会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2026年1月14日水曜日
台湾と中国、その関係とは
中国が中華民国と名乗ったのは、中国国民党の孫文が率いたわずかな時期であり、中国国民党の蒋介石が台湾へ逃げてから、台湾が中華民国と言われたわけで、その蒋介石が戦った相手が中国共産党、いわゆる今の中国であるから台湾が「台湾は一度も中国に支配されたことはない」なるわけだ。
アメリカが、中国との国交開始のために、中国に言われて、台湾を切り、台湾のことを「一つの中国」と、認めてしまったことが、現在の大きな台湾問題に至っている、とわたしは思う。
そして、中国を国と認めて、国連の台湾の議席を取り上げて、その議席を、中国へ移譲してしまったことも、大きな間違いだったと。。
日本も、中国側の条件に従い、台湾を切り、田中角栄が日中国交正常化をやったし。。
経済回したいがためだけに、こんなことをやるから、
中国がどんどんと、つけあがったのやからな。
で、中国による台湾侵攻で、日本が戦争に巻き込まれる可能性が、大に。。一体なにやってくれてるねん!!
が、しかし、、私達は、私達の祖先が繋いだこの日本人による日本国を守り抜きつつ、私達が死んだあとも、この日本が、立派に日本として、永遠に続くことにより、結果世界平和を達成するために、私達は、堕落せず自ら自身を勢い付けて、
宇宙に貢献を、果たすのである。
それが、宇宙の子、それぞれの星の種、スターシ一ド達の、
生まれ持った役割、なのだから。
まず→台湾の歴史、、
固有の先住民の文化 台湾は古来、中国本土とは別個な文化圏にあった。その先住民は東南アジア島嶼部から南太平洋に拡がるオーストロネシア語族の民族で、多くの部族に分かれ、独自の狩猟・漁業、焼畑農業に従事していた。彼らは漢民族ではなく、中国の史料にも様々な名前で出てきて、一定しない。南部の台南の外港にタイオワンといわれたところがあり、その地名が後にこの島全体の名称となって台湾の字があてられるようになったらしい。
鄭氏台湾から清朝の支配へ 東アジア交易圏の中継地としても栄え、明代には倭寇が活動し、17世紀以降はヨーロッパ勢力も進出、一時期オランダは台湾南部を領有した。1661年には明の遺臣鄭成功がオランダを追い出し、台湾を支配、鄭氏台湾の時代となった。しかし鄭氏は清朝の康煕帝に倒され、1683年から清朝に服属し、翌84年に福建省に隷属する台湾府を置いて19世紀末まで続いた。1874年、日本の明治政府が台湾に出兵、清朝は領有関係を明確にする必要に迫られたが、ようやく1885年に台湾省設置を決定、しかし正式に福建省から分離したのは1888年だった。
50年に及ぶ日本の植民地支配 1894年の日清戦争の結果として下関条約で日本に割譲され、1895年から日本軍が台湾に侵攻して武力によって平定し、第二次世界大戦で日本が敗北した1945年まで50年に及ぶ台湾総督府の植民地支配を受けた。日本は台湾人の抵抗を排除しながら植民地支配を拡張し、産業や教育の普及に力を入れた。1930年には台湾内地の現地人が武装して抵抗した霧社事件が起こった。日中戦争の時期には皇民化政策が強められ、太平洋戦争では日本軍の南進の基地とされた。
世界最長の戒厳令 戦後、国共内戦に敗れた中華民国の国民党政府が中国本土から移り、蔣介石・蔣経国総統による1949年から1987年までの戒厳令(この40年に近い長さは世界最長である)のもと、外省人による本省人に対する統治が続いた。1950~60年代には中華人民共和国と中華民国(台湾政府)が海峡をはさんでにらみ合う緊張が続き、その間アメリカは台湾との軍事同盟によってアジアの共産化の防止にあたった。
米台の断絶 1971年に始まった米中の国交回復の動きは急速に展開し、同年10月には国連の中国代表権は台湾(国民政府)から大陸の中華人民共和国へと移った。1979年1月1日に米中国交正常化で合意が成立、アメリカは台湾政府(中華民国)と断交し、1980年に米華相互防衛条約が失効した。アメリカは公式には「一つの中国」のみを認める立場を取ることとなり、台湾は国際的な孤立を余儀なくされた。ただし、アメリカは米華相互防衛条約に代わり台湾関係法を制定し、事実上、関係を維持している。
経済成長と民主化 台湾経済は、1951年から1965年にアメリカの経済支援を受けて国民生活の回復とインフラの整備を行い、輸入代替型の軽工業化を果たして復興を遂げた。1970年代にはアメリカの公的支援は終わったが、政府主導による高度産業化による国内需要の増進が図られ、1980年代にはIT産業などの成長によりNIEs(新興工業経済地域)の一つともされるようになった。その間、経済成長に伴う民主化要求も強まり、戒厳令のもとでの政治的自由の抑圧に対する反対運動が活発化した。1987年にようやく戒厳令が解除され、翌88年には李登輝が初めて本省人として総統になって民主化を進め、1996年に初めて直接選挙による総統選挙が実施された。2003年には選挙によって民進党政権が成立、初めて政権交代が行われ、国民党が下野した。この間、中国政府との関係では経済的交流も進んだが、台湾独立の動きに対しては中国政府が神経を尖らせる状態が続いている。
以上。
中国国民党の蒋介石が、まず第一に倒したかったのが中国共産党で、次に日本を倒したいと言っていたのを、ドイツのさしがねにより、
順番が逆になった、と、、 以前の動画で、言ってましたよね、、
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→中華民国の正体がわかると日中戦争の本質がわかる
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