2025年9月15日月曜日

事実上終戦日とは

まずこれを、、 →1945年8月9日、ソ連は当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して対日参戦しました。 ソ連は、日本が同年8月14日にポツダム宣言を受諾して降伏の意思を明確に示した後も攻撃を続け、8月28日から9月5日までの間に北方四島を占領しました。 以上。 原爆が落とされてから攻めてくるソ連、ポツダム宣言受諾してからも日本を攻め続けるソ連は、なんて卑怯なんだと、個人的には思いますね。 ただ、日本がやった卑怯なこともいっぱいあるんで、 個人的には、、自分ならそんなことは、しない!としか 言えないですが。 そして、宇垣まとめという人物。 終戦後に部下を引き連れて沖縄のアメリカ戦艦に特攻しにむかったという、、、。 これも、なんて卑怯なんだと、 次の文章を見て、、、 このブログで戦争動画を揚げ始めた頃ですね、、 次の文章の●死んでもらう、、の発言。  あの動画でこの言葉を吐いたのは、コイツだったのか!!と。 こんなやつが、特攻隊の指揮を、、、 しかも部下を道連れにしかも終戦後に、、。 本気で腹たちます。 → 宇垣は聨合艦隊参謀長だった事がありますが、山本五十六が戦死した時、オレもいずれはあとを追うと心に決めていたのでしょう。宇垣は非情な男で、ある部隊に特攻出撃を命じた。一人のベテラン搭乗員が「今日の出撃で私は敵艦に爆弾を落として命中させる自信があります。その場合は戻ってきてもよろしゅうございますか?」、と。宇垣は即座に大声で「まかりならん!死んでもらう!」と言ったそうです。 そして山本が予言した様に日本は惨敗、これでオレの仕事も終わった、部下も沢山殺した、あとは山本さんのあとを追うのみ、と。しかし山本のあとを追って死ぬのであれば帝国海軍中将として堂々と日本刀で割腹自決すべきでした。海軍特攻の父と言われた大西瀧治郎中将の様に。 天皇の玉音放送もあり、海軍総隊から戦闘停止の命令が出ていたにも拘わらず、部下に特攻機の準備を命じて彗星艦爆11機で出撃。大変軽はずみで思慮のない行為でした。これは完全な失敗に終わりましたが、もし成功していたら停戦協定違反に怒った米軍の報復爆撃で死ななくてもいい日本人が更に沢山死んでいたでしょうね。 これを知った海軍総隊の小沢司令長官は「陛下の終戦の大命をなんと心得るか。私情で部下を道連れにするなどはもってのほかである。死ぬのなら一人で死ね!」と激怒したそうです。 出撃した11機のうち3機は途中で不時着。宇垣の乗った彗星から無電で「敵空母見ユ」「ワレ必中突入ス」、と。 しかし本当に空母を発見したかどうかすら不明です。その日の夕刻、沖縄本島の北の伊平屋島海岸付近の米軍キャンプ近くに彗星が一機墜落、中には操縦士らしいもの一人と階級章のない第三種軍装を着た男が一人(宇垣がそんな姿で搭乗したことは判明している) これはアメリカ側からの情報で、日本サイドが確認したわけでもないし、二人乗りの彗星の隊長機に宇垣が割り込んだので三人乗っていたはず。すべてが謎です。日本海軍での記録では「行方不明、戦死と認定」とされています。 いずれにしても、戦争が終わってからわざわざ多くの若者を道連れにして死んだ宇垣は一人で死ねない卑怯な臆病者です。「長官が行くのなら我々もぜひ!」と志願したものもいたそうですが、司令長官としての常識・良識があり若者への思いやりがあれば志願を拒否し、「お前たちはこれから日本の復興の為にがんばってもらいたい」と言ってきかせ、一人で自決すべきでした。 隊長の中津留達雄大尉は若い妻と生まれて三週間の娘を残して死にました。一人息子を戦争が終わってから失った父親は「海軍は息子を返してくれ」と泣いたそうです。当然ですね。 以上。 沖縄でも玉音放送終了後も、戦争は続きました。 一部の暴徒化した兵士たち、、、 天皇が玉音放送してるのに、 「天皇の軍隊だからやめるわけにいかない、 最後まで戦う」とか、、、 いやその、あんたの言う「最後」て一体なんですか? 一体何を以て、最後としとんですか? 「死んでいった仲間に申し訳ない」いう人間もいたが、  申し訳ないのに、まだまだ仲間、殺すんですか? 敗戦を認めたくないいう個人的プライドが邪魔しとるだけ ちゃうんですか? じゃあもっともっと日本国民が死んで減って、、、 日本がアメリカ国ジャパン州になり、アメリカから多数アメリカ人が 移住してくるぐらいまで戦争をやめんつもりですか? 「最後まで戦う」の、「最後」の定義を、論理的に説明したまえ! 君に出来るのかね? と、わたしは言いたい。 もっともっと、自分自身と向き合うという作業を、 して欲しかったですね。 この動画を見ていて、何度も「はあ〜??」と、ひとり言。 ほんま、頭おかしいのが何人も。 終戦反対派が、敗戦処理へ向かう日本の飛行機を攻撃? そんなんやから戦争なんかおっ始めるねん。 動画最後の言葉を聞いて、、 じゃあもしかして、フラップがおりんかったのも、その可能性あるやん、おもた。 ちなみにですが、、 動画に出てくる伊江島の飛行場はみました。 伊江島に基地が残ってる理由ですが、、、 終戦時の伊江村の村長に打診があったそうです。 ●今度はアメリカの海軍が使いたいと言っている 。 と。。 村長は悩んだ末に、住民の生活のために、それを了承したが、 今でも、あのときの判断がただしかったか?疑問に思うと。 ただしいわけないじゃん! 住民の生活とは、、金のこと。 正しければ、後悔や疑念など浮かばない。 米軍基地があるから、伊江港は立派なタ一ミナルがある。 だけど、伊江島が漁業農業以外で生活成り立ってるのは、、 観光もあるが、そのなかでも、すんごい数の学生の民泊が あるから。 小中学生の学校からの旅行者数がハンパない。 沖縄は、基地があるから政府から交付金だけでなく、 兵庫や京都ではみたことない、国からの補助金事業が。 県民が、県政が、依存してる感はありますね。 では、8月15日が終戦ではない!という動画を。 まあよく成功しましたね、ほんまに奇跡!ですが、、 「全ては宇宙の采配」 月あかりもね。 しかし天皇て、、ほんまなんもせんなあ。 あいや、したな、 開戦の判断と、早めに終戦しなか った判断。トホホ、、、では、 動画検索→太平洋戦争ラストミッション、戦後日本の命運を分けた緑十字機

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