会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2025年9月30日火曜日
トランプ構想、ガザ支配の次は
まず→略称はNATO (ナトー)。 1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。 冷戦後に旧東側の諸国も加わり、2022年4月時点での加盟国数は30か国。
以上。
で、そのNATOを敵に回すトランプ。
これもし、アメリカが、ヨ一ロッパのナト一加盟国と戦争なれば、、バカ日本首脳はまたアメリカ金魚フンで自衛隊を行かすんかな~~
トランプホンマ、医者に精神鑑定してもらわなあかん。
わかってるけどな、超異常なんは。。
動画検索→
トランプ政権、ここへきて新たな情報が入ってきた、トランプ激怒
ユダヤ教聖書に沿った戦争
こんなものを信じて領土を広げるイスラエル、、
パレスチナ入植イスラエル人が現戦争をを支持しているということですが、まあ、やりたきゃトコトンやれば、いいんでねえの?
で、聖書通りにならず、自分らの間違いに、、それでも、
気づかんのだろうね、、、
まずニュース→
アメリカのトランプ大統領は、ホワイトハウスで29日、イスラエルのネタニヤフ首相と会談しました。
会談にあわせてホワイトハウスは、ガザ地区での停戦や人質解放を含む、トランプ大統領による20項目の計画を発表しました。
それによりますと、イスラエルとハマスがこの計画に合意すれば「戦闘は直ちに終結する」として、イスラエル軍は撤退を始め、ガザ地区への攻撃を中止するとしています。
また、イスラエルがこの合意を正式に受け入れて72時間以内に、ハマスがすべての人質を解放するなどとしています。
会談後の記者会見でトランプ大統領は「計画に同意したネタニヤフ首相に感謝する。ハマスはわれわれが示した計画の条件を受け入れる時だ」と述べました。
ネタニヤフ首相は「すべての人質を取り戻しハマスを軍事的・政治的に解体するというわれわれの目標を達成できるこの計画を支持する」と述べました。
両首脳は会見で記者の質問を一切、受け付けませんでした。
ハマスが運営するメディアは29日、幹部の声明として「計画はわれわれのもとにもパレスチナのほかの勢力にも届いていない」とする一方、「条項の内容はイスラエル側の構想に近い。計画で発表された内容はあいまいで不確かなものだ。アメリカの提案を再検討し、パレスチナのほかの勢力と協議する」などと伝えています。
ニュースは以上。
どうせ、アレでしょ!
トランプは、●停戦合意させた~!と、偉そうになり、実は裏でイスラエルとすでに話がついていた●ガザを10年間アメリカが統治。
ガザをリゾート地にしてアメリカトランプが不動産売買で
大稼ぎ。
で、パレスチナにいるアラブ人を、、、
このあとは、動画にあります。
一にも二にも金しかない、、、
イスラエルもトランプも。
損得しか考えない脳タリン、
まあ、日本の首脳もですがね。
ウクライナ侵攻したロシアに制裁したのに、イスラエルにはせん、あ〜気持ち悪い。
そんなんやったら産まれてこんかったら良かったのにな。
産まれる前に神様とした約束は、放棄やな。
あ!それとも、爬虫類人間か。
地球をボコボコにして乗っ取る悪の類の宇宙人たちが
お前らを地球によこしたのかもな。
子供を殺して生血を飲み長生きするイルミナティみたいや。
実際子供大虐殺してた元ロ一マ法王とか、他に死んだエリザベス女王やら、ユダヤ人ロスチャイルドとかもイルミナティやしな、爬虫類人間。爬虫類やから、徳や情なんか、無いのが当たり前。
検索すると英語の題目が出て下に日本語表記があり、
検索内容の事が書いてあります。
動画検索→石田和靖の裏読み、ガザ強制併合秒読み?イスラエル
2025年9月29日月曜日
沖縄住民の飢餓を救ったのは
米兵がどこの戦地でもこれだけの食料を配給されていたか?わからないですが、この時期の沖縄ではあったのでしょう。
沖縄住民は戦争によりアメリカ兵に殺されたが、助けられもした。
一方日本兵からは、殺されはしたが、果たして、
助けられたのか?
助けてくれた日本兵はごくわずかだろう‥国の指示に背き
日本兵個人の心情で●自決をはやまるな。。
とか、女子学徒動員に国が身勝手な解散命令を出した時に、
一部の軍隊が、一部の学徒隊を解散させなかったことで、
学徒を路頭に迷わせず守ったりとか。
これまで、このブログの沖縄戦の記事動画をみられた方は、
この話は真実なんだなと、わかると思います。
動画検索→
衝撃の真実、1945年.飢
えた沖縄の民に米兵が差し出したものとは
シベリア抑留
日本の命令●武器と食料は現地調達。
ありえませんよね。
現地で日本軍から配給されるんと違いますよ。
「現地で奪え!と。
こんな、してまで戦争続ける。
非常に浅はか、
計画も合理性も欠けた命令、
ただ国の
●降伏したくない。。
という、子供じみた意地に
つきあわされた国民。
水筒だけ持たされて、,
遠足ちゃうねんから。
動画検索→食料難で兵士が同僚を殺し、その肉を、戦争なんてするもんじゃない
トランプ精神異常
動画の案内人は、トランプ政治の良い面はほめています。
わたしも外国人優遇には反対です。
例えば、日本政府は生活保護申請者を追い返す水際作戦を各自治体に推奨し、受給できずに自殺した人もいるし、嘘をついてまで、生活保護の支給額を下げて、裁判で負けても下げたままだし、差額を変換もしない。
反面、移民を、どんどん受け入れては優遇する。
これ自体すでに、愛国でもなんでもない。
優遇するからいくらでも来るんですよ。
だから外国人が悪いわけでは無いんです。
そこをわかってない人らは、外国人を攻撃の的にするから、
排外主義者だと言われる。
闘うべきは、外国人
でなく、日本政府なんですよ。
外国人を非難するのは、単なるイジメなわけ。
話戻りますが、トランプは、一番大事な命の観点で、ダメダメ男。
だからね、他でいくらいい面あれど、ダメダメ人。
だって、駄目な男だから日本国民からカツアゲしアメリカ国民に
配る。
駄目な男だから、イスラエルにこびる。
駄目な男だから、アラブ人殺害に手を貸す。
駄目な男だから、ガザを乗っ取り一儲けする。
金しか頭に無い。
自国のことを考えてるように見せかけて、実は自分の見栄しかない。
アメリカの借金減らしてアメリカを金持ちならせるためなら何でもやる。
なんでこうなるか?
彼は大きな勘違いという精神分裂病に陥っている。
アメリカというものは、
自分のものだと、おもっている。
だから、誰がなにいおうが無駄。
似てるよね?
やったもん勝ちイスラエル大統領や安倍と同じ精神異常者。
だからね、結局、アメリカに守ってほしい言う一部の日本人や
日本の首脳ら言うのは、、、
自分のことしかよう考えへんのです。
アメリカの核の脅しもってりゃあ、
心強いんでしょ、そういう人らはね。
視点が狭すぎなんですよ。
自分さえ助かりゃいいから、
そんなちっちゃいちっちゃい考えになる、、
世界平和を考えてる人は、そんなアホな考えは
持たない。
核抑止を正当化したい自民党やら
自民党に洗脳された国民と、
繋がりたいと思いますか?
話するのもイヤですわ。
自分のことしか考えん生き物に
対して使うエネルギーと時間
、、もったいないもったいない。
トランプに投票したアメリカ人も、
そういうのが、多いいうこと。
外国人優遇に関しては、
参政党神谷も問題視してます。
だが、神谷も命という一番大事な観点において、
超超危険人物。
だから神谷も駄目人。
神谷、いろんな人間を、利用して参政党を大きくして、
トタン、気に入らんからとクビキリしてきたから、
ブ一メラン来ますよ。
参政党自体、利用されて消滅なる、言うこと。
少しは移民審査とか、厳しなる思うし、自民の議席はさらに
減る思う。
そこまでや、あんたらの役割は。
そのあとは、議席数激減または消滅。
しゃあないやん、自分らがやった人間使い捨ての、ブ一メランなだけやから。
動画検索→ガザ侵攻、イスラエルの侵略戦争がヤバい事に
アメリカの●●
なるほど政治解説
2025年9月28日日曜日
沖縄戦、貴重映像
またもや日本軍による沖縄住民虐殺の証拠。
そして、陥落した地域で、アメリカ兵に助けられたひとたち
など。
大変貴重な映像とお話が多くあります。
ぜひとも、ご覧下さい。
動画検索→
むかしむかしこの島で、沖縄テレビ2005年
反社アメリカ
アメリカには、こういう裏が、あったのか~ ようここまでやるわ。トランプ自身、●自分が死んだら天国に行けるか?瀬戸際だそうだ、だからロシアとウクライナの戦争をやめさせて、天国に行きたい!と言ってたが、バカじゃね~の、行けるわけ
ないやろが。しかも日本も、、、まあ自民党ですからね、
金のためなら何でもしやがる。でもまあほんまにそうなってもさ、日本が過去に中国に対してやった、ブ一メランだよな。。
動画検索→
イスラエル米国がヤバすぎる計画を開始、実は今日本が本気で侵略を仕掛けられ
アメリカ従属のきっかけは?
検索すると、ニュースの争点公式チャンネルの、英語の題目が出ます。下に日本語で非正規雇用のことが出ますが、中身に非正規雇用の話はないです。動画検索→対米従属80年、なぜ自民党はアメリカの言いなりなのか?
なぜ日本はアメリカに何も言えないのか?対米従属80年
シベリア抑留、僧侶編
日本兵は、ロシアでも住民大虐殺を行っていたんですね、、
この僧侶、頭が下がります。
日本のみんなの代表として頭を下げに行っていただき、
感謝します。
動画検索→忘れられた戦争、シベリア抑留の記憶、JNNドキュメンタリー
イスラエルがウクライナ支援
ややこしいことになってますね、 まあ、ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ人だからでしょう。
これ、ユダヤ富豪やアメリカの支援で、どんどん大きくなるかもよ?
しかしそのアメリカを、なんで日本国民が金で支援せなあかんのか?80兆円もだし、日本にある基地の金も。。
日本国民は、アメリカ人も食べさせなあかん。
いらん戦争なんかして負けたら、大きな負の財産が、戦後の日本人におおいかぶさる、いうこと。→ウクライナのゼレンスキー大統領は、今月行われたアメリカのトランプ大統領との会談で、アメリカからの大規模な兵器購入などについて議論したとしたうえで、実務者レベルでの協議を進めていくと明らかにしました。
ゼレンスキー大統領は、国連総会にあわせたアメリカ訪問を終え、27日、首都キーウで記者会見を行いました。
この中で、トランプ大統領との会談内容について言及し、「アメリカから兵器を購入する巨大なディールについて協議した」と述べ、アメリカから大量の兵器を調達するため、実務者レベルでの協議を進めていくと明らかにしました。
また、会談後にトランプ大統領がSNSで、ヨーロッパの支援があれば、ウクライナは占領された領土を奪還できるという見方を示したことについて、NHKの質問に答え、「ヨーロッパはロシアからの脅威を理解するべきで、ロシアからエネルギー資源を輸入し続けているとすれば奇妙だ」と述べ、ヨーロッパはロシアからのエネルギーの輸入を停止すべきだと強調しました。
これに関連して、ロシアからエネルギーの輸入を続けるスロバキアに対しては、「来月にも会談し、エネルギーの支援のために代替の手段を提示する予定だ」と述べました。
一方、ロシアのミサイルや無人機による攻撃が続くなか、追加の供与を求めている防空システム「パトリオット」については、イスラエルから1基が供与され、すでに運用を始めているとしたうえで、「秋に2基が供与される予定だ」と明らかにしました。
2025年9月27日土曜日
石破の国連演説
まず、日本が核兵器禁止条約に批准しない理由がここに書かれていますが、、、わたしはこんなバカ考えには納得しないですね。→
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(10月27日放送)にテレビ東京・政治部官邸キャップの篠原裕明が出演。日本が署名をしない方針を示した核兵器禁止条約について解説した。
加藤官房長官「核兵器禁止条約に署名しない方針に変わりはない」
核兵器禁止条約が2021年1月から発効されることについて、加藤官房長官は10月26日、臨時閣議後の記者会見で、核廃絶というゴールは共有しているとした上で、「わが国のアプローチとは異なるものであるから、署名は行わないという考えに変わりはない」と述べた。
飯田)いままでと変わりはないというところですか?
篠原)そうです。ただ、日本が世界で唯一の被爆国であるということを考えると、純粋な中学生や高校生の立場であれば、「なぜ日本はこの条約に参加しないのか?」という問いは出て来ると思います。
飯田)そうでしょうね。
核抑止論まで禁止されてしまうと、日本の安全保障政策の根幹が揺らいでしまう
篠原)それに一言で答えるなら、「この条約が核の保有だけではなく、“核を使うぞ”という脅しも禁止している」ということなのです。日本は皆さんもご存知の通り、アメリカの核の傘のなかにいる。もし日本に他国が悪さをして来れば、「そっちにアメリカの核が飛んで行くかも知れないよ」という構図のなかで、日本の安全保障が保たれているわけです。
飯田)ええ。
篠原)ですから、その条約が禁止している核抑止論、そこまで禁止されてしまうと、日本の安全保障政策の根幹が揺らいでしまうということです。でも、そこまで政府ははっきりと説明しないのです。昨日(26日)の加藤官房長官の会見の言葉を借りて述べますと、「現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、同時に地道に核軍縮を前進させる道筋を追求して行くことが適切だ。わが国のアプローチとは異なる。現状で核兵器保有国のみならず、非核兵器保有国からも必ずしも支持を得ている状況ではない」と。
飯田)そうですね。
批判を避けるためにわかりにくい言葉を使う加藤官房長官
篠原)加藤官房長官はわかりにくい言葉を使うのですが、要は「日本の現実の安全保障の脅威、北朝鮮などに対応する必要がまずあるのだ」と。「核軍縮を進める必要があるのはもちろんわかってはいるが、この条約は非核保有国からも、必ずしも支持を得ていませんよ」ということを言っているのです。でもこれは、実態を反映した言葉とは言えません。日本政府というのは、国際政治の実態に踏み込んだ説明をしたがりません。実際にすると批判されてしまうからです。例えば岸防衛大臣が25日に地元の山口で、「核保有国が乗れないような条約になっている部分について、有効性に疑問を感じる」と言った。これはまさに実態に即しているのです。「日本がお世話になっているアメリカのような核保有国が納得してくれないなら、日本は乗れないよ」と。でもこう言ってしまうと、やはり岸防衛大臣の発言には批判が集まってしまいました。正直に話すと批判されるので、建前で話さざるを得ない。核保有国の理解ではなくて、「非核保有国の理解が得られないから」というロジックになって行くのです。
飯田)そうですね、「核を持っていない、日本みたいな国で入っていない国もあるじゃないですか、だから入らなくていいのですよ」と、やんわりと言う感じ。
日本が核兵器禁止条約に署名できない2つの理由
2020年10月26日、会見を行う菅総理~出典:首相官邸ホーム。
批准している50ヵ国は力を持っていない国々なので、日本はまだ乗れない
篠原)それから50ヵ国の批准している国の内訳を見ますと、中南米、アフリカ、南太平洋諸国など、国際政治ではそれほど力を持っていない国々です。核兵器はアメリカとロシアで全体の9割を持っているわけですから、そういう意味では、国際政治のパワーバランスのなかで、この50ヵ国は大きな力は持っていない。だから日本はまだ乗れないというところですね。
飯田)ぶちまけて言ってしまうと、中南米やアフリカ、南太平洋諸国は、常時核の脅威にさらされているところではない。日本のように何百発もの核弾頭を積んだミサイルがこっちを向いている国とは違うんだよと。しかし、そこを前提として議論しないと、守って行けないのですよね。
以上。ですが、、
実際の理由は、核保有のアメリカの機嫌を損ねるわけにはいかない。
日本には不平等条約に等しい日米地位協定がある。
そして日本の政治はアメリカに支配されている。
アメリカが日本に、「核兵器禁止条約に批准することはならん」
と言うので、無理なんですよ~。
しかも、政府と国民の一部には、「アメリカさんに守ってほしいです」
という人がいるので、仕方ないんです。 たから批准は
しません。。。
が、本当のところでしょう。
核禁止条約に批准しないについても
石破の演説にあります。
一昨日のニュース、
石破が国連で演説。
長々と、、、
一番大事な部分、核について、
わたしからすると、ボロボロ。
ほかにいい部分があれど、一番大事な部分がこれじゃあ、
いい部分も大マイナスに‥
そして、核を完全否定しないできない石破自民党はやっぱり最悪なので、
動画にコメントを→一見立派なこと、いうてるみたいに見えるが、?精神分裂じゃねーの?
ま、アメリカにこび売りまくりの自民党ですからね、アメリカがやることに
口は出せない恥知らず。
①
核兵器禁止条約は、条約に参加する国々が核兵器を開発、実験、生産、移転、保有、備蓄、使用または使用の威嚇(おどし)、他国の核兵器を自国の領土に配備させることも禁止しています。 また、核兵器を保有していない国が、他国による核兵器保有や使用の、援助·支援に関わることなどもすべて禁じられています。
②アメリカによる核を含む拡大抑止は、我が国にとって必要だと。
この2点について、あんた、広島長崎のことを、こんなふうに被害ぶって言える立場と違うやろが。
最後に、アジアにもたらした加害っぽいことを少し言うたが、、
はっきりと、加害といえー
そして、原爆も、わが国における侵略戦争がもたらした結果だと、いえ。
国際連盟における日本の立場を利用して東南アジア諸国を植民地にした日本。
国際連盟、国際連合を批判はしてもちろんいいが、日本が国際連盟における立場を利用したことも、
ちゃんと言うた上で、批判せよ。
だいたいから、
核抑止を正当化しといて、核の無い世界を!いうのが,
精神分裂そのもの。
こんな大切な部分でダメ男やから、
「消費税は守り抜く」
なんてバカを言う。
こんなが日本の総理やでな、
つぶれろ自民党。
以上が動画に残したコメント。
では、動画をどうぞ(何度も「議長!」言わんでええやろ、
議長でなく、全世界にむけての演説やでな、)
動画検索
→
ノ一カット、石破総理が国連で演説、分断と対立に並々ならぬ
パレスチナ国家承認質問、国会
パレスチナ承認問題と、日本国民の80兆円をアメリカへ、投資という名の、おそらく帰ってこない寄付に関して、、
はっきりもの言うてますね、日本共産党、田村貴昭議員による国会質問。
大臣の返答は、●パレスチナ国家承認をするしないの問題ではなく、いつするか?
