2021年6月30日水曜日

守り攻めよ

結界をつくり オ一ラで包み込み わたしは誰の影響も 何の影響も受けない わたし自身が受ける影響は わたし自身によるものだけだ

2021年6月28日月曜日

事故

自動車運転処罰法違反容疑で県警に逮捕されたドライバーの梅沢洋容疑者(60)が所属していた会社によると、事故直後に梅沢容疑者から電話があり、「大きな事故を起こしてしまった。飛び出してきた人をよけようと左にハンドルを切ったら電柱にぶつかり、コントロールを失って子どもたちをはねてしまった」と連絡してきたという。県警によると、梅沢容疑者からは基準値を上回るアルコールが検出された。  八街市内では2016年11月にも、今回とは別の場所である国道409号で、登校中の朝陽小の児童の列にトラックが突っ込み、4人が重軽傷を負う事故があった。子どもが朝陽小に通う男性(41)は「ニュースで飲酒運転と聞き、悲しさとともに怒りがわいてくる。学校からの連絡はまだないが、今後どうやって登下校するのか先生と話し合いたい」と話した。【真田祐里、中村宰和、井口慎太郎、田中理知】 以上 運転手を責める事は 誰かに責任を押し付けることに過ぎない 根本原因は社会にある 根っこを変えなければ 問題はなくならない 通学路を変えたとて同じ 原因は搾取社会にある 搾取社会を作り上げた原因は 全員にあるから

天の声

名前だけ知った人に遠隔整体始めようと、瞬間 ユ一チュウブから流れた声 「わたし達は、他者と社会のために行動 するあなたを誇りに思っているわ」 天使サマ神サマ ありがとうございます! 母なる地球、父なる宇宙にまで褒めていただき 感謝します!

娘へ 2

みんな好きなように 生きたらエエねや やったこともやらんかったことも 全て自分に返ってくる(!) 自由の責任は 自分一人で背負う😄 宇宙の法則や!!

娘へ 1

人間は自分に都合いい風にしか覚えてへんきらいがある。 離婚時に、若銀春が死ぬまで 養育費払うと公正証書交わしたが、ゆうほの養育費終了時に、今後は若銀春も払わんでエエと言ったらオヤジはそうした。額にして150万。 そんなこと向こうは忘れてるやろ。 離婚時に、350万オヤジにあげた。 あげんでも良かったが、あげた。 オヤジは結婚時に、自分の生活費さえ家に入れてない。 オヤジが家に入れた額は、月25万 オヤジほ母の一存で東白川台の家をオヤジ一人の名義にした。私にロ一ンの保証人にさせるためやな多分。若かったからわたしもオヤジ母の言いなりやった。 オヤジ給料25そこから ●ロ一ン16 残り9万 ●家での酒代2万五千円 ●オヤジの光熱費1万五千円 ●休日のオヤジ食費2万五千円 残り2万五千円じゃ 平日のオヤジの食費も でんがな 高額なオヤジの ●固定資産税 ●住民税 は 一緒に住まわしてもろとる わたしが負担としても   オヤジは自分の生活費さえ 家に入れんと遊び廻っとる 乳房子供の生活費など 知ったことじゃない! コレ愚痴ではなく事実 天はみとるでな 金を追いかける者は 金に追い立てられる!当然や だから 別にゆうほも返さんでも ええねや オヤジへの借金

2021年6月27日日曜日

脳を思考に支配させない 脳は魂ままに

素敵過ぎ

神奈川県藤沢市の境川河口付近で溺れた4歳の男児の命を救ったとして、藤沢署は11日、横浜市青葉区の会社員の男性(37)、看護師の女性(33)の夫婦に感謝状を贈った。 藤沢署などによると、夫婦は家族で観光中だった11月22日午後2時50分頃、川に浮かんでいる男児を発見。男性が救出のため飛び込んだ。  男性は泳いで近づき、男児を抱き留めたが、大人でも足がつかないほどの水深で岸に上がることができなかった。女性が周囲に応援を求め、駆け寄った男性2人が男児と男性を引き揚げた。男児は女性の救命措置で意識を取り戻し、後日、母親から「通常通りの生活に戻ることができました」と感謝のメッセージが届いたという。  青木正浩署長から感謝状を受け取った男性は「なんとか役割を果たせて良かった」と話し、女性は「経験をこの子の救出につなげることができた」と振り返った。

