2022年10月11日火曜日

素晴らしいな

自分はお腹に子どもおる可能性有りなら手術ようせんかった。 初期に、えさやり人から、おらんて聞いて、手術後に 医師から一匹おったと、聞かされてから。 いろんな考えあるから。 野良で産まれてくる仔猫が可哀想やから、お腹におるおらん時期関係なく、手術する人もおるし。 手術医師から、おったと聞いても、良かったと安心する人もおれば、おったと聞いて、苦しむが、時期関係なくtnrを 続ける人もおる。 猫も、それぞれ性格があり、野良のままいたい子もおる。 野良のままいたい子には、寒い時は暖かい場所を用意してあげたり、餌をあげたり、もちろん手術をした上で。 それぞれの思いの上で、不妊手術があり、 その上での餌やりは、とても良いと思う。 もちろん、やせてるコは、すぐにあげないと、命にきけんが。 体重が戻ってから手術をね。 ただ、いきなり捕獲機かけると、どのコが入るかわからんし、 一回捕獲機入ると、恐怖心から二度と入らないコがおるから、 弱った状態で麻酔かけると死ぬので、もちろん医師の裁量もあるが、 そういうコが入った場合には、保護できるなら保護してから 手術、保護できないなら、一旦逃してえさをやりながら 体調をみて手術とか、、 tnrをする人間の多くが、いろんな気持ちを抱きながら。 でも、後にこうなれたなら、しあわせだ。 tnrやる人間や保護活動者は、すでに多くの猫を抱えている場合が多く、あとの人に、繋げるしかないから。→サクラ猫って知っていますか?TNR(T=TRAP「つかまえる」N=NEUTER「不妊手術する」R=RETURN「元の場所に戻す」)の際、耳の先端をサクラの花びらのようにV字型にカットされた野良猫のことです。地域猫ともいいます。「サクラ猫としてがんばってもらっていたけど、車を追いかけてきて、とうとう玄関を突き止められ玄関先でずっと鳴いてるためうちの子になりました(笑)」と投稿したのはハニートーストさん(@hanichan_u_m)。ツイートの画像には、白黒の猫がダンボール箱に入っている画像が掲載されていました。 飼い主になったハニートーストさんにお話を聞きました。 ーー猫のお名前を教えてください。推定年齢もお願いします。 「ウーちゃん、8歳の男の子です」 ーーどんなところで、何年くらいサクラ猫をしていたのですか。 「近所の公園やスーパーの駐車場で暮らしていました。初めて会った時はビクビクしていて、とても痩せていました。サクラ猫歴は約2年です」 ーー出会いのきっかけは? 「私がいつも利用する近所のスーパーの駐車場に突然現れて、しょんぼりしてるように見えたので、『今ごはん買って来るから待っていてね』と言ったら待っていてくれて、ごはんをあげたのが出会いのきっかけです」 ーーいつしか追いかけてくるようになったのですか。 「毎日ごはんをあげてるうちにだんだんとストーカー気質がでてきて、うちからスーパーまで700mくらいなのですが、徒歩だと帰り道ずっとついてくるので、近いけど車で通うようになりました」 ーーそれでも追いかけて来たのですね。 「だんだん車でも途中まで追いかけてくるようになったので、遠回りして帰っていましたが、エンジン音を聞き分けて家の近くの道路で待ち伏せされたりして、まくのが大変でした。そんな日が2年くらい続いていました」 ーーそして、ついに玄関まで突き止められたのですね。 「せめて玄関はバレないようにしようと、駐車場から玄関まで家の周りを何周か回って中に入ったりしたりしましたが、数日で玄関もバレました」 ーー玄関までついてきたと知って驚きましたか。 「とても賢い子だと感じていたので、驚いたというよりも、とうとう知恵比べで負けてしまったと思いました」 ーー「これはもううちの子にするしかない」と思ったのですか。 「ずっと鳴き続けていたので、『もううちの子にしなければ』、という感じです」 ーーおうちにはすぐに馴染んでくれましたか。 「最初はずっと窓の外を見ていて、外に出たがりました。でも、今は窓の外を見て満足したら、膝に乗って甘えてきます」 ーーどんな性格の子ですか。 「性格は優しくて賢くて甘えん坊です。でも繊細な面もあって、すごくビビりで、病院では固まって、お漏らししてしまいます。お外時代は積極的な猫だと思っていたのですが、あの頃は頑張っていたんだなと感じています」 ーーウーちゃん、幸せをつかめて良かったですね。 「他にも過酷なお外でお腹をすかせた猫さん達はたくさんいます。もしもお外の猫さんに出会ったら、ぜひその子のごはんやお水や、もっと言えばQOLまで考えてほしいです。地球は人間だけのものではないので、みんなで助け合って生きていけたらいいなと願っています」 ツイッターの投稿を見た人からは、 「猫ちゃんがおうちの子にしてってついてきたのですか。泣けますね」 「どうしても傍にいたかったのですね。うちも、ある日突然家の前に来ていました」 「自力で幸せつかんだんだ!やったね」 「自分でお家を選んだんですね。うちの子も車を追いかけてきたので、後日保護しました」 といったコメントが寄せられていました。 (まいどなニュース特約・渡辺 陽)

