2025年11月1日土曜日

在日による暴動事件

事件の流れを見て行きます。 共産党は、この頃は暴力で解決!だったようですね。 なんせ朝鮮人と日本人は民族性が違うので、無理なんですよ。 神戸市長田区の市役所暴動事件も。  人種性の違い、それに尽きる。 あと、朝鮮人差別発言をする人は、差別主義者と 思う、「朝鮮帰れ!」や、朝鮮人に石投げたりとか、、 ああいうのは、実は朝鮮右翼や、昔に帰化して自分が朝鮮系と 知らない人もいると思う。 父親が、「朝鮮人はしつこい」言っていたが、、 この事件を知ると、、自分たちの利益のためだけの要求を満たすためなら、どんなことでも、何度でもやる、、という感じですね、、こういう事件により、実際に在日特権を与えてしまった日本は、バカそのもの。法律で裁かず、暴力にひれ伏した日本。 高校時代つきあっていた相手の家の近くを通る際に、言われた。●ここから向こうは一人ではあるかされへん、親戚が住んでるけどな、と。 、、 あと、19歳で免許を取り、兄夫妻の家に行く際に、父親に言われた。●あのへんで野良犬でもひいたら、大変や。 うちの犬やどうしてくれるねん!と、大金取られるから、気をつけて運転しろ、と。 中学時代、バスケの試合で、丸山中学へ行った際に、顧問から 言われた。●この学校では、貴重品、気をつけるように。 ●丸山中学校から鈴蘭台中学に転勤してきた体育教員は、常に、竹刀(しない)を持って学校内を歩いていた。 超真面目な鈴中では、そんなもんいらんのに、、  丸中で生徒から、集団リンチされたんかな?と。 、、全部長田区ですが、、神戸はそういう地域、他にもありますよ。ただ、他の区のその地域は、長田区ほど大きな範囲では  なかった。 長田区に、靴の会社が多いのも、関係あるんですよ。 両親が、表立っては言わないが、朝鮮人を嫌っていたのは、 筋の通らぬ暴行事件など、あったからではないか?と。 ①阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)[1][2][3] GHQの指令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日韓国・朝鮮人[注釈 1] と日本共産党による暴動及び拉致監禁事件。民族教育闘争という見方[4] もある。戦後の日本国憲法下で非常事態宣言が布告された最初の事例である。朝鮮人学校事件[5]、大阪での事件は大阪朝鮮人騒擾事件[6]、また神戸での騒乱事件は神戸朝鮮人学校事件[7] とも呼ばれる(その他の呼称については本項で記す)。 ② 事件の発端 1949年から始まったドッジ・ラインにより、デフレーションが進行し失業や倒産が相次いだ。在日朝鮮人も例外でなく、失業者が激増した。こうした状況の下で、朝鮮人は「朝鮮人生活擁護闘争」を展開、地方税の減免や生活保護の適用を求めるために、各地の役所に押しかけるようになった。 事件の概要 ②1950年11月20日午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。 ③11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。 ④11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約1000人(児童300人を含む)の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し[1]、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。 遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された。 裁判 神戸地方検察庁は、騒乱罪、公務執行妨害罪、占領目的阻害行為処罰令違反で、合計118人を起訴した。裁判の結果、騒乱罪と占領目的阻害行為処罰令違反の成立は認めず、17人についてのみ公務執行妨害罪等で有罪となった。 脚注 [脚注の使い方] ^ 「朝鮮人192名検挙 神戸で警官隊と衝突」『朝日新聞』昭和25年11月28日3面 参考文献 『集団犯罪の捜査に関する実証的考察(検察研究所特別資料第1号)』(検察研究所 1951年) 『神戸市警察史』(神戸市警察史編集委員会 1956年) 『兵庫県警察史 昭和編』(兵庫県警察史編さん委員会 1975年) 『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』(李瑜煥 1980年) 『ながたの歴史』(落合重信、 有井基、 陸井敏子、長田区広報相談課、1977年)

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