素敵や

ホームレスの男性に対する、ある青年の無償の親切が注目を集めている。 「アンバー」というユーザーネームでティックトックを利用している女性が先日、車で米フロリダ州タラハシーを走っていた時、道路脇にホームレスの男性がいることに気がついた。その男性は「どんな援助でも助かります」「神のご加護を」と書いたカードを持っていた。 人は変われる…米国女性のビフォー&アフターは希望の象徴  すると、男性の前に停車した車の中から上半身裸の若い男性が降りてきて、トランクを開け、入っていた衣服や靴など、あるものすべてをホームレスの男性に渡したのだ。  アンバーさんはちょっと離れた場所に車を止めて、その一部始終を撮影。6月10日に「私はこの青年を知りませんが、広く拡散する価値があると思います。彼がティックトックを見ていればいいのだけど!!!」というキャプションをつけてティックトックに投稿した。  青年の無償の親切は人びとの心を打ち、さまざまなSNSに飛び火し、拡散していった。  その後、この投稿を知った地元テレビ局WTXLが、親切な青年がフロリダA&M大学に通うジャバリ・リチャードソンさんであることを突き止めた。  ジャバリさんはあの時、不要な衣服を売りに行く途中だったという。自分の行為に関して同局にこう語った。 「子どものころ、母からいつも『世の中には困っている人がたくさんいる。みんながみんな、あなたのように恵まれているわけじゃないのよ』と諭されていました」 「母はいつも衣服に困らないようにしてくれた。そんなのは当たり前だと思っていたけど、どんなものだって一瞬で失われてしまうこともあるんですよね」  ジャバリさんには全米が拍手喝采だ。

2021年6月25日金曜日

がんばってる人は素敵

東京オリンピックの中止を求めます」。こう手書きされた段ボールを手にした男子高校生が5月末、一人で街頭に立った。無言で抗議の意を示す「サイレントスタンディング」。様子がツイッターに投稿されると反響を呼び、「参加したい」という仲間も現れた。たった一人から始まった活動が、静かに広がっている。  京都市左京区の高校1年、那須開登(かいと)さん(15)。大阪出身で父親が米国人、母親が日本人。一時、米国に在住していたこともある。バイデン氏が勝利した2020年の米大統領選を巡る討論会などを見るなどして、社会問題により関心を持つようになったという。

命の授業

オーストラリアのど田舎在住なのですが、昔見た鶏を育てて食べる命の授業と言うドキュメンタリー番組に感動して、自分でも経験の為に生きたヒヨコを3羽買ってきて育てて殺して食べてみようと思ったら情が湧いて殺せずにもう4年目、今では新しい命も生まれて5羽に増えました。 彼らの食費は月に30ドル、朝に小屋を開けて放し飼いにして夜は小屋に勝手に戻るので世話は餌と小屋のフンの掃除だけで手はほとんどかからないのですが、仕事から帰るとエサくれーって寄ってきて本当に可愛いです。 名前は、からあげ、ねぎま、つくね、塩とタレです。 ご近所さんは朝の鳴き声を楽しみにしてくれているとの事で、日本人の飼ってる鶏だから神道と勝手に呼んで毎朝神道(本当の名前はからあげ)の鳴き声で起きるのを楽しみにしてくれているそうです。 今では情がうつりすぎてベジタリアンになってしまいました。

保護活動?

おかしいんよね 動物問題は 人間みなに責任あるからね 責任無い人間なんて 一人もいないからね マジメにやってる人間だけが しんどい思いするの おかしいんよね 天は平等やからね 天はみてるからね 責任は みな 自分でとるように なってるからね   誰も助けてくれないよ 困ってる人や動物に手 差し伸べるの 当たり前やからね でも自由やねん どう生きようが自由やねん 自由の責任は 自分

2021年6月24日木曜日

脳に支配されない ネガティブ思考は 脳に ●やめろ! ●いい加減にしろ!