。。と、ほざけたことをいうとります。
だいたい●いつするか?イコールするいうてると同じ。
ならはっきりと、●するのはするが、今すぐ出来ない。。
いえばいいわけ。共同通信がこんなことで嘘を書く理由がないんやから、アメリカから●承認するな!。。言われてるから
しない、それをそのまま言えない。 だから、●するしないの問題ではない。いつするかの問題。。
などと、質問に対する回答の焦点をぼかす作戦。
わけのわからんパ一チクリンの言い回しをする。
気味が悪い。あんたなんかいらんねん、
つぶれろ自民党。
動画検索
→パレスチナ国家承認に対する日本の態度について他、2025.9.19
日本が戦争をした理由
まず。日本共産党はずっと戦争に反対してきました。
そして、先の参院選にて、一つの部分で立憲民主党と
手を組みました。これはいいことだと。
軍事拡大なんてことを主張する党とはもちろん組めないですが、そういう、一番大事な部分がある程度一致するならば
他の面で野党同士手を組むのは、大変良いと。
自民公明を打ちのめす近道かと。
れいわに伊勢崎氏が入りました。
伊勢崎氏は戦争地域を和解させた実力を持つ人、なのですが、、
党の記者会見にて、
●憲法9条を抱いて拝んでいるような党から憲法9条を取り戻す。。
と、言ってしまったのですね。
アレを聞いて、とても残念でしたね。
伊勢崎氏がいうその党とは、共産党のこと…
いや、今の時点で共産党と闘ってどうするの、
闘うべきは軍事拡大の党でしょ?
共産党は戦時中も反戦運動してきたし
。
それよりも、反戦の部分で一致なら、その部分だけでも
共産党と手を組めばいいのに、と。
れいわ山本代表は、
街頭演説で
●レイワの政策の中で一つでもいいなと思うことがあれば、
レイワを応援してください。。
と、言ってるけど、
この伊勢崎氏の言動は、真逆だよね、と。
もちろん山本代表は事前にこの発言の発表を知っていたはずですから、まあ、山本代表自身が、つじつま合わないということに。
で、
まず共産党と立憲民主党が何で手を組んだか?
次に立憲民主党議員の動画を。
→立憲と共産が選挙協力で合意 共産・田村氏「非常に大きな意義」
2025/6/20 5:00
立憲民主党の野田佳彦代表と共産党の田村智子委員長は19日夜、国会内で会談し、7月の参院選で焦点となる全国32の「1人区」で候補者調整を進めていくことで合意した。会談後、田村氏が記者団に明らかにした。
田村氏によると、参院選に向けて野田氏は「与党の議席を減らし、連携して力あわせをしたい」と表明。両党が掲げている消費税減税や企業・団体献金の禁止を進めていくことなどを確認し、選挙協力を進めることで一致した。対象となる具体的な選挙区については今後、両党で詰めるという。
田村氏は記者団に「共闘の意思の確認。そして政策の一致について、党首会談で合意できたことは非常に大きな意義がある」と説明した。
以上。
そして、大切な内容の動画を。
結局は、保守、保身、全てこの感覚にうちのめされた結果だと。
保守がためにうそを、ひろめ、
金を囲うために戦争をした。
軍費7割、これは、軍部あんたらの金じゃない。
国民の金だ。
自分らの見栄のために戦争を開始し、
絶対勝つとだまされた国民が戦争を押す。
いや、国民もバカでしょ、 勝つ戦争ならやっていいと ほとんどの人が思ったなんて。
勝つイコール、
相手国より日本が
殺した数が多い言うこと。
もっと殺せもっと殺せとよろこんでるいう事。
そんでもって、終戦で身内死んだら悲しいとか、、、
バカ極まりない。
全部ブ一メラン。
ただ、わたしは、戦時中お腹にいた赤ちゃんからお年寄りまで、
戦争お疲れ様でした、とは思う。
自分ならあんな時代、耐えられない。
だから、若い世代がお年寄りに金配りすぎとか言う人間いるが、
わたしは、あれは,
●戦争お疲れ様代、と。
自分の祖父母なんかは、明治産まれで年金かけてない時代でも
年金もらえた、が
、それも戦争体験お疲れ様。
平成令和生まれとかは、
産まれる前からなんでも揃い、
苦労しない人が多かった。 しかし
今仕事が不安定イコールお金で不安定な人多い。
わたしも決して安定してないですが。
だからね、
高齢者が優遇されすぎとか、
そんなん違うわけ。、
戦うならまず、
政治に目を向けて、
国民の金の使われ方、、
政府と戦え!
弱いもんイジメをやるな!ってこと。
なんか、、弱いもんイジメみたいなこと、やってる人間ほど、
政府に洗脳されやすい気が、するんよね、、,
この動画で「空気」という言葉が何度も出ます。
結局はコントロール、なんですよね。
自分で自分をコントロール出来ない人間ほど、
周りの空気にコントロールされるイコール支配される。
早く言えば、流される!ってこと。
みなが皆,流されて結局、戦争へと。
バカみたいですが、これが過去に起こった現実。
支配になびかない、支配にこびない、 強い信念が大事。
動画検索→戦後80年、教訓は何か?
なぜ勝てない戦争を始めたのか、長妻昭
狂鬼のイスラエル首相
国連にて→イスラエルのネタニヤフ首相は国連総会で演説し、パレスチナを国家承認する国際社会の動きを「狂気の沙汰だ」と非難し、パレスチナ国家の樹立を否定する考えを強調しました。
ニューヨークの国連本部では26日、イスラエルのネタニヤフ首相が一般討論演説を行いました。
ネタニヤフ首相が登壇すると、複数の国の代表団がガザ地区への攻撃に抗議して議場から退席しました。
演説でネタニヤフ首相はガザ地区への攻撃について「イスラム組織ハマスの残党がガザ市に残っている。イスラエルはやりとげなければならない」と述べて、ガザ市の制圧に向けた作戦を続ける姿勢を強調しました。
また、イスラエルが意図的に民間人を標的にしたり、ガザの住民を飢えさせたりしていると非難されていることについて「なんという冗談だ」と否定しました。
そして、フランスやイギリスなど各国が相次いでパレスチナを国家として承認したことについて「イスラエルで虐殺を行った狂信的な人々に、究極の報酬を与えるものだ。狂気の沙汰だ」と非難し、パレスチナ国家の樹立を否定する考えを強調しました。
ことし6月にアメリカとともに核施設を攻撃したイランについては「イスラエルや文明世界にとっての脅威を排除したが、核兵器の製造能力を再建させてはならない。国連による制裁を復活させるべきだ」と主張しました。
イスラエルへの抗議デモも
ネタニヤフ首相が国連本部で演説を行った26日、ニューヨークでは、ガザ地区に対するイスラエルの攻撃に抗議するデモが行われました。
中心部のタイムズスクエアの近くに集まった参加者は「ガザを飢えさせるな」とか「虐殺をやめろ」と書かれたプラカードなどを手に、国連本部に向けて行進しました。
そして国連本部近くの広場に着くと、「パレスチナを解放せよ」などと訴えていました。
行進の途中、イスラエルの国旗を持った人たちもいて「私たちを殺すな」と叫ぶデモの参加者に対して、「手を出したのはあなたたちだ」などと言い返し口論になっていました。
30代の参加者は、ネタニヤフ首相がICC=国際刑事裁判所から戦争犯罪や人道に対する犯罪の疑いで逮捕状を出されていることから「ネタニヤフ首相にはここで歓迎されていないとわからせるべきだ。逮捕されるべきだ」と話していました。
ユダヤ系アメリカ人の弁護士の参加者は「アメリカは安全保障理事会で直接的な責任を負っている。アメリカの拒否権で停戦決議が何度も何度も阻止されたのはおかしい」と批判していました。
2025年9月26日金曜日
洗脳を見破る
親、教師、あるいは友達、夫や妻、子供も、、、
自分を洗脳に導く関係性の中身ですね。
洗脳してくるイコール支配ですからね。
支配されていることに気付けないと、
依存を生んでしまいます、
で、精神的自立をはばむことにつながる。これらの関係における問題点に気付いて
きっちりと査定できることが、ひいては国や自治体からの洗脳を見抜くはじめの一歩になると思いますね。
それが自分の命を守ることにつながると。
動画検索→
戦争を知る、集団自決、運命を分けた2つのガマ、日テレ
ロボット事故
人間を襲うロボット事故、
こんなしてまで必要かね?
日本企業製造ロボットが事故多発。
それでもまだ、やるのかね?
命の軽視だな→米電気自動車(EV)大手テスラの工場で勤務していた技術者が、暴走したロボットに襲われ重傷を負ったとして、テスラとロボット製造元の日本企業ファナックを相手取り総額5,100万ドル(約75億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。
23日(現地時間)、英紙『インディペンデント』が伝えたところによると、原告のピーター・ヒンタードブラー氏はカリフォルニア州フリーモント工場で勤務中、制御不能に陥ったロボットが突然、自身に衝突し重傷を負わせたと主張している。
訴状によると、ヒンタードブラー氏は当時、モデル3の生産ラインで本来の配置から移されたロボットを解体する作業を手伝っていた。エンジニアが内部部品にアクセスするため、ロボット下部のモーターを取り外そうとした際、ロボットアームが突然強い力で外れ、約3,400kgのカウンターウェイトの重みが加わったことで強烈な衝撃を受けたという。同氏はその衝撃で倒れ込み、意識を失うなどの重傷を負った。
訴状に添付された損害賠償請求書によれば、2023年7月22日の事故以降、すでに約100万ドル(約1億5,000万円)の治療費を支出しており、今後少なくとも600万ドル(約9億円)の追加費用が発生すると見込まれている。
さらに、身体的苦痛や生活上の不便に対する補償として2,000万ドル(約30億円)、精神的苦痛に対する補償として1,000万ドル(約15億円)を盛り込み、総額5,100万ドル(約75億円)の賠償を請求している。原告側弁護士は、この金額は変更される可能性があるとしている。
ヒンタードブラー氏はテスラだけでなく、ロボット製造元のファナックに対しても訴訟を提起している。事件はすでに米カリフォルニア州北部地区のオークランド連邦地裁に移送され、審理が進められている。
テスラの工場でロボットが従業員に怪我を負わせたのは今回が初めてではない。2021年にはテキサス州オースティンのギガファクトリーで、エンジニアがロボットに壁へ押し付けられ、背中や腕を金属のつかみ具で突かれる事故が起きた。被害者は必死に逃れようとしたもののかなわず、同僚が非常停止ボタンを押してようやく救出された。現場は血に染まるほどの重傷だったとされる。
また、ファナックも過去にロボット事故で訴訟を起こされた前例がある。2015年には米ミシガン州の自動車部品工場で、同社製ロボットに巻き込まれた整備エンジニアが頭蓋骨骨折で死亡する事故が発生している。
ヒンタードブラー氏は今回の件について、テスラがロボットを本来の指定区域外に配置していたと主張している。また、繰り返し要求したにもかかわらず、事故当時の映像提供を拒否されたと訴えている。現時点でテスラおよびファナックはいずれも、この件に関する公式なコメントを発表していない
2025年9月24日水曜日
イスラエル、ユダヤ人
単に金稼ぎだけでは、一つも良い方向に行かない、ということに気づく人が増えるため、起こっているのではないでしょうか?
一体なんのために人間やってるのか?
ただ息して生存しているだけの人間が、いかに多いのか?動画検索→
伊藤✕吉野敏明対談、イスラエルの定義と歴史から見る腐敗
2025年9月23日火曜日
イスラエルとパレスチナ
中東地域になぜ争いが多いか?
長くない動画ですので、2本連続で見たほうが、
わかりやすいです。
一本め動画検索→ゼロからわかる中東問題①19世紀イギリスと欧州金融資本の
二本め動画検索→ゼロからわかる中東問題②イギリス帝国主義と民族紛争に
パレスチナを国家承認へ
まず首相官邸に意見
→分野、
外交・安全保障
テーマ、
パレスチナ国家承認
ご意見・ご感想、
政府自民党はアメリカ金魚のフンをいつまでやるつもりだ?
アメリカのいうことを聞いてパレスチナを国家承認しないのは、完全な弱いものイジメだ。
いつまでもアメリカ金魚のフンをつづける
自民党などいらん。
くたばれ自民党。
つぶれろ自民党。
即刻パレスチナを国家承認せよ。
年齢
無回答
メールアドレス
無回答
以上。
そして
昨日のニュース→パレスチナの国家承認めぐり 駐日代表部が日本政府に対し訴え
2025年9月22日 18時39分
パレスチナの国家承認をめぐり日本政府が国連総会のタイミングでの承認を見送る方針を示したことについて、パレスチナ暫定自治政府の駐日代表部の代表は「被害者の側に立ち、パレスチナ国家を承認してほしい」と述べ、日本政府に対し国家として承認するよう訴えました。
パレスチナをめぐっては、21日、イギリスやカナダなど4か国が相次いで国家として承認しましたが、日本政府は、今回の国連総会でのタイミングでの国家承認を見送る方針を明らかにしています。
パレスチナ暫定自治政府の駐日代表部のシアム代表は22日都内で記者会見を開き、「日本政府と日本国民に直接訴える。被害者の側に立ってほしい。パレスチナ国家を承認するのは今がその時だ」と述べ、国家として承認するよう訴えました。
また、イスラエルが、パレスチナの国家承認はイスラム組織ハマスへの報酬になると強く反発していることについて、シアム代表は「国家承認はすべてのパレスチナ人の当然の権利だ。ハマスを言い訳に使うのは説得力がない」と反論しました。
そのうえでシアム代表は、「ハマスは武装解除することになる。ガザ地区だけでなく、パレスチナ全域で武装組織として存在することはない。パレスチナの国家に参加したいなら政治団体として参加すべきだ」と述べました。
“約10か国が新たに承認の可能性 2国家共存会議に合わせ”
パレスチナ外務省によりますと、国連加盟国のうち、これまでにパレスチナを国家として承認しているのはおよそ150か国にのぼります。
21日にはイギリス、カナダ、オーストラリア、ポルトガルが相次いでパレスチナを国家として承認しました。
G7=主要7か国では、イギリスとカナダが初めての承認となります。
また、ニューヨークの国連本部で22日に開かれる、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」に関する会議の共同議長国を務めるフランスも国家承認をする方針を明らかにしています。
ガザ地区で人道危機が深刻化するなか、速やかな停戦と長期的な和平に向けて国際的な機運を高めるとともに、イスラエルに圧力をかけるねらいがあると見られます。
パレスチナのマンスール国連大使は、2国家共存の会議に合わせておよそ10か国が新たにパレスチナを国家承認する可能性があるとの見通しを示しています。
一方で、ドイツのメルツ首相は「国家承認は2国家共存に向けた最後のステップだ」と述べ、慎重な姿勢を示しています。
また、日本の岩屋外務大臣は今回の国連総会のタイミングでは国家承認を見送る方針を示したうえで、イスラエルの今後の対応次第ではパレスチナの国家承認やイスラエルへの制裁を含めて検討する考えを示しました。
2025年9月22日月曜日
イスラエル、第三次世界大戦
参政党が支援しているイスラエル。動画
左側吉野氏は、参政党神谷から、「賞味期限切れ」と言われて
参政党をやめた人物で、政党をたちあげましたが、先の参議院選挙で当選者を出すことはできなかった。
選挙後の動画で、「神谷さんに賞味期限切れと言われましたが、その通り」と涙目で言ってました。
神谷はゲスト出演した動画で、司会者からその発言を問われ、
「言ってません、そういう言い方はしないです」と。
神谷は武田邦彦氏のことを、党内で「認知症」だと広めた。
参政党を大きくしたのは、この二人の力も大きいが、神谷は、
ワンマンになり、二人を使い捨て。
その参政党を支えているのが宗教団体「キリストの幕屋」。
イスラエルがガザに落とす爆弾に「イスラエルに栄光あれ」
のサインをしに日本から。
イスラエルに武器など支援しているのがアメリカ。
アメリカの金魚のフンの日本は、
世界大戦なれば、どうするんでしょうね?
イスラエル、ヒトラーにやられた同じことを、やってますね、
これじゃナチスを批判できるわけ、ないじゃん。
動画検索⇛イスラエル、これが第三次世界大戦の全貌です、すでに臨戦態勢に
天皇神格化、一体なぜ?
天皇を神のようにあがめる日本、
一体なぜそのようになったのか?
