2020年2月7日金曜日

続き

半信半疑で出かけた自助グループでしたが、同じ苦しみを抱える人たちの前でなら、すべてを打ち明けられる気がしました。それまでも精神科医の松本俊彦先生の治療は受けていましたが、先生にも自助グループに通い続けることを後押ししていただきました。
こうしたなかで僕は自分と向き合い、心の傷を浮き彫りにする勇気を育てていったのです。現在から遡って、少年時代のつらい記憶に対しても……。

僕の生い立ちは複雑で、小学校4年生までは祖母に育てられました。ある日、時々来ては欲しいものを何でも買ってくれるおばさんが母親だと知らされ、一緒に暮らすことになります。父親は任侠の世界の人で、周囲には若い衆が大勢いた。のちに母が愛人であることを知りました。
僕は中高一貫の全寮制の学校に入り、甲子園常連の野球部でピッチャーをしていましたが、試合があっても母は来てくれなかった。ところが高校3年のある日、突然学校に現れたのです。いつも着飾っていた母が、ジャージ姿で他の保護者に交じって料理を作っている姿を見たときの嬉しさといったら……。

後日、母が切羽詰まった様子で今すぐ進路を決めろと迫り、「任侠の世界は絶対にダメ」と言われたのを覚えています。別れ際に母からなぜか「私、綺麗?」と訊かれたことも。「気持ち悪いことを言うなよ」と答えると、笑いながら涙をこぼしていた。話をした1時間後に、母は自殺しました。
その後、父親だと思っていた男性と血のつながりがなかったこともわかり、故郷にいることがつらくなって高知県から上京したのは20歳のときです。「絶対に成り上がってやる」。その一心でした。でも都会のハードルは想像以上に高く、仕事にもつけず、代々木公園で2週間くらい野宿していたこともあります。
そのうちに原宿の広場で雑貨を売るバイトが見つかり、交友関係が広がるなかで、年上の会社経営者と仲良くなりました。昼はバリバリ働き、夜は華やかに遊ぶ豪快な男性で、彼がカジュアルに薬物を使っていたのです。僕も勧められるまま使うようになり、正直な話、罪悪感は薄かった。

裁判で、「20歳の頃から薬物を使用していました」と言いました。メディアではほぼ毎日使用していたかのように報じられたそうですが、そんなことしたら死にますから。ただ、つらいことがあったり、未来の不安に襲われたり、孤独で胸が張り裂けそうな夜も、薬物に頼って依存してしまったのは事実。
もちろん、どんな事情があろうと言い訳にしかならないことはわかっています。でも僕が伝えたいのは、周りから人がいなくなった後で自分の孤独に気づき、それを包み隠さず人前で話せるようになったら、嘘のように楽になれたということです。

執行猶予は謹慎期間ではない」と知ったのも、自助グループに参加してから。僕の受けた判決、「懲役2年・執行猶予4年」とは、4年のあいだに再び犯罪を起こしたら2年の刑罰に処せられる、ということです。つまり、「4年間のチャンスを与えられた」。
第一、何もせずに文字通り謹慎していたら、収入がなくなり生活に困ってしまう。そうなると、絶望からまた薬物に頼るしかなくなります。執行猶予期間中に生活を再建することが大切だと教えられました。
幸い僕は猶予期間中に回復し、再起するのに必要な人たちと出会うことができた。自分が変わることで、悪影響を及ぼす人との関係を断ち切り、愛のある人たちと入れ替えることができたのです。人生のバランスが整い、薬物に頼るしかなかった人生から抜け出せた。

同志であり親友だった妻を失って気づいたこと

なぜ再び薬物に翻弄されることなく、ここまで歩んでくることができたのかと問われたら、別れた女房の記者会見での言葉と涙が心に響いているからです。外に女性を作った僕をなんとでも悪く言えばいいのに、彼女は僕のことを「同志でもあったし、親友でもあった」と言ってくれました。それをテレビで見た瞬間、大切な人を傷つけた後悔と悲しみに襲われ、二度と同じ思いをさせてはいけないと誓いました。
女房は気にもしていなかったと思うけど、僕は、「もっと頑張らなくちゃいけない」と自分で自分を追い込んでしまっていました。芸能人として東京でそれなりに成功したつもりでいたのに、世間ではヒモ扱いされ悔しかった。自分はそういう評価に甘んじられるタイプでもなかったし、むしろ女は男が守らねば! という古い価値観に縛られるような人間でした。

今思えば、人の評価なんて気にする必要はまったくなかったし、僕ら夫婦はこのスタイルを貫くと決めればよかった。大切な存在を失わなければそのことに気づけなかったことが、ただただ悔しいです。でもそれは僕の行動の結果だから、受け入れないと未来はないと思っています。
彼女とは会っていませんし、僕のことを今どう思っているかも知りませんが、僕自身は今も心の中で同志であり親友だと思っています。だからこそ今は前を向いて、懸命に歩んでいかなければ。
女房がよく言ってくれていたんですよ。「あなたはすべてに本気だから」って……。その言葉を心の支えにして、回復し続けていきたいと思っています。僕が身をもって依存症から回復できることを証明し、当事者や家族の希望の星として輝き続けたい。それが目下の夢です。

以上ネット

高知東生は完全スターシ一ドだったね
高知東生が高知東生の使命に
気付くための出来事だった!

ってことで

今その使命をまっしぐらなわけで

嫁さんは

高知東生が

その使命に
気付くために

その時期の役割を終えた

いうことだなぁ

元々さよならする関係
だったと思う

その時その時に合った役割をする
人が現れる

いわば
高知東生が高知東生の魂の道を歩くため

その時期だけの

協力者

その役割を終えたら

さよならして

高知東生は
のぼってゆく

今また
別の協力者

いるもんね

人生って

そいうものさ

学びたい
成長したい
気さえあれば、
必ず事態は
そう動く

高知東生が
のぼってゆくための事件だった

んだよね!

全ては宇宙のはからい( ^ω^ )イエ一😁




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