2015年1月6日火曜日

新年のあいさつ

新年あけましておめでとうございます


なのですが、この「おめでとうございます」という言葉を書いたり言ったりすることには、抵抗があります

はて?いったい何がめでたいのか??
力の弱い動物たちが力の強い人間たちに、よってたかって殺されている・・


原発は再稼働・・


他国の富の原因を自国のものにするための傲慢な戦争


地球温暖化による異常気象(わたしはこの説が合っていると思っています)・・・


何もめでたいことはない

しいて言うなら、これだけ人間たちがやりたい放題やってきても、いまだ生き続けてくれている
地球に対して、

また新しい年を与えてくれたことに「ありがとう」

新しい一年の幕開けに「おめでとう」

だと思っています


今まだ地球が存在すること自体、奇跡じゃないか?と・・

近いうちいつか、ドラマ「漂流教室」のようなことが起きるんじゃないか?
と、わたし個人は本気で思っています


原発についてですが、あの大事故があったにもかかわらず、まだ原発をやろうとしている

政治家たちは自分の利益をまず優先した思考回路から逃れられず・・・
それは結局、日本の政治家の給与が高すぎることと、日本人の気質によるものだと思います

自分の生活スタイルを維持したいために選挙に当選したがる

だから、耳障りのいいことを言い、人口の多い高齢者を特に優遇する

高齢者優遇の政策をとれば選挙で「票」が取れるから

そして選挙に勝ってしまえばそのあとは、やりたい放題

あの福島原発大事故のあとのドイツと日本

日本は「原発再開」

一方ドイツはといえば2022年までに「全原発停止」へ(2014年8月時点)


京都議定書を離脱した日本
京都議定書をクリアしたドイツ

さまざまな苦難があろうとも、やろうとする気持ちのあるドイツ
何もしないくせに、廃炉・停止をやろうとし実行している他国をくさし
あのいまわしい原発の再開を決めた日本

日本の政治家たちがいかに「自分の個人的な金」に執着しているか

地球環境や国民の真の幸せよりも大企業と癒着し、個人的な富を得ることに執着しているかを


「日本の原発事情」は、よく表していると思います


「日本の動物事情」もこれに同じだと思います


何もしない人間たちが

「犬猫の殺処分」について

ネット上だけで「あれやこれや」と騒ぐ

わたしが今訴訟を起こしている相手たちも同じです

ネットで書くしかできないの?

何もしないのにあれだけ書いたなら

せめて裁判所にくらい、自分で足を運べば?

自分で書いたことなのに、
裁判の場で自分で説明できないの?

自分で説明できないようなことを、ネット上だけで、自分の名前も明かさず書くの?
書いたのなら、書いた責任くらい取ろうよ

お金払って弁護士に頼んで、、

いい大人なんだから

自分のことくらい、自分でやろうよ

って思います



自分の責任だから何を言っても書いても自由です(度を過ぎているので今回わたしは訴えましたが)

が、それにより

たくさんの動物を死なせることは、絶対に許せません


人間として生まれ言葉を持ち、その言葉により自分で書いたのだから

その責任は
自分自身で取りましょう


わたしは
自分のこと書かれたんだから
自分のことは自分でわかるから
代理人など立てません
必要ありませんから


・・と、

途中からは訴訟の相手に対する言葉になりました


この二人のように「ネットいじめ」的なことをして楽しむ人は多いです


わたしはせっかく生まれてきたのだから

「自分にしかできないこと」
をやって生きたいと思っています


今は、親の経済的事情や親の離婚(わたしも離婚経験があり娘がいます)などにより苦労している子供たちが多くなっている時代だと思います

しかしわたしはそれが良い方向に向くことがたくさんあると思っています

それはその個人個人の生き方だと思いますが

自分が悩み苦しんだ分、何の苦労もない人よりも向上できると思います


わたし自身、他の兄弟に比べて両親から受けた愛情はかなり少なかったです

でもだから、さみしく辛い思いをしている犬猫の気持ちがわかります


昨年6月に「里親譲渡会」を兵庫県立明石公園で行った際の子供たちの反応です


3組いづれも小学校5~6年生の子たちでした


☆お母さんと来た女の子

15歳の「マリ」(神戸市動物管理センターより引き取り)の里親になることを女の子が希望

この女の子の友達家族が、明石公園の譲渡会で2年前にダックスの子犬の「里親」になったことをきっかけに

「犬たちをおくる日」という本を読んだそうです
そのあとも、図書館に行っては「殺処分」関連の本を借りてきては次々と読んでいる

ということでした

が、お母さんは

ご主人が単身赴任中で犬を飼うことをまだご主人に了解を得ていないことと、15才のマリを飼うことに自信が無い

ことを理由に、女の子の希望がかないませんでした


☆自転車で会場横を通り過ぎながら男の子二人のうち一人がもう一人の子に


「老犬とかは殺処分されるらしいで・・」

わたし
「うん、兵庫県動物愛護センターとかは年とってなくても殺してばっかりやし、他のセンターでもいっぱい犬猫殺してる
でも、おばちゃんはそういう子ら引き取って、おばちゃんとこに来た子は里親さん決まらんでも最期まで飼うから」

「あの・・飼いたいのはやまやまなんだけど親が・・」

わたし
「うん、大人になってまた飼えるようになったら飼ってな」

「はい」


☆譲渡会が終了して片づけしてる時に
女の子3人グループのうちの一人の子が心配げに

「今日決まらなかった子は殺処分なんですか?」


わたし
「ううん、この子らはおばちゃんが殺処分から助けた子やから決まらんでも最期までおばちゃんが飼うで」


「よかった~」


と、、

明石公園で譲渡会を始めて10月で4年が経ちました

ただ譲渡会をやるだけでなく

なぜ譲渡会が必要なのか
なぜ里親探しが必要になるのか

とおりすがりの人にも目立つように
「犬猫殺処分の現実」や「生体販売の罪」、「神戸市動物管理センターの子を助けよう」


他毛皮や実験に使われる動物たちの悲惨な現状など・・

子供がみてもわかりやすいようなポスターなど掲げて来ました


インターネットが普及したことは、良い面と悪い面がありますが、「動物たちの問題」に関しては、
保守的な日本という国に生まれた子供たちでも手軽に情報を入手できるという、良い方向に動いていると思います


戦後経済が急成長し動物の命を経済の道具にする社会になってしまいました


戦争で苦労したはずの大人たちが育てた時代の子供やそのまた子供たちが、経済の成長とともに命の大切さを忘れていく

それは動物だけでなく、人間社会をもよく表していると思います

「医療」や「介護」
を、経済の道具にしてしまった日本の人間社会

結局は、人間をも経済の道具にしているというとてもわかりやすい現れだと思います


その根本は「政治」


「金目当ての政治」が原因だと、わたしは思っています


でも、政治って、政治家だけがやるものじゃない

本当は、国民の気持ちがあれば

「社会は変えられる」

と思っています


この大変な時代に育つ子供たちや、今の社会を変えようという気持ちのある大人たちが

「命にやさしい国」



政治家を頼らずとも創っていける

と、わたしは思っています



全ての生命を尊ぶ会

武田弥生 (旧 井上弥生)














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