2017年2月13日月曜日

メディアに騙される「平和ボケ日本人」

今回の北朝鮮ミサイル発射に対する、安倍とトランプ、二名揃っての会見・・
あれって、、日本人向けの会見ってこと、、わかりますよね?

他の国には流されない会見ってこと

メディアは、国に操作されてる・・ってこと

TVの番組とか、出てしゃべってる人間が、こっけいにしか見えない
まるで別の世界の人間に思える

本気でこんなこと思ってるのか?

きちんと指示が出されてるんだよね

どこの番組も、おんなじこと、言ってる

そう、それが、『悪魔に魂売った人間たち』

こんな茶番劇が信用されると思っているのか??

「平和ボケ日本人」だから
だませるだけの話

その平和ボケも、島国だから成り立ってるのか??

今日は、2名の人の言葉を掲載します

日本って、明治時代から、全く変わってない・・のよね

こういうことが、動物に関する問題にも影響しているんです。
『悪魔に魂売った人間たち』の本性を理解したうえで動物愛護活動をしないと
根っこにある問題は解決しません。いつまでたっても、不幸な動物が生み出された状態のまま だからです。

以下書かれていることは、今のこの日本と、そっくりだな・・って、うなずけます。

①まず、↓竹中一男 という人が書いたもの

日本の二十世紀は、明治三十三年から始まる。日清戦争が終わってから五年の年月が過ぎている。この戦争が終結すると、軍人や政治家やそれに官僚までも含めて、功績を認められた者は、それぞれに勲章や爵位をもらい、あるいは高い官職に就く。また資本家は巨額の富を積み上げ、貧富の差はいっそう広がる。日本の領土も拡大する。ただし三国干渉ということがあって、いったん手中に収めた遼東半島はやむなく放棄させられ、台湾と澎湖諸島がこの国の領域に加わった。国土は広がり、国際的地位も向上する。まさに旭日昇天の勢いである。こうして国内の資本主義体制も次第に固まる方向に向かった。だが、国勢の上昇を見込んだ為政者たちは、ますます富国強兵の実を挙げるために躍起となり、帝国主義への階段をひたすら昇ろうとする時代であった。

 明治二十二年に制定された大日本帝国憲法によって、国民はさまざまな自由を保障された。これまで束縛されて萎縮していた人民の胸は、解き放たれた風船のようにふくれあがった。そんな気持ちが、維新政府を支えたのである。だれの目にも、新しい政府のおかげで、江戸時代には到底経験し得なかった伸びやかな世の中が到来したかに見えた。なるほど政治上のさまざまな変革が行われ、人民は気がねをすることもなく振るまえるようになった。本来自由であるべき人間が、徳川幕府の終焉までは権力者によって極端に抑えられていた。それがだれはばかることもなく、大手を振って大道を歩けるようになったのである。だれもがそう思っていた。のびのびと家業にはげむことができることがうれしかった。思ってもみなっかった自由が、自分たちのところへもどってきたのである。ありがたい御時世になったものだと思うのももっともな光景が、町のあちこちで見られたからである。
 ともあれ維新政府によって、今までの庶民の頭上におおいかぶさっていた封建社会の重苦しさが、取り払われた。そして社会制度のいろいろな改革がつぎつぎに行われる。それにつれて外国のさまざまな文物が、この国に流れこんで来る。ごく一部の上層階級にではあるが、旧幕時代には見られなかった西洋の生活様式が取り入れられるようになる。それらのあるものは、地下水のようにしんしんと下層社会にまで浸みこんでいった。もちろん庶民にとっては高根の花と思えるほどのぜいたくな文物は、そう簡単に普通には手に入るわけでもなく、十分に生活をうるおすまでには至らなかった。実際には多少便利になったという気持ちが、日々の仕事にはげみを与えたに過ぎない。経済的には十分とは言えないにしても、精神的なゆとりが持てるようになった。


 こうして、国民生活がいくぶんなりとも安定する方向に向かってゆくのである。そんな様子が、だれの目にも映るようになった。貧乏暮らしの中にも、便利な世の中になったものだという実感があった。便利さがそのまま幸福につながるわけではないが、不便な生活よりも便利な生活の方がよい。漠然とした幸福感がただよいはじめるのである。
 そうこうしているうちに、明治も二十年を過ぎる。このころになると、どこの町並みにも明るさがただよいはじめる。それだけ国勢が向上したというものだろう。二十余年前にくらべると大きな相違である。