天皇に権力を持たせたために、
国民は戦争へと突き進んだ。
明治維新の薩摩、長州が関連したようです。
→
【天皇機関説問題1】なぜ天皇は神格化されたのか
大正時代~昭和時代(戦前)
今回のテーマは「【天皇機関説問題1】なぜ天皇は神格化されたのか」というお話です。
明治時代に発布された大日本帝国憲法では、「主権は天皇にあり」とされていました。つまり、天皇が国の主人であり、国民はその従者(臣民)に過ぎないということです。
しかし、明治天皇や大正天皇の時代では、それほど神格化されていたわけではなく、極端な神格化が始まるのは昭和に入ってからでした。
そのきっかけとなったのが、1935(昭和10)年2月に起こった「天皇機関説問題」です。
法学者で貴族院議員だった美濃部達吉が自身の学説「天皇機関説」をめぐって、国会で追及を受けた事件です。天皇機関説に対抗した思想は天皇主権説と呼ばれるもので、昭和初期の大日本帝国時代の日本には、憲法と天皇の関係について「天皇機関説」と「天皇主権説」の2つの考えが存在するようになりました。
そして、この争いは、天皇主権説が勝利し、思想面での弾圧がはじまりました。
なぜ、天皇は神格化されたのでしょうか。そして、そのきっかけとなった天皇機関説問題はなぜ起きたのでしょうか。今回はそれを探っていきたいと思います。
大日本帝国憲法が発布された当初は、天皇主権説が主流でした。しかし、西欧列強の議会制度や立憲主義の研究が日本で進むにつれ、主権説では憲法との整合性に不一致が生じることが判明。そのため、大正時代から昭和初期までに、天皇機関説が誕生。以後、日本の政界や学術分野での主流となりました。
近代日本における天皇の神格化は明治維新から始まります。
戊辰戦争で江戸幕府が倒れて、伊藤博文らを指導者とする明治政府が出来た時、彼らは自分たちが日本全体の統治者としての正当性を著しく欠いていることを自覚していました。
つまり、明治新政府の最大の課題とは「どうやって国民をまとめるか」ということでした。
しかも、徳川幕府は250年も続いた長期政権です。
いくら戊辰戦争に勝利したとはいえ、「徳川の時代が終わり、明治になった。だから、我々に従いなさい」といっても、そう簡単に国民は納得しません。
明治新政府の要職は、かつての長州(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)の出身者によって独占されましたが、工夫のない支配体制を続けていれば、やがて他の藩の出身者から不満が噴出することが予想されました。
実際、明治維新の直後には「江戸時代の体制に戻してくれ」という一揆も各地で起こっています。
国民に明治新政権の権威を認めさせるには、徳川という「お上」の存在を完全に打ち消す必要がありました。
そこで、明治新政府が着目したのが天皇という存在でした。
全ての日本国民に「国の進路を正しい方向へと導く、絶対的に偉い存在」として天皇を尊敬するよう求め、自分達は、そんな崇高な天皇を脇で支える「しもべ」であるとの構図を創り出すことを決めました。
伊藤らは、ヨーロッパの君主国を手本にしながら、明治天皇を日本の「民衆の心をとらえる全国レベルの指導者」として担ぎだすことで、近代国家としてスタートを切りました。
そして伊藤の思惑とおり、明治天皇と大正天皇の時代において、こうした形式での政治システムは、ヨーロッパの君主国と同様に機能しました。様々な分野で国の近代欧米列強の潮流であった「帝国主義」の価値判断に日本も同調しました。
また、明治時代の1889年に制定された「大日本帝国憲法」は、西洋の立憲主義(憲法という枠組みで国家指導者の権力行使の範囲を規定する考え方)に基づき、日本を当時の近代国家の仲間入りをさせる上で、重要な役割を担っていました。
しかし、明治時代の日本人はここで、大きな問題に直面しました。
自国の君主を「神の子孫」と見なす絶対王政のような政治システムは、西欧ではすでに「時代遅れの政治システム」として排除されており、日本は、天皇と「立憲主義」を論理的に整合させるための新たな工夫が必要になったのです。
そこで、現れた思想が天皇機関説でした。
「天皇機関説」とは簡単に言えば、国家を法人と捉えて、国会や裁判所、内閣、そして天皇はその法人を構成する機関に過ぎないのだとする考えです。
つまり、天皇とは神のような絶対的な存在ではなく、あくまで憲法上の地位のひとつであり、天皇は独断で政治を行うことは出来ず、その憲法に拘束されるとしました。
この思想は当時としては非常に画期的な考えで、大正末までには、ごくまっとうな学説とされ、昭和初期までの知識人の理論的支柱となっていました。
ところが、1935(昭和10)年になって突然「天皇を一機関とするのは、不敬である、謀叛である」などと痛烈に批判されるようになりました。
なぜでしょうか。
昭和初期、世界恐慌などの影響で大不況に陥りました。
それにも関わらず、政党内閣は具体的な政策を行わず、汚職を繰り返す政治腐敗が露わになりました。
その結果、政党政治や政党内閣制に対する不信感が高まり、たがて、政党政治の理論的支柱であった民本主義や天皇機関説が軍部や右翼団体を中心に否定されるようになったのです。
すると、国内では「昭和維新」を掲げて改革運動が起こるようになりました。
この運動は「かつての明治維新の精神に立ち返り、天皇中心の国家をつくろう」というもので、その過程で「天皇は絶対的な存在で、だれの輔弼(ほひつ)を受けなくても統治権を行使できる」と見なされるようになりました。
(輔弼・・・・天子・君主などが政治を行うのを、たすけること。また、その任にあたる人。)
そこで出てきた思想が「天皇主権説」です。
天皇主権説は、美濃部が提唱した「天皇機関説」の逆を行く思想でした。
天皇主権説では、天皇は神の子孫であり、現人神(あらひとがみ)である天皇は、憲法のような「人工的な枠組み」に囚われることなく、超越的に統治を持つのだという考えです。
つまり、大日本帝国憲法のような立憲体制を否定し、天皇による絶対王政のような政治システムを支持する考え方なのです。
天皇主権説を支持する国粋主義者は、天皇を絶対的な権威や神聖性にこだわっており、彼らとって、現人神(あらひとがみ)とされる天皇の存在を機関という無機質かつ通俗的な言葉で言い表す天皇主権説に対し、強い不快感を感じていました。
これによって起きたのが天皇機関説問題です。
ことの発端は、1935(昭和10)年2月18日の貴族院本会議で、菊池武夫(きくちたけお)議員が、東京帝国大学法学部名誉教授も務める美濃部達吉議員に対し、「天皇機関説」について質問したことから始まりました。
会議では、美濃部は自身の天皇機関説に基づいて以下のように主張しました。
「国家とは1つの法人であります。その中で、天皇は統治権を行使する1つの機関であります。」
つまり、天皇とは神のような絶対的な存在ではなく、あくまで憲法上の地位のひとつであり、天皇は独断で政治を行うことは出来ず、その憲法に拘束されるとしました。
これに対して菊池は反論します。
「日本は天皇あっての国家であります。国土・国民を治める権利は国家ではなく、天皇にあります。天皇機関説など存在しません。」
その後も、貴族院では美濃部への批判は繰り返されるようになりました。
これに飛びついたのが、立憲政友会や軍部、右翼の諸団体でした。
当時の議会には、天皇機関説を支持する議員も多くいました。
そこで、政友会や軍部は、彼らを不敬であると攻撃することで、失職に追い込むことが出来れば、政治の実権を握ることが出来ると考えていました。つまり、貴族院で発生きた問題が衆議院にも飛び火し、天皇の権威を政争に利用するようになったのです。
右翼団体や在郷軍人会も、美濃部の自宅に抗議の手紙を山ほど送りつけました。
「美濃部は国賊だ!死刑に処する!」
他にも各地で署名活動や宣伝活動を行うことで、たくみに国民感情をあおりました。
こうした政友会や軍部の圧力に、貴族院議員は屈し、遂に満場一致で天皇機関説を否定することを正式に決めました。
「政府は崇高無比なる我が国体と相容れざる言説に対し、直ちに断固たる措置をとるべし」
争いは天皇主権説の勝利に終わったのです。
同年、政府は、「国体明徴声明」を出し、天皇機関説を正式に否定することを発表。天皇は機関ではなく、国の中心であることを宣言した。
実は、昭和天皇は、自身の神格化を快く思っていませんでした。天皇機関説が問題となった頃、昭和天皇は鈴木侍従長に次のように語っています。
「美濃部の考えは少し行き過ぎたところがあるかもしれない。しかし、決して悪いこととは思わない。」
昭和天皇の願いとは天皇制を原則とした立憲体制の維持でした。美濃部の主張はそんな立憲体制の維持において重要な理論的支柱だったのです。
侍従武官長を務めた陸軍大将の本庄繁の日記には、政府が「国体明徴声明」を出した際、天皇は「安心できない」として軍部に強い不快感を露わにしたという記述がありました。
また、昭和天皇は、昭和維新の典型的な事件ともいえる二・二六事件に対して強い不快感を示していました。
二・二六事件の首謀者である陸軍の若手士官らは自らを「尊王の志士」だと思っていました。
しかし、昭和天皇は彼らをあくまで反乱軍としかみなしませんでした。さらに、陸軍の幹部が彼らの鎮圧を躊躇するとこう言いました。
「君たちが鎮圧しないならば、自分が近衛兵を率いて鎮圧に向かう」
そこまで昭和天皇の不快感を強いものだったのです。
2025年9月21日日曜日
活動者に感謝
まずは→ハルビン(中国黒竜江省)=藤村広平、北京=田島如生】旧日本軍の関東軍防疫給水部(731部隊)を描いた映画「731」の上映が18日、中国で始まった。満州事変の発端となった柳条湖事件の起きた日である9月18日にあわせて全国公開した。興行収入はすでに3億元(約60億円)を超えた。
映画は旧満州(現中国東北部)の黒竜江省ハルビンを拠点に戦時中、細菌兵器を開発したとされる731部隊を題材にしている。...
以上。
知らない世代に事実を知らせる、まずは事実を知りそして戦争というものをどう捉えるのか?
それが自分自身と向き合うことになるから。
そして、この活動をされている方、ですね、、
叔父はなぜ死んだのだろう?と思っていたから宇宙が答えをくれた。めぐり合わせ。
読み物で叔父の名を見たのは、偶然ではなかった。
知りたいという疑問が引き寄せた、
過去と向き合い、自身にできる精一杯をしてはる。
ありがとう、頭が下がります。
そして、中国人に、ごめんなさい。
日本でも、加害含めた映画、やるべきよね、
子どもたちにも、知らせるために。
そうすることで、ようやく、
●アメリカに守ってほしいから基地賛成。 なんて人、へるん違うかな?
ネットでいくらでも学べるんやが、自ら学ぶ気無い人らは、
映画宣伝とか耳にしな、
気づかんままと、思うから。
動画検索→動画、戦後80年、ただ御国のために、叔父はなぜ虐殺を、親族の葛藤
政府は反社カツアゲ
やはりそうでしたね、、
動画のなかで、安倍の本の中身の、「財務省だけは思い通りにならない」は、?ですね。
その財務省を身勝手につこてしかも刑事事件も逃れさせた
のが森友事件、安倍やん。
ほんまなら安倍も財務省らも逮捕やから。
あべ、あんたが
いうか?それとも、そう書いといたら、森友事件では、自分が
財務省にどうこうさせてないですよ~の、ポーズなのか?
しかしやはり国は、反社会勢力で、国民は毎日24時間国から
カツアゲされとる、生きとるだけでカツアゲされとる、
いうこってす。動画検索→
訃報、森永卓郎、地上波では絶対に流せない、死ぬ前に政府の本当
2025年9月20日土曜日
戦争をあおる洗脳
結局は国民がどれだけ賢いかそうでないか、、。
戦争すれば景気がよくなるだとか、
政府が理由付けた軍需拡張論を、どれだけ覚めた眼で見ることができるか?政府の先導に乗らない!ということが大切です
。
北朝鮮の脅威をあおったり、台湾有事の不安をあおり、軍需拡大が必要と、今も国民を煽り続けています。
バカじゃなかろか?と思いますが、
悪い意味で素直な国民が多くいる、あおられるから、
政府は、あおる戦法は効果があると、続けるのです。
二年前くらいですね、地域の放送で、頻繁にありました。
アラ一トが。
「北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射しました』
と。
一度は、夜明け前の四時前後にありました。
県庁に電話で
●こんな時間、みな寝とるわ。
起きて寝られへんかって、寝不足で交通事故したら、
あんたら責任取れるんか?
みな仕事行くのに。
北朝鮮の驚異あおって戦争必要みたいに洗脳して。、、
担当は、●くにがやってることなので、勝手にやめられないん
ですよ。、、
と、言ってましたが、、
でもそのあとあまり聞かなくなりましたね。
本州ではどうなのか?知らないですが。
あと、この動画で、
●植民地を取るための戦争で死んだ人もいるので、そういうことを言われると簡単に権益(植民地)を手放す方向にむかなかった、みたいな話が出て、司会者が、そうですね、自分の身内がそれで死んだならと思うとその気持ちわかる、と言ってますが、、
わたしは●でも敵国にも死んだ人はいるんですよ、それに植民地は
どこの国も支配していいことではない、だからそんな言葉によって権益を手放せないのは、
おかしいと思いますけどね、まあ、当時いや当時だけでなく今も日本国民の多くが政府に洗脳されていますがね。。
と、言って欲しかったですけどね。
動画検索→日本の「昭和の軍部」はなぜ暴走したのか?軍事史の専門家
2025年9月19日金曜日
岸信介とアヘン
日本がアメリカ金魚のフンと成り下がった原点ですね、やはり
今の政治を見るにはそこから始めねばなりません。
その前に、こんなこともあったということをまず→2006年7月20日(木)「しんぶん赤旗」
自民にCIA資金
50年代後半~60年代の初め
米外交史料が刊行。
自民党など親米政治家らに対し、米中央情報局(CIA)が一九五〇年代後半から六〇年代初めにかけて秘密資金を提供していたことを記載している外交史料を十八日、米国務省が刊行しました。
自民党と同党議員への秘密資金援助は、九四年十月に元米外交官の証言を基にニューヨーク・タイムズ紙が暴露。本紙も当時、元駐日大使が米国務省に送った秘密書簡で、「岸(信介元首相)の弟の佐藤栄作(元首相)が共産主義者とのたたかいでわれわれに財政援助をせがんでいる」と述べていたことを報じました。
今回発刊された『米国の外交』第二十九巻第二部によると、アイゼンハワー政権は、日本への政治的影響力を強めるため、五八年五月の衆院選挙前に、少数の親米的、保守的な政治家に一定の秘密資金援助や選挙のアドバイスを提供することをCIAに許可し、この資金援助計画はその後の選挙運動を通じ六〇年代まで続けられました。
また、同政権が五九年から親米派や「信頼できる」野党勢力を伸ばすために、左派勢力の分断を狙った秘密資金援助計画をCIAに許可していたことも明らかにしています。
これらの資金援助は、ジョンソン政権によって必要ないと判断されたことや、露呈した場合のリスクに見合わないことなどを理由に、六四年に段階的に廃止されたとしています。
以上。
そしてですね、、
今の日本の政治の原点と、なってしまったのが、、、
最後の文章で検索すると、表題「
長州満洲自民党、金、麻薬の裏歴史」の動画がでます。
それをご覧下さい。
動画最後に中曽根、安倍の名が出て、イヤな気はしましたが。
あと、まんなか当たりに、先日あげた「国家機密費」が出てきますが、、
どうぞ
検索動画⇛総集編、アヘンマネ一を辿るとつながる近現代史の全貌とは
2025年9月18日木曜日
アメリカは日本国民からカツアゲ
コレですね→アメリカ・ホワイトハウスは、トランプ大統領がさきの日米合意に基づき、自動車などへの25%の追加関税を従来の税率とあわせて15%に引き下げることなどを盛り込んだ大統領令に署名したと発表しました。
これに続き、ワシントンを訪問している赤澤経済再生担当大臣は、日本時間の午前6時すぎにアメリカ商務省に入りました。
そして、日本時間の午前7時すぎにラトニック商務長官とともに、日米で合意した日本からの投資に関する文書に署名し、握手を交わしました。
以上。
ほんま気持ち悪いですわ~
ちょびっとの。しかも自動車関税だけの件で、トランプは
バカデカイ土産をゲット。
ろくな死にかたせんでなあ、トランプも日本首脳も。
こんなやり方、わざとバーン!と関税あげといて、
●ホレ、下げて欲しけりゃ言うこと聞け!
でバカ日本政府が、言われるままに。。
日本政府が国民からカツアゲした金を、勝手にアメリカに。
こんなもん、トランプが,
●焦げ付いて無くても焦げ付いた!いうて返さんの、十分考えられますやん、
トランプが何につこたかさえ、日本には知らされへんのやから。
国家機密費と一緒。
日本政府が国民からカツアゲした金をアメリカが巻き上げる。
まあ、アメリカがヤクザの親分で、日本政府はチンピラ。
日本国民は、チンピラにカツアゲされる、しかも税という 悪法にしばられて、、
アメリカが金魚で日本国民は金魚が食べるエサ。
そして日本政府は、金魚がエサ食べた後に出すフン、、
共産党大門議員の国会質問です。
動画検索→対米80兆円投資、国民負担につながる、米トランプ関税問題
イスラエル
アラブ人たちが住んでいたパレスチナを、国連が国家と認めないまま、1947年に、パレスチナの地にユダヤ人の国家を作らせてあげよう!と、勝手に決めてしまったのは、国連の大きなミスというか、これにもアメリカの強い力が動いたのではないでしょうかね~?
国家でないから奪っちゃえ!みたいな。
実質当時イギリスがパレスチナを統治していたので、裏でイギリスとアメリカの話があったのかも?
でないと、こんなことにならないでしょう。
しかしイギリスはここにきて、パレスチナを国家と承認しましたね。→
24年5月28日、スペイン、アイルランド、ノルウェーは、和平を促すことを狙い正式にパレスチナ国を国家として承認した。主要7カ国(G7)でパレスチナを国家承認する方針を示したのは、今年7月24日のフランス、同29日の英国に続き3カ国目。カナダは承認の「意向」を実行する前提として、「自治政府の根本的改革」「26年にイスラム組織ハマスが全く関与しない選挙を実施すること」「パレスチナ国家の非軍事化」などの要求を掲げた。カーニー氏は30日に自治政府のアッバス議長と話し、これらの点について自治政府が履行する意向を確認したという。以上。
で、日本はというと、、
昨日夕方ラジオで聞きました。
●アメリカに配慮した形です。と。
そうやはり日本はアメリカ金魚のフン。
そう日本の首脳は、フン!なのです。
朝日新聞
→日本政府は、パレスチナを国家として承認することを当面、見送る方向で最終調整に入った。国家承認がパレスチナ情勢に悪影響を与えかねないとの懸念や、米国との関係を考慮した判断とみられる。22日に米ニューヨークで開かれるパレスチナ問題をめぐる国際会議には、石破茂首相は出席しない見通しだ。
複数の政府関係者が明らかにした。イスラエルがパレスチナ自治区ガザへの攻撃を続け、ガザの人道危機が深刻化する中、7月にフランスや英国などが国家承認する意向を相次いで表明。今月22日、国連本部で首脳級が参加する「ハイレベルウィーク」に合わせ、イスラエルとパレスチナが独立した主権国家として共存することを目指す「2国家解決」を議題にした国際会議が予定される中、日本政府も対応を検討してきた。ただ、政府内では、この時期に国家承認すればイスラエル側の態度を硬化させかねず、「2国家解決」に資するか疑問視する声が上がった。また、親イスラエル姿勢を取ってきたトランプ政権は、パレスチナの国家承認に反対。日本政府関係者によると、米側から国家承認に反対する意向が伝えられていたという。
パレスチナの国家承認を表明した国は、これまでに約150カ国にのぼる。
以上。
そりゃアメリカは日本に●承認するな!と、言うでしょうよ。
戦争に負けたからと、何でもかんでもアメリカ言いなりの、
しょおもない首脳たち。
なんでもかんでもアメリカの子分やってきたからアメリカみたいな国は、もっとなんでもかんでも言うてくるねん。
日本首脳は
イジメ世代の構図と一緒。
イジメの張本人にはこきへつらい、
弱いもんを大勢でいじめまくる。
日本の首脳は、大切なこと、アメリカに一つもよう言わんと、
どんな汚い手つこても、国民から金たんまり巻き上げるカツアゲと
同じことやって。
結局、精神的自立してない幼稚園児だから。
自立してないから自尊心もない。
自分大事にしないから、
国民からカツアゲやっても
なんも思わん。
自分らに大金入りゃええ。
まあ、可哀想な生き物よ、一回きり人生をまるまる棒に振った。
なにが、
●
国家承認がパレスチナ情勢に悪影響を与えかねないとの懸念。、、やと?
そんなもんは、金魚のフンが金魚のフンで居座るための言い訳やろが、
カナダを見てみろ!これくらい頭使えんか?
それでハマスが約束破ればその時点でまた考えりゃええこと。
ほんま脳みそ腐りすぎのアメリカビビりまくりが、
そんなんで、よう生きとるなあ。
動画検索→
世界を動かす、アメリカ人とユダヤ人の知られざる関係とは?
2025年9月17日水曜日
本当の天皇は、どこに?
明治維新から天皇に権力が集中し、結果あのような外国侵略戦争に発展した、、
天皇が判断を誤り開戦の判断をしたこと、そして負け戦が
わかっていたにも関わらず戦争を長引かせたことに、
こんなに無能なのに、なぜ天皇とあがめる人が多いのか?
不思議で、・以前、裏天皇が四国に
いるとの情報をネットでみていたので・調べてみました。
結局今の天皇家は、正当に引き継がれたものでは無かったと、いうこと。いわば、権利の横取りみたいな。
→
「南北朝時代」は、日本に二人の天皇が存在し、争いが続いた特殊な時代でした。しかし、この話題は学校の教科書ではあまり深く触れられていません。
なぜなら、今の天皇家の正統性にも関わる「タブー」があるからです。
南北朝時代の天皇がどのようにしてタブー視されるようになったのか、そして南朝の子孫は今どうなっているのか、塾長の私がわかりやすく解説していきます!
