2016年5月17日火曜日

「京都という抑圧」とその「反動」

☆昨日の記事で間違いがありました

すでに訂正済ですが、民事の被告の代理人である弁護士の法律事務所の一人が、数年前に舞鶴市で・・と書いてしまっていました
舞鶴市ではなく、宮津市でした

出身地に関しても、別のサイトで「綾部市出身」と出ていました

やはりここの法律事務所は、「京都色」だなって思いました


被告側から今回届いた準備書面のなかに、京都府の公文書があり、そのなかで佐藤センター長(京都府動物愛護管理センター)の、虚偽の文面がまた掲載されていました

わたしが言っていない言葉を、またウソ書いている
その言葉はとても卑怯な言葉で、わたしが大嫌いな方法なのですが・・・

当会が京都府からの犬の引取りを一旦ストップ(頭数オーバーのため)となったのが6月10日
そのあと、当会と約束したにもかかわらず、当会になんの連絡もせずに(ペットのおうちという里親募集サイトに、掲載するという条件だった約束を守らずに)大量の犬を殺処分していたことがわかったのでわたしがそのことを意見した際の電話のやりとりについての内容

↓が、その時に京都府に殺されていた犬たち




この時の平成26年7月28日付 佐藤所長作成
文書のなかの文言↓


 


上の画像にあるやりとり↓

所内会議中(10時40分)に電話があり、斉藤臨時職員が「会議中なので、後ほど電話する。」と回答したところ、

「10分以内に電話しないととんでもないことになるぞ。」

と恫喝して電話を切りました。



となっているのです・・・



わたしはこんなこと全く言ってません

わたしは生まれて一度も、「とんでもない」という言葉を口から出したこともありません

神戸市北区の、三木市に近いところで生まれ育ったわたしは播州気質が入っており、(播州と言っても広いのでみんながそうかはわからないけれど)

こんな、本で読むような言葉(標準語に近い言葉)は、実際に言葉や自分の文章として使うことは生まれて一度も無かったし、身近に使う人もいなかった

それに、、

「わたしが斉藤という臨時職員に対して恫喝をした」と書かれている


これまでの佐藤昭司職員の、公文書ねつ造(すでにブログで書いたうその内容)の経歴からして、佐藤昭司職員が、自分の言葉に造り変えて書いた可能性もじゅうぶんにありえる


しかも、、、こういう文章をつくる人間の卑怯さが、この報告書からにじみでている

「~~しなければ~~するぞ

というのは、わたしからすると脅迫(きょうはく)だ

こういう脅迫言葉や、そういう文章を思いつく

ということが、そしてわたしがそう言ったとウソをついて行政機関の公文書にしてしまう

ということ、、

それは、その人間の「卑怯さ」というものがにじみでており、こういう部分は、民事の被告MMとそっくりだな・・・って思う

裁判所提出の資料や、京都府職員などにもこれまで書いたり言ったりしてきました

「佐藤昭司職員とMMは、資質が似ている

京都特有の、しかもそのなかでも、人間性の悪さというものがそっくりだ

ウソを書いてでも、ついてでも、とことん相手を落とし入れて悪者にしてしまい

自分を正当化してしまう

というところが・・・

間に斉藤職員が入っているが、京都という、独特の風土において

わたしとは全く異質の人たちが、自分たちのいいように会話文や「恫喝」という言葉をつくって
「わたしがおどした」と行政の公文書を造ってしまう


わたしは脅迫なんてしない

脅迫なんて、せこい(精神的に)人間のすることだ

佐藤昭司職員の別の公文書には、わたしが言った単語を並べているものもあるが、

佐藤昭司職員がわたしに対して「ボケ」と言ったことは、書かれていない


本当に「せこい」って思うな・・


今朝電話で、京都府福知山市出身の夫に聞いてみました

「『とんでもない』なんかいう言葉、京都人は普段から使うん?」


「しょっちゅう使うなあ・・『あんたとんでもないことになるよ』とかって・・」

わたし
「え?京都人は使うんや

どんな時に使うん?」


「たとえば、、この前の猫の餌付け主とかに、、
『このままやったらとんでもないことになるで』って」

わたし
「それはやな 餌付けして不幸な猫増やしとる人間に対してとかのことで、
人間にも猫にも『このままやったら大変なことになるんやで』っていう意味の、心配する気持ちから出る
『とんでもない』って言葉やんか