2022年10月9日日曜日

琉球新報

本日付記事→インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)さんがツイッター上に「0日にした方がよくない?」と投稿して物議を醸した名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に掲げられている座り込み日数のカウントは、2014年7月7日を起点にしている。同1日、沖縄防衛局が同基地で普天間飛行場移設に伴う辺野古への新基地建設の関連工事に着手し、ゲートから工事車両が出入りするようになった。それに伴い抗議行動が開始され、現在に至る。 【写真】6000日以上の日数が記されている漁港横のテントに設置された表示板  ひろゆきさんの辺野古取材に基づく7日放送のインターネットテレビの番組では、出演者から座り込みの定義や辺野古での抗議の形態に批判が相次いだ。ただ、普天間飛行場の移設問題が浮上して以降、米軍キャンプ・シュワブ周辺では形態は変化しながらも基地建設に抗議が続いているのは事実だ。 ゲート前の座り込みは当初は24時間体制だったが、ゲートからの資材搬入の時間がおおむねパターン化する中で、それに対応して座り込みを継続している。資材搬入のある時間帯には人々が搬入ゲートに座り込み、工事車両などに抗議の意志を表明し続けている。  7日、ゲート前の抗議に参加した読谷村の男性(72)はひろゆきさんの投稿について「遊び半分で県民の戦いを愚弄する行為で許せない。わびてほしい」と憤った。  ゲート前での表示日数とは別だが、基地建設に伴う辺野古での座り込み抗議は移設問題が浮上した当初の1997年にさかのぼる。同年5月7日、基地建設に向けた那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)の調査開始との情報を受け、監視のために辺野古区民でつくる「命を守る会」や支援団体が辺野古漁港横にテントを設置した。漁港周辺では現在もヘリ基地反対協議会が監視活動を続けている。現行の監視活動は、2004年4月19日に施設局の基地建設に向けたボーリング調査着手を阻止しようと始めた。  現在も浜のテントには「命を守る会」が取り組んだ日数として2639日、現在の監視活動の継続日数として6800日余りを掲げている。ヘリ基地反対協の仲村善幸共同代表はテントでは視察などに対して基地建設の状況を説明しているといい「(テントからは)辺野古の海が埋め立てられている状況が見える。『基地建設は許してはならない』と伝えていきたい」と語った。  本紙は5日から、ひろゆきさんにツイッター上で投稿の意図などを質問しているが、8日午後11時現在も回答はない。 琉球新報社

