会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2023年3月31日金曜日
自分に
とって不都合なことを人やまわりのせいにするのは
簡単です。
責任転嫁をすれば、自分の不都合をなしにできると
思うからです。
しかし、不都合は人にとって異なります。
なので、どれが正しくてどれが正しくないかは、
あり得ません。
それに、不都合なことにより、自分が成長できることも、たくさんあるからです。
不都合な出来事と戦うと、分離しか生まれないです。
分離は、わたしたちが肉体に転生する時に、選んだものです。
分離を選ばなければ、三次元の地球では、うまく生きていけないからです。
では、うまく生きていくとは、なんなのでしょうか?
人と競争する部分を持ちながら、人と調和もする。
それは、とても、難しいこと。
では、最初から分離などなかったと思えばよいのでは
ないでしょうか?
誰かや何かを敵視するのは自由だし、分離が好きなら
そのままでいい。
結局、外側と闘い続けることは、自分自身と闘い続けるのと同じだと。
いつまでも、自分自身を受け入れられないことと、
同じな気がします。
以下転載
米イェール大学に在籍する経済学者、成田悠輔さんの「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」との発言が物議を醸した。
高齢者は社会のお荷物なのか。不毛な世代間対立の根を断つ必要がある。AERA 2023年4月3日号の記事を紹介する。
* * *
日本社会では以前から高齢者への風当たりが強い。高齢者が問題を起こせば「老害」という批判が飛び交い、「シルバー民主主義」という用語は選挙のたびに使われている。超高齢社会が顕在化するにつれ、高齢者は「お荷物」あるいは「優遇されている」という認識が浸透しているようにも感じられるが、実際はどうなのだろう。
「公的年金制度が賦課方式によって運用されている以上、そうした議論もあると思います。ただ、優遇されているという話を高齢者一般に当てはめるのは少し無理があるかもしれません。現在、シニアの方々の仕事なしには日本経済は成り立たない状況になっているからです」
こう話すのは、高齢者の就労に詳しいリクルートワークス研究所の坂本貴志研究員だ。
日本の高齢者の就業率は主要国の中で韓国に次いで高い水準にある。
「とりわけ65~69歳の過半数、70~74歳の3分の1が働いている日本の状況は特筆すべきものであり、高齢になるとほとんどが働かない欧米主要国とは全く異なります」(坂本さん)
職種別で見ると、農林漁業で52%、清掃従事者のほぼ4割が65歳以上の高齢者で占められる。ほかにも居住施設・ビルなどの管理人や、輸送、建設、飲食などのサービス業でも2割前後が高齢者で占められている。
そう言えば、昨年、首都圏の物件を請け負う建設会社を取材した際、社長が「建設の現場は今、本当に若手が少ないんです」と吐露していた。ファッションブランドが軒を連ねる都心の通りを明け方に歩くと、店舗の内外にいるのは高齢の清掃員ばかりで日中とのギャップに戸惑ったこともある。タクシー運転手も高齢者が目立つ。地方では人手不足や高齢化はさらに深刻で、学校や施設の送迎バスの運行や配送などのサービス業も高齢者が不可欠な担い手になっているという。
■人手不足の業界・職種ほど高齢化が進む傾向にある
少子化が進む日本社会では、もはや高齢者抜きには維持できない職場が増えているのが実情なのだ。だとしても、なぜここまで高齢者の就労が増えているのか。高齢者側には経済的な事情がある、と坂本さんは言う。
「年金支給額も減るなか、働き続けることで受給年齢を遅らせたり、家計の足しにしたりする人が増えています」
企業側は人手確保が必須。若い人を優先して採用する企業が多いなか、人手不足の業界や職種ほど高齢化が進む傾向にあるという。国が近年、高齢者就労を促す政策を進めているのも、少子化による人手不足や年金支給年齢の引き上げが背景にある。かといって条件の良くない職場を生活の苦しい高齢者に押し付ける構図を定着させるべきではない、と坂本さんは唱える。
