活をしている漁業者は、その需要に応えているのです。捕鯨やイルカ漁をやめろと言うのは、この漁業者たちに自分たちの生活を捨てよと言うのと同じです。
以上HPより転載

わたしも小学校の給食でくじら肉、食べました

おいしいとは思わなかった

食べ物を残すことは悪いこと

と思っていたので、全部食べる

どうしても食べれない時は

持ち帰れるパンを残して他を無理しても全部食べる

というスタイルでした

だから一番苦手だった瓶入りのヨーグルトは、

ビンに入ったまま、スプーンでぐるぐるかき混ぜて

どろどろにして、鼻をつまんで一気飲みしていた。

給食って、正直、どれ食べてもおいしいとは思えなかった

たぶん、家の味とかけ離れていたからと思う

クジラ肉、たぶん、しょうがで煮てたから食べれたと思う

しょうががなけりゃ臭くて食べれんかったと思う

臭いっていうのは、クジラさんに対してはとても失礼だけど

だってほんとは食べ物じゃないから

クジラさんやから

牛乳だって『牛の血』やもん

食べものじゃないやん

牛さんが『献血します』言うたわけやないし、、

人間が無理やり『搾取』なんやけど

騙し言葉使って『搾乳』って言ってるだけで・・

あ!ほら、やっぱり・・

『さくにゅう』の『搾』は『さくしゅ』の『搾』やんかあ・・

↓『搾取』意味

しぼり取ること。特に、資本家・地主等が、労働者・農民等の労働に対し、それに価するだけの支払いをせず、利益をわがものにすること。

うんうんやっぱり

牛さんの血液、人間がだまし取ってるねん

働くだけ働かして、、乳が出んようになったら首切り

仕事辞めさせられて、とさつ所に放り込まれて

今度はイノチ斬り

イノチ切られて肉にしてまたしぼり取られる

最後の最期まで『搾取』だましやあ・・・


それだけこき使って、人間の金儲けの道具にさせられてきたのに、

せめてせめて、、、

乳がでんようになっても、、

最後まで、のんびり暮らさせてあげたら

ええんと違うのん??

鶏かって・・


せっまいスペース(B5サイズ)に詰め込まれて

玉子産まんようになったら

その名の通りの殺し方、

『首切り』やあ

『廃鶏』(はいけい)なんてよばれちゃって・・・


玉子産まんようになったって、

『これまでよう働いてくれたなあ
ありがとう
今後はゆっくりのびのびと暮らすんやで』

って、毎日ごはんあげて運動させてあげたら
ええんと違うの??


でもそういうことせんからさ

そういう考え方がさ・・

全ての行為に及んでいてさ

『鳥インフル』とか『アレルギー』とか『アトピー』とか
なってんねんやんかあ

わたしにはようわかる

とりさんも、うしさんも、なんにも悪いことしてないもん


だからね

肉うしさんとか、豚さんも、ほんまは造ったらあかんかってんよ

だからね

肉は食べるもんじゃないよ

くじらもいるかも

哺乳類やんか


玉子で産まれるんじゃないねんで

おなかのなかで赤ちゃんの形になってから
産まれてくるねんで

食べたらあかん

食べるからうまさせられるねん


わたし、中学校の時、北海道の牧場にあこがれてて

高校卒業したら北海道の牧場で働きたいって思ってた

でもTVで牛の出産シーン見て・・

『無理や』って思った・・

人間が手であかちゃん引っ張り出してた

なんていうか・・

それ見て無理って・・

たぶん『自然じゃない』って

なんか、気持ち悪くなった

牛さんにじゃないよ

その行為に

人間が腕を結構奥まで入れて
無理やり引っ張りだす ことに・・

↓ネットより

くわしい統計ではありませんが、90~95%は、人の介助は必要なく、自分で自然分娩します(出来ます)。
残りの5~10%は、双子だったり逆子だったり子供が大きかったりと、いわゆる難産と呼ばれ、人の介助が必要です。
自然界では、この5~10%の難産の部分は、人の介助がありませんので、そのまま母子ともに死んでしまったりと言うことになります。

牛や馬の牧場では、この出産の時の事故をいかに減らすかという事が経営を左右しますので、取りあえず分娩のさいには、正常分娩かどうかを確認しながら、事故の起きないように可能な限り出産終了まで監視しますので、正常の場合でも、ちょっと手助けと言うことは良くあります。
あとは、TV番組として絵になるために、出産シーンはよく使われるので、「出産=人間が引っ張り出す」ということが、当たり前のように思われているだけです。牛の牧場などでは、気がつかないうちに、牧草地で出産して子牛が歩いていると言うこともまた珍しくありません。

↑の赤字の部分

たぶんこれが自分の『拒否』になったんやと思う・・

消費者は、考えなあかんと思うよ

今そこに、普通に生きて動いてる牛・豚・鶏・くじら・イルカ

達を、自分が武器または素手で殴り殺して皮はいで食べることができますか?