南北朝時代の天皇がタブー視される理由とは
南北朝時代(1336年〜1392年)は、日本に二つの天皇家が並び立つという異例の状況が続いた時代です。南朝(後醍醐天皇の系統)と北朝(足利幕府が支援した天皇の系統)が争い、結果的に北朝側が勝利しました。
しかし、その後の歴史の中で南朝の存在はタブー視され、あまり語られることがなくなりました。
その理由を詳しく見ていきましょう。
南北朝時代の「二つの天皇」とは
南北朝時代には、南朝と北朝の二つの皇室が存在していました。南朝は後醍醐天皇の系統であり、奈良県吉野に拠点を構えました。一方、北朝は足利尊氏によって京都に擁立された天皇の系統です。
南朝は、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒した後、自らがすべての政治を行おうとしたことが原因で武士たちと対立し、最終的に京都を追われました。そして、南朝の天皇たちは「自分たちこそ正統な皇統だ!」と主張し続けました。
しかし、足利幕府は自分たちが支持する北朝を正統な天皇として扱い、政治の中枢に据えました。その結果、約60年にわたる南北朝の戦いが続いたのです。
天皇が二人存在したことが現代に及ぼす影響
「天皇は一人しかいないはずなのに、なぜ二人の天皇がいたの?」と疑問に思うかもしれませんね。実は、天皇が二人存在するという状況は、現在の皇室にも関わる非常にデリケートな問題なのです。
明治時代には「南朝が正統である」と決められました。つまり、「現在の天皇家は南朝の正統を引き継いでいる」ということにされたのです。しかし、実際には、南北朝合一の後、皇統は北朝の流れをくむものになりました。
つまり、南朝を正統としながらも、今の天皇家は北朝の子孫という矛盾を抱えているのです。
この矛盾を強調すると、天皇家の正統性に疑問を持たれることになります。そのため、南北朝時代の歴史は「タブー」として扱われやすいのです。
南朝天皇がタブー視される背景とその理由
では、なぜ南朝の天皇が特にタブー視されるのでしょうか?それには、いくつかの理由があります。
まず、南北朝合一の際に「交互に天皇を出す」と決められたにもかかわらず、北朝系の天皇が独占し続けたことが原因です。つまり、約束が守られなかったのです。
また、南朝の皇族たちはその後も抵抗を続けましたが、室町幕府によって次々と討たれ、排除されていきました。こうして南朝は歴史の表舞台から消えていったのです。
しかし、江戸時代の学者・水戸光圀などによって「南朝こそが正統」という考えが広まりました。この考えが明治時代に受け入れられたことで、南北朝の問題はさらにややこしくなったのです。
後南朝の悲劇と「長禄の変」—南朝の最後
南朝の天皇の流れをくむ人々は、完全に歴史から消えたわけではありませんでした。南北朝合一後も、南朝の血を引く皇族たちは「後南朝」として再び勢力を持とうとしました。
しかし、長禄2年(1458年)、南朝の皇族である「自天王」と「忠義王」が、幕府によって暗殺されてしまいました。この事件は「長禄の変」と呼ばれ、これによって南朝の血統は完全に途絶えたとされています。
南朝が完全に消え去ったことは、幕府にとっては都合の良いことでした。これ以降、「南朝の正統性」は封印され、語られることが少なくなっていきました。
幕末・明治維新と南朝正統論の復活
江戸時代の後半になると、水戸学の影響で「南朝こそ正統」という考えが広まりました。幕末の尊王攘夷運動の中で、南朝を正統とすることで、幕府を打倒する大義名分が生まれたのです。
そして、明治時代に入ると、新政府は「南朝が正統」と正式に決定しました。これにより、南北朝時代の歴史は再び見直されましたが、同時に「北朝の流れをくむ今の天皇家は本当に正統なのか?」という矛盾も生まれました。
こうした背景があるため、南北朝時代の天皇の話は今でも慎重に扱われることが多いのです。
南北朝時代の天皇がタブー:南朝の子孫の現在
南北朝時代が終わった後、南朝の子孫たちはどうなったのでしょうか?天皇家は北朝系の血統が続いていますが、南朝の皇族は完全に消えてしまったのでしょうか?
実は、南朝の子孫にまつわる話は今も各地に残っているのです。ここでは、南朝の子孫の行方や、彼らにまつわる伝説、そして現代に続く影響を解説していきます。
南朝の皇族は本当に絶えたのか?
南朝の最後の天皇・後亀山天皇が北朝に三種の神器を渡して南北朝が合一した後、南朝の皇族たちはどうなったのでしょうか?実は、南朝の天皇の血を引く皇族たちは、その後も各地に潜伏しながら生き延びていました。
南朝の正統を守ろうとした皇族たちは「後南朝」として活動を続け、室町幕府に対して抵抗を続けました。しかし、彼らは次第に力を失い、長禄2年(1458年)の「長禄の変」で自天王と忠義王が暗殺されることで、南朝の正統な血統は絶えたとされています。
しかし、一部の南朝の血を引く人々は、地方に逃れたり、名を変えたりして生き延びたという説もあります。彼らの子孫が今も存在している可能性はゼロではありません。
後南朝の末裔と伝わる家系
歴史の中で、南朝の皇族の血を引くとされる家系はいくつか存在しています。特に、奈良県の川上村には「後南朝の皇族の子孫が住んでいた」との伝承が残っています。
例えば、川上村では毎年2月5日に「朝拝式(ちょうはいしき)」という儀式が行われています。これは、後南朝の皇族だった「自天王」を祀るためのもので、500年以上も続いている伝統行事です。これは、南朝の皇族の子孫が実際にいた証拠ではないかと考える人もいます。
また、明治時代には「熊沢天皇」と名乗る人物が登場しました。彼は「自分こそが南朝の正統な皇統である」と主張しましたが、結局、その主張が認められることはありませんでした。
南朝の血を引く可能性のある家系とは?
南朝の子孫が現在の日本に存在するのかどうかは、確実な証拠がないため、はっきりとは言えません。しかし、「南朝の皇族の血を引いているかもしれない」と言われる家系は、日本各地にいくつかあります。
例えば、熊本県の相良(さがら)家や、四国の河野(こうの)家などがその代表です。これらの家系は、南朝と深い関わりを持っていたとされ、伝承や家系図に「南朝の皇族の子孫である」と記されていることがあります。
また、源氏や平氏のように、多くの武士の家系が天皇の血を引いていると言われるように、南朝の子孫も、名を変えて全国各地に広がっている可能性もあります。
南朝の正統性は今も影響を与えているのか?
南朝が正統であるとする考え方は、実は今の日本にも影響を与えています。例えば、明治時代には「南朝が正統である」と公式に決められました。これは、明治政府が新しい日本を作る上で、「武家の時代(幕府)」を否定し、天皇中心の国家を作りたかったからです。
しかし、南朝が正統とされた一方で、実際に続いたのは北朝の血統でした。この矛盾は、現在の皇室の正統性にも関わるため、南北朝時代の歴史を深く掘り下げることがタブー視される原因の一つになっています。
また、南朝を正統とする考え方は、戦前の日本の教育にも大きな影響を与えました。特に、戦時中は「南朝の忠臣である楠木正成が日本の理想の武士」として持ち上げられました。しかし、戦後になると、この考え方はあまり強調されなくなり、南北朝の話題自体が避けられるようになりました。
南北朝の歴史は現代にどう影響を与えているのか?
南北朝時代の出来事は、600年以上前の話ですが、現在の日本にもその影響が残っています。
例えば、皇位継承問題です。日本では、天皇が誰になるかは非常に重要な問題ですが、もし「南朝の血を引く人が今も存在していたら?」という疑問が出ると、皇位の正統性に疑問が生じる可能性があります。そのため、南朝の話題は今も慎重に扱われています。
また、南朝を支援した楠木正成のような人物は、日本の歴史教育において特別な扱いを受けることが多いです。彼の忠誠心が称えられる一方で、「なぜ南朝を正統としながらも、北朝の血統が続いたのか?」という矛盾については、あまり語られません。
さらに、最近ではインターネット上で「自分こそ南朝の子孫だ」と名乗る人が登場することもあります。このように、南北朝の歴史は決して過去のものではなく、今もなお日本社会に影響を与え続けているのです。
イスラエル
ユダヤ社会が影響力を持つアメリカはイスラエルに武器など支援し続けていますが、こんなことやるからいつまでも戦争が終わらない。
これ、仲介じゃないですからね、完全、アメリカもイスラエルと一緒にパレスチナを攻撃しとるんですよ、
こんなしょうもないアメリカにこきへつらう日本の情けなさよ。
まず今年3月のニュース→
ワシントン=向井ゆう子】米国のルビオ国務長官は1日の声明で、イスラエルに対し約40億ドル(約6000億円相当)の軍事支援を迅速に行うため、緊急権限を使用することを明らかにした。バイデン前政権によるイスラエルへの部分的な武器禁輸措置を撤回する措置となる。声明では、「トランプ政権はイスラエルの安全保障に対する米国の長年の約束を果たすため、利用可能な手段を今後も活用していく」と強調した。
以上。
そして今日のニュース→
国連人権理事会の調査委員会は16日、パレスチナのガザ地区でイスラエルがパレスチナ人に対するジェノサイド、集団殺害を行っているとする報告書を発表し、イスラエル側は激しく反発しています。
国連人権理事会の調査委員会は16日、おととし10月にパレスチナのガザ地区でイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まってからことし7月までの人権状況について報告書を発表しました。
このなかで調査委員会は、ジェノサイド条約に基づいて法的に評価した結果、6万人以上のパレスチナ人の殺害や、強制的な移住、人道支援物資の搬入の阻止などイスラエル側による行為はジェノサイド、集団殺害にあたると結論づけました。
イスラエル当局や軍がガザ地区のパレスチナ人を破壊する意図をもっていると指摘しています。
また、イスラエルのネタニヤフ首相が過去に行ったテレビ演説の発言などから、ジェノサイドを扇動したとしています。
これに対し、ジュネーブに駐在するイスラエル政府代表部のメロン大使は16日、「イスラエルは調査委員会が発表した暴言を断固として拒否する。この報告書は、ハマスの虚偽の情報に基づくものだ」などと激しく反発しました。
グテーレス事務総長「容認できない」
国連のグテーレス事務総長は16日の記者会見で「私たちは今、地域の大規模な破壊、ガザ市の組織的な破壊を目の当たりにしている。これは倫理的にも政治的にも法的にも容認できない」と強く非難しました。
また、イスラエルが今月9日にイスラム組織ハマスを標的にカタールで攻撃を行ったことについて「イスラエルが停戦と人質の解放に向けた真剣な交渉に関心があるようには見えない」と述べ、対応を改めるよう促しました。
その上で2国家共存による和平を推進する首脳級の国連の会議を22日に控え「パレスチナの人たちを権利のない状態で服従させる解決策は絶対に容認できないことをイスラエルは理解しなければならない。平和を維持するためのただ1つの現実的な選択肢が2国家共存だ」と強調しました。
以上。
しかしやね、このブログでもあげてきたように、
すでに住んでたパレスチナ人の了解を得ずに●パレスチナに
ユダヤ人の国を建てさせてあげよう、と、
勝手に決めたのは、国連やでな。
国連が勝手なことすっからこんなことなったんや。
まずそこをやな、国連は謝罪せなあかん。
→1947年、国連はパレスチナの土地にアラブとユダヤの二つの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択します。 しかしその内容は、パレスチナに古くから住む多数のアラブ系住民に43%、 新しく移住してきた少数のユダヤ系住民に57%の土地を与えるというもので、アラブ系住民とアラブ諸国から猛反発が起こります。 パレスチナを統治していたイギリスは、アラブ民族主義とシオニズムの対立の激化になすすべなく、 一方的に撤退し、アラブ・ユダヤ双方の武装対立と緊張関係のなか、1948年にユダヤ側はイスラエル建国を宣言しました。
以上。
ほんま、ユダヤ人も、、
自分がされてイヤやったこと、おもいっきしやるバカどもが。
そのバカを支援する参政党大バカが。
そしてトランプ大バカが。
ほんま、ユダヤにコビコビの、気持ち悪いアメリカとトランプが。
あ〜気持ち悪い。
動画検索→米国務長官がイスラエル擁護、カタ一ル空爆批判せず
2025年9月16日火曜日
ジェネリック医薬品
ギョエー!と、思うことが。
毎日ステロイドのんでます。
予防のアレルギー内服薬と予防の吸入薬では効かず、
通常ひどい呼吸困難発作時に、一回6錠一日3回を3日とか5日とか飲む副腎皮質ホルモン剤ですね。
デカドロンの方が効く感あったのですが、県北(県立北部病院)の薬局にいる男性薬剤師の公務員が、、毎回心配してくれて、●デカドロンは骨がボロボロになる、プレドニンの方がまだ自然に近い。だけど、しょっちゅうのんでると、自分の
力で副腎皮質ホルモンを作れなくなりますよ。
と言うので、以後は医者に言ってプレドニンに変えてもらいました。
で、、毎日飲まないと苦しいので、一日1錠にして、毎日飲む、
を、自己判断で勝手にやっているのですがね。
8月末に畑近所の処方箋薬局でもらったプレドニンが見た目違うけど、ま、いいかと思い、、県北でもらったプレドニンがなくなり、今日からその違うのを飲んだんですよ、朝。
薬よく見たら、プレドニゾロンと。
あ〜ジェネリックか!ま、いいか!と。
飲んだ瞬間頭痛プラス呼吸困難がいつもよりひどく、、
さっき薬局に行って事情を話して、残りの薬を正規品と交換してと言ったが、処方の翌日までならできるが、時間が経ってるから無理と。
いらないから、他の人に使うか捨てて、と言い渡しました。
その時の話の内容です。
2年前に沖縄で別の処方箋薬局にはじめていった時、名前やら書く紙に、●ジェネリック医薬品を希望しますか?
と言う欄に、希望しないにチェックをしたけど、この薬局ては
そんなの書かなかった。
と言うと、●最初に聞くんですよ。と言うので、●聞かれてないよ、
聞かれたら絶対ダメって言うもん●ちょっと待って下さい、と、パソコンたたいて、、ジェネリックオッケーになってますね
●絶対言ってない、添加物が違うんだよ正規品とは。
毎年国が三百もの新規化学物質を作ってて、安かろう悪かろうの添加物が使われてるから、ジェネリックはだめなんだよ、食品添加物もだめなもんあるんだから、今回のことは厚生労働省とかに報告するんだよね?
●副作用だと報告しますがアレルギーだと報告しないです。
●アレルギーかある患者に投与して出た副作用だよ、
報告するよね?
●製造元の旭化成に報告して旭化成から厚生労働省に報告します。
●旭化成なんて化学物質の会社が薬作っててびっくりしたよ、
ちゃんと報告しないんじゃないの?
●じゃあこちらから厚生労働省にします。
●メ一ルで?
●電話でです。
●いつやるの?
●今日やります
●旭化成と厚生労働省両方にやって、
ちゃんとやってよ。、、
と。
ほかに話のなかでわかったことが、、
以前は、医者が処方箋に書くのは正規の薬、今回ならプレドニンとかき、処方箋薬局と患者の間で正規品になるかジェネリックになるか?だったのが、、、
今は、国が医療費削減の目的で、医師に後発品のジェネリック薬品の名前を書かせ、
ジェネリックでもいい患者には、薬局がそれを出すと。
これが、ギョエー!!
ジェネリックによる副作用、結構言われてるのに、、
そういうの知らない患者とかは、、、
あと、これも言いました。
●県北で救急外来にかかると、処方箋薬局があいてない時間だと
県北のなかの薬局でもらうんだけど、毎回正規品でしたよ、
最近でも。
●正規品しか置いてなかったんじゃないですかね?
、、、それか、
今回処方した若手の女医だったからかもな。
中年以降の県北の救急外来医師はみんないい感じなんだけど、、
若手はな、、、やはり、人生経験乏しいのと、
自分がこうと思ってるのを曲げないのもいる、
あと親切心も全然ちがう、
県北の救急外来の中年以降の医師は好きですよ、
あと、県北はシックハウスがまだましなのも。
薬局変えよ、シックハウスひどすぎやし、
ジェネリック、聞かれてないし。。
たぶん勝手にジェネリックオッケーにしてやる。
だからこういう大事なことは、紙に残さなあかんのよ、
言うたいわへんになるから。
今回1錠しかのまんでこんだけ症状出てんから、
通常の6錠飲んでたら、えらいこっちゃ!
犬飼ってるみなさんも、気をつけてくださいよ、
敏感なワンちゃんいますから。
フィラリア陽性のワンちゃんに毎月飲ませるフィラリアの薬と一緒に出されるステロイド剤、
プレドニン。
人間は一回6錠をワンちゃんは一回1錠、、
それを、フィラリアの薬を飲む前日から5日か6日連続で毎日飲みますが、、
念の為、正規品のほうがいいと、わたしは思います。
ワンちゃんは、何も言えませんからね。
新規化学物質については、、
例えば一例ですが、
ÀBS樹脂があります、これは新規でなくもうだいぶ前から。
でも昔はなかった。
蛇口に取り付ける小型の浄水器やポット型浄水器とか車の内外装、扇風機やさまざまなものに使われてます。
柔軟性があり強度がある、
ポリプロピレンより割れにくいし、安いのでしょう。
苦しいんですよ、私はね。
だからポリプロピレン製のポット型浄水器つこてます。
昔は車も扇風機もドライヤーも、もっと金属部分が多かった。
今は石油製品が大部分を占める。
家もでしょ?
昔土壁やったのが、コンクリートに壁紙またはペンキ。
畳の中身は、藁床(わらどこ)から発泡スチロールへ。
屋根はかわらが減り、トタンもブリキからプラスチックへとか、、、
そんな感じです。
石油製品ほぼだめなんで、ティッシュなんかも苦しいし、
口が乾燥する。
外出時はトイレにある紙使いますが、
家では、
無漂白パルプ百パーセントの、茶色のキッチンペーパ一を
台所とトイレでつこてま。 流しませんよ、つまりますよ、
トイレに流したら、
、ゴミに捨てます。
こうせんと、死ぬからです。
生きるために、やってます。
化学物質過敏症のひどいので、
呼気困難日常的なると、
こんなんせんと生きていけんのです。
ちなみに茶色のキッチンペーパ一は、
エリエールからだいぶ前に。
ロ一ル形とボックス形。
ボックスは、セリアがあつこうてくれてるので、
興味ある方はぜひ。
まあ、封筒やらノ一トも、白いほうが石油ようさんつこてるいうことです。
茶色の紙より白の方が口が乾燥する。
●カムバック!!わら半紙!!
てな感じですね。
ほら、オイルショックなるとトイレットペーパー買い占めるでしょう?
さて、わたしからも厚生労働省に意見しときます。
そういうこと!!