 
為政者たちは、国勢が向上したことで政治に確信を持つようになった。だが、国勢が向上したという実感は、彼らの自戒や自省を呼びもどすものとはならず、反対に驕慢の心を植えつける方向に進んでゆく。しかもそれは野望ともいえる妄想を育て上げることになる。人間の欲望には限りがない。ひとつの欲望を満たし終えたと思ったとたんに、またその次の欲望が頭をもたげる。為政者たちも同じであった。国家の基盤がなんとか固まりそうだと見たその時点から、野望がわいて、次の餌に向かって食指を伸ばそうとする。しかも餌は、他国の領土内にあった。それを獲得しようとするには、かなりの無理を冒さねばならない。そのためにまず国策を練らねばならぬ。ゆがんだ国策は、ゆがんだ方針を呼んだ。当然のことである。この場合、犠牲になるのはきまって無力な庶民である。いつの世にもまず庶民が、犠牲を強いられねばならぬ。それが庶民の宿命である。政治家の頭の中には、常にそんな図式が出来上がっている。国家主義の当然進むべき図式である。苦境に立たされるのは、自国の国民ばかりではない。近隣諸国の人民も、その影響を受けるねばならないのだ。


 そのころ為政者たちが胸に組み立てていた野望の構図は、国民のためというよりも、天皇のためであった。いや天皇のためというよりも、天皇を取り囲む権力者たちの野望と言った方が適当だろう。彼らは天皇のため、ないしは国家のためという大義を掲げることによって、おのれたちの野心を満たそうと計った。こういう大義名分の前には、すぐれた有識者たちでもその欺瞞を見破ることはできなかった。それどころか、反発する理論をも見つけ出すことができなかったのである。あるいは見つけだすことはできたかもしれない。たとえそれが可能であったとしても、大義の前に屈して心ならずもそれを是認するか、でなければ逃避するか、あるいはまた黙殺するかであった。明治の時代には、すぐれた学者・評論家・小説家・詩人がいたはずである。それらの人々は、精神的には最高のものを抱いていたはずである。しかし、特別な社会主義者を除いては、為政者たちの行き過ぎた主義方針に対して、反発の挙動に出た人は数えるほどしかいない。


 ところでこのころになると、日本国民の中には、自分の職を見つけることをあきらめて故郷を捨てた者が少なからずいる。そういう人たちは、別天地を求めて北海道に移住し、あるいは朝鮮へ、満州へ、そして中国へ、更にはハワイや北米に足を伸ばした。彼らはそれらの土地に土着して、昼夜を分かたず働いた。そのうちには、異国の住民との交流もはじまる。その一方では、もめごとも起こった。何しろ気候・風土に慣れず、風俗・習慣もちがっている。土地の人たちの生活様式にもなじめない。あれやこれやの相異から、土着の人々との間にさまざまなトラブルが起こるのは当然のことである。トラブルの程度にとどまっている間はよいが、それが邦人への迫害にまで進むと、事はむずかしくなる。明治の二十年代は、そういう事態が起こりはじめる時期にさしかかっていた。それを解決するために、日本の政府が他国へ割り込んで来ると、かえって事がむずかしくなる。気短なこの国の政治家たちは、何事も短兵急に解決しようとするから、問題がもつれてそれが長引く結果になりがちである。まるで事態の紛糾を待ち望んでもいたかのように、とかくに干渉の手を使うからである。つまりは、すきがあれば相手国を侵略しようとする意図が、見えすいているのである。たとえば日清戦争というのがある。それが侵略の戦争であったかどうかは、いまは問わない。端的に言えば、明治二十七、八年の戦争は、大義名分や国土拡張や居留民の保護など、さまざまな口実や名目がつけられて、終には開戦ということになるのである。


 ともかくこの戦争は、一応日本側の勝利になった。その結果、いろいろなものを清国から獲得した。獲得したというよりは、分捕ったと言ったほうが適切であろう。おかげで日本は強国の仲間入りをするようになった。しかし、それで国民の一人一人が幸福になったかというと、そうではない。かえって国家権力を強める結果になり、さまざまな自由が拘束され、貧富の差が広がるばかりであった。こうなると資本主義社会の土台はいよいよ固まり、逆に個人の幸福を増進させる根源となるものが、剥ぎ取られる方向に突き進むほかはなくなる。当然認められていたはずの個人の自由に制限が加えられる。それどころか、人権をさえ冒されかねない事態までが発生するようになる。
 なるほど維新政府によって、人民の生活は一応精神的に解放されたことになっている。外国の文化を取り入れて、日常生活も便利になった。いろいろの面で旧幕時代に比べるといちじるしい相異である。国家の基盤もおおよそ固まった。だが、それから後の政府は近隣諸国に目を向けるようになる。その第一着手としてまず軍備を充実する必要に迫られる。その結果、帝国主義ないし超国家主義への道をたどるようになるのは、必至の情勢であった。