できないのなら食べちゃいかん

って、わたしは思うねん

わたしはそう思う人間やねん

わたしは今魚介食べてる

釣りに付いていったことある

自分でえさもようつけんかったし、つれた魚外すこともできんかった

川で救って魚食べれるかな??

やっぱり魚が水のないとこではねてるのみたら
可愛そうで、川に戻す思う・・


じゃやっぱり、わたしも魚、食べたらあかんやんか

貝は?

貝ならたぶんできる

とか、、考える・・・


この前あさりのみそ汁食べてて

がりって言った

石じゃなくて、貝のからが割れてた

それガリガリかじってみた

『貝殻カルシウム』・・

これでカルシウム取れるかな?って・・・


どうかわからん・・

でもやっぱり

自分魚今食べてて言うのはなんやけど


哺乳類はまずあかん

食べ物じゃないよ

昔の殿さんとかで気触れた人おったみたいやけど・・

肉食べてたりしとったみたいやし・・

それだけやない場合もある思うけど・・

和歌山、あかんやろ

日本、あかんやろ(わかってることやけど)

今回の金網切ったのも


一時の『犯行(反抗)』をどこか遠いところからやってきた人間がおこなえど、何の解決にもなりません

グリンピースもありましたね

クジラ肉を倉庫から盗む・・とか

↓2008年のニュース


鯨肉横流しの告発のためなら、盗んでも罪にはならない──常識では理解できない論理を振りかざす環境保護団体のグリーンピース・ジャパン。代理人の海渡雄一弁護士(52)は、社会民主党の福島瑞穂党首(52)の夫である。

 5月15日、グリーンピース・ジャパンは、調査捕鯨船「日新丸」の乗組員が鯨肉を横流ししているとして、業務上横領の容疑で東京地検に刑事告発。記者会見で、実物の鯨肉を公開した上、証拠品として地検に提出した。
 満を持しての告発か、と思いきや、すぐに
証拠品の鯨肉が盗まれたものと判明。
 日清丸を運航する共同船舶の山村和夫社長によれば、
「グリーンピースの記者会見の様子を見て、すくにあの鯨肉は日新丸のお土産だと分かりました。荷受番号から当事者を割り出し、聞き取り調査をしたのです」
 その乗組員が、西濃運輸を利用して東京港から北海道内の自宅に4つの段ボール箱を送ったが、その1つがグリーンピースの手に渡っていたのである。
 荷物を運んだ西濃運輸は、「グリーンピースが"証拠"という荷物が、青森支店から盗まれたのです。被害届けを青森県警に出しました」
 その西濃運輸に、グリーンピースから、
「(荷物を)持ち出して迷惑をかけたという謝罪の手紙が送られてきました」(同)
 捜査中の青森県警は、
「最終的にはグリーンピースにも話を聞くことになる」
 一方、22日にグリーンピースが日本外国特派員協会で行った記者会見では、
「我々は非合法なことはしていない」
 と、非は認めなかった。

窃盗正当化の論理

 この告発状にグリーンピース・ジャパンの代理人として名を連ねているのが社民党首の夫・海渡雄一弁護士だった。海渡弁護士に尋ねると、この鯨肉窃盗が、罪に当たらない理由をこう説明する。
「窃盗罪が成立するには、実行者に、不法領得の意思すなわち、権利者を排除し、他人の物を自己の所有物として、その経済的用法に従い、利用し処分する意思が必要です。グリーンピースはもともと告発する意思で物を確保し、ただちに検察庁に証拠品として提出しました。不法領得の意思がなかったのは明らかです」
 今回のケースをこれに当てはめると、権利者すなわち鯨肉を自宅に送ろうとした鯨肉を排除し、グリーンピースは一時的に鯨肉を自己の所有物としたが、その経済的用法、平たく言えば、食ったり、売ったりせず、検察庁への告発の証拠としたのだから、窃盗罪にはあたらないという理屈。
 こんな理屈がまかり通るなら、犯罪の証拠品となり得る物は、告発のために盗む論理が正当化される。しかし、日大法科大学院の板倉宏教授はそんな論理は通用しないとの見解だ。
「立派なことに使うからといって、人の物を盗んで許されるわけがない。例えば、貧しい者たちに恵んでやるといって、金持ちから金品を奪う行為が許されないのと同じです。経済的用法というのは、必ずしも窃盗罪に必要な要件ではありません。あいつが持っているのは悔しい、などという理由で持ち去ったり、壊したりするのも、経済的用法に従ってはいませんが、不法領得の意思ありです」
 盗みが良くないのは、子供にもわかる。目的のために手段を選ばないのであれば、テロリズムと変るところはない。
 (週刊新潮 2008.6.5号)