2025年9月15日月曜日
事実上終戦日とは
まずこれを、、
→1945年8月9日、ソ連は当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して対日参戦しました。 ソ連は、日本が同年8月14日にポツダム宣言を受諾して降伏の意思を明確に示した後も攻撃を続け、8月28日から9月5日までの間に北方四島を占領しました。
以上。
原爆が落とされてから攻めてくるソ連、ポツダム宣言受諾してからも日本を攻め続けるソ連は、なんて卑怯なんだと、個人的には思いますね。
ただ、日本がやった卑怯なこともいっぱいあるんで、
個人的には、、自分ならそんなことは、しない!としか
言えないですが。
そして、宇垣まとめという人物。
終戦後に部下を引き連れて沖縄のアメリカ戦艦に特攻しにむかったという、、、。
これも、なんて卑怯なんだと、
次の文章を見て、、、
このブログで戦争動画を揚げ始めた頃ですね、、
次の文章の●死んでもらう、、の発言。
あの動画でこの言葉を吐いたのは、コイツだったのか!!と。
こんなやつが、特攻隊の指揮を、、、
しかも部下を道連れにしかも終戦後に、、。
本気で腹たちます。
→
宇垣は聨合艦隊参謀長だった事がありますが、山本五十六が戦死した時、オレもいずれはあとを追うと心に決めていたのでしょう。宇垣は非情な男で、ある部隊に特攻出撃を命じた。一人のベテラン搭乗員が「今日の出撃で私は敵艦に爆弾を落として命中させる自信があります。その場合は戻ってきてもよろしゅうございますか?」、と。宇垣は即座に大声で「まかりならん!死んでもらう!」と言ったそうです。
そして山本が予言した様に日本は惨敗、これでオレの仕事も終わった、部下も沢山殺した、あとは山本さんのあとを追うのみ、と。しかし山本のあとを追って死ぬのであれば帝国海軍中将として堂々と日本刀で割腹自決すべきでした。海軍特攻の父と言われた大西瀧治郎中将の様に。
天皇の玉音放送もあり、海軍総隊から戦闘停止の命令が出ていたにも拘わらず、部下に特攻機の準備を命じて彗星艦爆11機で出撃。大変軽はずみで思慮のない行為でした。これは完全な失敗に終わりましたが、もし成功していたら停戦協定違反に怒った米軍の報復爆撃で死ななくてもいい日本人が更に沢山死んでいたでしょうね。
これを知った海軍総隊の小沢司令長官は「陛下の終戦の大命をなんと心得るか。私情で部下を道連れにするなどはもってのほかである。死ぬのなら一人で死ね!」と激怒したそうです。
出撃した11機のうち3機は途中で不時着。宇垣の乗った彗星から無電で「敵空母見ユ」「ワレ必中突入ス」、と。 しかし本当に空母を発見したかどうかすら不明です。その日の夕刻、沖縄本島の北の伊平屋島海岸付近の米軍キャンプ近くに彗星が一機墜落、中には操縦士らしいもの一人と階級章のない第三種軍装を着た男が一人(宇垣がそんな姿で搭乗したことは判明している)
これはアメリカ側からの情報で、日本サイドが確認したわけでもないし、二人乗りの彗星の隊長機に宇垣が割り込んだので三人乗っていたはず。すべてが謎です。日本海軍での記録では「行方不明、戦死と認定」とされています。
いずれにしても、戦争が終わってからわざわざ多くの若者を道連れにして死んだ宇垣は一人で死ねない卑怯な臆病者です。「長官が行くのなら我々もぜひ!」と志願したものもいたそうですが、司令長官としての常識・良識があり若者への思いやりがあれば志願を拒否し、「お前たちはこれから日本の復興の為にがんばってもらいたい」と言ってきかせ、一人で自決すべきでした。
隊長の中津留達雄大尉は若い妻と生まれて三週間の娘を残して死にました。一人息子を戦争が終わってから失った父親は「海軍は息子を返してくれ」と泣いたそうです。当然ですね。
以上。
沖縄でも玉音放送終了後も、戦争は続きました。
一部の暴徒化した兵士たち、、、
天皇が玉音放送してるのに、
「天皇の軍隊だからやめるわけにいかない、
最後まで戦う」とか、、、
いやその、あんたの言う「最後」て一体なんですか?
一体何を以て、最後としとんですか?
「死んでいった仲間に申し訳ない」いう人間もいたが、
申し訳ないのに、まだまだ仲間、殺すんですか?
敗戦を認めたくないいう個人的プライドが邪魔しとるだけ
ちゃうんですか?
じゃあもっともっと日本国民が死んで減って、、、
日本がアメリカ国ジャパン州になり、アメリカから多数アメリカ人が
移住してくるぐらいまで戦争をやめんつもりですか?
「最後まで戦う」の、「最後」の定義を、論理的に説明したまえ!
君に出来るのかね?
と、わたしは言いたい。
もっともっと、自分自身と向き合うという作業を、
して欲しかったですね。
この動画を見ていて、何度も「はあ〜??」と、ひとり言。
ほんま、頭おかしいのが何人も。
終戦反対派が、敗戦処理へ向かう日本の飛行機を攻撃?
そんなんやから戦争なんかおっ始めるねん。
動画最後の言葉を聞いて、、
じゃあもしかして、フラップがおりんかったのも、その可能性あるやん、おもた。
ちなみにですが、、
動画に出てくる伊江島の飛行場はみました。
伊江島に基地が残ってる理由ですが、、、
終戦時の伊江村の村長に打診があったそうです。
●今度はアメリカの海軍が使いたいと言っている
。
と。。
村長は悩んだ末に、住民の生活のために、それを了承したが、
今でも、あのときの判断がただしかったか?疑問に思うと。
ただしいわけないじゃん!
住民の生活とは、、金のこと。
正しければ、後悔や疑念など浮かばない。
米軍基地があるから、伊江港は立派なタ一ミナルがある。
だけど、伊江島が漁業農業以外で生活成り立ってるのは、、
観光もあるが、そのなかでも、すんごい数の学生の民泊が
あるから。
小中学生の学校からの旅行者数がハンパない。
沖縄は、基地があるから政府から交付金だけでなく、
兵庫や京都ではみたことない、国からの補助金事業が。
県民が、県政が、依存してる感はありますね。
では、8月15日が終戦ではない!という動画を。
まあよく成功しましたね、ほんまに奇跡!ですが、、
「全ては宇宙の采配」
月あかりもね。
しかし天皇て、、ほんまなんもせんなあ。
あいや、したな、
開戦の判断と、早めに終戦しなか
った判断。トホホ、、、では、
動画検索→太平洋戦争ラストミッション、戦後日本の命運を分けた緑十字機
親日国パラオ
スペイン→ドイツが植民地にしたパラオの人口は、6万人から6千人に激減。
次の支配国日本は、学校や病院、インフラ整備などを。
日本軍と島民たちは夜になると一緒に酒を飲んだり歌ったり。
米軍が攻めてくるとわかった時、島民は●日本軍と一緒に戦う!と。
しかし中川中将は、●貴様ら土人と一緒に戦えるか!
と、わざと、厳しい言葉を言い島民全員を別の島に避難させた。
これにより、ベリリュ一島民の犠牲はゼロに。
もちろん戦争など無いのがいい。
しかし、国が勝手に決めた戦争で、命令が出た場合に、
当時は従うしかなかった時代に、
現地民の命だけは救うと、判断した中川中将ですね、
最期は自決を、しました。
なんですかね、、
敵に殺されるくらいなら自分で、、
と言う感じなのでしょうか。
日本が来たから良い方に変われた。
しかも戦争による島民の犠牲者ゼロで。
こういう感謝から、パラオの離島ベリリュ一では、
当時の痕跡を壊さずに残してあるのかも?ですね。
戦争が終わり日本兵の遺体を埋葬したのは、ベリリュ一に
戻ってきた島民ですので。
動画検索→親日国パラオ、君が代を歌うパラオのおばあさん、激戦の地ベリリュ一島
2025年9月14日日曜日
国家機密費
安倍が首相の時に第一次トランプ政権誕生ときに、51兆円を
トランプにプレゼントとの情報を知った時、国家機密費から出したのでは?と思いましたが、、
この動画を見て、違うなと。
国家機密費は毎年使い切らなくてはならないのと、
私利私欲のために使う国家機密費を、人にあげないだろうと。51兆円は、別の枠から出したのだろうと。
最後の文章で検索すると、
ユ一チューブ動画「西鋭男のフ一ヴァーレポート、2022年5月号」が出ます。
それです、その動画をご覧ください。
検索→
なぜ政治資金、裏金問題は無くならない?
歴史的背景から解説
2025年9月12日金曜日
イスラエルを支援する参政党
まずはこの記事を。
昨日のしんぶん赤旗
【カイロ=米沢博史】イスラエル軍は9日、停戦交渉のためにカタールを訪問中だったパレスチナのイスラム組織ハマスの幹部を標的とした攻撃を行ったと発表しました。ガザでの停戦交渉の仲介国カタール領内を攻撃したことに「露骨な主権侵害」との非難の声が上がっています。
攻撃は24時間以内にパレスチナのガザ地区とヨルダン川西岸、レバノン、シリア、さらにチュニジアに停泊していた国際NGOのガザ支援船にまで及んだと伝えられています。
カタール外務省は9日、首都ドーハでハマス政治局メンバーが滞在中の施設が攻撃されたと発表し、「国際法と規範の明白な違反であり、国民と居住者に対する深刻な脅威」だと強く非難しました。同国内務省によると、治安部隊員1人が死亡、複数が負傷しました。
イスラエル軍は、ドーハでの作戦を認め、イスラエル首相府は「本日の行動は完全にイスラエル単独によるものだ」とSNSで発表しました。
ハマスは同日、メンバー5人が死亡したと明らかにしました。停戦交渉を担当するハマス幹部のハリル・ハイヤ氏は暗殺を免れましたが、息子と側近1人が死亡したとしています。
国連のグテレス事務総長は「カタールの主権と領土保全に対する露骨な侵害」と強く非難しました。
カタールと共に停戦交渉を仲介してきたエジプトの大統領府は、「停戦仲介を担ってきたカタールへの攻撃は危険な前例となり容認できない。この攻撃は調停努力を損ない、地域の安定を脅かす」と強く非難。サウジアラビア外務省も「残虐な侵略でカタールへの露骨な主権侵害」と非難しました。
国連安保理はこの問題を巡って10日に緊急会合を開くことを決めました。会合はアルジェリア、パキスタン、ソマリアが要請したものです。
以上
イスラエル、自分で自分の首を締めてますが、、、
イスラエル問題については先日掲載しましたが、動画でもどうぞ。
そして忘れてならないのは、ユダヤ人たちがパレスチナに
戻り再びユダヤ人の国を作ろう!との行動に感銘した宗教団体「キリストの幕屋」に加盟していたのが参政党代表の神谷宗幣であったこと、
キリストの幕屋メンバーは、イスラエルに出向き、ガザに向けた爆弾に、「イスラエルに栄光あれ」のサインをしていたこと、
それから、国会議員になった神谷が「イスラエルに行きたいけど行けなくなった、ただこれからは外務省とか使えるので、正規のルートでイスラエルを」と、名言した証拠動画がありましたね。
彼はおそらく、いや確実に、このニュースを知って喜んだでしょう。
狂っていますが、、
それが神谷宗幣であり、参政党であるのだ、これが参政党の本性なのだということ、
これは、私達日本人にとって間近に迫っている問題なのです。
神谷は、参政党は、、日本をそのようにしていくつもりなのですから。
だから、参政党から出馬し当選をしてしまったサヤが、
「核は安上がり」発言をおこなったのですから。では、
」
検索動画→パレスチナの歴史、4000年前から現代までのパレスチナの歴史を
2025年9月11日木曜日
信念とは
この言葉を、自分は好きですね。。
解釈は様々かもしれないですが、自分とすれば、
●自分を信じる心の強さ。
と言いますか、、、
自分が決めたことをやり通す念力。みないに感じます。
実際自分でも、信念はかなり強い方だと。
そのため、こだわりも強いですが。
実家を片付けていた際に、小学校の卒アルが見つかり
めくると、表紙裏に校長が筆で書いた文字が。
●強い信念を持つ井上弥生さん。
と、、
私たちは学年全員で9人だったので、校長は全員の性質を見抜いており、、
一人ひとりに合う言葉を書いたのでしょう。
中学に入ってから見ていなく、覚えていなかったのですが、
50半ばに見て、、ビックリしましたね。
あ!子供の頃からやったんや!と。
動画のこの方も、この方なりの、強い信念が、、
ある意味、●自分との闘い。
も、されているのだな、と。
動画検索→沖縄辺野古埋め立て計画から、戦没者の遺骨を守る物語
2025年9月10日水曜日
日本兵によるマレーシア虐殺
教育者である高嶋氏の素晴らしさと、沼田さんの活動、、
植松氏の話す内容はまさに学びそのもの。
最後に出てきた事実、近衛文麿が半年早い時期の戦争終結を
天皇にすすめた際の天皇の返答に、愕然。
天皇制なんて、ほんま、いらんでしょ!!
動画検索→アジア太平洋戦争80年企画、マレーシア虐殺事件を謝罪したヒロシマの語り部
日本と台湾の絆
この動画内で案内人は、「自虐からの脱却」的なことを言っています。
戦争で日本は悪い事をしたとか、、そういう事を、「自虐」
と呼び片付けてしまうのは、わたしは違うと思いますね。
「表裏一体」という言葉がありますが、良かった面と悪かった面両方を査定できることが、真に向き合うことだと。
台湾が日本に感謝する一面があるということは、わかります
。
それはたぶん、日本が台湾を占領する前とを比較して、現地の人たちから、よかったと思われたからではないかと。
もちろん日本人による殺りくも一部あったようですので、
ただ台湾の人は、それを含めても、日本に感謝している人が多いのかも?しれないですね、、、
そしてなによりも、前動画の、根本博、彼がいなければ台輪は丸々中国化していたわけですから、台湾の教科書は全く違うものと、なっていたでしょう。
動画検索→動画、日本と台湾の絆
2025年9月9日火曜日
日本国民と台湾のため、根本博
前記事によると、国民党は台湾を中国のものとしているが、
戦時に毛沢東率いる共産党が勝っていれば、台湾は中国と同化していたでしょうから、現在のように親日とはいかなかったでしょう。
台湾が現在の台湾であるために、戦後帰国した後に、
助けてもらった日本を代表して、恩義を返すために戦地に赴いた男の物語。この男の人間力もまた、賢く謙虚でかっこいい生き様だ。動画検索→日本人居留民を守り、台湾を救った義の名将、根本博
日本と台湾、蒋介石と毛沢東
令和2年から3年の間の約一年、身体に無理ない範囲で、高齢者の家事介助をしていました。
数軒の担当を持った中に、90代の男性が。
その家については、清掃の仕事を。
介護保険事業所に登録をし、仕事を請け負う形。 一回に付き利用者が払う自己負担金額は300円。
事業所が受け取るのは3000円なので、差額2700円は
国民が支払っている介護保険料などから受け取ることになり、そのうち、わたしたちが受け取る額は、45分800円、プラス交通費は、車なら実費、二百円とかそんな感じ。
なので残りの二千円が、担当のケアマネとか、わたしらに
仕事ふる事業所の人間の給与とか、事業所の維持費なんかに
使用される。
あと、事業所の利益も。
利用者によっては、買い物の人も。
金額は同じ。
で、その男性は90代でした。
午前中はほぼ毎日囲碁クラブに通い、、
割とお元気そうですが、自力での掃除は難しく、、
いつも行くと、
●もうそれでいいから一緒にビデオ見よ!と、
言われて、、そういうわけにはいかないので、
トイレや台所の掃除を終えて居間の掃除をする際に、
ビデオがかかり、チョコチョコ見ながら清掃を。
おんなじビデオです、毎回。
尼崎市内のホテルで行われた、奄美大島出身の人らの食事会。男性の、米寿の時で、紫のレイを首からかけてもらい、
他の人が歌ったり、、
男性は奄美大島の加計呂麻島出身で、15で中国へ兵隊に行ったと。
家が貧乏で、戦争に勝てば中国で広い土地をもらえると聞いて。
第二次世界大戦で日本が敗戦して引き揚げる時に、
蒋介石と毛沢東が撃ち合いしているなかを帰って来たと。
日本に帰り、その後神戸に仕事に来たのだ、と。
この人と知り合い、最初わたしは加計呂麻島もしくは
奄美大島南部に住みたいと思い家を探しましたが、
空き家バンク情報で見つけた
その自分が住みたいと思った木造家屋は、羽アリ駆除の薬が床下に施してあったり、夏に集落一斉に、家の周りの溝に殺虫剤を撒くとかで、、無理だし、
第一ペット可が無い。
なので沖縄に。。
さあその、①中国内での二大政党による戦争の話をまず先に。
そして、②台湾が親日の理由などについてを。
①2025年6月記事→
20世紀の中国史を語る上で、決して避けては通れない二人の巨人、蒋介石と毛沢東。彼らは、巨大な国家の未来をその両肩に背負い、時には手を携え、そしてついには国家を二分するほどの激しい戦いを繰り広げました。なぜ彼らは協力し、そして袂を分かち、宿命のライバルとして歴史に名を刻むことになったのでしょうか。この記事では、彼らが共に歩んだ道のりと、決裂に至った根本的な原因、そして二人の人物像の違いを深く掘り下げていきます。単なる歴史の暗記ではなく、彼らの選択の背景にある思想や人間性に迫ることで、現代中国の成り立ちと、今なお続く台湾問題の根源を理解する、新たな視点を提供します。
出会いと第一次国共合作:打倒軍閥という共通目標。
彼らの関係の始まりは、意外にも「協力」でした。1924年、中国は辛亥革命後も、各地で軍閥が割拠し、内乱が続く混乱状態にありました。この状況を憂いた「中国革命の父」孫文は、中国を統一し、列強の支配から脱却するため、ソビエト連邦と手を結びます。そして、その指導のもと、息子の蒋介石が率いる「国民党」と、毛沢東らが所属する「共産党」が協力体制を築きます。これが「第一次国共合作」です。
この時点での両者の目標は、「打倒軍閥」と「反帝国主義」で一致していました。蒋介石は軍事的な才能を発揮し、軍閥を次々と打ち破る「北伐」を進めます。一方、毛沢東は農民や労働者を組織し、革命の基盤を築くことに力を注ぎました。しかし、この協力関係は、水面下で互いの思惑が渦巻く、緊張をはらんだものでした。蒋介石にとって共産党は、あくまで目的達成のための駒であり、その勢力拡大には強い警戒心を抱いていました。共産党もまた、国民党との協力は革命を成就させるための一時的な手段と考えていたのです。共通の敵がいなくなった時、彼らの対立は避けられない運命でした。
決裂と対立の激化:上海クーデターと国共内戦。
協力関係の崩壊は、あまりにも突然、そして決定的な形で訪れます。1927年4月12日、北伐の過程で上海に入城した蒋介石は、突如として共産党員に対し大規模な弾圧を開始しました。これが「上海クーデター」です。この事件により、第一次国共合作は完全に崩壊。多くの共産党員が命を落とし、毛沢東ら生き残った者たちは、農村部へと逃れることを余儀なくされます。
なぜ蒋介石はこのような強硬手段に出たのでしょうか。その背景には、共産党の急速な台頭に対する恐怖と、彼を支持する資本家たちの存在がありました。共産党が掲げるプロレタリアート独裁は、国民党の支持基盤である地主や資本家の利益と真っ向から対立します。蒋介石は、軍閥という外敵を排除した先に見える、共産党という「内なる敵」の存在を、決して容認できなかったのです。