 明治も二十年代にさしかかるころになると、条約改正など未解決の問題はまだ残ってはいたが、維新の改革が軌道に乗り、文明開化をうたった時代もすでに遠いむかしのように思われる。日清戦争が起こり、それに勝利を得ると国勢の増大にいっそう拍車をかける。維新政府が掲げて来た政治上のの方針は、大略的に見ればほとんど成功したといってもよい。権力者たちが増上慢に陥るのは無理からぬことではあった。

その結果、「富国強兵」がこの国にとってかけがえのない最高の目標のように思えてくる。産業・経済・教育・その他文化万般にわたって、為政者たちによって考え出された政策はすべてこの線に沿って進められてゆく。
 その効果は、日露の戦争に示され、帝国主義の体制はいよいよ固まる。国民のほとんども、「お国」のためとあらば、それぞれの生活に少々ぐらいの不自由や犠牲をもたらすことがあっても、余儀ないこととしてあきらめるのが通念となっていた。それが当時の常識になっていた。従って国家の予算も、軍備の充実ないし増強がその中心目標とされていたのは余儀ないことである。


 明治の三十年初頭といえば、二十世紀になって間もないころである。世界の趨勢は、人間の一人一人が「全」よりも「個」を尊ぶ方向に向かおうとしている時代にさしかかっていた。個々の国家について見ても、それぞれの民族が自由意志に従って国家の歴史性、民族性に似合った体制を維持することが可能な方向に差しかかっていた。このことは、第一次世界大戦後のパリ平和会議において証明される。
 だが、日本の政治家たちの中には、そうした世界の態勢を把握することのできた政治家は皆無に等しかった。むしろ逆の方向に突進しようとする者たちで占められていたのである。従って、国政はおのずから個よりも全を優先する方に傾くのは、当然のことであった。個人の思想は国家権力によって抑圧され、それぞれの生活は国家の意志に沿うべく営まれるようになってゆく。


力(権力または財力)のある者は、国家がこれに援助を与えるように努め、彼らはそれによって得た力を逆に国家に捧げてひたすら忠誠を誓うのであった。

これに反して、力の劣る者は遮二無二働くだけで、辛うじて生活の資を得るにとどまるのであった。いうまでもなく前者は資本家・官公吏・軍人といった階層であり、後者は一般庶民である。


②次は、別の、今の時代の人が数年前に書いたもの

今回のミサイル発射に関しても、この人が以前に書いていることが、

『当たり』! って、思います。

それにまんまと騙される日本人は、、なんと『平和ボケ』なのか?と・・・。

↓どうぞ

今日こちらへ参ります途中でばったり元毎日新聞編集局長の細島泉先輩に会い
まして、「なんか世の中おかしいね、政治もマスコミも変だ」と期せずして意見
が一致しました。
  とくに私は今、北朝鮮のミサイル問題で日本が非常におかしな方向へ進んでい
るような気がしまして、そのことについて一言申し上げたいと思います。
 私が北朝鮮に行きましたのは、もう四、五年前になります。昨年はたまたまアメリカで朝鮮政策にかかわった何人かの方にお会いしました。

たとえばクリントン時代の軽水炉発電所の交渉にあたったキノネスさんとか、外交評議会の副議長のセィモアさん(こんどのオバマ政権で核不拡散担当部長としてホワイトハウス
に入りました)とか、ワシントンポストのベテラン記者でリタイア後、アメリカ・韓国研究所を主宰しているオーバードーファーさんとか、その他二、三の方です。この人たちは、人によって多少の違いはありますが、共通した認識がありま
す。
  ひとつは、北朝鮮の核兵器というのは基本的にこれは抑止力である。したがって絶対に先に使うことはありえない。そんなことをすれば忽ち報復を受けて国自体が滅びる、金体制が崩壊することは、彼らは百も承知しているというのが、ひとつの基本認識でした。
 
  それからもうひとつ、それではアメリカが先制攻撃を加えるのか、まだブッシュ時代でしたけれども、それはただ一つこの場合だけ、
つまり北朝鮮が核兵器を中東に横流した場合です。
中国や韓国がどのように反対しようが先制攻撃を加え
る。
しかしこのことは十分にシグナルとして北朝鮮に伝わっているから、彼らはやらないだろうということです。