佐藤のこれはやな、、

わたしが脅迫してるってことを、公文書にしてるんやでなあ」


「そうやなあ
10分以内に電話してこんかったら火つけたるぞ

とか、そんな感じに脅したような文章にとれるわな」


『恫喝』という言葉をネットで調べてみました↓


<恫喝の読み方>

これは、

「どうかつ」

と読みます。


<恫喝の意味>

これは、

「不安になるようなことを言って脅して、おびえさせる」

という意味になります。

類語辞典には

「危害を加えるような様子を見せて、相手を脅えさせること」

とありました。

↓は別のサイトより





恫喝は刑事事件になるか|刑事弁護士が解説


恫喝は、どのような刑事事件(犯罪)になるでしょうか。
可能性としては、強要罪、恐喝罪、脅迫罪になることが考えられます。
これらのうちいずれになるかは、以下のとおり、恫喝によって何をしようとした(させようとした)かによります。
◆恫喝によって、相手に義務のないことを行なわせたり、権利の行使を妨害したりしたとき
 強要罪となる可能性があります。
 法定刑は、3年以下の懲役です。
◆恫喝によって、相手を畏怖させ、金銭を交付させたり、債務を免除させたりするなど、経済的利益を得ようとしたとき
 恐喝罪となる可能性があります。
 法定刑は、10年以下の懲役です。
◆ただ恫喝しただけで、それによって特に何かをしようと(させようと)しなかったとき
 脅迫罪となる可能性があります。
 法定刑は、2年以下の懲役または20万円以下の罰金です。

これらのことから考えると、佐藤昭司(京都府)職員は、公文書にウソのわたしの発言を書いて

『わたしが犯罪行為を行った』というふうに見せることを自ら演出している

もう、本当に公務員というのは、恐ろしい・・・

前に書いた、佐藤職員と砂津職員らのウソもだけど、、

京都行政は、公務員が公文書に何書いても何やってもいいのか・・という感じ

たぶんそれに、一般の京都人も感覚がまひしてるんだろうな・・って思う


こんなことを公文書に書いて、『名誉棄損』行為だって、思う


わたしは京都府に住んで・・いろんなことがあり

特に京都府行政公務員とか民事の裁判相手とかと・・・


なんで京都はこうなんやろ?と

福知山市で個人で猫を保護している人(綾部市出身)に言われたことがありました

「井上さん、京都の人は表と裏があるんですよ」とか・・

その人が、「ある家の人が猫を人からもらっては増やしている」というので

わたしが「じゃ今からその家の外回りだけでも道路から見てきます」

と言うと

「そんなことしたら福知山では生きていけませんよ」とか・・・

それから、、、

遠方の里親さんに犬と猫をそれぞれ届けて来て疲れていたので、帰りに知人にもらっていた無料チケットを使って、福知山市内のF温泉に入ったのですが、、、

そこはシルバー人材センターから雇っていたようです

カギ(温泉の着替えを入れるロッカーでなく、貴重品を入れる小さいロッカーの方の)
を落としたのか?探しても見当たらず、、、

わたしがあまりウロウロすると逆に不信がられるのでは?と思い

高齢の男女従業員に

「すみません、、カギを風呂場かドライヤー付近で落としてしまったみたいで、、」

と言うと、高齢女性従業員の口から出た言葉は

(こわーい顔でにらみながら)

ないーでは済まされませんよ!」

へ??と、、わたしはびっくりしました・・

この人は、わたしがカギを盗んで帰って後日ロッカーの財布とかを盗みにくるとおもっとんか・・

客に向かってなんちゅう言い方するんや・・・恐ろしいなあ、、と思い・・


一応そのあと、一緒に探してくれて、他の人がドライヤーしていた足元に落ちていたのが見つかりましたが、、、

心のなかで

「こんなとこ、二度と来ん」

ということもありました、、、


京都って、、こんなんふつうなんか?・・と

お世話になっていたガスやさんの従業員の人とかは、そうでもなかったけれど・・


福知山は、商売っ気を感じません 綾部もですが、、、

中心地に近い夫の家に住んでいた時でも、ポストに全くちらしが入らなかった、、神戸の住宅街にいた時には、毎日のようにピザ屋のちらしとか、、だいたい1日10枚くらいは入ってて、「ちらしお断り」っていうの貼ったこともあったし、もう、外壁の外装やリフォームのセールスとかすごくて、、
「セールスお断り」っていうの貼ってる家も多かったし、、、


まあ、こういうのも結局は、「大規模な工業団地を誘致」したり大きな自衛隊があったりとかで、、、

人々が、人とのコミュニケーション努力をあまりしないでも給料や自治体に税金が入ってきている

そしてそれが住民もわかっているから、、公害企業とわかっていても声をあげる人がないんだな、、

って思った


兵庫県丹波市の不動産会社の、20代の社長が言っていた

「福知山の不動産屋が

『福知山の不動産屋は長田野工業団地があるから成り立ってる』って、言ってましたから」と・・


京都の人は人同士があまり自分をさらけださず、その分、内に閉じ込めたうっせきが、反動という形で出てしまうのか、、、

人との対話をざっくばらんに楽しんだりとか、、、構えずに自然に言葉が出てくるだとか、、そういうのがなかなか難しい人が多いんじゃないか?・・って思う

そういう内に秘めたものを人はずっと閉じ込めたままにはなかなかしていけないものです
ストレスたまりますから、、、なので時々発散させるのだけれど、その発散のさせ方が精神的にゆがんでいる、、ねじれているな・・って