このクーデターを境に、両者の立場は逆転します。蒋介石は南京に国民政府を樹立し、中国の支配者としての地位を固めていく一方、毛沢東は江西省の瑞金に「中華ソビエト共和国臨時中央政府」を樹立。ここから、10年にも及ぶ血みどろの「第一次国共内戦」が始まったのです。国民党軍の猛烈な包囲攻撃に対し、共産党軍は「長征」と呼ばれる苦難の戦略的撤退を敢行。この絶望的な状況下で、毛沢東は指導者としての地位を確立し、農村から都市を包囲するという独自の革命理論を築き上げていきました。
束の間の再協力:第二次国共合作と日中戦争。
泥沼の内戦を続ける両者に、再び協力の時が訪れます。皮肉にも、そのきっかけは「日本」という新たな、そしてより強大な共通の敵の出現でした。1931年の満州事変以降、日本の中国侵略が本格化する中で、蒋介石は「安内攘外(まず国内の安定を優先し、その後で外国の侵略を排除する)」という方針を掲げ、共産党の掃討を優先していました。
しかし、国民の間では「内戦を停止し、共に日本と戦うべきだ」という声が日増しに高まります。そして1936年12月、歴史を大きく動かす事件が起こります。共産党との前線にいた張学良が、督戦に訪れた蒋介石を拘束し、抗日と内戦停止を要求したのです。これが「西安事件」です。絶体絶命の蒋介石を救ったのは、意外にも宿敵である共産党でした。共産党は、抗日統一戦線の実現という大局的な見地から、蒋介石の釈放を働きかけます。この事件を機に内戦は停止され、1937年に日中戦争が全面化すると、「第二次国共合作」が成立。両者は再び、日本の侵略に立ち向かうことになったのです。
しかし、これもまた仮初めの協力に過ぎませんでした。蒋介石率いる国民党軍が正面から日本軍と戦い、甚大な消耗を強いられる一方、共産党軍は巧みなゲリラ戦を展開しながら、支配地域を着実に拡大していきました。抗日という大義名分の下で、来るべき最終決戦に向けた勢力争いが、熾烈に繰り広げられていたのです。
最終決戦:国共内戦の再開と勝敗を分けたもの。
1945年、日本の敗戦により日中戦争が終結すると、両者を繋ぎとめていた最後の楔は失われました。アメリカの仲介による和平交渉も決裂し、1946年、中国全土を巻き込む「第二次国共内戦」が勃発します。
当初、兵力や装備、そしてアメリカからの支援において、国民党軍は圧倒的に優位でした。しかし、戦局は誰もが予想しなかった速さで共産党有利へと傾いていきます。なぜ、あれほど強大に見えた国民党は敗れたのでしょうか。その要因は、一つではありません。
人心の離反: 長年の戦争と汚職、そしてハイパーインフレーションにより、国民党政府は民衆の支持を完全に失っていました。特に農村部では、共産党が推し進めた土地改革が熱狂的に支持され、多くの農民が人民解放軍(共産党軍)に身を投じました。
戦略・戦術の差: 蒋介石が都市の防衛に固執したのに対し、毛沢東は農村で勢力を固め、都市を包囲する戦略を徹底しました。規律が厳しく、民衆からの略奪を禁じた人民解放軍は、腐敗し士気の低い国民党軍を各地で打ち破っていきます。
ソ連の支援: 日中戦争終結後、ソ連は満州で接収した日本軍の兵器を共産党に引き渡し、これが彼らの強力な武器となりました。
追い詰められた蒋介石は、1949年に台湾へと逃れます。そして同年10月1日、毛沢東は北京の天安門広場で「中華人民共和国」の建国を宣言。ここに、数十年にわたる激しい戦いは終わりを告げ、中国大陸は共産党の手に、そして台湾には国民党が存続するという、現代まで続く分断国家の形が確定したのです。
二人の人物像:その思想と性格の違い
彼らの対立の根源を理解するためには、その人物像と思想の違いを見ていく必要があります。
蒋介石: 彼は軍人であり、現実主義者でした。孫文の後継者として国家の統一を目指しましたが、その手法は独裁的であり、共産主義を国家を蝕む病として徹底的に敵視しました。彼の思想の根底には、中国の伝統的な価値観と、国家の安定を最優先するエリート意識がありました。しかし、その強権的な姿勢と、民衆の生活を顧みない政策が、最終的に人心の離反を招きました。
毛沢東: 彼は革命家であり、理想主義者でした。マルクス・レーニン主義を中国の現実に適用し、農民を革命の主体とする独自の思想を打ち立てました。彼は巧みな大衆扇動術とカリスマ性を持ち、人々を惹きつけ、巨大なエネルギーへと転換させる才能に長けていました。その理想は、時に「大躍進政策」や「文化大革命」といった悲劇を生み出しましたが、彼が中国の大多数を占める農民の心をつかんだことが、勝利の最大の要因であったことは間違いありません。
結局のところ、彼らの戦いは、都市のエリート層を基盤とする国民党と、広大な農村の民衆を基盤とする共産党の戦いでした。そして、より多くの民衆の支持を得た毛沢東に、最終的な勝利の女神は微笑んだのです。
歴史のIFと現代への影響。
もし、国共内戦で蒋介石が勝利していたら、中国、そしてアジアの歴史は全く違うものになっていたでしょう。おそらく、中国はアメリカ寄りの資本主義国家となり、冷戦の構図も大きく変わっていたはずです。しかし、歴史に「もしも」はありません。
蒋介石と毛沢東。この二人の宿命的な対立は、単なる過去の物語ではありません。現代中国の強権的な政治体制も、台湾をめぐる複雑で緊張した国際関係も、すべてはこの二人の戦いの延長線上にあります。彼らが繰り広げた壮大な歴史を知ることは、現代世界が抱える大きな課題の根源を理解し、未来を考える上で、極めて重要な鍵となるのです。私たちは、彼らの物語から、リーダーの選択が国家の運命をいかに左右するのか、そして民衆の支持を失った権力がいかに脆いものであるかを、学び続けることができるでしょう。
②
日本と台湾の関係性。
2011年3月11日、日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
日本はこの震災によって、筆舌に尽くしがたいダメージを受けてしまいました。
今現在も、東北、そして日本は復興に向けて懸命の努力を続けています。
未曽有の災害に対し、世界各国が支援部隊を日本に派遣してくれたことは、記憶に新しいと思います。
その中で、最終的に200億円を超える義捐金(世界第1位)・政府への資金援助・物的支援・救援部隊派遣に動いてくれた「国」をご存知ですか?
それは現在も日本と深い関係にある台湾です。
震災が起こってから、台湾の日本に対する支援や姿勢が注目されましたが、
実はそれ以前から、日本と台湾はとても親しい関係を築いてきました。
中国や韓国など東アジアの国々と難しい外交が続く中、
なぜ台湾とは良い関係を築くことができているのでしょうか?
本稿では上記の問題意識から
日本と台湾がなぜ有効関係にあるのか
をわかりやすく解説します。
1.台湾の2つの政党:「国民党」と「民進党」
2000年3月。
台湾の総統選挙で政権をずっと握ってきた国民党が陥落し、陳水扁率いる民主進歩党(民進党)の政権が誕生しました。
これは台湾史上初の出来事でした。
台湾の政治は実質的に2大政党制と呼べる状態になっています。
(規模の小さい政党も含めると200以上の政党が存在します)
実質的と枕詞を置いたのは、「立法院」つまり日本で言う国会に議席を持っているのがこの2つの政党だけだからです。
結論から述べると、国民党は「台湾は中華人民共和国の一部である」と考えている政党です。
一方の民進党は、台湾の独立を主張し続けてきた政党です。
2000年3月の選挙では民進党が勝つことは、事前の世論からだいたい見通しがついていました。
日本でも選挙を行う前に世論から大体結果の予想がつきますよね。それと同じイメージです。
この見通しを目の当たりにしたのでしょう。
台湾総統選が行われる3日前、当時の中国朱鎔基首相は以下のように発言します。
「台湾総統選で、誰が当選しようといかなる形でも台湾の独立を許さない」
とし、さらに独立の動きについては
「独立しようとするのならそれを阻止するために武力行使も辞さない」
と踏み込んで発言しています。
この記事の冒頭でも台湾の事を指す代名詞の「国」にカギカッコをつけました。
台湾が「国家」なのかどうかは、これまで度々中国と台湾の間で問題になっており、
今なおはっきりとした答えが出ていないからです。
中国は台湾を国家として認めていませんし、おそらくこれからも認めないはずです。
そもそも台湾が独自に選挙を行ってリーダーを決めていることさえ、強い不満感を示しています。
なぜ中国は台湾の独立を認めたがらないのか
なぜ台湾のあり方に不満を示しているのか
この歴史をさかのぼっていくと、日本が登場します
<ここがポイント>
台湾には、「中華人民共和国」の1部と考える国民党と「独立」を主張する進歩党がある
2.日清戦争の結果、日本の統治が始まった
時代を19世紀の末までさかのぼります。
1894年、日本は日清戦争で清と交戦し、勝利をおさめました。
翌1895年の下関条約では以下の様な内容が決められます。
「第一条 清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス。
第二条 清国ハ左記ノ土地ノ主権(中略)ヲ永遠日本国ニ割与ス。
一 左ノ経界内ニ在ル奉天省南部ノ地(中略)
二 台湾全島及其ノ付属諸島嶼
三 澎湖列島(中略)
第四条 清国ハ軍費賠償金トシテ庫平銀二億両ヲ日本国ニ支払フヘキコトヲ約ス。(以下略)」
引用元:『日本外交年表竝主要文書』
日清戦争については割愛しますが、第一条で清国の朝鮮への宗主権を否定し、「独立国」としての地位を認めさせています。
第二条では、中国の土地の主権について言及されています。
これの第ニ項で、台湾を「日本国ニ割与」つまり、清から主権を奪ったことが読み取れると思います。
こうして台湾領土は日本の植民地支配下に置かれました。
当時、台湾は産業において重要な地域でない上に、人口も少なかったことから、
清は台湾が奪われることにそれほど大きな損失を感じていませんでした。
<ここがポイント>
日清戦争の結果、台湾は日本の植民地支配下におかれた
3.日本の植民地支配
こうして台湾を植民地支配下においた日本は、統治に乗り出します。
まず、「台湾総督府」を設置しました。
台湾総督府:1895年台北に設置。台湾統治のために置かれた官庁のこと
日本から派遣される台湾総督(初代:樺山資紀)を最高権力者として、統治を始めます。
台湾の住民は、日本の植民地支配に対して大々的に抵抗運動を展開しました。
こうした動きに日本は軍の力を用いて制圧します。
この時少なくとも1万人以上の台湾住民が抵抗戦の中で命を落としたことが、資料から分かっています。
その後も警察による強権政治を進めました。
植民地政策において最も力を注いだのが、日本同化策です。
例えば、台湾各地には日本式の神社を建造します。
神社
さらに、日本語教育も行い、日本での教育と同じように「天皇を元首とする日本臣民」という意識を植え付けます。
当時の教育を受けてご健在の台湾人は、日本語を流暢に話すことができます。
筆者は以前アメリカに留学した経験がありますが、そこで出会った台湾人の祖父母は、
ケンカをする際は必ず日本語を使う、と言っていました。
我を忘れるくらいカッとなった時に自然と出てくるのは日本語である・・・
それほど幼少期からの日本語教育は徹底したものだったのです。
<ここがポイント>
日本は植民地支配を通して、同化策に最も力を注いでいた
4.植民地支配のもう1つの側面:社会資本と教育
日本が台湾に残したものは、圧政的な諸制度だけではありません。
「台湾が奪われても、清はそれほど損失が生じると思っていなかった。」と前述しました。
清は、産業の面でも、人口の面でも台湾は経済的に重要な地域と見ていなかったからです。
日本の植民地支配は、この状況を変えました。
結論から述べると、植民地支配を通して台湾の産業発展の基盤を築きました。
台湾全地域に道路や鉄道、港湾を整備したのです。
経済的な視点からこの意義を説明します。
産業が発展するためには生産活動、消費活動双方活発になることが必要です。
2つを活発にするには、生産者から消費者へ届ける道路や鉄道も整備しなければなりません。
また港湾を整備することができれば貿易の活発化にもつながり、さらなる経済発展を狙えます。
(道路、鉄道など産業発展の基板となる社会の所有物を「社会資本」と呼びます。)
日本は台湾での植民地支配において、社会資本を整えることに成功しました。
また、台湾では、日本が統治するまで教育が全体に行き届いてませんでした。
しかし、日本が前頭で義務教育を徹底したことによって読み書きを出来る人が増え、
知識人層が増えるという事にもつながりました。
台湾の産業発展の基盤を整備した事(環境も整えたことにより死亡率の低下と出生率の向上もあった)
隅々まで教育を届かせ、台湾の知識人層を増やしたこと
この2つは今でも台湾で肯定的に語り継がれているのです。
<ここがポイント>
日本の植民地支配は台湾の社会資本の整備につながった。
まとめ~植民地支配に肯定的な評価はできるのか~
ここまで日本と台湾は何故現在のように友好関係にあるのか。
中国との関係、そして日本の植民地支配の歴史をさかのぼり解説してきました。
「4.植民地支配のもう1つの側面 :社会資本と教育」で日本が行ったことに対する肯定的な評価
について触れました。この部分について、1つ意識してもらいたい事を最後にご紹介します。
よく本稿のような解説をすると、「日本は植民地支配で良いこともした」という意識を持つ人がいます。
しかし、日本が産業発展の基盤を整え、教育を徹底したのは
日本の植民地支配を有利に進めることが目的でした。
どう評価するかは人それぞれですが、植民地支配と「良いことをした」というのは、
そう簡単につながらないことも意識すべきでないかと筆者は考えます。
是非皆さん独自の視点でこの歴史を考えてみてください。長くなりましたが以上です。
2025年9月8日月曜日
樋口季一郎
こちらもユダヤ人を救った人物、
まず、こちらの記事を。→
広島に原爆が投下された2日後の1945(昭和20)年8月8日、中立条約(41年4月調印)を結んでいたソ連が、日本に宣戦を布告した。日本は米英との和平交渉の仲介役をソ連に打診していたほどで、まったくの不意打ちに何の対応も取れなかった。ソ連の参戦は、同年2月に開かれた米英ソ首脳によるヤルタ会談で秘密決定されており、その見返りに南樺太と千島列島をソ連に帰属させることになっていた。
ソ連との国境地帯に配置された日本軍は、主力を南方戦線に引き抜かれ、戦力は著しく低下していた。これに対し、ソ連軍は対日戦に約150万人の兵力を動員、大量の戦車や航空戦力で日本軍を圧倒し、またたくまに日本の勢力圏だった満州国と朝鮮半島北部を制圧した。さらに、日本がポツダム宣言を受諾した後に千島列島に侵攻し、日本側の守備隊と激しい戦闘が繰り広げられた。
同年の9月初めまで続いた日ソ戦では、ソ連側推定で戦死者はソ連軍が約8200人だったのに対し、日本軍は約8万人に及んだ。停戦後に捕虜となった日本の軍人、軍属のうち57万人以上がシベリアや中央アジア、モンゴルなどの収容所に抑留され、強制労働を課された。厳しい飢えと寒さで、抑留者のうち死者は約5万5000人に達した。
、、、
では、検索動画→
海外の反応、あの日本人を助けろ、なぜか戦犯となった日本軍人が受けた7年前の恩返し
杉原千畝、イスラエルとパレスチナ
まず、イスラエルとパレスチナ問題を。その後にユダヤ人を救った杉原千畝の動画を。
アメリカ社会におけるユダヤ人に忖度し、アメリカは、イスラエルの支援を続けています→問題の発端は2000年以上前
2000年以上前、パレスチナにはユダヤ教を信じる人々(ユダヤ人)の王国がありました。しかし、王国はローマ帝国によって滅ぼされてしまいます。
ユダヤ人は、パレスチナを追い出され、世界各地へ移り住むことになりました。
紛争の大きなきっかけとなったイスラエル建国。
19世紀、パレスチナへ戻ろうと考えたユダヤ人たちにより、祖国復帰運動「シオニズム運動」が起こります。
パレスチナを統治していたイギリスが、ユダヤ人の国家建設を支持しました。これには、ユダヤ系の大財閥から資金援助を引き出そうという狙いがありました。
イギリスは一方でアラブ人にも独立国家をつくると約束しました。パレスチナを含むアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すという目的があったのです。
さらに、イギリスはフランスと地域を山分けする密約も結んでいました。このイギリスの3つの約束は「三枚舌外交」と呼ばれました。結局、オスマン帝国の領土は英仏間で山分けされることになりました。
移住したユダヤ人と先住のパレスチナ人との間に衝突が続く中、1947年、国連決議がパレスチナ分割決議を採択。パレスチナの地が、ユダヤ人とアラブ人の2国に分けられ、翌年ユダヤ人がイスラエルの建国を宣言しました。
しかし、アラブ諸国が決議に反発しイスラエルに攻め込みます(第1次中東戦争)。
戦争は続き、1967年の第3次中東戦争を皮切りに、イスラエルは国際法で認められていない土地まで占領します。事実上「パレスチナ」と呼ばれていた土地のすべてを統治下にしていきました。
1993年、アメリカとノルウェーの仲介で、イスラエルとパレスチナの間にオスロ合意が交わされます。パレスチナに暫定自治区を設置し、イスラエル、パレスチナの双方がいずれ共存することを目指すことが狙いでした。
和平が期待されるも長くは続かず、現在も断続的に紛争が続いています。
ハマスの台頭。
パレスチナでは和平派の人物がリーダーになりますが、2006年の議会選挙でイスラムの組織「ハマス」に負けてしまいます。ハマスとは、ガザ地区を中心にパレスチナの解放を訴えている武装組織です。
選挙に勝ったハマスは、ガザ地区を独自に支配するようになりました。その後、現在まで何度も衝突が起こっています。
2023年10月7日、ハマスがイスラエルへ大規模な攻撃を行います。イスラエルは報復作戦を開始。混乱が続いています。
以上。
続いて、杉原千畝。
動画検索→
NHKスペシャル、どんな民族でも僕は助ける、杉原千畝
2025年9月7日日曜日
日本人と軍隊、過去と今
前記事の自衛隊イラク派遣判決→名古屋高裁は08年4月17日、航空自衛隊がイラクで行っている空輸活動の一部を「武力行使の放棄を定めた憲法9条1項に違反している」と断定した。 原告が求めた派遣差し止めなどの訴えは棄却したため、勝訴した国側は上告できず、判決は確定した。
、、、
次の動画のなかでドイツ人が言うように、●過去と向き合うことにより、今や未来と向き合えると思う。番組ゲストのドイツ女性がいうように、なぜ亡くなったのか明らかにすることが
大切だと。
なので、前記事の自衛隊死者が亡くなった理由をですね、
その他の理由とはなんなのか?
自殺の人は遺書があったのか?
遺書にはなんと書かれていたのか?
