2015年11月20日金曜日

「報い」

わたしは、その世代世代のやってきたことは、その世代世代に跳ね返ってくるのだと思います

今の高齢者は、なぜこんなに苦しまなければ死ぬことすら許されないのか?

18日に、豊岡市内(兵庫県)の健康福祉事務所でトイレを借りました

向かっている場所に迷い、道を聞くためもあって・・

そこは「出石」(そばで有名ないずし)というところ

健康福祉事務所の道路向いには(そんなに規模の大きくない)工場が、、

道を聞くためにマスクを外すと、大気汚染で息が苦しい・・


その施設の中には、「畳の上に一列に並び昼寝?している老人たち」

テーブルでは、数名の老人たちが無言で食事・・


ああ、、これが

「デイサービス」か、、


わたしは思うんです・・やっぱり


「やったことは必ず帰ってくる

(やるべきことを)やらなかったことも

必ず帰ってくる」


今、老人ホームに入居している世代やもうすぐ入居する世代、デイサービスに通う世代などは
本当は、少なからず戦争を知っている世代


そういう世代が、長く苦しまねば死ねないというのはなぜだろうか?


最近多くなっている、介護施設での介護士による虐待や殺人

以前から思っていました


なぜ介護施設に入らなければいけなくなるのだろうか・・

なぜ長期間苦しまねば、死ねないのだろうか、、

本人が苦しみを自覚している場合

本人は痴呆で苦しみを自覚していない場合


いろいろあるけれど

痴呆や寝たきりは、本当は

だれもがなりたくない事

だけど、多くの人が、長期間の寝たきりや痴呆などを

経過せねば死ぬことができない社会


わたしは思います

きつい言葉だけど


やっぱり

「社会全体のことを考えずに、自分や肉親のことだけを考えて生きてきた人が多いからではないだろうか・・」




わたしの実母(今83?かな)が、5年ほど前に言いました


自然な食事をこころがけ健康に留意するわたし(当時同居)に対して、、


「あと何年生きられるかわからへんのに、食べたいもん食べなどないすんの」


わたしは言葉には出さない、出しても一緒だから 心で思う

「そうやって好きなもんなんでも食べて、で、病気になって、自分らいっぱい年金もらって病院行っても大したお金払わんでええ年やけどな

その、自分らの病院代を負担する世代に迷惑かけてんねんでなあ」


実母は「味の素」世代

わたしが子供のころ、
「味の素をなめると頭がよくなる」

なんて噂もあったくらい化学調味料が賞賛されていた(ハイミーも)

料理の味付けは甘い方で、白砂糖たっぷり、、塩は化学塩だし、、

父親が酒屋からキリンビールをケースで頼んでて、一緒にキリンレモンも頼んでたから

晩御飯の時は「キリンレモン」


村に店が一軒もなかったから、子供が喜ぶようなおやつは常備してなかったけど、「カール」とかはたいていあって、夕食後は食べてた


戦後アメリカからの影響が大きく給食ではパンが出され食品添加物が入った食べ物や調味料がうんと増えた

わたしが最近書いているような工場も増えた


着るものも化学繊維のものが増えた

シャンプーなど日用品も化学物質だらけで


「きれい・安い・早い」が
もてはやされるようになった


今のわたしだからわかる

そりゃ、病気になって当たり前だよ


わたし(昭和39年生まれ)の世代なんかは、今の高齢者よりも平均寿命は短いでしょう

がんとかで比較的若くて死ぬ人は多いし、、


もっと若い人はもっと大変だと思う、、


現代はもう、始終化学物質に囲まれて生きなければならない

わたしが大気汚染にここまで敏感になって思うこと


「純な大気」なんて、もうどこにもないんじゃないか?


こんな世界でいったいどうやって健康に暮らせと言うのか?