 つまり北が先に使うことはない、アメリカが先制攻撃を加えることもない、言葉を換えて言えば、朝鮮半島に戦争の危険はないということになります。

そういうことを北朝鮮もアメリカも十二分に承知しているものだから、よく言えば我慢づよく、悪く言えばチンタラチンタラと脱退したり再開したり交渉を続けている。それがよくわかっているから、時には勇ましいことをいっては、まあそう言ったら悪いかも知れないけど、ゲームを楽しんでいる感じです。
とくにブッシュ政権のバックだった石油業界は、北朝鮮に何の利権もないからあまり熱心でない。
もう一つのバックである軍需産業、産軍コンプレックスは、いまのところ中東で十分に飯の種があるから、いまさら朝鮮半島でことをおこしていただかなくて結構ということで、もともと政策的にも優先順位は低い。だから誰も慌てない。
 
  それから中国に国際戦略研究院という、社会科学院の系統ではなくて国務院系統の政策決定に直結しているシンクタンクがあります。
そこで感じたのですが、確かに最初は少し慌てた。慌てたという意味は、彼らの表現に従うと、人口二千万少しの小さいしかも極めて貧しい国が核兵器だミサイルだというのは、客観的にみるとマンガである。

マンガではあるけれどもこれを口実に日本が核武装に乗
り出すに違いない。北も日本も核を持つとなると韓国も核武装に向かう。そうなるとこれは必ず台湾にも波及するだろう。これは大変だ、何としても止めさせな
ければということでした。
 
  だけどこのごろは、ほぼ日本はそれを口実に核武装はしない―― もっとも少数ながら核兵器を持てと危険な主張をする政治家がいますが―― ということがはっきりしたので、すっかり安心した。なにも急ぐ必要はなくなった。おまけに前と違って北朝鮮とアメリカが直接交渉で話しを決めて、それを六者会談の場に持ち込んでくるというか、六者会談でオーソライズするようになって、中国には出番もあまりない。みんなそういうふうに急がない、誰も慌てない。

 そういう時に日本だけが防衛体制、迎撃態勢を作るとか、北朝鮮の核の脅威を執拗に煽っている。北がいろいろ口先で勇ましいことを言うのを真に受けているのは日本だけです。もっとも真に受けている振りをしているだけかも知れません
。最高の軍事機密であるはずの迎撃地点を公表したり、盛大な出陣式、まるでお祭り騒ぎ一大政治的キャンペインです。真に受けているのは、日本のマスコミ(ただし「東京新聞」には時おりそうでない記事が載ります)と、新聞に書いてあ
ることを真に受ける国民ということになります。
 

  北朝鮮の脅威で大騒ぎして、いったい誰が得をしているのか。これは中国の人もいうのですが、まずいちばん得をしているのは金正日でしょう。それを口実に国民を引き締める。これは私が北朝鮮に行った時も感じたのですが、日本がいろんな制裁などをやると、北朝鮮の人々が貧しくて生活が苦しいのは、自分の政治の失敗、失政の結果ではなくて、日本やアメリカが経済制裁を加えるからだという説明が通る。苦難にたえて将軍様の周りに結集しようということになる。われわれ老人は、戦時中に敵愾心をかきたてて「欲しがりません、勝つまでは」とのスローガンを叫ばされたことを連想します。
 
  もうひとつ得をしているのは、日本の国防族や右翼でしょう。

北朝鮮の脅威を煽りたててミサイル防衛(MD)予算など巨額の軍事費をせしめたり、憲法九条「改正」への世論作りなど大いに張り切っています。こういう時に、私は政治も
変だけれども、非常に疑問に思うのはマスコミです。ここにマスコミ界の先輩が何人かいらっしゃいますが、どうも先輩方のいらした時代のマスコミと今とは違う。なんだか昔の大本営発表の垂れ流しと同じように、政府、外務省、防衛省な
どのいっていることをただ流しているだけのような気がします。
 

  今回の北朝鮮に対する非難制裁の国会決議でも、私は棄権ないし反対した社民党や共産党の方が正しいと思いますけれども、しかしそういうことがもう国民の支持を受けるかどうかは怪しくなっている。これだけの情報操作なりマスコミの繰り返しての報道が、あまりにも行き届いているからです。
私のような老人はそれを見ていると、戦前のマスコミの状況を思い出します。当時の無産政党は、はじめはみんな戦争に反対していました。しかしマスコミの報道がすっかり行き届
いているので、反対を続けていると国民の支持を得られないため、無産政党もしだいに戦争支持に変ってゆく。そういうことが頭に蘇って、これは困ったことだと心配になります。