「市場原理に委ねていればそれで良いと考えるのは適切ではありません。最低賃金の引き上げなど政策的なバックアップが必要です。高齢の方に無理なく社会に貢献してもらえるようインセンティブ付けを図るとともに、年をとっても働かれている人たちの権利を守っていくことが大切です。日本経済は今、そういう局面にあります」
2022年の自殺者数は中高年の男性で大幅に増えた。昨年11月までの暫定値では、50代が2604人(前年同期比12・9%増)、80代以上では1425人(同16・8%増)だった。過去の調査では、生活保護を利用している高齢者の自殺リスクが高いとの調査結果も報告されている。生活困窮者の支援活動に取り組む一般社団法人「つくろい東京ファンド」の稲葉剛代表理事がかつて接した人の中にも、あえて病気を治療せずに「緩慢な死」を選ぶ高齢者がいたという。
「コロナ禍でもリーマン・ショックの時もそうですが、日本経済を支えるど真ん中の世代が生活に困窮している状況に対しては、社会全体としてなんとかしないといけないというコンセンサスを得やすい半面、高齢者の貧困は見過ごされがちなのは否めません」
物価高騰は生活保護を受けている世帯や、少額の年金で生活している高齢者の暮らしを直撃している。生活保護を利用している70代の女性から「ガス代がかさむため温かいものを食べるのをあきらめた」と聞いて稲葉さんはショックを受けたという。
「団塊の世代は裕福と思われがちですが、生活保護を利用している世帯の過半数が高齢者世帯で、うち9割が単身高齢者です。背景には低年金、無年金の問題があって、景気動向にかかわらず増え続けています」
■シルバー民主主義の批判は格差無視する乱暴な議論
都内で路上生活をしている人の平均年齢は65歳を超え、70~80代の路上生活者も珍しくない。90代で野宿している人もいるという。
稲葉さんは、若者の投票率アップを呼び掛けるキャンペーンで「シルバー民主主義」という言葉が用いられることに異議を唱えてきた。有権者人口が多く、投票率も高い高齢者層向けの政策が優先され、若年層の声が政治に反映されにくいことを指す言葉だ。
「子どもの貧困問題に真摯に取り組む人たちも、若者の投票率アップを促すためにあえて『シルバー民主主義』という言葉を使って現状を批判するんですが、当然ながら裕福な高齢者もいれば貧困の高齢者もいて、政策に求めるものは全く違う。同じ世代の中でも貧富の差やジェンダーの格差が大きいことを無視して、世代全体を一括りにして語るのはあまりに乱暴な議論です」
稲葉さんはこう続ける。
「貧困は世代を問わず拡大しています。今の日本社会で富の再分配がきちんと行われていないことが問題なのに、世代間対立をあおることで論点がずらされてしまうのを懸念しています」
少子高齢化で日本社会はもう持たないんじゃないか。そんな不安心理に付け入る形で、若者と高齢者を分断していく言説は今に始まったことではない。「老人はみんな死ねばいい」といった発言をする人は昔からいた。ただ、たいていは居酒屋談議や暴言を売りにしているお笑いタレントだった。今回の成田さんの「集団自決」発言に、稲葉さんは強い危機感を抱いたという。
「有名大学の学者が発言することで学問的に裏打ちされた主張であるかのようなイメージが社会に広がることを危惧しています。一見、高齢者全体を批判しているように聞こえますが、医療や福祉が社会全体の負担になっているという言説の中で使われる言葉ですから、実際に標的になっているのは貧困の高齢者です」
これは「優生思想」につながる発言だと稲葉さんは警鐘を鳴らす。
「今回は高齢者がターゲットですが、次は障害者だったり、生活保護利用者だったり、と際限なく広がっていくでしょう。結局、私たちの社会全体の根幹を崩す議論にしかなりません」
■少子化政策の不備が世代間対立にすり替えられ
かつて留学していたフランスの年金制度改革の反対運動をめぐる研究の中で、日本国内の世代間対立の根深さに気づかされた、と話すのは科学史や社会思想史が専門の東京大学の隠岐さや香教授だ。
フランスでは今年に入ってマクロン政権が年金改革法案を発表。1月にはフランス全土で100万人以上が参加する反対デモがあった。とりわけ不評なのは、現在62歳となっている年金支給開始年齢を64歳に引き上げる改革案だ。現地報道で20代とおぼしき男子学生が「今この改革に反対しておかないと、私たちが手に入れてきたさまざまな権利が次々にないがしろにされてしまう」と訴えていた。
