2025年10月19日日曜日

明治維新からコリア系の政府天皇に

●李の家とは①李氏朝鮮系。創賜。李に「家」を追加。1597年(慶長2年)から1598年(慶長3年)の慶長の役で毛利氏に従って山口県西部(旧:長門国)に来住して山口県萩市堀内が藩庁の長州藩主だった毛利秀就の命で李氏が称したと伝える。同藩医に江戸時代にあった。李リ参照。 ②コリア(朝鮮・韓国)系。推定での比率は約20%。創賜。李に「家」を追加。岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧:揖斐郡谷汲村)で1961年3月31日に帰化の記録あり。本姓は李。 2022年 1月 27日 更新 ●岸信介・佐藤栄作は兄弟であり、岸信介は安倍晋三の祖父である。岸信介は1896年に山口市に生まれるが、本籍地は田布施町だった。父親の佐藤秀助は1898年に山口県庁の官吏を辞め、岸信介が2歳の時に田布施町の実家の傍で酒造業を始める。1901年、弟の佐藤栄作が生まれる。  岸信介は小学4年生の時に岡山の内山下小学校に転校する。岡山中学校に進学するも、彼の面倒を見ていた叔父が急逝した為、山口中学校に転校する。中学3年生の時に父親の実家の岸家の養子となり、岸信介となる。東京の高校に入学し、東大へ進学する。弟の佐藤栄作は高校から熊本の五高へ通い、東大へ進む。 ③吉田松陰歴史館  吉田松陰の生涯を人形を使って展示している。  また、山口出身の歴代首相8人の人形が展示されている。この中で安倍晋三は東京で生まれ、本籍地だけ山口の長門市となっている。安倍晋三は大学時代まで東京で過ごし、その後アメリカに留学し、帰国後、神戸製鋼所へ入社した。    薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)が薩長同盟を組んだのは1866年。土佐藩(高知)と肥前藩(熊本)が加わり、薩長土肥として明治維新に影響を与えた。明治政府や陸海軍の要職はこの4藩によって形成される。  伊藤博文が初代総理大臣に就いてから、薩摩藩と長州藩によって首相の席は占められた。そのことを藩閥政治という。 伊藤博文(長州)・・・・・・初代、5代目、7代目、10代目 黒田清隆(薩摩)・・・・・・2代目、 山県有朋(長州)・・・・・・3代目、9代目 松方正義(薩摩)・・・・・・4代目、6代目 桂太郎(長州)・・・・・・11代目、15代目 山本権兵衛(薩摩)・・・・・・16代目、22代目 寺内正毅(長州)・・・・・・18代目  この通り、山口の総理が多いのは初期の藩閥政治によるものが大きい。しかし、その後、東京が11人と山口を追い抜いている。

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