2026年5月31日日曜日

敗戦後も「インドネシア独立に命を捧げた日本兵」たち

いくら中国がインドネシア工作で、「インドネシア人は3年間の日本統治時代よりも、その前のオランダ統治時代が良かった」とインドネシアの教科書に載せようが、嘘は通用しない。 なぜなら、ではオランダがインドネシアにて何をしたか?証拠が書かれていないし、インドネシアには、教科書の記述が嘘である現物証拠も存在するし、日本敗戦後すぐに、独立宣言をしたインドネシアを、再度植民地にしてやろうとオランダが舞い戻って来た際に、インドネシアは残留日本兵と共に、戦っているのだから。インドネシア人が「オランダの植民地時代よりも日本統治時代の方が苦痛だった」なんて、言うわけないやろが。シネ!!大嘘つきの中国降参党!(中国共産党が早く降参するように、この呼び方に)しんでまえ〜〜!!、、。 この記事は涙が出たね!これこそが、【ザ大和魂】戦争結果は ●オランダの軍事的勝利 ●インドネシアの政治的勝利 、、でインドネシア独立へと→ ① インドネシア独立戦争(インドネシアどくりつせんそう、インドネシア語:Revolusi Nasional Indonesia)とは、日本が太平洋戦争で連合国へ降伏した後の旧オランダ領東インドで、独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダとの間で発生した戦争(独立戦争)である。1945年から1949年までの4年5か月にわたる戦争で、10万人が犠牲になった。 ②NOTE記事より [大東亜戦争の遺産]インドネシア独立戦争を戦い抜いた残留日本兵  井上和彦/ジャーナリスト(「日本の息吹」令和7年5月号より。 インドネシア独立宣言文起草の日付に込められたインドネシア人の思いとは― 画像 紀元2605年と表記のある手書きの独立宣言文の起草  「17-8-05」―これはインドネシアの独立の日である。  インドネシアの独立宣言が行われたのは、終戦2日後の1945年(昭和20年)8月17日だったのだから「17-08」は読み取れる。だが「05」とは?  驚くなかれ、なんとそれは「皇紀2605」のことだったのである。  独立宣言文起草の日付に日本の皇紀を採用したインドネシア―もし日本軍の進出とその後の軍政が、インドネシアの人々に恨まれていたのなら、皇紀など使われるはずがなかろう。アラムシャ元第3副首相はこう述べている。 《我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡智なスパイ網と、強靭な武力と、過酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。 それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である》 (ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社)  そして占領後の日本軍最高司令官であった今村均中将の軍政は素晴らしかった。  日本の軍政は、オランダ支配下では考えられなかった地元民に対する教育および医療制度の整備、インドネシア語の普及、そして後の独立に向けたインドネシア人の政治意識の醸成を行なった。  わずか3年半の統治期間に、教員養成のための教員学校や、医師・医療機関従事者養成のための医科大学、近代農法を学ぶ農業大学などが次々と設置されたのである。  そしてなにより、日本軍は、いち早く政治犯として獄中にあったのちの大統領となるスカルノと同じく副大統領となるハッタを救出しており、このことからも日本がこの後にインドネシアを独立させようとしていたことがわかる。 もとより日本軍の蘭印侵攻作戦の最大の目的は、アメリカを中心とするABCD包囲網によって手に入れることができなくなった石油など工業資源確保のためであり、すなわち日本の国家存亡をかけた戦いであった。  だが同時にこの戦いは、350年にもおよぶオランダの植民地支配を終焉させ、後にインドネシアを独立させるためでもあった。  インドネシア人にとって、それまで彼らを奴隷として扱ってきたオランダを日本軍が見事に撃ち破ったことは史上最高の出来事だった。  日本軍による統治のなかでも、後の独立戦争でその中心となって戦ったインドネシア初の軍隊組織「PETA」(ペタ/祖国防衛義勇軍)を創設したことは最大の功績だった。インドネシア人によって編成されたPETAは、日本軍によって教育訓練され、「大団旗」と呼ばれるPETAの旗は、日本の旭日旗をベースにデザインされていた。 画像 旭日旗を元に考案されたPETAの大団旗(PETA博物館)  だがこうして日本軍がインドネシア人の軍隊組織PETAを錬成している最中に、日本は連合軍に降伏してしまったのだ。  すると再び、かつての宗主国オランダやその盟友イギリスがインドネシアを支配しようと舞い戻ってきたのだった。  ここにインドネシア独立戦争が始まった。  もちろん日本軍によって育てられたPETAは立ち上がって独立のために戦った。  そして忘れてはならないのが、大東亜戦争終結後も自発的にインドネシアに残留を決め、インドネシア独立のために再び銃を執った2000名に上る日本兵の存在である。  残留日本兵は、かつて自分たちの到来を大歓迎してくれたインドネシアの人々を見捨てることができなかったのだ。彼らは愛する家族との再会の夢を捨てさり、インドネシア独立のために、舞い戻ってきた英蘭軍と戦ったのである。  こうして1949年12月までに1000人もの日本兵が戦死し、生き残った者の多くは独立後も現地に留まって終生インドネシアで暮らした。 画像 カリバタ国立英雄墓地に眠る元日本兵─TOSHIO KOIZUMI氏  そんな残留日本兵達はいま、ジャカルタの「カリバタ国立英雄墓地」をはじめスラバヤやスマトラなど全国各地の英雄墓地に眠っている。そして彼らは、インドネシア独立戦争を戦い抜いた〝英雄〟として人々から讃えられているのだ。  大東亜戦争は、アジア解放のための戦いだったのである。

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