2022年7月24日日曜日

統一教会

名簿作りと勧誘→有田氏は95年に警察庁と警視庁の幹部から、統一教会に関するレクを頼まれたそうです。20~30人の前で、これまでの統一教会の歴史や活動内容などを話した。このとき警察は、統一教会の摘発を視野に入れていたそうです。しかし、その後10年経っても捜査は無かった。それは”政治の力”があった、つまり何かしらの圧力がかかったと結果だとコメントしたのです」(全国紙記者) その後しばらく、「政治の力」はネット上で”トレンドワード”となった。 統一教会と政治のつながりとは一体、いつから、どのようなものであったのだろうか。多くの大臣ポストを歴任し、内閣の枢要な職責を担った元自民党議員が証言した。 「覚えているのは、1976年の衆議院議員総選挙だった。『共産主義に日本を奪われることなどあってはならない。あなたの選挙を支援したい』、そう言ってきた人物がいた。『お金はいらない。ボランティアで応援する』と。初出馬の選挙でしたし、人手はいくらあっても足りない。そんななか『手弁当ですべてタダでやる』と。その翌朝、事務所前にきちんとスーツを着た10人くらいの若い運動員が待っていたんだ。女性が多かったと思う。 自民党の選挙運動は、せいぜい町内会の有力者に支持を訴えるだけだが、その若い運動員たちは全員、選挙区内の詳細な地図を持っていた。戸別訪問をしたところは×印をつけていた。一軒一軒、全戸に訪問するんだ。これは凄かった。おかげで初出馬、初当選を果たすことができた」 この「ボランティアで応援したい」と言ってきた人間が統一教会の関係者だったとみられる、とこの元自民党議員は証言する。続けて言う。 「統一教会の勢力拡大は、最初から教団名を名乗ることはない。もちろん、『キリスト教原理研究会』などと名乗ることもないのです。政治へのアプローチは、反共産主義というイデオロギーだけだから、自民党としても受け入れやすかったんだよ。受け入れたからといってその後、教義を強要してくる事も無かった。そういう態度だから、政治家の女房の中には心服し、統一教会系の団体『明社(明るい社会を作る婦人の会)』の専務理事に就任した人もいた。こういう人は『献身者』といって、献金はほとんどなく、いわば広告塔となったんだ」 この元議員によると、同じ頃、新潟選出の議員は、この運動員たちの献身的な働きによって当選したことから、労に報いるために公設秘書として雇ったという。 しかし、タダより高いモノは無かったのだ。もちろん、統一教会の運動員たちが入り込んだ政治家事務所で何か問題を起こしたわけではない。からくりは、全戸訪問なのだという。 「運動員たちは、全戸訪問を行って名簿を作っていたんです。それをもとにセミナーに誘い、その後、入信するよう勧誘する。その時、国会議員事務所の人間だといえばアプローチは容易になるというわけです。彼らが政治家に近寄るのはこれが目的だったのでしょう。 同時に、事務所に入り込めば政治家の弱点を握ることができる。弱みを駆使して、政治的に統一教会の庇護を願うのです。統一教会への警察捜査が”政治の力”で止まったかどうかというのは私は聞いていない。ただ、こうした関係は何十年にもわたって続けられてきて、政界とのつながりは相当深いことは間違いない」 世界平和家庭連合(旧統一教会)問題は、90年代にアイドルタレントとして人気絶頂だった桜田淳子、新体操の山崎浩子が統一教会の合同結婚式に参加を表明したことでメディアはこぞって報じるところとなったが、実は、政治との関わりを調べるとそれよりはるか以前からその距離が近かったことがわかる。あ前出とは別の自民党議員の言葉を紹介する。 「政治家として一人前といわれるには、地盤(後援会)看板(知名度)カバン(金)が必要なのだが、選挙区内に宗教団体があった時はラッキーなんだ。宗教団体トップと話を付け支持を取り付ければ、信者は黙って票を投じてくれる。それからの政治活動は保障されたようなもので、こんな楽な事はないんですよ」 銃撃に及んだ山上容疑者の卑劣は許されることではない。だが、その一方でこのような結果を招いた政治のあり様は検証されなければならないのではないか。 取材・文:岩城周太郎

0 件のコメント:

コメントを投稿