その動画を見た隠岐さんは、「私たちは完全に分断されていた」と悟ったという。日本で厚生年金の支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられると決まった00年当時の自身の経験と重ね、隠岐さんはこう振り返る。
「当時20代だった私は自分の将来への不安で頭がいっぱいで、年金問題には全く無関心でした。実際には高齢者の貧困率が高いことも知らず、『若者は苦しんでいるが、上の世代は恵まれている』という感情すら持っていました」
日本の高齢者の貧困率は女性が22・8%で男性が16・4%。いずれもOECD(経済協力開発機構)平均を上回る。日本の超高齢化社会は少子化政策の失敗の帰結でもある。
本来、少子化政策の不備を指摘しなければならないのにもかかわらず、問題の本質が「高齢者優遇」といった世代間対立にすり替えられる状況はなぜ生じたのか。年金問題を「労働者の権利保障の問題」と捉えるフランスでは、シルバー民主主義といった言葉を聞いたことがない、と隠岐さんは言う。
「フランスで年金改革に反対している人たちには、文化的な生活を維持するための労働者の権利は、いったん手放すと政府によってどんどん奪われていくという危機感が背景にあります。しかし、日本では『労働者の権利』という話を持ち出すと、『左翼』とたたかれるような言論空間があります。こうした分断を乗り越え、私たちは世代間対立という奇妙な対立の構図に落とし込められていることに気づくべきです」
隠岐さんは成田さんの言説について、従来の「男の子的な文化」との親和性を感じるという。
「『有害な男性性』という概念がフェミニズムにあります。男性たち自身が子どもの頃から『男らしく』しなさいと言われて育ち、こうあるべきという規範意識にとらわれた結果、暴力的になったり、弱いものと自分を区別し、かつ相手を支配しないと自分を保てないと感じたりする意識です。そういう自己認識はエリート校など競争的な環境にいた人ほど持ちやすい。成田さんの言葉に肯定的に反応している層が今もそうだとすれば心配です」
(編集部・渡辺豪)
※AERA 2023年4月3日号
2023年3月30日木曜日
最近
感情さえも必要ないんじゃあないか?とも、思います。
瞬間的に感情があっても、一瞬で
受け流し忘れる。
無償の愛を持つ動物と同じように
人間も、それが、よいのではないか?と。
感情自体も、実は自分の感情では
ないのではないか?
意味がないのではないか?
人間が、文字を作り言葉を話し始めたから、感情を持つことが当たり前
のように思わされて来ましたが、
それが結局、刷り込まれた固定観念なのではないか?
と、思います。
2023年3月25日土曜日
ただ
自分のからだを受け止めて、自分の心を受け止める。
それだけで良かったんだ。
それだけが、こんなに難しかったけれど、ようやくできかけてきた。
なにかをやらなければならないなんて、一つもない。
学校で優劣をつけられ、社会で優劣をつけられ、
闘いなくしては生活できないみたいに思わされていただけ。
最初から、優劣ない。最初からこうふこうない。
最初からりょうあくない。
最初から人と自分の区別ない。
ただ、肉体持って生きる以上人から受けるエネルギーの影響はある。
人からエネルギーもらい生き生きする人、人にエネルギー渡しヘトヘトなる人。
肉体ある以上、生きるための栄養を何から得るのか?
環境も、同じ。
自分に合う環境を選び生きていくしかない。
余生を、静かに生きて、静かに死にたい。
2023年3月21日火曜日
春分
を境に自分が大きく変化するために、ミッキーの死を
経験したと、思える。
肉体を持って生きるには、感情がついてくる。
自分の感情に振り回されず、うまく受け流せるように
なれば、人の言動により受けた感情も、うまく受け流せるように、なるのだと、思えた。
自分の命に危害がある場合は、きちんと話して
わかってもらったりして、、
それ以外は、自分軸で、無理ない範囲で人付き合いを
してゆく感じかな?