2021年6月22日火曜日

良いこと

後志の古平町。去年5月、清勝さんは、いつものようにタケノコを採りに行きました。  「どうやらヒグマの被害で、しかも体を持って行かれたようだと。猟友会の皆さんの話を聞いていると、(体を)振るわれて、(持ち物が)あちこちに飛び散っている感じ」(長男・酒井隆行さん)  実家から、わずか500メートルの場所で、清勝さんのリュックや靴下の片方が見つかりました。長靴には割かれたような跡がありました。  リュックには笛と鈴がつけられ、クマを引き寄せるような食べ物は持っていませんでした。痕跡から、クマが寝ていた近くを偶然通ったとみられています。  今年も道東の厚岸町で、妻と一緒に山菜採りをしていた男性がクマに襲われ死亡しました。男性もクマよけの鈴を持っていました。しかし、事故が報じられるたびに相次ぐのは、個人の責任を問う声です。 何でヒグマが沢山いるってわかっているのに、この老人は1人で出歩いたんだ?自殺志願者なの?」「命懸けのリスクを取らんでもスーパーで買いましょうや」(ツイッターの声)  しかし、専門家は、クマの出没や被害が増えた背景には人間社会の変化があると指摘します。  「人の生活の仕方とか人口が変化してきて、クマと人とのバランスが変わってきていると思う」(酪農学園大学・佐藤喜和教授)  隆行さんの実家のすぐ裏にある山。およそ40年前、隆行さんが子どもの頃は、周囲にほかの住宅や牧場があり、釣りなどで山に入ることも多かったといいます。  人口減少が進むにつれ、山と実家との距離は、ゆっくりと近づいていました。  「よく釣りをして遊んだ場所なので、安全な場所という認識でした」(長男・酒井隆行さん) 1990年に「春グマ駆除」を廃止して以降、道はヒグマの保護に重点を置いてきました。  クマの個体数が回復する中、今月、稚内の住宅地でクマが撮影され、札幌市北区でも、記録上初めてクマが目撃されました。今や、クマとの付き合い方は、山に入る個人だけの問題ではないのです。  「最初は憎いという単純な感情から、いろんなことを調べたときに、もしかするとそういうことを知ってたら防げた事故、防ぎようがあった事故なのかな」(長男・酒井隆行さん)  隆行さんは、道内でクマ対策に取り組む人と協力し、オンラインでクマについて語る新たな取り組みを始めました。「くまのわ喫茶室」です。  「まずは個人個人がヒグマに関心興味を持ってもらうこと。二度と……血と涙が流れるようなことはあってはいけないと強く思っています」(長男・酒井隆行さん) 父の命の重みを感じながら、クマとの共存への道を進みます。

2021年6月21日月曜日

2元

闇人間、闇社会は必要 自分のために   自分が光になるために 元から自分は光なんだからさ 映し出された闇から 思い出し 引っ張り出し ポイしてくために あるんだよ 人や社会に見える闇は だから 大切なんだ   闇社会も 闇社会にまみれる人も

2021年6月19日土曜日

彼へ

こんなに人を愛したのは 産まれて初めてです。 お互いにいろんな問題を抱えた状態のままで、いろんな問題を二人で一緒に片付けながら、乗り越えてゆきましょう。 私達二人ならやれます! できます! だから今この時期に 出逢ったのです。 今この時期に出逢うことを 産まれる前魂のみだった時期に、約束していたのです。 その約束を果たしたのです。 二人で協力をして 乗り越えるために 問題を抱えたのです。 それは シゲもわたしも 平たんな人生は おもしろくないと 思っているから。 訳ありの車に魅力感じるシゲ 訳ありの動物に魅力感じる私 訳ありの人生を 思いっきり楽しもうじゃあないか〜 笑ったり泣いたりしながら それもいいよね!と 全ては最善の方向へと 導かれているからこそ、 起きる出来事なのだから。