辺野古基地工事

沖縄県ホ一ムペ一ジより→代替施設建設のための埋立区域は、次に示すように、辺野古側(緑色)と大浦湾側(黄色)に分けて考えることができます。 【 代替施設建設計画の略図 】  赤枠側囲い  埋立区域(全体)  面積 : 約153ha  埋立土量 : 約2,045万立方メートル  緑色部分  辺野古側の埋立区域(埋立区域②と②-1)  面積 : 約37ha  埋立てに必要な土量 : 約319万立方メートル  黄色部分  大浦湾側の埋立区域(埋立区域①、③-2~5)  面積 : 約113ha  埋立てに必要な土量 : 約1,707万立方メートル          現在、土砂の埋立てが行われているのは、辺野古側(緑色)のみであり、大浦湾側(黄色)では行われていません。大浦湾側の大部分に軟弱地盤が存在するため、地盤改良が必要なためです(沖縄防衛局は、当初、地盤改良は必要ないと出願して承認を得ているため、変更承認を得ない限り地盤改良工事を行うことはできません。)。  まだ埋立ての行われていない大浦湾側は、辺野古側の面積の3倍以上、必要な埋立土量で5倍以上という大規模な埋立区域ということができます。  現在の埋立ての状況については、次に示すとおりです。   令和4年4月撮影(「沖縄防衛局広報第187号」より引用)    令和4年8月末時点の埋立土量は、辺野古側(前掲の略図の緑色の部分)における約252万立方メートルに過ぎず、工事の進捗を埋立全体に必要な土量で考えた場合、約12.3パーセントにとどまります。  大部分を占める大浦湾側(前掲の略図の黄色の部分)の埋立ては、変更承認を得ない限り行うことができません。時間が経てば埋立てが進んでいくというものではないのです。(仮に、今後、辺野古側の埋立てを全て行ったとしても、埋立面積では本来の約4分の1、埋立土量では本来の約6分の1までしか埋立てを進めることはできないのです。)

転載希望

2022年10月7日辺野古

2022年10月8日土曜日

辺野古にて警察の対応

2022年10月7日、15時の辺野古は、ヒロユキ発言効果のためか?琉球新報取材があったため、取材無しの同日12時に比べ警察の出方が、やけにていねいだった。12時は手荒だった。やはり警察は、マスコミの取材とカメラを気にしたようだ。

後出しジャンケン

やな、これじゃ。 返還を決めたその返還期日直前になってから、●返還するためには、こちらが呈示する条件のみなさい!と。 沖縄県ホ一ムペ一ジ→沖縄には、多くの米軍基地(べいぐんきち)があります。 特に、米軍だけが使っている基地(米軍専用施設(べいぐんせんようしせつ))は、日本にあるもののうち、その面積の約70%が沖縄に集中し、人口の9割以上が居住(きょじゅう)する沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模(きぼ)は、東京23区のうち13区をおおってしまうほどの広大な面積です。 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)4月に沖縄本島に上陸した米軍は、基地をつくり始めました。アメリカは、戦争が終わった後も占領(せんりょう)を続ける中、中華人民共和国(中国)が成立し、また、朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が起きると、沖縄が太平洋の平和を守るための大切な地点になると考えて、基地建設(けんせつ)をさらに進めました。そのとき、沖縄の人たちの家や畑などの土地が強制的(きょうせいてき)に取り上げられたりすることもありました。 1952年(昭和27年)、日本は、主権(しゅけん)を回復しますが、沖縄は、その後もアメリカが統治することになったため、1972年(昭和47年)に日本に復帰するまでの27年間、アメリカに占領(せんりょう)され、統治(とうち)される状態が続きました。 日本に復帰した後も、多くの米軍基地が日本とアメリカの約束(日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく))にもとづく基地として引きつがれ、沖縄には今でも変わらず多くの基地が置かれています。 米軍基地の多くは、街の真ん中や近くにあるので、ショッピングセンターや公園、道路をつくることなど、沖縄の人たちにとって暮らしやすい街をつくることがむずかしくなっています。 米軍の飛行機やヘリコプターの事故が起きたり、戦闘機(せんとうき)などの大きな音が原因で夜眠れなかったり、学校の授業での先生の声が聞きづらくなったりもします。 また、米軍基地から飛行機などの燃料(ねんりょう)油がもれて川や海を汚し、沖縄の豊かな自然環境をこわしてしまうなど、いろいろな問題が起きています。さらに、米軍の兵隊が起こす犯罪(はんざい)も大きな問題のひとつです。 これらの問題は、沖縄の人たちの生活や自然環境に大きな影響(えいきょう)を与えています。 【絵図②:普天間飛行場の画像】 1996年(平成8年)に、日本政府とアメリカ政府が話し合い、街の真ん中にあり、世界一危険と言われている普天間飛行場(ふてんまひこうじょう)をはじめとする11カ所の米軍基地を日本に返すことが約束されました。(SACO合意(さこごうい)といいます。) また、2006年(平成18年)には、約8,000人(2012年(平成24年)には約9,000人にあらためられました。)の海兵隊を国外に移し、嘉手納飛行場(かでなひこうじょう)より南にある6カ所の米軍基地を返すことなどが約束されました。 2013年(平成25年)4月には、この約束を果たすための計画が発表されましたが、6カ所の米軍基地の大部分は、県内の他の基地に機能(きのう)を移し、そのほとんどが2022年(平成34年)以降に返されるとされています。 しかしながら、これら二つの約束が果たされても、沖縄には、多くの米軍基地が残ります。そのため、知事と市町村長が協力して、日本政府とアメリカ政府に対し、米軍基地をできるだけ早く、そして少しでも減らしていくよう、求めているのです。