やっぱりそのあたりは、あまり直接人と会話でコミュニケーションするのが、わたしのような他府県の人間から見たら上手じゃないな、、って思う

特にわたしは播州の気質なので、どっちかというと、大阪みたいな感じと神戸の両方な感じだと思う

だから夫と再婚してびっくりすることもあったけど、、夫は
「福知山なんかましや 京都市内のほうはもっとすごい」

って言ってたけど、、夫にはその都度はっきり言うんで、大分夫も変わってきたと思います


よく思います

京都がなぜそうなったのか・・と考え、それはずっと昔からの影響もあるとおもうけれど、

ある程度近い昔でも「共産」が強かった

というのも大きな原因ではないか?と思います

共産党に肩入れしていたにながわ府知事が28年も続いた

↓は、京都出身のある人のブログ




私が生まれ育ったのは、おぞましい共産の牙城、京都の市中でした。
そして蜷川虎三というのが知事で超長期独裁政権でした。
あまりにも左翼政権が強すぎて、自民勢力までもが協調しなければならない程で、良いことは何ひとつありません
  イメージ 1
  京都に長年圧政を行った 蜷川虎三           左翼の巣窟京都府庁舎

私の父親は保守系ノンポリでした。
私が幼い頃は食料こそ不自由はなかったけれだ、衣類はまだ若干不足気味で、兄のお下がりの同じ服をずっと毎日着ている時代でした。
京都にもまだ進駐軍がおり、MPが白いジープで廻っていて、彼らを私は何か妙な気持で見ていたように思い出します。

なぜか私が社会を見る目は早熟で、新聞などが大好きでした。

小学校の3年か4年かのとき、ある日担任が言いました。
「ソ連では映画を観ても電車に乗っても全部タダなのです。」
さあクラスは沸きかえりました。

「すごーい!」、「ソ連に生まれたら良かったのに~」、「日本で損したぁ」
私は「そんな事があるものか」と思いながらも、さすがに反論できなかったです。

中学のとき、国語が言いました。
「日本の演劇は能や歌舞伎も全部ウソ演劇で何もかも嘘。宇野重吉の演劇こそ本物!」。

この国語は「軍隊ではなぁー」と言って、生徒をしょっちゅうビンタしてました。

歴史は、教科書の記載から離れ、「これは実はこういうことだったのだ」と、権力者の貪欲さやトリックの政治、民衆の苦しみなどの話ばかりしていました。
  
高校のとき、美術は出欠をとってその日の課題を示すとさっさと講師室に入って出て来ずです。
ソ連旅行から帰った体育は、運動オンチの私をみんなの前で蹴りました。

倫理社会は、千里馬(チョンリマ)の思想を教える一方、何を質問されても答えず「君はまず○○の本、■■の本から読みなさい」とお勧めの左翼入門書の書名を言うだけ。

京都も日教組の勢力が減弱したようで、今では信じられないかも知れませんが、当時はそうでした。
私が「先生」という単語を使っていてないことにお気づきですか? それは全く尊敬もなく、親近感もないからです。残念なことに「先生」に値する教員にはついに巡り会いませんでした。

級友達も「世界が社会主義を経て共産主義に向かってゆくのは科学的に証明されている。」などと 私が何を言っても仕方がない土地風土。

なんという閉塞感。気持は鬱積するばかり。自分の中で「国のやり方が全部良いとは言わないが、あいつらの言うことは絶対違う。」「革新、革新と言ってるが、あんなものは本当の革新ではない」という気持が募るばかり。

私に言わせれば京都府の府政、教員達の言行が保守であり、とても強固な支配体制にあたります。
こんなものではなくて自分の精神こそが真の革新だという強い思いです。
この思いと反骨精神が長い年月をかけてじっくり熟成されました。

現在住んでいる場所は普通の場所ですが、この思いは変りません。

私の中学の担任は共産党員でした。全教に分かれる前の日教組です。
選挙が近くなると生徒たちを担任の家に呼んで選挙の手伝いさせられました。
今から思えば信じられない話です。

(以下は、ブログ主がコメントに対してした返信)
共産党の知事が長年独裁政治を行い、京都はまるで日本の中のソビエトでした。
今はどうかは知りませんが、似たようなものではないかと推測します。

ところで、京都のカラーは、まあ、そういった感じですね。


↑は、わたしからしたら考えられない『不自由さ』(自由がない、しばりつけの教育)です

ただ、こういうのを読むと、萩原副課長(京都府 生活衛生課)が言っていた、『部下が書いた報告書に、ここバツバツバツ書き直せって指示する』『それにより、部下が誇大表現やウソの報告書を造ることになる原因にもなっているかもしれない』『府職員がわたしに言っていないことを言ったと書いても、そんなにおかしいと思わない』

というように、なってしまったんだろう・・って思います

こんなことやってたら、みんな恐ろしい目つきや、怖い表情になっていくよ

精神は絶対に表現として現れるから、、、

だからいじめとかが起きるんだ

被告たちが集団でわたしをいじめたように・・・続きは後日に。


(わたしは京都人全てを批判しているのではありません・・よ  武田弥生)

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