全く人と繋がれないのは、孤独すぎるし、気が狂う。
人のいい部分だけをみるのではなく、人のいやな部分も、受け入れる。
確かにそうだなと。
受け入れると言っても合わせるのでなく、受け流す自分軸もあっていいのだと。
ネグレクト育ちのアダルトチルドレンで、adhdとアスペルガー混在で、、
なかなか、自分を大切にして生きることが難しかった
けれど、動物のことをやってきて、ようやくそれを
理解でき、そのように生きられそうだ。
今年の春分を目前に、こうなれたのも、大いなる宇宙の力な
気がするよ。
ようやく、59で、理解できた。
そして、力を抜いて、
生きられるように、なった気がしてる。
2023年3月20日月曜日
病院
3日前から吸入にプラス飲み薬も開始した
翌朝、ノアも風邪から体調上がらず連れて帰るが、
鼻詰まりひどく元気食欲ない。
今病院来て、検査で白血病と、わかる。
ミッキーも、たぶん白血病だったと、わかり、
スッキリできた。
あのままだと、自分が殺したうつから、なかなか
立ち直れないまま。
先生が気持ちに寄り添ってくれて、だいぶ楽になれた。
体温調節できないミッキーを、病院に連れていく
フェリーの待ち時間に暑さで呼吸困難にならせ
殺した観念から抜けられないとこへ、ノアが
体調不良で家に来てくれて、ノアは寒さ弱いが、
ミッキーほど、暑さにはまだ弱くなく、
なんとか治療で、持ち直して欲しい。
ノア、最初隔離してた時から、ミッキーと同じ症状あり、ミッキーがノアと遊びたがり、もう隔離は無理になったが、ミッキーのが移ったのでなく、ノアも、
元々あったと思う。
それに、ノアは、ミッキーに育てられて、天真爛漫に
なれたから、ミッキーには、感謝だよ。
わたしもね、ミッキー亡くしてから、人間関係で
変わろうと出来ているし、動物の教えは、すごいよ。
ミッキーは、とにかく甘えん坊でさ、分離不安あるコ、猫であそこまで分離不安あるコは、始めてだから、
亡くしたわたしが、もう老人性うつみたいになり、
立ち直れないと思ったところにノアが来てくれて、
ノアはそこまで分離不安ないが、先生がまた心を
癒やしてくれて、、
飯島直子が
●嬉しかったり辛いのは、生きているから。
生きていることに、感謝。
と書いてるのを読んで、
あ〜どんな感情があってもいいんだ。
老人性うつ病でもいいんだ。
生きてるからなんだ。
と、思えた。
ノアはもう、これまでみたいに無理には食べさせないで、
見守ろうと、思う。
抗生剤注射とステロイド注射、皮下点滴。
ノアはこれまで抗生剤がよく効いたから、今回も効いてくれて、鼻詰まりが取れればいいなあ
2023年3月16日木曜日
転載
愛するワンコがこの世を去ろうとする時、そして旅立った時、きっと誰もが知りたいと思うのが、犬の精神世界。愛犬を亡くした悲痛な想いは「ペットロス」という言葉だけでは語れない。その辛さは当人でしか分からないだろう…。私は最愛のコーギー犬「フラン」を自分の病院選択ミスで若くして亡くしてしまった。私は自分を責め、悲しみのどん底を経験した。そんなとき、犬の死後の世界を知りたいと思った。
例えば、犬には死後の世界はあるのか。あるならばどんな世界なのか。その世界で元気で過ごしているのだろうか。犬と飼い主の出会いには意味があるのか。あの世で愛犬に会えるのか。飼い主を恨んでないか。犬は生まれ変わるのだろうか。死後の愛犬と話はできないだろうか、などなど、尽きることはない。 とくに確実に泥沼のぺットロスに陥る私にとって、避けては通れない重要なテーマとなっていった。
人間の死後の世界には諸説がある。犬の死後の世界はどうか。確たる事実はわからなくとも、「その一端を知りたい」と思うことから、ペットの死後に関する多くの書籍を読み漁り、心に留めておきたい箇所を要約した。その結果、書籍によって多少異なっていても大同小異であることが分かった。そこで私なりに、分かりやすいようにひとつにまとめてみた。※ぺットや動物をすべて犬に置き換えて記述。
悲しみが襲うとき、自責の念に支配されるとき、亡きフランの今後の幸せを願うとき、私は自分で作ったこのページと向かい合う。このページが、複雑な私の心の内を癒してくれるから。また愛犬を亡くされた方々が、このページと向かい合い、心の内を癒してくれていることも知った。届いたメールに涙し、また励まされ、このページが誰かの役に立っている…と感じるとき、亡きフランの笑顔が浮かんでくる。きっとフランが導いてくれたんだよね、ありがとう…。