外から見た地球はたぶん
「地獄絵図」だろうな・・

だけど、、

塩が専売公社に独占されていた時代にも、ちゃんと自然塩を造り続けていた人がいてくれたり、ここ最近は以前とは違って、自然な食べ物が見直されている

ごくごくわずかな人たちが努力してこられて、その努力が実ってきている


驚くような嬉しいことを発見したりとか


↓コンビニ「ファミマ」で見かけるようになった、からだにいいおやつ

「森永から」


バニラ香料が入っているけど、森永の普通のお菓子とは原材料が全然違う


↓こちらも有名な「味覚糖」





わたしが思うのは、、やっぱり、こういうお菓子は量の割に価格が高いんだけど

そりゃ高い だって、ものが違うから 本物だから

だけどね 高いからまだまだ売れ行きが少ない
売れ行きが少ないからと言って=企業側がもうからないからといって
こういうものを作らないんじゃなくて

ちゃんとこだわって作る企業があり

そしてそのまだまだ売れ行きが少ないってわかってるお菓子だけど、からだにいいお菓子だから

貴重な売り場の一部を確保して置いているコンビニ「ファミマ」(まだごく一部のファミマだけど)
は、やっぱり消費者として好感が持てる

こういうの置いてくれるファミマのオーナーは、ちょっと違うんじゃないかな?
って、、

だったら、どうせ買うならこういうの置いてくれてるファミマで100円コーヒー買いたいな
って、、

そういうので、気持ちがつながったりする

たとえお店でオーナーの顔が見えなくても


化学物質は、消えることはありません


そりゃ、土中の微生物や水中のバクテリアなんかが、いくらかは処理してくれるのかもしれませんが

存在する化学物質が多すぎて、追いつかない

だから、土が水が空気が・・・

年を追うごとに汚染されていく


じゃ、本能が発揮されて化学物質に敏感なわたしがこれからやるべきことは何なのか?

からだは辛いけど、福知山に住んだことで自分が得たもの

大気中の化学物質を始めどんな化学物質にも、以前よりも何十倍もわかるようになった
わたしがやるべきことは・・・


自分が自分の住む場所の

「水と土と空気を創る」

それは自分のからだへも反応するし、そしてここに来る人のからだにも反応する


もちろんここにいる動物たちにも・・・


たぶんこれからこの世界は、、


水と土と空気をいいものにしていく人たちしか、

良い方向に変えられないんじゃないか??


あと、もうひとつ一番大切なこと


弱い立場の動物たちのイノチを尊び守り助けることを行動に移すこと

それは何も、実際に犬猫を保護するということが絶対ではない

もちろんそうできればそうしながらやった方がいいけれど

そうできない人でも、結果は出せる


これが、「やったことは返って来るし、やらなかったことも返って来る」ということ


今わたしがいるこの場所で
これからやっていくことは、そういうことです


お父さん手作りのこの場所で↓


野生動物のすみかと餌を奪うことになったことで、わたしにとってはいい印象のなかった背の高い
すぎとひのき、それから、それらの足元に植えられたもみじ

比較的、もともと空気のきれいなこの地域と、これらの木々や山が他からの空気が入り込みにくいように私を守ってくれていることになっているのではないか?

お父さん手作りの自然な素材の建物がまたわたしのからだをいやしてくれるのではないか?

ならここで、自分でここの水と土と空気を創ろう

ここを訪れる人たちをも癒すことができる空間を・・


現在8頭のわんこをここに連れてきています

また写真を掲載しますが、なんでも書くわたしが、この、今わたしがいる土地(町の名前)をこのブログで書けないのは、理由があります


もう、すでに推測されている方もおられるかもしれませんが、

わたしがいまやられている集団いじめの人間からの多種にわたる「いやがらせ」を避けるため


こういう人間は、何をやってくるかわからないから

特に犬猫に危害を加えられることをさけるために


つい最近も仲間を使って

「明石公園の譲渡会に参加したい」と電話をかけてきた


わたしは人を信じるほうだ

その仲間は、神戸市の「K」という人物で60歳代よりも70歳代だろうな
と思う


もう、疑ってかかった方がいいのかも?とまで思ってしまう

だけど思うのは、なんで


殺処分派の人間がわたしにからんで来るのか?

なんでいちいちわたしのブログを見るのか?

が、わたしにはわからない


わたしと正反対の人間なんだから
それは読んでわかるのだろうから

そういう人たちだけで好きなようにやればいいのに・・と


「人のすることが気になって仕方ないんかな?」


って、、


何事も、

「人がどうこう」よりも「自分」だ


そう、要は

「自分がどう生きるか」だ


その、自分の生きた証が、みんな将来の自分となって現れるんだ



だから

動物のことに関心ない人なんかも、、自分となって将来現れるよ


「やらなきゃいけないことをやらなかった証として」


そのとてもわかりやすい例というのが

動物をいじめまくってきた日本人と、

現代を生きている日本人の現実の姿


だと
思います

きついこと書きましたが

わたしは
この通りだと思っています


豊岡には、猫のことで行きました

また書きます

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