2021年6月18日金曜日

動物は高い次元の存在

ラルフさんは今月2日の夕方、ハーレーと一緒に散歩に出て自宅近くにある湖を眺めていたそうだ。すると岸から200フィート(約61メートル)離れた沖合に、生後数日ほどと見られる子鹿がいることに気づいた。子鹿は必死に泳いでいるものの首まで水に浸かり、今にも溺れそうな状態だった。 これに気づいたハーレーは即座に湖に飛び込み、子鹿のもとに向かっていった。ハーレーはまるで岸に子鹿を誘導するかのようにそばを離れず、一緒に泳ぎ始めた。そして岸の手前までくると、ハーレーは子鹿を後ろから押し上げて無事に救出した。 その後もハーレーは、心配そうに子鹿の体を舐めてあげるなどして離れようとしなかった。その時、ラルフさんが近くに母鹿がいることに気づきハーレーを連れて子鹿から遠ざかると、安心した母鹿は子鹿を連れてその場を離れていったそうだ。 ただハッピーエンドはこれだけではなかった。ラルフさんが翌朝、妻パトリシアさん(Patricia、64)と一緒にコーヒーを飲んで寛いでいた時のこと、ハーレーが部屋の中を慌ただしく走り回って窓の外を気にしていたため、不思議に思ったパトリシアさんが外の様子を見ようと玄関のドアを開けた。 すると外から子鹿の鳴き声が聞こえ、その方向を見てみると自宅近くの茂みにはハーレーが救った子鹿がいたのだ。ハーレーはすぐに玄関から外へ出て子鹿のそばに行くと、子鹿は鳴き止んで尾を振りながらハーレーの顔に鼻を寄せたそうだ。子鹿は少しばかりハーレーとの再会を楽しんだ後、母鹿と一緒にその場から去っていき、それ以来姿を見せることはなかったという。 そんなハーレーはセラピードッグの資格を持っており、介護施設を訪れたり地元の図書館で子供たちの読書の時間にそばに座って過ごすこともあるそうだ。ラルフさんは米メディア『People.com』のインタビューに応じ、ハーレーについて次のように語っている。 「ハーレーは子犬の時から優しい心を持っていて、子供や動物に対していつも優しく接していました。うちの4人の孫もいつもハーレーにべったりなんです。しかし今回のことが、こんなに反響があるとは思ってもいませんでした。大勢の人の心を動かし、多くの喜びを与えたことを私たち夫婦はとても嬉しく思っています。」

2021年6月12日土曜日

スト一カ一6

今日は京都へ整体に! いい気分転換になる思う! 空気いい道通って 往復道中も 治療されて きまッス!! シゲも疲れ癒やしてネ〜!!

スト一カ一5

帰って来たら20時過ぎ お風呂でも どよよん気分 でも、今回交番駆け込んだことを相手が知って良かったかな?と これで今後わたしや誰かに つきまといするのを やめる気になったのでは?と なら逆に 交番付近でやられたことは わたしにも相手にとっても ラッキーやったこと   と、思えたわ 恐怖心は まだ残ってるけどネ

スト一カ一4

ですぐに電話してから 兵庫警察へ 受付の対応もよく 生安の対応も普通に  しっかりしていた 鈴蘭台駅交番が ●報告書を残さない と断言したこと については 「それはあかんなァ」と 最後に ●キチンと対応してもらえたので信用してますけど 今後わたしが県警本部で 情報開示請求すれば 報告書として今日聞き取りした 内容を見れますよね? 聞くと 「もちろんです!」と 若いコやったけど いい感じのコやった アドバイスもしてくれた ☆できるたけ人の多い大通りを歩く ☆スマホを持ち歩く ☆つきまといの最中に110する 110すれば警察官から 警告されて 大体の場合、スト一カ一行為おさまるらしいわ 今回は相手が誰かもわからないし被害届はだせないけど 報告書を北警察にまわして 今後は北警察が対応します! と

スト一カ一3

帰ってから ネットで調べて 被害届出したいおもて 北警察本所電話した 電話にて、 交番の対応おかしいこと 言った ●ビデオみいひん断言されたこと ●対応した中原巡査? わたしの名前を聞いて ひらがなでフルネ一ムを メモしただけで、記録全く 取らなかったこと ●わたしの名前以外、 個人情報聞かれてないから 免許証見せましょか? 言ったら、いらん言われたこと ●報告書を残さないのはおかしい 普通は報告書残して、後日私が県警本部に情報開示請求すれば、キチンと内容が見れるようになってる ●これらのことから  わたし今から北警察本所に 行くから、生活安全課の人いる? て聞いたら いるけどバタバタしてる 来てもらっても 中原が対応済なので じゃあ中原に僕から 言っときますから と、私が本所には 行かせない対応 したので 「じゃあ今から兵庫警察行くわ」と言うと 北警察本所の風呂さんが 「もう行って下さい」と

スト一カ一2

ワタシを探して交番まで  見に来た 外から 歩きながら覗いた 交番前のビデオ写ってるはずやから、今後のために ビデオ確認して言うたけど おまわりさんは  ●ビデオみいひん ●報告書も書かへん と

スト一カ一

昨日1年ぶり 去年2回された スト一カ一男つきまとい〜 あからさまで 怖すぎた  しかも 去年は西鈴蘭台やったのが 今回鈴蘭台 引っ越しで もうないおもてたから まさか! うち、駅からソコソコ近いから家特定されるのが怖い 車は知られてるから だから 昨日は怖すぎて 目の前の交番 駆け込んだ!!

