完全なるゆだねにある時、あなた方はまだ実現化していない見えざる未来を確信できるようになり、偶然の出来事や出会いに振り回されることはなくなる。
不安や恐怖の観念領域で生きる間は、その観念が観念通りの現実を引き寄せる。
出会うべき相手との出会いも、あるべき関係も、あなた方自身が拒絶しているのだ。
自身の個人的な意志の行使によって愛を獲得しようとする時、あなた方は、相手との関係だけでなく、万象との間に摩擦を生み出すことになる。
現代のあなた方のほとんどがこの誤りを犯し、自ら作りあげた呪縛によって
自らを苦しめている。
対抗観念が習慣化している現代のあなた方にとって、宇宙的流動を取り戻す一番の近道は、自身の感情や感覚が、宇宙へのゆだねの状態にあるかどうかを
客観視することだ。
心地よいと感じる心でない時、人間は観念の世界に生きており、現実を生きてはおらず、それは、宇宙の流れから外れていることを意味している。
だが、そうした状態に自身があることを客観的に認識し続ければ、あなた方の人生は大きく変容しはじめる。
なぜなら、人間には、体に自然治癒力があるように、心にも宇宙に自動的につながろうとする性質が本来的にあるからだ。
たとえば誰かとの関係で傷つけられたと感じる時、その自身の思いや状況からいったん離れ、すべてを客観的次元から見ることができれば、あなた方は独特の意識の変化を感じるはずだ。
これは、無意識の世界で自立作用が生じ始めるからだ。
不安定な依存と対抗の観念世界から意識が真の現実に戻ろうとするのである。
そうして自立状態へと至って真のゆだねが成立するのである。
この時に生じる自立力は、自我が揺るがされる度合いが大きいほど大きくなる。
自我にとって大きな苦痛に感じられ、自身が犠牲者、あるいは被害者と感じられるハードルに直面する時、あなた方は節目の時を迎えているのだ。
その中に自ら献身することで、聖なる柱は立てられる」
自我を超え、完全なるゆだねの次元へと至れば、あなた方は必ず異性を本質から満たすようにできている。
献身とは、積極的受動原理であり、献身した対象を通し、逆に献身者は自身に必要な力を授かり、新たな創造へと向かうのである。
真の『あけわたし』が起こるとき、男女間には、あなた方の想像を絶するほどのエネルギーの流動と変化がもたらされる。
ことに、人類全体がこの次元へと至る時、人類そのものを変容させるものとなる。
宇宙的受動原理である女性性にふれる時、男性性は必ず宇宙的創造エネルギーを生み出すことになる。
だが、逆に、宇宙的女性性が得られない時、男性性の『力』は低次に表現され、性的暴力や倒錯心理等の病理を生み出す。
男女が宇宙的陰陽性を失う時、どんなに理性では愛を表現しようとしても、
すべては本質で破壊性へと向かうのだ。
これが今のあなた方の実態だ。
陰陽を超えるためには、陰陽を真に成就させ、流動させなくてはならない。
ゆえに、我々は、異性間に表れる宇宙的異質性を至上の神性として畏敬し続けた。
そしてこの畏敬による関係こそ、我々の、真の自己に出会うための神官と巫女たちのあり方でもあった」
宇宙万物が、陰は陽によって創造へと向かい、陽は陰によって創造に向かうのは、陰の裏には陽が、陽の裏には陰が潜むからだ。
男性は、女性性に出会う時、内部の女性性、すなわち宇宙的献身性が触発される性質を有している。
女性から完全なる献身性を提供される時、あるいは、完全なる献身性に生きる女性のエネルギーに接する時、男性は、潜在次元において、男性特有のより高次な献身性の発生がうながされるのだ。
男性の内的献身性は、男性特有の宇宙とのつながり、すなわち叡智的流動を
よりダイナミックにさせる。
女性における宇宙的流動が愛としての性質を強く表すように、男性のそれは、
叡智としての傾向を強く表す。
この宇宙的流動による叡智なるものを、我々は、すべてを知る神の叡智として理解していた。
この、宇宙から受け取る叡智こそが、女性が安心してその男性に身をゆだねることのできる、女性が必要をする大いなる愛なのである」
「愛と叡智は、本来、同一であり、表現領域が異なるだけだ。
自身や愛する人に巡りくるどんなハードルも超えることができ、その向こうにあるより高次な世界へと至らせる叡智こそ、男性性が表す至上なる力である。
現代のあなた方は、理性判断と妄想的欲求との矛盾を行ったり来たりしているだけで、真の叡智なるものを知らない。
叡智は、すべてを知る源泉からの力であり、すべてを統合し、万象を守護し、
存在を崇高な次元へと導く力だ」
ガイアの法則Ⅱより一部抜粋」
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