※フラン他界から約1年半後、先輩犬のナッツが入院中に突然旅立った。まるで親子・姉妹のようだった二人。「二人で助け合って天界で、来世で幸せになるんだよ」、ナッツとフランは私の中でこれからもずっと生き続ける…。
多くの文献から知る、愛犬の死後と魂の実際
<死>
犬が亡くなるとき、過去につながりのあった天界の動物たちや人間が迎えに来る。人間も犬も霊的な存在。魂は永遠に生き続ける。深い縁や絆はけっして途切れることはなく、今までとは違う「新たな関係」が生まれる。愛犬の魂は生前より純粋な愛の存在となり、天界から飼い主に惜しみない愛を注いでいる。また犬は魂の存在であることを自覚しているため、死を恐れず、肉体に執着しない。死とは魂が肉体を脱ぎ捨てただけのこと。魂の住む場所が波動の異なる世界に変わっただけのこと。より明るい世界へ移行するためのプロセスなので、その時がくれば、服を脱ぐように肉体を脱ぐことを選択。「死」という現実もしっかりとそのまま受け入れて前向きに進んでいく。
もし「この子、家に来て本当に幸せだったのか…」と疑問が頭をよぎったら、「私が幸せだったら、この子も幸せ」と思うのが正解。亡き愛犬への後悔の思いは愛の証。後悔が残るほどに深く愛せたということ。更には命の長短といった長さで幸・不幸が決まるわけではなく、どれだけの想いや愛情を込めたかで決まる。一緒に過ごした時間がどんなに短くても飼い主からの愛を決して忘れない。
また、中には多くの動物たちが迎えに来て、みんなでワイワイと天界へ移動することもある。死は犬の魂にとって、おおいな安らぎ。一日も早く霊的な世界に帰れるように見送ることが恩返しとなる。感謝の言葉を伝えると愛犬は安心して新しい世界に旅立てる。
<精神>
犬たちが一番大切なのは「今」。魂は永遠という「命の仕組み」を知っているため、使命を果たすことに集中できたり、未来に不安を抱くこともなく、今、この瞬間をシンプルに生きている。過去を嘆いたり、明日を憂いたりしない。「生」にこだわることもなく、悲しみにくれることもない。これが犬たちの概念。飼い主がどのような選択をしても、どんな死に方をしても恨まないし、負の感情をもたない。助けが必要なときは、ためらうことなく創造主である神とつながり、直接助けを求める。
尚、死によって魂が亡くなるわけではないので、病に冒されていたり、傷みすぎていたり、寿命が来ていたりすれば、肉体からの解放は救いでもある場合がある。死はけっして逆らえない運命と自然の摂理。魂の成長の過程であることを受け入れて、手放す愛も必要。飼い主の思いによって肉体を脱げずに、最後の最後まで必死でがんぱることは、犬たちにとってかなり辛い場合もある。そのような中でも、旅立つときは飼い主の事情や背景などを考えた「条件が整った日」であることが多い。どんなタイミングで旅立つか、望む形を神に伝え、神が叶える。
<魂>
魂は美しい色彩にあふれた、形のない光のエネルギー。亡くなると新しい生命となった魂が体外で気化され、大気と同化できるようになる。人間同様に一瞬、白いモヤ・水蒸気のようなものを感じる人もいる。そして天界にある「魂のふるさと」に直行する。人間の霊のように迷い彷徨うケースはなく、動物と人間は別々の場所に還る。死とは魂のふるさとに帰ることであり、懐かしい里帰りができる幸せなこと。
肉体を脱いだ愛犬たちは解放感でいっぱい。本来の魂に戻ったことで、「ほっと一息」のような感じになる。魂は「お帰りなさい」と出迎えを受けたあと、同じ程度の霊性が集まる最も適切なクラスへと導かれる。その後ひとまず休息、エネルギーを補充して回復する。次に地上での生涯を振り返り、指導霊と検証し、次の人生での課題を学び、目的をもって生活する。もちろん遊びもいっぱい楽しむ。生まれ変わる場所や環境は、ワンコの希望や特性を考えて指導霊が選ぶ。尚、人間の世界と同様に犬の世界でも指導霊が存在する。
また人間に愛されて共に暮らした犬たちの魂は、外形を維持し、人間の霊的エネルギーを身近に感じられる領域に入る。そして動物の種類ごとに区分けされた世界にて飼い主がやってくるのを待つ。一方で、犬も野生動物などと共に楽しく暮らしているという説もある。天界の野生動物たちはどう猛性が失せ、温和な性質になる。更には他の動物たちに「犬たちが人間から受けた愛」を伝えているともいわれている。