遺族の意向により、できる限り政府は発表すべきと。
事実を明らかにせずに政策も何もない。
イラク派遣は安倍の意向により小泉が引き継いだものと思われるが、動画での小泉の発言と周囲の笑いは、狂っているな。
自衛隊をやめた人のなかに、●政府に利用される、、。
意味の理由があったが、その通り。
では動画検索→報道1930スペシャル、日本人と軍隊、いま見つめる戦後80年
自衛隊海外派遣(米軍支援)
2015記事→自衛隊員が戦闘行為に巻き込まれるリスクが高まるとか、後方支援を行う場所が戦場になるとは考えていない」。安保法制(戦争法案)で、自衛隊が米軍等への後方支援、つまり兵員や武器弾薬等の補給を行えるようにすることについて、安倍政権が福島瑞穂参議院議員の質問主意書に対して、12日の閣議で決定した答弁だ。だが、こうした安倍政権の主張が紛争地で通じるのか。具体的な事例から考察してみよう。
○「現場で判断」する間もなく殺される
自衛隊が米軍等の後方支援を行っても、なお「リスクが高まらない」と安倍政権が主張する根拠は、「(現場の部隊長などが)人の殺傷や物の破壊行為が行われているか否かという明らかな事実により客観的に判断」し、「活動を一時休止、避難するなどして危険を回避する」からだという。しかし、「客観的な判断」する間もなく命を落とすことになりうるのが、紛争地の現実である。たとえば、陸自などが米軍の人員や物資を輸送する際、IEDの被害に遭う可能性が高い。IEDとは、手製の爆発物の総称で、イラクやアフガニスタンなどで、路肩にしかけられた爆発物が通りがかった米軍等の車両を吹き飛ばすことが多発したため、「路肩爆弾」とも訳される。実は、このIEDこそ、対テロ戦争における米軍にとっての最大の脅威だったのである。2001年から現在に至るまで、イラクとアフガニスタンで死亡した米軍関係者は6840人。そのうち、IEDによって殺された米軍関係者は2550人と、実に3分の1以上なのだ。また、イラク戦争では、ブラックウォーター社やKBRなどの民間軍事企業が、警備や輸送などを担うことが多かったが、2003年から2010年の間に468人の民間軍事企業関係者が死亡しており、その死因の中でも、IEDや輸送中の車列への攻撃が最も大きな割合を占めているのである。
○報じられなかった陸自イラク派遣の実態
本稿を読まれている方々には「陸上自衛隊のイラク派遣では犠牲者が出なかったではないか」と思う方もいるかも知れない。イラクに派遣された自衛官のうち在職中に死亡者は35人であり、うち自殺者16人、病死7人、事故または原因不明が12人。「原因不明」が気になるが、少なくとも、戦闘の中で次々と自衛官が殺されていく様な状況にならなかったのは、それなりの理由がある。端的に言えば、陸自はイラクでは、ほとんど活動していなかったからこそ、宿営地の中に引きこもっていたからこそ、戦死者が続出する状況にはならなかったのである。
「自衛隊が修復している」という学校に自衛隊の姿は無かった。
陸自がイラク南部サマワに派遣されていた当時、筆者は「自衛隊が修復している学校」に取材に行った。だが、現場にいるのは、イラク人労働者だけ。「自衛官たちはいないのか?」と聞くと、「1日10分くらい来ることもある」と労働者らは言う。要は、地元業者に工事を委託しているわけだ。しかも、現場の労働者らは「業者が悪いやつで、必要な建材が届かない。ネコババしているのだろう」と言う。筆者が「なぜ自衛隊にそれを言わないのか?」と聞くと「勿論伝えようとしているが、自衛隊の通訳が、ちゃんと伝えてくれない。貴方がなんとかしてくれないか?」と訴える。このまま工事を進めれば、学校の壁が倒壊し、子ども達が下敷きになる恐れがあった。筆者が自衛隊側に事情を伝えた後、建材は修復工事現場に届くようになったものの、危ないところだった。
同様に、「自衛隊が給水活動を行っている」という村々を取材した時も、自衛隊の評判は悪かった。給水活動も、業者に委託しており、その業者の管理がしっかりしていなかったからだ。村によって水が届いたり届かなかったりの差が大きく、業者によっては、自分の村を優先したり、水を他のところに売ったりしていたからである。だから、「自衛隊が給水活動をしている」はずの村で子ども達は泥水を飲み、病気になっていたのである。
「自衛隊が給水活動している」という村で子ども達が飲んでいた水
なぜ、この様な状況になっていたかと言えば、地元に雇用をつくるという目的もあったのだろうが、それだけなら500人余りもの自衛官がサマワに常駐する必要はない。要は、米国のメンツを保つために陸自を派遣したはいいが、下手に宿営地の外で活動していると襲撃される恐れがあるので、極力、外出を控えたというところだろう。実際、サマワには、米軍のイラクからの追放を主張し、米軍との戦闘も行っていたサドル派も支部を持ち、自衛隊の駐留にも反対していた。筆者はサマワのサドル派メンバーらにインタビューしたが、会見は非常にピリピリしたもので、自衛隊に対して敵意をあらわにしていた。
今後、紛争地で自衛隊が米軍の後方支援を行うとしたら、イラクへの陸自派遣の時のようなやり方は通じない。兵員や物資の輸送は常に行う必要があり、ずっと自衛隊が宿営地に引きこもっているわけにはいかないのだ。しかし、輸送のために頻繁に道路を陸自の車両が行き来するならば、上記したようにIEDや襲撃の脅威にさらされることになる。場合によっては自衛隊員が誘拐され、殺害された挙句、その映像がインターネット上で出回ることになるかもしれないのだ。
○論理破綻、詭弁だらけの茶番で、自衛隊を戦地に送るのか?
後方支援=兵員や武器弾薬の輸送が戦闘行為の一環であることを無視したり(関連記事)、国会質疑で「国連憲章に反する行為に対して、わが国が武力をもって協力することはない」と答弁したその直後に、米国の国連憲章違反の違法な戦争を擁護したり(関連記事)、参考人として国会で証言した憲法学者全員に「安保法制は違憲」だとダメ押しされたのに、憲法前文を持ち出して歪んだ解釈したり(関連記事)。そして今回の「後方支援でリスクが高まることはない」という答弁…。日本の安全保障のあり方については、必ずしも皆、同じ考えではなく、人それぞれの意見があることだろう。だが、安保法制をめぐる安倍政権の一連の主張はあまりに論理破綻が酷く、詭弁だらけで不誠実だ。このような茶番の果てに危険な紛争地に送られるとしたら、自衛官たちが気の毒すぎるだろう。
志葉玲
フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
真珠湾攻撃の兵士
あと一年半早く降伏をしていれば、こんなにたくさん死なずに済んだ、の言葉、そのとおりだと。
ですから、原爆を落とされた日本人は、戦争を回避し平和を
保つ世界にする義務を、負っているのです。あの戦争も必然だった。なぜならこれから世界平和を実現するのは日本人の力が必要だからだ。検索動画→真珠湾の記憶、吉岡政光さんインタビュー
2025年9月6日土曜日
無茶
この事件も、必然だったのでしょう、、が、、。
衝突寸前の写真(産経ニュース)見ましたが、あまりに危険すぎます。
ダンプの運転手は、左の際から出てきた女性が見えていなかったのかも?
発進の合図を別の警備員から受け、自身による警戒が薄かったというか、まさか飛び出して来るとは?
という感じではないでしょうか?
この場所での運動には参加はしていないですが、見たことは
ありました。
辺野古基地の運動同様平日毎日行われています。
毎日同じやり方のハズですが、、
この女性はそれを知らない人だったのか?
知っていれば自殺行為ですから。
自分が出るとダンプカーが止まる!
とおもったのかも?
もし止まっても一体それでどうなるのか?
それで工事がストップするはずもない。
しつこいと、警察を呼ばれて業務妨害でしょっぴかれるだけ。
辺野古基地の座り込みでも、普段はしないけど熱い気持ちで本土から来た人が、警察の●どきなさいどきなさい!。
に、いつまでも抵抗して、、それはたくさんの人がやるんですよ、その後に椅子ごと警察が抱えてどかせるのですが、、
そこまでは、普通なんですが、、その時に、警察になんかすると、、、しょっぴかれて行きます、女性でも。大人しく椅子ごと運ばれるのがルール。
この、●椅子ごと運ばれる。は、運動家たちの決まりだった
と、後で聞きました。わたしは知らなくて、、●どきなさい!
ではどきませんが、初めての日に、警察が来て私の足首を掴んだんですね!そこで●足首なんか掴まれるんやったら自分から
どくから。と、椅子をたたみ持って退く。
毎回それでやってました。
この足首つかみには、ゾッとした思い出がある。
高校のバスケの練習試合で、近所の高校の体育館で練習してた時、、そこの体育館には、床に近い位置に、小さな空気窓があったのだが、誰もいないのに、いきなり両足首を掴まれた。
小窓から外を見ても誰もいない、逃げたのだろう。
外のグラウンドにいた、その学校の男子生徒だと。
だから、、警察に椅子ごと二人がかりで運ばれるなんか、
イヤなんですよね。
でも本来はこれをやらないといけなかったらしいが、、
コロナからは、自由意志!となったらしい。ホッ!。
で、ゲートに並んだ椅子が無くなると次は、行進の時間。
反対の言葉を唱えながら。
行進終えると、ゲート前にズラリ並んだ警備員と向かいあわせに、ズラリと並んだ運動家たちがシュプレヒコ一ル。
わたしも大声で叫びましたよ、たぶん一番大きい声。
警備員と警備員の間からペットボトルを向こうに向け、、
投げてませんよ、降るんです。
向こうにいる防衛局の職員に向け、●防衛局は帰れ~! 言いながら。
心のなかでは、●クソ!警備員ら、なんでこんな仕事してんねん!。
と思うと、警備員の顔キワキワにペットボトル何度も振りましたが、警察には止められませんでしたね。
危険なことはせん!と、わかっていたのかも?
このシュプレヒコールのあとに、運動家はゲートの両脇に寄り、入ってくるダンプカーを迎え入れる?わけです。
わたしなんかは、
ダンプのうんちゃんに、バカデカイ声で、
●カエレ〜と、叫びまくる。
毎日一人の男性ウンチャンが、窓から私に怒り顔で叫び返して来た。
まあ、これがイベントの一連でした。
今思うと、よくあんなことやったなあ。 超本気で頑張ったなあ、喘息なのに、なんて偉い!と。。。
亡くなった警備員は、米軍側、米軍基地造成のため、防衛局が
雇った人ですね。
身の危険をかえりみす、女性を助けています。
とっさに動ける瞬間判断は素晴らしい。
この事件で一体、だれがどのように、学びに変えるのでしょうか?
この場所から土を辺野古基地に運び埋め立てをするわけです。
元隣人の弟も、以前この仕事をしていたのですが、、
土をトラックに積む作業中に突然意識を失い、別のトラックにあたり止まった。
誰も命に別状はなく、弟も意識を取り戻した。
怖さからしばらく弟は運転をやめていたそうですが、しばらく
して、また同じ仕事をすると言い出し、、
隣人たちが、●次同じ仕事したら、もう命ないと、ユタさんに
言われたでしょう。
と制止し、別の建設の仕事をしていると。
当時30歳くらい。
沖縄ではユタ半分医者半分という具合です。
ダンプカーの排気とか、
ひどいですので、心臓に来たのかも?
では、事故ではなく事件とされたこの記事を→
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた70代女性を制止した警備員が昨年6月、ダンプカーに巻き込まれ死亡した事故で、沖縄県警が重過失致死容疑で女性を立件する方針を固めたことが8月31日、分かった。徐行するダンプカーの前に出るという行動に出た女性に重い過失があると判断したもようだ。県警は起訴を求める厳重処分の意見を付け、近く書類送検する方向で詰めの捜査を進めている。
【防犯カメラの映像】ダンプの前に飛び出した女性を警備員が必死に止めようとする。
事故は昨年6月28日、土砂搬出港の桟橋前の路上(名護市安和)で発生した。警備員の宇佐美芳和(よしかず)さん=当時(47)=と女性にダンプカーが衝突。宇佐美さんが死亡し、女性も大腿(だいたい)骨を折るなどの重傷を負った。
その後の調べで、現場付近の防犯カメラに事故当時の状況が残されていたことが判明。産経新聞が入手した映像には、宇佐美さんの後方から足早に近づいてきた女性がダンプカーの前に出て、制止しようとした宇佐美さんが女性とダンプカーの間に割って入る形となり、そのままひかれてしまう様子が写っていた。
県警は映像の解析を進めるとともに事故現場で実況見分を行い、事故の予見可能性や結果回避可能性なども慎重に検討。その結果、女性に重い過失があったと認め、刑事責任は避けられないと判断したとみられる。
県警は自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)容疑でダンプカーの男性運転手を、業務上過失致死傷容疑でダンプカーに発車の合図を送った交通誘導担当の男性警備員を書類送検する方向でも調整している。
2025年9月5日金曜日
工藤艦長が果たした役割
前記事以外にも、日本海軍が敵兵を助けていた事実を記述した記事が見つかりました。
他の記事も、平成天皇がイギリス訪問する前に、イギリス国民が謝罪と賠償を日本に求める声が上がったとか、、。
工藤館長は、日本の戦争最高責任者が、やらないやれない
事を、前倒しで果たしていたということでしょう。
このおかげて、イギリス人の反日感情が和らいだのですから。
それから、、記事は平成天皇の時代に書かれたものですが、
最後のほう、筆者が、工藤館長の行動を否定的と捉えたことがわかる文章がありますが、、、
それは、ただ単に、●目に見えるもの、いわゆるどれだけの
敵兵を殺し、戦状を日本優位に導いたか?。
というものさしだけで測った考えによるものであり、
精神的な面を完全無視した考えに陥っていると察します。
真に大切なものとは、魂の成長。
例えば、多数のイギリス兵を救ったイカヅチは、
このどれくらい後かはわからないですが、工藤館長が異動で
イカヅチから去ったあとに撃沈され、部下たちは亡くなります。
しかし、肉体は亡くなりますが、魂は工藤の元で、すでに
成長をしているのです。
それだけのことを、工藤により学び体験ができたということ。
その魂たちが、別の肉体を持ち、地球はたまた別の星に転生をするそのスタート時点位置、、いわば魂の位が、おぎゃあと産まれた時から、そういう学びや成長をせずに死んだ魂とは、全く違うわけです。
自分自身をかんがみても、それは間違いないです。
同じ親から産まれた三人兄弟ですが、、、
子供のころから違っていました。
大人になり、高齢となった今も全然違う生き方です。
姉や兄は長年同じ職場で勤め上げ、、
地道はいいのですが、、
姉の旦那も含め、
まあ、いわゆる退職金とかもしっかりとあり、
老後生きてゆくお金の心配は無い人らですね。
わたしはと言えば、、
高校出て2年少しで三菱電機の経理部をやめ、
眼科でバイト、やりがいもないので先輩の真似をして
三菱の仕事いきながら土日はレストランで働いてみたり、
習い事でテニスやエレクトーンをやっても、
面白くない、、打ち込めるものが無い、、
結婚して、自分が仕事で売り上げ上げるのが面白い時期あったが、、毎日が戦いくらいやりがいはあったが、、
うちの会社が無くても社会は成り立つと思うと、、
自分しかできない、やり方をして
自分しかできない事をしたかった。
それが離婚後に始めた動物愛護活動でしたね。
で今は、、こういうことを書いてます。
何が言いたいか?
人間として産まれた以上、
魂が心底喜ぶことを選択すべきと、いうこと。
だからイカヅチがあの場面を発見したのも、偶然でなく必然。
すべての出来事は天、神からのためされごと。
その時に、最高の判断力で全力を発揮する。
これにつきますね!