2022年10月7日金曜日

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うちのミッキーも、奇跡的に元気に!! 行った病院がフェロビタサプリ扱いあったのと、 自分の判断でペット(小児)用吸入ステロイド薬を、このままじゃ死ぬと思い、最低量を様子をみながら使用した。 神頼みもした。 こんなかわいいコと一緒にいられる自分は、なんて しあわせなんだと、感謝した。 ようやくカリカリを食べるまでになり、ハ一トとプロレスしまくり、ホッと一安心! 素晴らしい社員さんと社長さん→ぽん太くん(2歳・オス)は、とある工場地帯の一角にいた。痩せ細っていて、右頬に怪我をした子猫を現場従業員が見つけたのだが、子猫は小さな身体で威嚇しながらも、「何か食べ物がもらえるかも」と思ったのか近寄ってきたという。2020年7月14日のことだった。 従業員は子猫を保護して事務所に連れてきた。社長の池田さんは、全従業員と話し合い、ぽん太くんを「猫社員」として迎えることにした。 「このままではこの子は生きていけないと思ったのです。顔を見て、『ぽん太だな』と思い、名前は即決しました」 ■「世話になります!」 ぽん太くんの右頬の怪我は、壊死してえぐれていた。動物病院で検査をしてもらうと、敗血症にもなっていた。当分お風呂に入れなかったので、社長が丁寧に拭いた。 「傷が治るまでカラーをしていたので、身体を舐めることも掻くこともできず、そのためナデナデがとても好きになりました」 ぽん太くんは、それまで外の世界でひとりぼっちでいたが、室内で人が複数いるところにいるようになり、環境がガラッと変わった。しかし、怯えて隠れることもなく、ごはんをよく食べ、猫じゃらしでもよく遊び、「世話になります!」と言わんばかりに、お行儀よくお座りしていたという。 ■事務所のムードメーカー ただ問題が一つ。日中、猫社員の身の回りのことをする事務員が猫アレルギーだったのだ。それまで猫と触れ合うことがなかったので、遊び方や触り方が分からず、くしゃみや目の痒みに悩んだ。 目薬や飲み薬を試し、日々のブラッシングによる抜け毛の除去や掃除の徹底、マスクの着用、撫でたら手を洗うなどして、今は、猫社員入社当時のように悩むことはないという。ただ、うっかり猫吸いをしたり、手を洗わずに目を触るとアレルギー反応が出てしまう。 ぽん太くんを迎えて社内の雰囲気がガラリと変わったという池田さん。 「仕事が終わり、事務所に疲れて帰ってきても殺伐とすることがなくなりました。私にとって猫社員は家族でもあります」 ぽん太くんは、来客があると我先にご挨拶に向かう社交的な一面がある。池田さんとふわふわのおもちゃが大好きなんだという。ちなみに、ぽん太くんは現在、猫課で課長を務めている。 (まいどなニュース特約・渡辺 陽)