2021年6月9日水曜日

キリスト教

原始キリスト教は迫害を受けた 失われた12支族のうちの一つが イスラエルから中国へ そして中国から日本に渡り 農耕、神社、など広めたのが弥生時代 はたサン!という人 神社は実は原始キリスト教 兵庫県丹波市青垣町佐治にある神社には 「キリスト教会」かんばん 秀吉時代キリスト教は ロ一マカトリックであり 原始キリスト教は 当時すでに日本の神社として 存在していた ヤフちゃんヨリ

偉大なる先人4

こうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。  「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。  その一方で、日本国内に向けてもただちに奴隷として人を売買することを禁じる法令を発している。こうして秀吉の強硬な態度がポルトガルに対し示されたことで、日本人奴隷の交易はやがて終息に向かうのであった。  もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略が進んでいたことだろう。秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけである。 日本史の新視点  慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑された。これはポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであった。  ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。  ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えてくるのだが……。

偉大なる先人3

何とも酷たらしい場面だが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるという。  なお、牛馬の肉を手づかみで食べるというのは、西欧ではこの当時、食事にフォークやスプーンを使う習慣がまだ定着していなかったからだ。ルイス・フロイスも日本人が器用に箸を使って食事する様子を驚きをもって本国に伝えている。 大村由己は自分が目撃したことを秀吉に報告したところ、秀吉は激怒し、さっそく宣教師コエリョを呼びつけ、なぜそんなひどいことをするのかと詰問した。するとコエリョは、「売る人がいるから仕様が無い」そうケロッとして言い放ったという。  この言葉からも、こうした日本人奴隷の交易にキリシタン大名たちが直接的にしろ間接的にしろ何らかの形でかかわっていたことは間違いないだろう。  海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。彼ら日本人奴隷たちは、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったという。  この5万人という数字に関してだが、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。

偉大なる先人2

もう一つ許せないのが、日本の大事な国土が西欧人たちによって蚕食され始めていることだった。  たとえば、キリシタン大名の大村純忠は自分の領地だった長崎と茂木を、同じくキリシタン大名の有馬晴信は浦上の地をすでにイエズス会に寄進していたのだ。  日本国の支配者たる秀吉にとって、いかに信仰のためとはいえ、外国人に日本の領土の一部を勝手に譲渡するなど言語道断の出来事だった。西欧人たちがそれを足掛かりとして領地を広げていくことは火を見るよりも明らかだったからだ。  最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。  秀吉はそれを防ぐためには、キリシタン大名や宣教師たちの勝手な振る舞いに一日でも早く歯止めをかける必要があると考えたのである。  さらに、秀吉がこの伴天連追放令を出した理由として、実はこれが最も大きかったのではないかと研究者たちの間でささやかれている理由がもう一つある。それこそが、先の四カ条の詰問にもあった、日本人の奴隷問題だった。 日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉はこのたびの九州遠征で初めて知ったのだった。  九州遠征に同行した秀吉の御伽衆の一人、大村由己は著書『九州御動座記』の中で日本人奴隷が長崎港で連行される様子を大要、次のように記録している。 ■『九州御動座記』の記録  「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」  同胞の若者たちが鎖につながれて次々と南蛮船に押し込まれていく光景は大村由己にとってはこれ以上ないカルチャーショックだったに違いない。

偉大なる先人

九州平定といっても実質的には九州統一を目論んだ薩摩の島津氏と秀吉との争いだった。この合戦では島津軍は九州各地でよく善戦したが、いかんせん20万ともいわれる秀吉軍の前に次第に薩摩一国に追い詰められ、翌15年4月21日、ついに島津家当主義久は秀吉に和睦を申し入れている。  その後、秀吉は薩摩にしばらく滞在して戦後処理をすませると、帰国の途につき、途中、博多に立ち寄った。史上有名な「伴天連追放令」はこの地で発令されたものだ。  それは6月19日のことで、この日秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行っている。  一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。  一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。  一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。 一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか――という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けている。  この追放令が出されたことで九州各地や京・大坂にあったイエズス会の教会や病院、学校などが次々に破壊された。しかし秀吉が、交易やキリスト教の信仰自体を禁止したわけではなかったため、ほとんどの宣教師たちは九州などにとどまり、非公認ながら布教活動を細々と続けたことがわかっている。 ■西洋人が胸に秘めた「日本侵略」の意図  さて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。