2020年2月5日水曜日

『宇宙はただ一つ、どの魂も、元は一つ』

ネット

毎度のGoogleのロゴがこんなことに

ンコシ・ジョンソンを称えて
すみません💦 どなたでしょう?

毎度のWikipediaはなかったけれど、検索結果を見ると悲しい記事が・・・

ンコシ・ジョンソン君はHIV母子感染し、
生まれた時からHIV陽性だったのだそう。
2000年にダーバンで開催された国際エイズ会議でスピーチをした。


ンコシ・ジョンソン君

ンコシ・ジョンソン君はアフリカでエイズとともに生きる人々の小さなヒーロー。今までも。そしてこれからもずっと。

ジョンソン君の元気だった頃の写真を家に飾っているHIV陽性者の友達がたくさんいます。彼のことが書かれた本は私にも宝物です。ポスターは、陽性者の友人に奪われてしまいました。

今は先に亡くなったお母さんのもとへと旅立った彼の、勇気あるメッセージを、2000年ダーバンでおこなわれた国際エイズ会議での、メッセージを今日は紹介します。


『ンコシ・ジョンソンです。南アフリカのヨハネスバーグに住んでいます。11歳です。そして末期のエイズ患者でもあります。生まれたときから、HIV陽性でした。

ママは棺の中で目を閉じていました。やがて棺が墓穴に納められ、土がかぶせられました。それから時間が経つうちに、いろいろなことを忘れてしまったけれ  ど、ママが生きていれよかったのに、と思います。

でもママは天国にいるはずです。そして肩越しに、ぼくを見守り、ぼくの心の中を見ているんです。

エイズになったことが悔しいです。だって、すごく苦しい病気だから。

それに、他の子供たちや赤ん坊がエイズになっていることを思うと、泣きたくなります。

政府が、AZT(ARV薬の1つ)をHIV陽性の妊娠している人たちに与えてくれればいいのにと思います。

そうやって、赤ん坊がもう感染しなくなればいいのに、と願っています。

ぼくたちだって、おなじなんです。

ぼくたちだって、何も変わりません。

みんな、1つの家族なんです。

ぼくたちも人を愛し、笑い。傷つき、泣き、生き、そして死ぬんです。

ぼくたちの面倒を見てください。ぼくたちを拒まないでください。

ぼくたちだって、みんな人間なんです。普通の人間です。手も足もあるし、歩くことも、話すこともできます。

そして、他の人たちと同じように、いろいろな必要を抱えているんです。

ぼくたちをどうか、怖れないで。

ぼくたちもあなたと同じ人間です。』

  ~著 ジム・ウーテン/訳 酒井泰介


ンコシ少年の生きた時代、南アではエイズととも生きる人々には効果的な治療、ARV薬へのアクセスは保障されていませんでした。母子感染を防ぐための薬の保障もない中で、多くのHIV母子感染した子供達が生まれていました。

ンコシ少年は、1999年には、免疫指数であるCD4値は13しかなく、この国際エイズ会議を前にした時期の彼のCD4値は、わずか2でした。

でも、11歳の少年は自分たちの命のために堂々と立ち上がりました。

笑顔の美しいこの少年の人生を丁寧に描いた本を、私の別のブログ nywanywa-books でも紹介しています。

彼のこのスピーチの後、まもなくして、TAC(治療行動キャンペーン)と南ア政府との母子感染を防ぐ薬の公費での供給をめぐる裁判の結果、薬の公費による妊婦への投与が始まるようになりました。

そして2004年4月からはすべてのHIV陽性者が、公立病院で無償でARV薬を受けられるように少しずつ南アは変化してきています。

それでも。

2010年現在、人口4900万人のうち、HIV陽性者の数は570万人。

エイズで親を亡くした子供の数は190万人。

母子感染や、なかには暴力によって感染した子供の数は28万人。

公立病院や民間の医療機関によってARV治療を受けることのできている陽性者は全体の37%にすぎません。

感染している子供のうち治療を受けられているのは、3万2000人だけです。

政府が定めている治療スタートの基準は、2004年からずっと免疫指数のCD4値は200以下になってからですが、200以下とは「エイズを発症する」といわれている数値で、先進国ではもっと早いうちから治療を受けることができます。2010年からこの数値が300以下の人がARV治療を始められることにようやくなりましたが、まだまだ政策としては不十分です。

毎日30人が治療を受けられないために亡くなっています。

また、ディスアビリティグラントという障害者給付を受けられるHIV陽性者はCD4値が200以下という条件にさらされているために、失業率が4~5割とも言われている南アで、仮に治療にアクセスできた場合に、どのように生計をなりたたせていくか?ということも大きな課題です。

ンコシ君をはじめとした多くのエイズ遺児をケアするのはおばあちゃんを始めたとした、親戚の人。その家族の中から新たにHIV陽性が判明することも多いのが現実です。虐げられて、家族と一緒に暮らすことができずに、施設で生活しているエイズ遺児もたくさんいます。

貧困の中での低栄養状態や非衛生的な環境、さまざまな心のストレス、悲しみは免疫低下を早めてしまいます。

地域の人に根づく、エイズへの誤解から生じる差別やスティグマといったものも、エイズとともに生きる人々を苦しめています。

こういったスティグマへ立ち向かうための有力な戦略や、子供達を長期的に包括的にケアしていくアプローチ法はいまだ確立していない状況なのです。

私達は、ンコシ少年の存在を知り、これからも彼の言葉を胸に、何か行動していかなくてはいけないとニバルレキレでは考えています。

そして、ほかのたくさんの名もなき、570万人の感染者の声を、150万人のエイズ遺児の声を、28万人の感染してる子供達の声を、きいていかなくてはならないように思います。

少しでも、ニバルレキレから、彼らの命の輝きをこれからも伝えていきたいと思っています。

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