<天界>
「魂のふるさと」でもある天界は地球の自然の風景とそっくりな別次元空間にある。地球から遠く離れた所にあるのではなく、生活しているこの場所に、次元を異にして存在。時間や空間という概念がなく、私たちが暮らすこの空間と裏表の関係にあるような世界ともいわれている。天界の犬たちは基本的にひとりで行動しているものの、エネルギーでみんなとつながっていることを自覚するため、「ここはみんながひとつになる場所」と思っている。
また魂は自由を極めることができる。生前のお気に入りの姿で過ごしたり、天界の動物や人間とも自由に会うことができる。移動は瞬間移動。形を持たないことから同時に点在したり、どこにでも好きなところへ行け、広がる風景と同調し「風や光」になることもできる。更には犬が喜ぶものが全部揃い、やりたいことは何でもできる。温暖で完璧な環境に保たれ、地球の美しいものが全て揃うばかりか、さらにその上をいく楽園。大勢の犬たちは寂しさもなく、愛に飢えることもない。穏やかに楽しく、地上にいるときよりもはるかに幸せに過ごしている。そして天から飼い主家族を見守りながら、後から旅立ってくる友達ワンコを導いたり、それぞれに適した仕事や役目に携わることもある。
尚、肉体に障害があっても天界では完全な肉体に戻り、痛みや苦しみはなくなる。死後、霊的身体が障害を受け継ぐことはぜったいにない。
<帰還>
天界で暮らしながら、時には飼い主の家を訪れ、懐かしい雰囲気を味わう。 天界と家をいったりきたりしたり、ゴハンやおやつのお供えを楽しみにしている子もいる。生前と同じふるまいに喜び、生前大好きだった場所を好み、姿は見えなくても必ずあなたの傍で生前と同じ愛の波動を感じ取っている。多頭飼いの場合は魂が仲間の犬に一時的に憑依し、亡くなった犬と同じ仕草などをすることがある。犬は亡くなった犬の姿を見ることができるため、キョロキョロしたり目で追ったり居場所を空けたりもする。犬には異なる次元のものを見たり、話したりする能力が備わっているから。
また愛犬のことを考えたり話していると、飼い主のオーラ(動物好きの人はオレンジ色のオーラ)が「おいで」と呼びかけ、犬は飼い主の傍にやってくる。何年たっても、たとえどこに居たとしても、旅行に出かけていても、亡き愛犬を呼べば瞬時に魂とつながることができる。
尚、転生して生まれ変わった場合は呼んでも来ないことがあるものの、進化・成長をとげている魂は、そのエネルギーを天界と地上に分けることができるため(分魂)、何年たっても、生まれ変わってもコミュニケーションをとることができる。
<つながり・使命>
犬たちにはそれぞれに使命があり、進む道があり、どんな生死にも意味があり、必ず計画があってのこと。犬と飼い主との関係は偶然ではない。出会いには必ず理由があり、自分の意志で飼い主を選んでやってくる。飼い主とは過去世から何度も絆を育んできた特別な関係。過去世からずっと虹色のコードでつながり、生と死を超えてなお続く不思議な関係。必らず過去での接点があり、お互いを必要とする深い縁がある。そして、大切なメッセージを携えてあなたのもとを訪れ、使命を果たしてお空へ帰っていく。ただし、中には他の人間のもとに生まれ変わる決断をして導かれるままに生きる場合もある。
犬たちの理想の生活とは人間に無条件の愛を与え、飼い主と一緒にいること。ちなみに、人間は愛犬を育てているつもりでいるだけ。犬は人間を守り、助け、共に生きる友人として存在している。人間が愛犬に育てられているといっても過言ではない。人間が犬たちの凄さを見抜けないのは、人間は本質をなおざりにしているから。それが人間の足りないところ。犬たちはそう私たちに教えてくれている。
<転生>
魂は天界で地球上での経験を振り返り、「次に何をすべきか」を決めるが、新たな肉体で転生するか、魂のままでいるか、を自由意志で選べる。人間と違って犬の魂は限りなく純粋なことから、転生するのに時間を要さない。亡くなってから2年以降、その魂が必要とされ、新しい飼い主さんとの魂レベルでの縁のもと、新しい使命と新しい身体を天から授かって生まれ変わる。もし使命を果たしていなかったり、やり残したことがあれば、2年を待たずにできるだけ早く転生しようとする。通常は8年程で転生するケースが一般的、という説もある。ただし何十年経っても生まれ変わらない場合もあり、それぞれが望み選んだ道によって期間は異なる。
