ええこと書いてありますなあ
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エンジェルナンバー1212は、あなたの思考や信念が、現実のものとなりつつある、という意味の数字になります。
思考と信念は、人の現実に大きく関与していることがあります。
大きくというのは控えめすぎる表現だと言えるほど、それは重要な関与であると言えます。
それはなぜか?
その理由とは、例えどのような現実でも思考と信念がそれがどのようなものかを選択的にあなたに見せたり、あるいは、この現実はこうだ、という決めつけにも使われていることがあるからです。
本来、どのような現実もそれ自体は中立なものです。
中立というのは、悪影響も、好影響も、どちらも与えていないということを意味しています。
そして思考と信念は、中立的に存在している現実に対して、それが自分にとって良いか悪いものかという判断をさせる基準として働いていることが多くあるのです。
例えば、あなたが幼い頃、自転車で転び、大きな怪我をした経験があるとしましょう。
自転車で転んだことは、確かに痛みや傷を抱え、実際に怪我ということを体験しました。
これは中立であるどころ、明らかにマイナスに傾いた現実だと言わざるを得ません。
しかし、それを本当にマイナスな現実だと捉えるかは、本人次第なのです。
痛いし、怪我をしたし、二度とこんな目には会いたくないけど、現実は中立の立場として存在します。
なぜなら、普通に自転車を乗っている時だって、確かにあったはずだからです。
今回、転んでしまったのには、何らかの原因があるものです。
例えばよそ見、石などの障害物を避けられなかった、あるいは虫が飛んできたなどなど、自分で注意して避けることができるものから、それが難しいものまで、様々なことがあります。
そう、現実にに、なんでも起こり得ることなのです。
恵まれた家庭に生まれた人も、例えそうとは思えない人にも、現実にはなんでも起こり得る、という環境の中にいます。
海沿いの大豪邸がハリケーンで吹き飛ばされる可能性もあるし、隕石でこの星が壊滅的なダメージを受ける可能性もあります。
確かにその可能性はもしかしたら低いかもしれません。しかし、可能性はいつも可能性として眠っていて、それを消し去ることはできないのです。
現実は誰にとっても中立的であるのは、誰もがリスクを抱え、そして同じ分だけのリタ^んも得られている点です。
先ほどの自転車の例でも、自転車に乗り自由に、歩くことよりも早く目的地に着くことを繰り返してきたはずです。
これはとても素晴らしい現実であり、それを文字通り享受していると言えます。
しかし、一度転んだりしてしまうと、自転車は突如として、危険で、自分に不都合な存在に写っているでしょう。
この時、大抵の場合で、思考と信念が、以前のものと変わることがあるのです。
何が言いたいかというと、思考と信念の挙動や変化を、自分で観察しないでおくと、中立の立場であらゆることが起こる現実に対して、右往左往することになるということです。
何であれ起こりうるのだから、自分の享受しているものと、そこに想定されるリスクを見極めることは、とても重要なことです。
それがそのまま、あなたの現実にもなる可能性があるし、また、裏切られる可能性だってあるからです。
あなたがもし、自転車で転んでしまった子供であるなら、自転車をこれから怖くて、危険で、不都合な存在として扱うか、それとも、そのリスクは認めながらも、今までと同じように快適で、便利は使い方をするか、その判断の基準として思考と信念は深く関わっているものです。
怖いとか、危険ということばかりに自分を見失い、支配されてしまうと、これまでの大いに役に立ってきた素晴らしい要素まで、手放す決断をしてしまいます。
思考と信念は、あなたの判断基準として機能し、そしてそれは揺るぎない真実という思い込みのもとなされることばかりです。
気がつけば、こんなはずではなかったのに、という結果となるのは、思考と信念やその変化と影響力に、全く注意していなかったからかもしれません。
思考と信念が、現実のものとなるだろうという天使の言葉には、このようなアドバイスが隠されているのです。
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