  たまたま先日、中国の高恒さんに会いました。この方は、長い間外務省にいて
、それから社会科学院に変わり、今はリタイアされて中国国家戦略研究会の会長、どちらかというとタカ派の論客、立派な著作もあります。
この方に、私が北朝鮮に行った時のことを次のように話ました。
私は北朝鮮の人たち、労働党の国際局の中堅どころの人たちに、こう云いました。アメリカと北朝鮮では経済力があ
まりにも違うのだから、軍事力で張り合うのは危険極まりない、そんな危険なことではなくて、頭と知恵で張り合う方がいいといいました。

 それに対する彼らの反論は「そんなことをいったって、アメリカは必ず弱い国に戦争を仕掛ける。グラナダ然り、パナマ然り。イラクは今頃になって核兵器は無かったといっているけれども、そんなことはアメリカは始めから承知している
。もしイラクが本当に大量破壊兵器をもっていたら、アメリカは戦争をしかけなかった。われわれはワシントンやニューヨークに攻めていく力は無いけれども、彼らはいつでも平壌に攻めてくる体制にある。だからそれに反撃するだけの軍事
力がないと戦争は防げない」。

そこで私は、イラクと違ってあなた方には後ろに中国という大国が控えているではないかといったら、「中国はいろいろ援助はしてくれるけれども、ここぞという時には、必ず中国自身の国益を優先する。だからいざという時には当てにできない。自分の国は自分で守る以外にない」と反論されました。
 
  この話を高恒さんにして、だから中国が止めろといっても北朝鮮が止めないのは、根底に中国に対する不信があるからではないかと申し上げたところ、高恒さんの答えは非常にはっきりしていました。

「それは簡単な話である。中国が、北朝鮮に対する攻撃は中国自身に対する攻撃とみなして、直ちに核を含む全軍事力
で報復すると宣言すれば、すぐに核兵器を止めるでしょう。しかしそんなことを中国は絶対に言わない。とう小平は言わなかったし、江沢民も言わない、胡錦とうも言わない。だから北朝鮮は核武装、ミサイル開発を止めない」ということ
です。

 中国の人たちの話では、あれはみんなソ連が崩壊した時に、管理がルーズなものだから、何人かの技術者がお金に目がくらんで北朝鮮に流れたのが始まりで、厄介なことになったという説明になります。結局、北朝鮮が核兵器開発を止めるのは、東アジアの非核化、沖縄やグアムを含めた非核化と、北朝鮮の安全つまり金体制の国体護持をアメリカが保証するまでは止めないということでした。
そうなると当然時間がかかるけれども、だからといって別に慌てたりはしていません
落ち着いたものです。
 
  こういう時に、ひとり日本だけが慌てて、北朝鮮に対する敵愾心を煽って問題をますますこじらせて、結果として北朝鮮の強権支配を支援しているのは、何とも変です。どうしてこんなことになったのか。もともとおかしいのかも知れません。ブッシュが拉致家族をホワトハウスに招いた時、これはどうみても日本がイラク戦争に協力したことへの御礼のリップ・サービスであることは見え見えなのに、日本のマスコミは真に受けて大々的に報道する、拉致家族会の前事務局長の蓮池透さんが、いまのようなことでは右翼に利用されるだけで、いつまでたっても拉致された人たちは戻ってこないと辞任されたことはよく理解できます。
 拉致問題が公表された時、たまたま私の友人がワシントンの共和党系のシンクタンク、アメリカン・エンタプライズ・インステュート(AEI)にいました。
例によって日本のマスコミの特派員たちがアジア関係の上院議員やシンクタンクのアジア部長のコメントを求めて回った。AEIにもやってきて取材のあと友人
のところに来て、「困った、みんな同じことしか言わない。可哀そうだ、気の毒だ、しかし昔は日本もさんざんやったことだしなあ、と同じことをいう。これでは記事にならない」と嘆いていたそうです。
記事にならないと思って特派員が送らなかったのか、送ったけれどもデスクがボツにしたのか、私は知りませんけれ
ども、もし紙面に載っていれば、拉致問題ももう少し冷静に議論できたのにと思います。
 
  日本のマスコミが本来の姿に戻ってくれることを切に希望するものではありますが、簡単にそうはなりそうにありません。私も年齢ですからたいしたことはできませんが、出来るだけ協力させていただきたいと思っています。

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