2015年5月29日金曜日

「のら猫保護」についての考えなど/ご支援のお礼

かしのき台(福知山市)の公園ののら猫について、以前にある人から情報をもらっていました

昨年秋です

前の自宅でのネット環境が無くなり(利用者減のためプロバイダーがサービス停止)、ある店でネットをして、今裁判をしている相手に対して訴訟を起こす準備のために相手のブログの印刷などしている時でした

自分のしていることを話すと、野良猫の相談が来ました
えさやりは「この人である」ということも

その時は当会に新しく多数の猫を入れるスペースがないことと、譲渡団体になった行政機関から
頭数制限もかかっており、TNRをしないわたしはどうすることもできませんでしたが、再婚して今の自宅シェルターができ、一戸建てを購入した娘が当会の猫を多数あずかってくれたことで、動けるようになりました

わたしは、TNR(のら猫に避妊・去勢手術をして元の場所に戻す)はしない人間です

こういうことを書くと反感を持つ人もいると思いますが、

TNRすると、「見捨てた」みたいな気分になるからです

それは、動物愛護活動を始めた当初、人に頼まれて病院まで搬送の手伝いをして(その人は自宅庭などに来ている猫に餌をあげていました)元の場所に戻した瞬間、涙があふれたことがあったからです

譲渡会の主催をしていると、いろんな人からいろんな電話がありました

エサやりからの依頼も多かったです

当初はえさやりにきついことも言わずやっていましたが、途中でおかしいと思ってきました


人のTNRを手伝い、術後いつも猫がいる場所に猫を放したあとで車を運転しながらワーワー泣く・・

えさやりが世話してたメス猫の手術の搬送を手伝い、一度、かかりつけ医に
「おなかのなかに1匹あかちゃんがいました 可哀そうでした」と言われ、
帰りの車のなかでまたワーワー泣いて

「わたしは手術の搬送を手伝って、おなかのあかちゃんを殺したんだ」と・・・

泣きながら、病院からその家に戻ってえさやりにそれを伝えると

「1匹だったら生ませて世話できたのに」と・・


警戒心があって触れない猫は鎮静剤をかけないと手術の麻酔ができません
鎮静剤をかけた時点でおなかのあかちゃんはだめになります
あずかる時にえさやりに「妊娠してる可能性ない」と聞いていました


えさやりの言葉に当時は何も言えず、

「1匹やったら世話できたん?3匹やったら堕胎させてよかったとでも言うん?」
心のなかで思いました


自分のかかりつけ医ができるまで、他の保護活動者に手術の窓口になってもらったこともありました

その人でないと、手術の値段が安くならないから・・・

エサやりが世話してた猫を預かって、その人に預けて・・・


術後迎えに行ったら、窓口になってくれた保護活動者に言われました


「おなかにあかちゃんがいました
お役に立ててよかったです」


この
お役に立ててよかった」 とは


「おなかの子猫が、おぎゃーと生まれる前に堕胎させて1匹でもこの世に生まれてこなくてよかった」

という意味です


わたしは

「みんなおかしい」

と思いました


始めて主催した明石公園の譲渡会に、一般参加した猫に里親さんがつきました

一般参加した人はえさやりで、保護して参加して、里親さんが決まったのですが、その里親さんのおかあさんがまたエサやりでした

手術せずにのら猫にえずけして増やす・・

捕獲を手伝い、メス黒猫「ナナ」はうちで保護、オス黒猫はTNRでそのお母さんがみました

ナナはうちで2年前の秋に猫パルボで死にました

その時、オス猫はのらやってまだ生きてました
(娘さんから、お礼のメールがきました)


わたしは、「ナナを保護してよかったんやろうか?」と・・・

でも今のわたしは違います


「ナナを保護してよかった」
ナナ、猫パルボで若くて死んだけど、メス猫「姫」(奈良のエサやりから保護)をおねえちゃんのようにしたい、わたしに慣れんでも、、保護猫でも、、猫舎でも、、

わたしの「飼い猫」として過ごせた


人間は次生まれ変わるのか?知りません

わたしは宗教しませんが、なんとなく

動物は生まれ変わる気がする


猫が次も猫なのか?犬なのか?人間なのか?


犬は次なんなのか?犬なのか?人間なのか?


その猫やその犬が今、どんな子だとしても、、

生まれてすぐに息たえたとか、生まれてすぐに殺処分されても次に生まれ変わると思う

そしたら、人間に慣れんのら猫や野犬でも、

人間と、ちょっとでも蜜に過ごせたら、次が違うんじゃないか?


●元々オオカミだったのを、人間が利用のために犬をつくった

●農家がねずみとりのために放したために、野良猫がふえた


みんなみんな人間の利用のため


よく「いやし」とかって言うけど、わたしはそんなん感じたことありません

「いやし」・・も、人間の利用の感情


今生きてる犬と猫、みんな、思いやりのある人間がかかわることによって、ちょっとでも、命大切にする人間の近くで過ごせるような環境つくる、、

誰も、自ら望んで野良猫になったわけじゃない

自ら望んで野犬になったわけじゃない

猟犬になったわけじゃない


そのからだに魂が宿った運命というのはあると思うけど、、

運命だからと手を差し伸べないのは無責任だ


その子のためにと思ってやったことは、絶対に悪いようにならない


あの子らには次があるから


肉体が死んで終わりじゃない
魂は生き続けて・・また、たぶん生まれ変わってくれる


前の時に、どういうふうに人と関わり持てたかで、次が違うと思う


今年、娘がみていた保護猫「シン(4歳)」が息引き取ったと娘から電話あった時

わたしは泣き崩れながら

「シンのそばにおってくれてありがとうな

この子ら(犬や猫)には、心があるんや

なのに殺す(殺処分される)んや」

と・・


そのあと数日間沈み込んでた娘に


「シンはいつか生まれ変わる

その、シンが次生まれ変わる時に、幸せになれるように、

わたしらが社会変えたらええんちゃうん?」


人間の赤ちゃんが親を選べないのも同じです


自分の子供を虐待したり殺したり、、
いろんな親がいるのは、今はしょうがない
今はそういう社会になってしまった

社会がまともになるまでに、

その子らの近くにいる他人で

手を差し伸べれる人間がいないことが一番おかしい


弱い立場の動物や子供に、
心からやさしい手を差し伸べることのできる人が増える社会になることが

この地球を救う道だと、
思います


自分の家族だけよかったらいい

とか

自分の飼い猫・飼い犬だけよかっらいい

とか


それは違う


それは

ただの「猫可愛がり」なのであって、

「本当の愛ではない」

思います


☆ご支援のお礼

5月28日、兵庫県のTさまより、1年分の会費として12000円を振込いただきました

メールを返信したのですが、届いていないかもしれないです

Tさん、本当に、ありがとうございます










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