会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2026年6月1日月曜日
「ハイサイおじさん」明るい曲調に秘められた戦争の陰
夜中から沖縄は台風の強風がすごい。
今日は学校休みだし、ス一パ一サンエーも休み。たぶん郵便局も休みの局が多いと思う。
台風でなくても琉球銀行は昼の一時間は窓口全部閉める、、
沖縄はそんな感じ。最初ビックリしたけど、慣れた。
さて、、高校野球で沖縄の応援演奏は、尼崎市の高校吹奏楽部がやってくれているとのことで、、演奏に使用される「ハイサイおじさん」ですが、、。
二年前、ふと!【志村けんの変なおじさんて、ハイサイおじさんのパクリ】だよな?と思い調べていたら、やはりそうなのですが、、歌詞作りの発端となった驚きの実話内容が判明しました。一時期、高校野球の応援にはふさわしくないのでは?
との議論もあったようですが、、逆に実話を知り戦争がもたらした影響ついて
考える人が増えることが大切ではないでしょうか?
写真展を見に行った際に、戦後沖縄ではテント暮らしでしのいでいた家を失った人たちが大勢いたとわかりました。
おじさんはなぜ、無謀なことをしてしまったのか?
自宅に連れ込んだ女性たちに、「いい人、素晴らしい人」と
思われることにより、自己価値を高めたかったのか?
では、住み込みをした女性たちは、奥さんの顔色素振りから、
自分たちがいやな思いをさせていることに、きづかなかったのか?イヤ、気づいていても、「楽をしたい」という欲望の方が勝ったのではないか?
それだと、人を押しのけてまで!!と、いうことになる。
やはり、自分自身と向き合うという作業をおざなりにしたままでは、人も自分も成長させることができず、不幸にしてしまうという事に、気づかなければならない。
この事件により、近所に住む喜納昌吉が歌にし、日本国民が失いかけている『分かち合い』精神をもう一度考える時が来ていると思う。分かち合いとは、物だけのことではなく、気配りが
重要である。ハイサイおじさんは、喜納昌吉が作った歌で、最初は民謡歌手をしていた父がスローテンポでのレコードを出し、沖縄に来てそれを聞いた中村鋭一(阪神タイガースの六甲おろしを歌う)がまたレコードを出し、次に喜納昌吉本人が、早いテンポに変えてレコードを出して、、少しずつ広まっていったと。
これを知ったあとに、喜納昌吉のミニコンサートを見に行けました。
サキとコッコの元飼い主の親戚が名護で空手の先生やりながらバンド組んでボ一カル担当で、その人が所有する広場で、喜納昌吉をよんでその人のバンドが前座を担当して、他沖縄舞踊やら沖縄ダルク(依存症更正施設で全国に拠点あり)によるエイサーやら子供たちの空手も出し物として。。
千円のチケットをサキの飼い主がくれたので、、。
私が大好きな「花」と、「ハイサイおじさん」も、聞くことができました。
そのハイサイおじさんの歌詞ですが、、、
実話をもとに作られたそうで、、
喜納昌吉の近所のおじさんが村八分にされ、それでも喜納は
おじさんと向き合い続けています。
おじさんの家庭で何が起きたか?
戦争により家を失った女性たちを、おじさんはどんどんと
自分の家に住まわせるようになり、、
精神を病んだおじさんの妻が取った行動によりおじさんは
酒が無いと生きて行けなくなり、、、
(ある時おじさんは、毛布から娘の足だけが出ているのを見て毛布を剥がすと、、首から上の無い娘の遺体があり、妻に聞くと、、妻は「娘を殺して娘の頭を鍋で煮て食べた。自分の娘を食べて何が悪い?」、、その後に妻は自殺をした)
いわばおじさんに帰って来たブ一メランではあるのですが、、
戦争の傷跡の深さを示しているのがこの
「ハイサイおじさん」なのです。
→
『悲しや沖縄 戦争と心の傷](12) 第2部 うずく社会 表出した病(上)
おばさんが娘を惨殺した事件の後、残されたおじさんは地元で「村八分」にされた。子どもにまで、石を投げられるようになった。だが、当時中学生だった喜納昌吉さん(76)は加わらなかった。
ある時、怒ったおじさんが「反撃」に出た。石を投げ返し、子どもたちが散った。わざと上に投げていたのだろう石が、本人の頭に当たった。喜納さんと目が合った。
「あの時、なぜか電気が通るように通じ合った。元々、僕も家庭が複雑でいじめられていたから、おじさんと共振した部分があったと思う」
アルコール依存を深めたおじさんは、喜納さんの父で歌手の昌永さん(2009年に88歳で死去)が民謡を歌ってもらってくる泡盛の1合瓶をねだって、家を訪ねてきた。両親が追い返すようになっても、喜納さんはその目を盗んでは渡し続けた。
おじさんは戦前、辻の遊郭へ馬車で客を送迎する仕事をしていたはずなのに、「校長だった」とほらを吹いた。ませた喜納少年とのやりとりは、「ハイサイおじさん」のコミカルな歌詞に昇華した。
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