2017年1月16日月曜日

おてんとうさん「ありがたやぁ」

☆土と日、夜中もずっと降り続き、今朝の積雪60センチ

あーー お願いします

どうかおてんとうさん、照らしてください

ちょっと雪が降ったと思ったら、おてんとうさんが

ぱーーーっと明るく照らしてくれて

またちょっと降って、ぱーーっと照らしてくれて

今んとこ、おてんとうさんの方ががんばってくれてて

でも昼過ぎからちょっとあやしい、、

あ~ほんとうに

ありがたや ありがたや

おてんとうさんに感謝。


☆朝夕の温度差とか、日による温度差とか

急な豪雨、急などか雪・・

ふう・・

工場とかの大気汚染やCO2による温暖化や大気汚染も絶対原因なんだけど

やっぱり

日本に限った場合、特に急激に年々気候に変化が出てきたのは

『福島原発 爆発』

このきっかけは大きいって思うよ


いいかげん

地球を維持できない生活・企業経営はほんまもうやめんとねえ


困った困った・・・


☆夏に農薬で『もう死ぬ』って思った時に

急に聞きたくなって、ユーチューブで何度も聞いて

少しましになるまでずっと聞きつづけてた


☆小掠圭  『さらば青春』  知ってます?

わたし、音楽は先にメロディー好きになるタイプ

7歳の頃の歌だけど、その頃全然知らんくて

10代終わりごろかな?

年上の人がカラオケで歌ってて、なんとなく
いい曲やな・・って


題名と歌詞の結びつきがわからんかった・・

でもそのころ、小掠圭はあんまり好きじゃなかった

見た目とか、、声とか、、暗い感じとか・・・すんません


でもこの夏に、急に思い出してネットで聞いたら

あー 今の小掠圭の方が

見た目も繊細な歌い方や声も、好き

で、この歌詞の内容を考えて・・・

『環境問題を憂う歌』かな??
ってわたしはとった

でも、ネット見てると、

学生運動してる同年代の人を憂う歌

みたいに、別の人は書いてた
(そういう人を『黒い水』『黒い犬』に例えたって)


歌って、聞く人が自由に受け取れるから好き

農薬の時はもう、もうろうとしながら2週間くらい聞いてた

その時は、内容どうのこうのの余裕なく

ちょっとからだ持ち直して、、やっぱりすごい歌やな って。


今のわたしにとってこの歌の詩は・・


世の風潮や世の流れが
どのように変化する方向に
誰かによって仕向けられ

人々の多くが
その流れに乗ってしまおうとも

自分のすべきことを淡々と行い
自分が正しいと
その時その時信じる方向に・・・

勝手に物事が
正しい方向に流れていくように


そうなるには

悩み苦しみのたうちまわりながらも平然と

信念を貫き進むのだ


この世は

生き苦しい=息苦しい(まさに今のわたしね)

されどそれがこの世

なのだ


『空も海も月も星も・・・うつろな輝き』

これを今のわたしはそのまんま受け取る


うつろな輝きでも

照らし続けてくれる


あーー
ありがたや・・


で、、わたしは歌詞の二番の

『黒い犬』になりたい


周りがどうであれ

よい意味で

『自分は自分』 だ



高齢になって、、いや、高齢になっていくほど

とてもいい表情な人って、いますよね?


小掠圭もわたしはそう思う


すごい人で・・

バリバリのすんごい銀行マンやりながら


すんごい歌わんさか


できる人って、何やってもできるのよね


でも、その頃より、今の高齢の小掠圭のほうが好きだ


たまにいるよね?

若い時より いい顔になってく高齢者
(単に男前とか美人じゃなく、顔に深みがあるっていうの)


もちろん食べ物や生活もそうだけど・・

やっぱり 生き方・考え方が

もちろん選ぶ食べ物や生活スタイルに関わってくるんだから


やっぱり出るよね 顔に。


ぜひみなさん

小掠圭『さらば青春』聞いてみてくださいね

あと、、うん、素晴らしい体験談が↓(がんの情報サイトより)


繊細なメロディーと歌声、心に響く言葉を紡ぐ小椋佳さんが、胃がんと診断されたのは今から14年前、57歳のときだった。きっかけは、仕事で知り合った医師のすすめで受けた人間ドック。

20歳からタバコは1日40本。食べることが大好きで、体重は80キロを超えていたから血糖値も高く、良い結果は期待していなかった。それでもがんとの診断は予想外だった。

人間ドックを受けてから間もなく、小椋さんは、「検査を受けてください」と言う妻からの電話をコンサート先の沖縄で受け取る。そこから東京の病院へ直行。さっそく検査が開始された。

「1週間の検査を終えるとすぐ手術が待っていたので、胃がんと知っても悩む時間はありませんでした。気付いたら手術を終え、体中にチューブが付いていたという感じです」。

人間の命の計り知れないパワーと神秘を信じて

幸い初期のがんだったが、転移の危険性を見越して、胃の4分の3の他、迷走神経、胆嚢(たんのう)や副腎なども切除した。

人気アーティストの病に、多くの取材陣が駆け付けた。「がんには死のイメージが付きまとう。でも、突然、理不尽な形で訪れるのが死だと思っていましたから、それほど動揺はしなかった」と小椋さん。そうした感性こそが、ある意味、創作活動の原動力とも言える。

同時に小椋さんが、命の神秘や力を実感する体験を経ていたことも、がんと冷静に対峙(たいじ)できた理由かもしれない。それを教えてくれたのは彼の二男の宏司さんだった。

14歳で若年性脳梗塞になり、植物人間になりかけた。医師からは「治る見込みはない」と告げられた。当時43歳で、銀行員だった小椋さんは仕事が終わると毎日病室を訪れたが、回復の兆しは見えない。

「ところがある日、彼の耳元で『あなたが美しいのは』という曲を口ずさんでみたら、息子が一緒に歌い始めたのです」。記憶も言語も失ったはずの息子が、今、自分と一緒に言葉を発し、メロディーを追いかけている。奇跡としか言いようがなかった。息子の命が生きようとしている……。涙がとめどなく溢(あふ)れた。













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