そしてそれこそが
●己との闘いに勝つ、ということ。
闘う相手とは、自分自身なのです。
そのためには、常日頃から
自分自身に向き合う!という作業こそが、肝心なのです。
では記事をどうぞ、前動画のイギリス兵フォール、戦後外務省に勤務した彼も、工藤同様、イギリスと日本の橋渡し役を担うことに。→
今上天皇及び后の両陛下が今から8年前の平成10年(1998)5月にイギリスを訪問されたときの事。当時、イギリス国内では天皇の訪英に対する反対運動が生じていました。
その中心となっていたのが、戦時中に日本軍の捕虜となった退役軍人たちで、捕虜として受けた非人道的な処遇(捕虜への食事に木片の腐ったの=実は牛蒡ごぼうの事=があるとか―)への恨みに対する抗議や謝罪を要求しようというものでした。
そうした世情の最中、ある投稿が『タイムズ』紙に掲載されたのです。それは、元海軍中尉サムエル・フォール卿が寄稿したもので、「元日本軍の捕虜(の1人)として、私は旧敵と何故和解する事に関心を抱いているのか、説明申し上げたい」と前置きして、自身の体験を語ったのです―
太平洋戦争勃発に伴い、日本は英領マレー連邦に侵攻を開始し、昭和17年(1942)2月15日、日本軍はシンガポールを陥落させます。
イギリスの重巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」は、インド洋のコロンボへと脱出を図るために途中、ジャワ島スラバヤ港に逃れ、ここで米・英・蘭・豪の連合国艦隊(ABDA艦隊)に再編成されます。
昭和17年(1942)2月27日から3月1日にかけて、ジャワ島北方のスラバヤ沖でジャワ攻略の日本軍艦隊とABDA艦隊との間に海戦=スラバヤ沖海戦(ジャワ海海戦)があり、ABDA艦隊艦船は15隻中11隻が撃沈してしまいます。
そうした最中の3月1日、先ず「エクゼター」が撃沈されます。「エンカウンター」も単独航行し続けますが、ついに撃沈されてしまいます。
その「エンカウンター」にフォール卿は砲術士官として乗船していました。
フォール卿たちは、「エンカウンター」の艦長と共にボートに乗って脱出しますが、そのボートも小さな砲弾が着弾して破壊され、フォール卿は艦長共々ジャワ海に飛び込みます。
首から上を出した状態で、浮遊木材に5~6人で掴まり、近海の沿岸部に在るオランダ軍基地からの救助を待っていたそうです。(すでに連合国側の制海権ではなくなっていますね)
周辺海域には同じ様にジャワ海に飛び込み漂流中の「エグゼター」の乗組員や「エンカウンター」の乗組員たちが約21時間もの時間を漂っています。
そんな情況下の翌2日、そこに偶然通りかかったのが、日本海軍の駆逐艦「雷いかづち」でした。
「雷」は漂流者たちに砲を向けつつ接近してきます。フォール卿は「日本人は非情」という先入観があったため、固唾を呑んで見つめつつも、機銃掃射を受けて死ぬんだな、と死を覚悟していたそうです。
実のところ、前日にスラバヤ沖の周辺海域で日本軍の輸送船がアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没するといった被害に遭っていたのです。
何時艦船の魚雷攻撃を受けるか分からない状況では、国際法上、海上遭難者を放置しても違法ではありません。
自分たちは見捨てられるのだろうとフォール卿をはじめ漂流者たちは考えた事でしょう。
しかし、その一方で、助かるかもしれないという一抹の希望もありました。それは―
昭和16年(1941)12月10日、マレー沖で日本海軍航空部隊によるイギリス東洋艦隊への攻撃でイギリスの最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が撃沈された(マレー沖海戦)際、駆逐艦「エクスプレス」が海上に脱出した数百人の乗組員たちの救助を始めるのですが、日本の航空部隊は一切妨害する事なく、それどころか手を振ったり、親指を立てて、頼むぞ、頑張れ、といった仕草を送り、その救助活動を見守りました。
更には、救助活動後にこの「エクスプレス」がシンガポールに帰投する際も、日本機は上空から視認しただけで、攻撃を差し控えましたのです。
そして前日の3月1日には、撃沈されたイギリス海軍重巡洋艦「エクゼター」の乗組員376名を「雷」の僚艦「電いなづま」が救助していたのです。
この折も「エクゼター」の士官たちが兵員に対し、「万一の時は日本艦の近くに泳いで行け、必ず救助してくれる」と話していたのだそうです。士官には「プリンス・オブ・ウェールズ」沈没の際の日本海軍の行動が頭を過ぎったのでしょう。
そんな思いが頭を過ぎっていた漂流者たちに「雷」は近付いてきたわけです。
― ◇ ◇ ◇ ―
海軍中佐工藤俊作艦長率いる駆逐艦「雷」は、見張りによって「浮遊物は漂流中の敵将兵らしき」「漂流者400以上」と報告を受けていました。
しかし、危険海域なので、「(敵の)潜望鏡は見えないか」と敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、「救助!」と命じます。
状況から見て、国際法上、海上遭難者を放置しても違法ではないわけですが、工藤艦長は敢えて救出の命令を下したのです。
「雷」は直ちに、「救難活動中」の国際信号旗をマストに掲げ、傍受されかねない状況を度外視して「我、タダ今ヨリ、敵漂流将兵多数ヲ救助スル」と無電で発しました。
「雷」の乗組員がロープや縄梯子、竹竿を差し出して漂流者たちを救助しようとしますが、彼らは誰一人として誰も上がって来ようとしません。
彼らは、重傷者からの救助を最優先しろ、と合図を送ってきました。後年、「雷」の乗組員の方はそうした彼らの行動に「ジョンブル精神」を見たと誇らしげに仰っていたそうです。
この「ジョンブル精神」、簡単に言えば、不屈の精神を持つ本当の意味でのイギリス人という意味で使われます。似たような響きに「ゲルマン魂」とか「大和魂」、「ヤンキー魂」なんかがありますよね。
余談ですが、明治45年(1912)4月14日深夜から翌15日未明にかけて起こった豪華客船タイタニック号沈没事故の悲劇の際、一番多く死亡したのがイギリス人紳士たちだったそうです。
イギリス人紳士たちは沈み行く船の上でも、「レディーファースト」を重視し救助用ボートで順番待ちをしていたのです。死に瀕した場面においても彼らはジョンブル精神が発揮したわけです。(逆に、アメリカ人は我先にと人を押しのけてボートに乗り込んだそうですよ)
さて、浮遊木材にしがみついていた漂流者たちは最後の力を振り絞って、「雷」の舷側に泳ぎ着きますが、中には「雷」の乗組員が支える竹竿に触れるや安堵感から力尽きて水面下に沈んでいく者もいます。甲板上の乗組員たちも、涙声を嗄らしながら「頑張れ!」と叫び勇気付けます。
こうした光景を見兼ねて何人かの乗組員は自ら海に飛び込み、力尽きてしまった者あるいは重傷者らの体にロープを巻き付けて抱え上げたりしたのです。
こうなると、敵も味方もありませんよね。同じ海軍軍人同士の友情が芽生えるのも不思議ではありません。
乗組員たちは、甲板上で無事に救出できた兵員たちの身体に付いた重油の汚れなど布とアルコールで拭き取って清めてあげました。
また、新しいシャツや半ズボン、靴なども支給し、貴重な飲料水の他に温かいミルクやビール、ビスケットなどの食糧も配られました。飲料水の消費量は実に3トンにも上ったとか―
その後、救出された兵員のうち、士官たち21名が前甲板に集合を命じられました。何事か不安がっていると…
艦橋から工藤艦長が降りて来て士官たちに端正な挙手の敬礼をし、続いて流暢な英語で次のように語り掛けました―
“You had fought bravely. Now you are the guests of the Imperial Japanese Navy.”
(諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。)
「雷」はその後も終日、海上に浮遊する生存者を捜し続け、例え遙か遠方に1人の生存者が居ても、必ず艦を近付けて停止し、乗組員総出で救助したと云います。
結果、422人もの人命を救助した事になります。「雷」の乗組員約150名の3倍近い人数です。
翌日、救助された兵員たちは、パンジェルマシンに停泊中のオランダ病院船「オプテンノート」に引き渡された。移乗する際、士官たちは「雷」のマストに掲揚されている旭日の軍艦旗に挙手の敬礼をし、また艦橋ウィングに立つ工藤艦長に敬礼します。
工藤艦長は、兵員たち1人1人に丁寧に答礼をしていたそうです。
― ◇ ◇ ◇ ―
さて、一体この駆逐艦「雷」の艦長・工藤俊作海軍中佐とは、一体どのような人物だったのでしょう?
工藤俊作海軍中佐は山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)出身で、大正9年(1920)、海軍兵学校に第51期生として入学します。
その時期の海軍兵学校の校長が鈴木貫太郎だった事もあり。工藤艦長は鈴木貫太郎の影響を強く受け継ぎました。
鈴木貫太郎が校長の時期は徹底したジェントルマン教育が実践されたようで、厳しい規律の中にも明朗さを失わせず、幅広い教養を持たせようとしたカリキュラムでした。
そもそも、日本海軍創設以来、イギリスがそのモデルにあったわけで、創成期の頃イギリスに留学していた服部潜蔵海軍大佐などはジェントルマン精神を実践していた人物として知られています。
また、工藤館長の性格の一端を窺わせるエピソードとして、上述の敵兵救助の際、蘭印攻略部隊指揮官・高橋伊望中将率いる重巡「足柄」に「エクゼター」と「エンカウンター」の艦長を移乗するよう命令がありました。
その際、高橋中将は双眼鏡で、「足柄」の艦橋ウイングから接近中の「雷」を見て、甲板上にひしめき合う兵員の余りの多さに驚愕します。
この時、第三艦隊参謀で工藤艦長と同期の山内栄一中佐が高橋中将に「工藤は兵学校時代からのニックネームが“大仏”であります。非常に情の深い男であります」と言わせているんですよね。
☆☆
以上のエピソードをフォール卿が『タイムズ』紙に寄稿。多くの賛同があって、反日感情は薄れていきました。
そのフォール卿が平成15年(2003)10月19日、来日しました。フォール卿来日の目的は、叶う事なら工藤艦長の墓参をし、遺族に感謝の意を表明したいという積年の思いを遂げる事でした。ところが、その願いは叶わず、帰国されます。
フォール卿から依頼を受けていた惠隆之介さんは翌16年(2004)12月に工藤艦長の墓所の所在と遺族を見つけ出します。
遺族の話によると、工藤艦長は昭和54年(1979)1月12日、享年78歳の生涯を閉じていました。
戦後、工藤艦長は暫くは故郷の山形県で過ごしていましたが、奥様の姪御さんが開業した医院で事務の仕事に就くため埼玉県川口市に移り住んだそうです。生前には軍人時代の話は何一つ家族に話さなかったようです。まさに工藤艦長は“黙して語らず”の余生を生きたんですね。
フォール卿は、改めて平成20年(2008)12月7日に再来日され、工藤艦長の墓前に念願の墓参りを遂げ、感謝の思いを伝えられたそうです。
― ◇ ◇ ◇ ―
最後に、こういう話は戦争のない時代では美談になるのでしょうが、いざ戦時中ともなると、ただの命取りになりかねない行為にしか見えませんね。日露戦争時の海軍軍人である秋山真之は近代戦争では人道行為こそ滅亡の遠因、命とりな行為となる―と言い切っています。
秋山真之は米国留学時にヒントを得て海軍戦術の研究に取り組み、中国の『孫子』や『呉子』、その他世界各国の戦史を紐解いたそうです。
その中で秋山は「戦術とは戦いと同様のものであり、戦いには戦術が要る。戦術は道徳から開放されたものであり、卑怯も何もない」、すなわち、戦場という複雑かつ過酷な状況下で目的を遂行するためには、その時々の道徳や情とは切り離すべきもの、と捉えていたようです。
それ故に、日本海海戦時にウラジオストック艦隊の追跡を断念し、撃沈したロシア船「リューリック」の乗員救助にあたった司令長官・上村彦之丞を次の様な言葉で批判しています―
「戦略目的を犠牲にしてまで敵の漂流兵をすくうのは、宋襄の仁である」
「宋襄の仁」とは、中国・春秋時代の紀元前638年に宋の襄公と楚の成王が戦った泓水(おうすい)の戦いでの際、宋軍の側近が楚軍の布陣がまだ整っていないうちに先制攻撃しようと進言するが、襄公は「君子は人の困っている時に苦しめてはいけない」と言って進言を退け好機を逸したため、遂には楚軍に敗れ、宋は楚の影響下に置かれる事になってしまった故事を云い、この事から、敵に対する不必要な情けや哀れみをかけたために、かえって酷い目に遭う事を「宋襄の仁」と呼ぶようになった、と伝えています。
まともに戦って勝てる相手ではないのに、正々堂々と勝負しようとする考え方など、言語道断です。こうした考え方は、全く戦争という緊張から遠ざかってしまった"平和ボケ"してしまった姿が言わしめた出来事なのかもしれませんね。
2025年9月4日木曜日
人間力、工藤俊作
みなさんは、「人間力」と聞いて、何をイメージするでしょうか?
お金を稼ぐ力ですか?
それとも道徳心のことでしょうか?
道徳心、人の道をゆくかぎり必要な観念とは?
人間力、、人の道を全うする、それは、無言の教育を他に施すことができるチカラとも、いえると思います。
この場に立ち合った人のみならず、こうして見ず知らずの人間にまで後世に渡り教育を施して下さる。
先日、戦艦大和の動画内での言葉
●昭和の良い部分と悪い部分。。。
これは、おおいに個人に左右さらせれると‥
武士道魂、本物の大和魂とは、、、
こういうものだと。
動画検察→海の武士道、英米が脱帽、国際感情を変えた工藤俊作館長の感動
2025年9月3日水曜日
一億総特攻のさきがけ、戦艦大和
教育とは、恐ろしいもの。
特攻隊がかっこいいとか、水兵がかっこいいとか。
アメリカが日本への石油の輸出完全ストップをしたことも、
日本がアメリカと戦争をするきっかけという話もありますが、
石油に関して他の手立てを試したわけではなかったと思います。
国の支配に従い他国と戦った者、日本共産党などのように、
国の支配に背き、支配する国と戦った者たち、、、
敗戦は、必要だったのかも知れない。
あの軍国主義日本が続いていれば、恐ろしい。
戦争をしなければアメリカの植民地になっていたのかも?
まあ今も実質そんな感じですが。
そんな先人たちが残したもの。
その、「負の遺産」を、「正の遺産」にする方法もある。
動画の八杉さんが最後にいわれる言葉。
●あれ以来うかうかと生きて来ていない
●うかうかと死にゆく気持ちもない。
、、
これなんですよ。
だからこの人格形成なのであり、
それが、ひいては【生き切る】と、いうこと。
敗戦してよかった。
人が人たる意味。
戦争をやるということは、
どれだけの命、自然、環境ら、地球、、
すべてを失うことなのだということ。
絶対に戦争をしない!
これをわたしたちが実行に移すことは、
すべての先人たちのカルマや後悔の念を解き放つことになる。
それこそが、戦後生まれのわたしたち全ての生命の
使命ではないのか。
手を合わせ拝むことが、亡くなった人を弔うことではなかろう。
本当に弔うというのは、
生きて地球に立つ私たちが使命を成し遂げることにより、
叶わなかった先人たちの後悔の念を解放に至らせると
いうこと。
動画検索→戦艦大和の最期、乗組員八杉康夫の証言
向き合う
この記事は就活についてですが、人生過去を探って行き自分に向き合うためには、こういうやり方もとても良いと思います。
やはり、表面上の会話が面白くないというか、、、
いや、わかっていることを口に出してほしくない、わたしが
質問をしたのは、その奥の答えが聞きたかったからだ、と
思ってしまうことがよくあり、、話をするのがいやになって
しまうから。
思慮深い人間。
やはり、自分なりの哲学を持っている人がいい。
→「この人は賢い」と感じられる人
就活の面接では、学生が口にする言葉は一見よく似ていて、多くの人が「リーダーシップを発揮しました」「問題解決力を培いました」といった、聞き慣れたフレーズを口にします。
しかし面接官は、同じ言葉でも、ある学生には「この人は賢い」と感じ、別の学生には「表面だけ取り繕っているのかも」と感じるのです。その差はいったいどこにあるのでしょうか。
本当に賢い人と実は浅い人、たった一つの違い
結論から言えば、面接官が見ているのは知識の量や話の派手さではありません。違いを生むのは「考え抜いた跡があるかどうか」です。
たとえば、ニュースで仕入れた知識を並べる学生は、一見すると勉強熱心に見えます。
「AIの未来が重要だと思います」「御社は成長産業だから志望しました」といった発言も、表面上は立派に聞こえるでしょう。
しかし、面接官が「具体的にどんな経験からそう思ったの?」と問いかけると、急に言葉に詰まってしまう。これは“賢そうに見えて実は浅い”典型例です。
一方で、本当に賢いと感じさせる学生は、どんなに小さな経験でも自分の頭で咀嚼し、そこから得た気づきを筋道立てて語ることができます。
アルバイト先での失敗談や、部活での人間関係の悩みのような“平凡な体験”でも、「なぜそう考えたのか」「どう工夫して変化したのか」という思考のプロセスを示すことで、面接官に印象を残します。
面接官に賢いと思われる学生がやっていること
ここで大切になるのは、“問いを持てるかどうか”です。
浅く思われてしまう学生は、あらかじめ用意された「正解っぽい答え」を語ろうとします。「御社で成長したいです」「社会に貢献したいです」といった言葉は聞こえはいいものの、誰が言っても同じに聞こえてしまいます。
一方で、面接官に賢いと思われる学生は、経験を通して自分なりに「なぜ」を問いかけています。たとえば授業に遅刻したとして、遅刻の理由を考えるときに、こう考えるのです。
なぜ授業に遅れたのか? →朝起きるのが遅かったから
なぜ朝起きるのが遅いのか? →夜更かししたから
なぜ夜更かししたのか? →スマホを触っていて寝る時間が遅くなったから
なぜ夜にスマホを触ったのか? →やることがないからスマホで動画を見ようと思った
『脇役さんの就活攻略書』p.51より
普通だったら、「夜更かししたから早く寝よう」などの解決策で終わるところを、「夜更かししたのはやることがなかったからだから、夜はスマホのロックをかけて読書しよう」などと根本的な解決策に辿り着くことができます。
こうしたなぜなぜ分析をすると、面接官は自分の頭で考えられる人という可能性を感じるのです。
2025年9月2日火曜日
先人への恩
戦時中、堂々と反戦を掲げて支配者と闘った者たち。
その先人たちのおかげで、今のわたしたちがある。
女性を動物以下の扱いに処するモノたち。
捕まると拷問や死に処せられる覚悟。
それでも支配にひれ伏すわけにはいかない。
自分に正直に、自分がすべきことをもって、非道な権力者との
闘いに打ち勝つことは、自分自身に向き合い、自分自身に打ち勝つこと。
拷問を受けようが殺されようが、敗戦でアメリカ軍により
解放され、事実上、日本の国家支配権力から解放。
その先人たちの激しい闘いがあったから、
私達の闘いは、静かなる戦いで済んでいる。
日本国家との戦い。
動画検索→暴走した憲法、治安維持法、制定100年、屈辱的な拷問受けた
2025年9月1日月曜日
日本共産党
共産党とは言いますが、中国共産党とは意味合いが全く別です。
例えば日本の自民党は、自由民主党ですが、自由や民主は名ばかりで、中身は逆なのはわかりますよね?
中国共産党は、、共に生産と書きますが、支配の上に成り立つもの、平等ではない!と、いうこと。
しんぶん赤旗より→
2025年8月20日(水)
共産党と「赤旗」 新たな期待
排外主義反対「励まされた」 若者「入党したい」
参院選の結果、自民・公明両党が過半数割れに追い込まれた一方で、極右・排外主義という危険な潮流が台頭しました。大きな歴史的岐路にあるいま、全国から「しんぶん赤旗」の日本共産党本部への申し込みが相次ぎ、「入党したい」と党員に声をかける若者たちが現れるなど、党への期待と関心が高まっています。
申し込み 1.8倍
8月に党本部に寄せられた「しんぶん赤旗」の申し込みは、17日までで昨年8月の1・8倍です。申し込んだ人のコメントを見ると―。
「参院選の結果に危機感を覚え、共産党を具体的に応援したくなった」(東京都)「参政党の参院選での結果は、外国人の住民として怖いです。日本の政治を知りたいです。『赤旗』の報道は良いと聞いています」(鳥取県)「異常気象に危機感でいっぱいです。資本主義による自然破壊が原因だと考えます。共産党がどのように取り組んでいるのか知りたいです」(神奈川県)「自民党の裏金問題や、各種差別問題など、他の新聞社ではあまり取り上げない記事をいち早く取り上げると聞いたので」(静岡県)など、極右・排外主義の台頭に危機感を持つ人や、差別反対をかかげて参院選をたたかった日本共産党に希望を見いだす人、新しい政治を模索する人たちの声が続いています。幹部会決定(3日)は、「いま大きく打って出れば、読者拡大の飛躍をつくる条件が広がっている」と指摘しています。
「私、日本共産党に入党したいんです」。1日、千葉県船橋市で宣伝していた金沢和子党市議は29歳の青年に声をかけられました。椎葉寿幸党西部地区委員長を交えて7日、青年の思いを聞くと「参政党が議席を伸ばし、日本がどうなるのか不安。参政党は言動が軽い。『核を持った方が安上がり』と簡単に言ってしまう。排外主義に反対する共産党に励まされました」「裏金政治の自民党に立ち向かう政党がなくなったら困る」と話しました。青年は綱領や「入党のよびかけ」を受け取り、16日、青年支部の党員のよびかけに応え、入党を申し込みました。
高3 本部訪ね
14日、党本部を「日本共産党の平和主義と社会主義に共感している」と話す首都圏の高校3年生(18)が一人で訪ね、党本部の職員とロビーで話をしました。7月に日本共産党参院候補の街頭演説を聞きに行ったことがきっかけで、民青同盟に加盟したばかり。「ソ連は社会主義じゃない。本来の社会主義が人類の未来には必要です。入党しようかと思って来ました」と語りました。
『資本論』を途中まで読んだが難しくてわからなかったと言う高校生に職員が、志位和夫議長の『Q&A いま「資本論」がおもしろい』を紹介すると「読んでみたい」と購入。30日の田村智子委員長と生き方について語り合う「高校生サマーセミナー」への参加も申し込みました。
参院選でボランティアに参加した人も入党しています。10日に入党した東京都の20代は、「入党のよびかけ」を読み「労働時間の短縮をぜひ実現したい。支部のメンバーと一緒に活動して、社会を変えていけるように頑張りたい」と語りました。
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