ところで、同じ飼い主さんのもとに生まれ変わる場合は、特別な理由や背景がある場合が多い。転生を選ばない場合は、仲間たちの世話や様々な役目を担う天界のスタッフとなったり、更には導く存在の「指導霊」になることもできる。そして転生や指導霊をめざす準備に入ると、魂は高い次元に移りとても忙しくなる。尚、犬たちは輪廻転生を知ったまま、今世を生きている。転生しても過去世の記憶を失わない。これは今世が「魂の一時的な仮住まい」と知っているから。
<成長>
転生を重ねるのは、与えられた課題を学んで魂を成長させるため。過去世で果たせなかった想いや使命を今世で全うすることで、来世では次のステップに上がれる。更に、人に貢献したり、大切な家族として扱われた犬は讃えられ、魂がランクアップする。「格」が上がることで、希望する進路が通りやすくなったりもする。
また、通常、犬は犬に生まれ変わる。ただし犬の魂はあらゆるペットの経験が求められるため、魂の成長度によっては他のペットに生まれ変わることもある。尚、魂の成長の過程はいつも友好的で愛に満ちているとは限らない。例えば「絶望」を学ぶためには厳しい環境が必要。ネガティブな状況から得られる困難な教訓は、ポジティブで幸せな経験と同じくらい、魂を成長させてくれる。
ところで、犬の最終目標は人間に転生すること。魂の進化を位置づけるピラミッドにおいて、犬は頂点の人間に次ぐ存在。人間と犬の魂は「類似性が高く、兄弟姉妹のような関係に近い」、更には「明確な境界線がない同種のような魂」ともいわれている。転生の回数や人間観察の経験が多い犬の魂ほど人間に生まれ変わる時期は早くなるが、人間になることを犬が望むことが必要。尚、犬が人間の祖先でもある猿を抜き去った大きな理由は、人間が犬を可愛がったから。また人間の魂は何度生まれ変わっても動物に後退しない。
<悲しみ>
「親が死んだ時よりも悲しい」という人も多い。それほどに愛犬の死のダメージは深い。そして悲しみは愛情を注いだあなたのもの…悲しみの深さは愛の証でもある。なので悲しみから無理に抜け出そうとせず、悲しいという事実を受け止め、とことん悲しむのもいい。これは悲しみを乗り越えるための大事なプロセスのひとつでもあるから…。
しかし、いつまでも泣き暮らすのはよくないこと。共に過ごした愛情と喜びに満ちた生活を台無しにする…この世を去っても大好きなあなたのことを案じているから。犬たちにとって、飼い主の悲しむ姿を見るのは何よりもつらいこと。「なんで悲しんでいるのか」ということも理解できない。逆に飼い主を心配し「死んでもこれで終わりだなんて思わないで。このおうちの子として生きたこと、とても幸せだった。だからもう謝らないで、悲しまないで」…どの子もそう思い、心から元気になることを願っている。
つまり、先立った愛犬に心配をかけない生き方をすること、愛犬を悲しませないように前を向いて進むこと、尊い愛犬に恥じない自分でいること、それが一番の供養となる。
<夢>
亡き愛犬は元気で幸せに過ごしていることを伝えに、飼い主の夢に現れる。その条件は二つ。気持ちの整理ができていることと、愛犬の魂が安定していること。成仏してすぐの魂は不安定。個人差はあるが2週間~1ケ月程経つと安定し、現世に降りることができる。眠る前に「会いたい」という念を送ると、天界の犬がテレパシーをキャッチしたとき夢に現れてくれる。精神的にも落ち着き、死別の悲しみが少し癒えた頃に、ふと再会できるケースが多い。「飼い主をよけいに寂しがらせないように」という愛犬の思いやりによって現れないこともある。また、夢を介した愛犬との接触には深い意味があるともいわれている。
<再会>
犬は天界で飼い主と再会できることを心得ている。飼い主が死ぬと愛が互いの魂を引き寄せるため、飼い主が天界の玄関を通過した瞬間、間違いなく飼い主をみつけて、喜び勇んで駆け寄ってくる。しかも例外なく、たとえ既に転生していても。これは愛してくれた飼い主への恩返し。飼い主は亡き愛犬と再会することで死を悟り、愛犬と行動を共にすることで安心して霊界生活に馴染め、犬は家族がそろうことで今以上の幸せを感じることになる。もちろん一緒に暮らすこともできる。また亡き愛犬が死期に現れる「お迎え現象」を体験すると、ほぼ1週間以内に、本当に穏やかに眠るように旅立っていく。これも愛犬の恩返し。