 記者会見した告発の弁護人・日隅一雄弁護士は会見では次のように述べました。
 「現行の法制度は、政府・与党といった大きな権力に都合よくできている。証拠がうまく手に入るなんてまれで、権力の不正を暴くには、形式的には法に触れることもある。ただ何億円もの税金を使っている調査捕鯨の実態を暴いたという全体をみてほしい」「鯨肉の現物は不可欠なアイテム。立証より世論喚起を重視したということなんだろうな」

 捨て身の違法行為は環境保護団体からも反発がおきている。今回の鯨肉を盗難したグループは反捕鯨国やIWCにアピールし、日本が事実関係を問われることを期待したもの。

 鯨肉はノルウェーから輸入すれば3分の1以下で購入できる。天下り財団法人は既得権により汚職に近い業務をしていることが問題。捕獲をするならばIWCを脱会すべきであるが、商業的に成り立たないため脱会しないで調査捕鯨をしている。調査捕鯨の捕獲目標量はノルウェーの商業捕鯨捕獲量を上回る。

 調査捕鯨に携わる短期作業員は憎まない。厚い優遇を受けている天下り法人、理事、プロパー(正社員)が問題。

 鯨肉をキロ単位で購入し常食する日本人をみかけない。某カナダ人は自国は反捕鯨国であるが鯨肉が好きだからとキロ単位で購入、冷蔵庫に保管し常食している。


2014年アエラ記事↓
国際捕鯨委員会(IWC、加盟89カ国)は1982年、商業捕鯨の一時禁止を決めた。日本は85年に禁止を受け入れたが、代わりに87年から、クジラ資源の状況を調べるという名目で調査捕鯨を始めた。国際捕鯨取締条約が、第8条で「科学的研究のための捕獲・殺害・処理」を例外的に認めているからだ。

 現在、調査捕鯨を実施している国は日本だけで、毎年、南極海で3鯨種を計1035頭、北西太平洋で4鯨種を計380頭、合わせて最大1415頭を毎年捕獲する計画を立て、船団を派遣している。反捕鯨団体シー・シェパードによる妨害行為や、鯨肉の在庫過多という事情もあり、実際の捕獲頭数は計画を下回るが、この計画数は日本の最後の商業捕鯨の実績1941頭の7割強にものぼる。

 それでも日本は条約に頭数の規定がないことを盾に合法だと主張し、裁判でも「勝てる」(捕鯨業界幹部)と信じてきた。しかし、ICJは、この計画数に科学性ではなく、商業性を見て取り、商業捕鯨を禁じた条約の精神に重きを置いた。


なぜ、こんな読み間違いをしたのだろうか。背景には、ゾウやライオンと同じ野生動物だからクジラとも共生しようという豪州や欧米と、クジラを食糧資源と見る日本との価値観の大きな隔たりがある。日本はこの根本的な価値観の相違を理解しようとしないばかりか、愚弄するような行為でIWC加盟国のひんしゅくを買ってきた。

 7年前、在イタリアのNGOが「国際捕鯨委員会における日本の票固め」と題する英文の小冊子を発行した。そこには、商業捕鯨の復活などを日本がIWCで求めた場合、それらを支持することを条件に、IWC加盟の発展途上国に水産関係の無償援助(ODA)を供与している実態が暴露されていた。IWC総会に出席する代表の旅費なども日本が負担していたというが、この票の「買収」について、水産庁は当時、否定しなかった。

 その一端は、10年6月28日号のアエラでも、「捕鯨賛成票買収とODA」として報じてきた。なかには、札束で横面(よこつら)を張られるような日本との闇取引を拒否した国もあった。たとえば、インド洋の島嶼(とうしょ)国、セーシェルは、こう言っている。

「経済協力を利用して自国の考えを他国に強要することは恥ずべきことと考えます」(前出在イタリアNGOの冊子から)

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