2020年2月7日金曜日

やるぅ!高知東生



♬それが一番大事!っと( ^ω^ )

ネット


罪を犯したのは事実だし、過去は消せない。このことを受け入れたうえで深く反省し、経験を生かすことが僕に与えられた使命だと思っています


自助グループに出会い、やっと見つけられた居場所

逮捕された瞬間に、「これで救われた」とホッとしたのを覚えています。女房を裏切り、女性と一緒にいたところに踏み込まれた。女房に対して最低なことをした僕ですが、そのときはもう、自力で薬をやめることができなかったから。このまま続けたらすべてを失うことになるとわかっていたのに……。脳が薬物の力で支配され、自分で自分をコントロールできなくなってしまう。僕は「薬物依存症」という名の病気です。
今も有名人の薬物事件のニュースを見ると、当時のことがフラッシュバックします。自業自得ですが、マスコミに追い回されたことがトラウマになっていて、さっき撮影されたときも、シャッター音を聞いただけでビクッと身構えてしまいました。
正直、「悪い夢を見た」と流してしまえたらどんなにいいか、と思います。でも罪を犯したのは事実だし、過去は消せない。このことを受け入れたうえで深く反省し、経験を生かすことが僕に与えられた使命だと思っています。

こんなふうに冷静にとらえられるようになったのは、2019年の2月に依存症患者が自らの体験を語り合う自助グループに出会い、「苦しんでいるのは自分だけではない」と知ったことが大きかった。9月には依存症予防教育アドバイザーの資格を取得し、現在は依存症予防イベントなどで講演活動をしています。
依存症当事者や家族の方の前でもお話しする機会が多いのですが、この活動に僕も助けられています。自分の体験を語ることはセルフカウンセリングの一環でもあるんです。
また、依存症の家族を持つ方々にふれ、別の角度から依存症問題を見ることができるようになったのは大きな収穫でした。パワーをもらえるのもありがたい。「家族を依存症から救いたい」と藁にもすがる思いで僕の話に耳を傾ける方々を目の当たりにして、自分のつまずきを価値に変えることができるかもしれないと考えるようになりました。
僕は今、自分の居場所があることに感謝しながら生きている。欲もプライドもない素の心で、一から人生をやり直すチャンスを与えられているのです。

判決後の苦しかった日々。死のうとまで思い詰めた

2016年の9月に懲役2年・執行猶予4年の判決が下されました。その頃は人の目が気になって仕方がなかったんです。自分に寄り添ってくれた数少ない友人たちからも、「外に出たら石を投げられるぞ」とか「奥さんのファンに殺されるぞ」とか忠告されていました。
彼らに悪気はないと理解していますが、専門的な知識のない人の感情論に耳を傾けるべきではなかったと今は思っています。正直、僕の苦しみは家にこもっているあいだに増幅し、自分と向き合うどころか、「もうダメだ」と自分を追い込むことしかできませんでした。
そもそも家から一歩も出ないなんて、現実的には無理なんです。最初のうちは友人が食事を運んでくれていましたが、次第に来たり来なかったりするようになって、そのことに対して文句を言える立場ではない。

そこで意を決して一人でコンビニへ行きました。帽子を深くかぶってマスクもしていたのに、信号待ちで隣にいた5歳くらいの男の子が「ハンゾウチーフだ! なんで出なくなったの?」って(笑)。ハンゾウというのは、『逃走中』というバラエティ番組で僕が演じていた役の名前なんです。一緒にいたお母さんが慌てちゃって。
でもそのときに、「高知さんですよね。頑張ってください!」と声をかけてくれました。嬉しくて、親子を見送ったあと、その場にしゃがんで号泣してしまいました。

そこから外に出るようになったのですが、現実は甘くはありませんでした。事件後、親しかった人や面倒をみていた後輩まで蜘蛛の子を散らすように離れていきました。自分のせいだとわかっていても寂しい。
ぽっかりと空いた心の穴を見透かしたように、心ない人が次々に寄ってきます。「つらいだろう? あるよ」と薬物使用をそそのかす人もいたし、「暮らしが大変だろう?」と善人のフリをして近づいてきて僕を利用しようとする人もいました。
でも一番キツかったのは、仕事を紹介しようと親身になってくれていた人から、「ごめん、採用が決まりかけていたんだけど……執行猶予中はマズイだろうという話が出て、ダメになった」とたびたび言い渡されたこと。
再起のチャンスさえ与えられないのかと心がくじけ、「もう死のう」と思いました。あのとき、僕のツイッターに「一度会って話しませんか?」というメッセージが送られてこなかったら……、そう考えるとゾッとします。

そのメッセージの主は、公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子さん。実は見覚えのある名前でした。逮捕された直後にワイドショーで、僕が取締官に「来てもらってありがとうございます」と頭を下げたことが報じられ、コメンテーターの一人が「甘い言葉。ふざけんな」と発言されたそうです。
すると間髪いれず、ネットメディアで「高知さんのコメントは依存症者の正直な気持ちで、私たちにはよくある話」と僕を擁護し、「コメンテーターの○○さんは依存症の専門家ではない。どうか口をつぐんでほしい」と、抗議した人がいた。それが田中さんだったのです。僕は、保釈後、叩かれまくっている記事の中、唯一の理解者を見つけてすごく嬉しかったことを思い出しました。

自らの心の傷と向き合う勇気を得て

ところが人間不信のピークにいた僕は、田中さんに「今はそっとしておいてほしい」と返信してしまいます。すぐに返事が来て、「いつ、どこで会いましょうか?」と綴られていたのにはビックリしたんですが(笑)。強引な人だなあ……とあきれながらも会ったのは、僕が心の底で救いを求めていたからでしょう。
田中さんは「夫はギャンブル依存症。私もギャンブルと買い物依存症だった」と切り出し、二人で回復への道を歩んだことを語り聞かせてくれました。
そして「依存症は脳に依存物質や依存行為の回路ができてしまう病気なので、意志の力ではどうにもならない」「なぜ依存せずにはいられないのか、原因になっている心の傷を突き止めることが先決です」と話は続き、自助グループに参加するよう勧めてくれました。「自分を苦しめる思いを分かち合い、プログラムで生き方を変えた人を私は数多く見てきました」と。




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