尚、犬と人間は還る世界が異なっても、あの世はテレパシーの世界なので犬たちと会話することもできるようになる。 愛犬が転生してしまっていても話すことができる。併せて人間と犬は過去世でのつながりがあるケースが多いため、転生を繰り返す中で、いつかは地上の世界でも愛犬に再び巡りあえる。ちなみに10年、20年といった現世の年月も、天界ではわずかな期間。
ところで、飼い主がやってくるのを待つ間、天界には犬の世話をする専門の人がいて、天界での暮らしをサポートしたり、癒しが必要な犬には十分なケアも行う。この人たちの多くは大好きな犬を飼えなかった人たち。犬への愛情が深く、天界の愛犬家たちの信頼も厚い。もし天界で愛犬と再会できなかった場合は、この人たちに頼めば、他の領域にいる愛犬を探して連れてきてくれる。そのため「トラッカー」(追跡する人)とも呼ばれている。
<供養>
愛犬が亡くなるとき、飼い主の心に魂の欠片を置いていくため、いつでも心を通じ合わせることができる。飼い主が天界の愛犬のことを思うと、ワンコも同じように飼い主を感じることができる。供養は飾った写真に愛情を込めて話しかけるだけで思いは届く。一緒にいてくれたことへの感謝の気持ちを伝えると、とても喜ぶ。「飼い主が悲しむと愛犬は辛い。飼い主が笑うと愛犬は喜ぶ」…。なので「今、私たちはこんなふうに暮らしているよ。こんなことを考えているよ」と近況を報告するなどの前向きな話がのぞましい。
併せて魂の平安とともに、魂の成長や魂の幸せ、良い転生・良い来世を願うことが重要。「神様の導きに恵まれ、天界でも来世でも幸せな魂の歩みができますように…」、と心静かに願う。ちょっとした迷いや悩みがあるならアドバイスを求めてみるのもいい。愛犬たちが天から見守っているので、ヒントが目の前に現れたり、よい方向に導いてくれることがよくある。人間も犬たちも転生を重ねる魂の修行者。愛犬の足跡を辿り、尊び、感謝し、互いの成長や成熟に想いを馳せる…。
またお骨と魂は別物なので、犬たちは基本的に骨や肉体への執着・愛着はまったくない。「好きにして」といった感じ。人間が行う遺骨の取り扱いや儀式も犬たちには理解できない。愛犬にとって最も重要なことは、自分が飼い主の心の中で生き続けられるかどうか、ということ。魂と会話し、魂とともに歩んでいくことが供養の本質でもある。つまり愛犬との生活は物語の序章。死という通過点を超えたあとに物語の本編が始まり、一緒に過ごした愛犬との絆は輝きを増していく。
尚、個々の犬はもちろんだが、大勢の犬たちを同様に愛することも大切。それは最愛のワンコを亡くした後に多くの人が気づくこと。
<脱出>
あなたは愛犬にもらった「愛の力」を後悔・罪悪感・悲しみ・憎しみ…に使いますか。幸せや生きる力、優しさに使うことを愛犬から学んだはず。また完璧な人間などありえないのに、理想の自分を求めるがゆえに後悔していませんか。そんな時は「あの子は理想の私ではなく、そのままの私を愛してくれていた…」と思うことも大切。あなたが自分を責めても、愛犬はあなたが傷つくこと、苦しむことを望んでいない。愛犬のためにも自分を許すこと。それが供養にもなる。ちなみに、あなたが罪を背負って贖罪しても、愛犬が望まなければ贖罪にならない。それに贖罪はあなたのためのもの。愛犬のためのものではないので供養にもならない。
ところで同居犬に亡き愛犬の魂が宿り、同じ仕草をすることはよくあること。なので残された愛犬を可愛がることは、2人分を愛するということ。また様々な縁があって新たなワンコを迎えても、亡き愛犬はけっして嫉妬はしない。可愛がる姿を見るにつけ、「ワタシの場合もそうだったね」と幸せを感じ、天界で、そしてあなたの傍で微笑んでいる。尚、亡くなった愛犬が、悲しむ飼い主をみかねて、新たなワンコとの出会いを演出してくれることもある。
愛犬たちはあなたに逢うべくしてやってきた。愛犬の命はこの世から消えたわけではない。目には見えないだけで、いつもあなたの心の中で一緒に歩んでいる。それが現世で、来世で、天界で再び出会う絆となる。
また愛犬と一緒に暮らした楽しくて幸せな日々は、いつか自分の心を救い、愛犬を失くした悲しみや苦しみは、いつか誰かの心を救う…。
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