2019年12月18日水曜日

「許し」と「思いやり」

ネットより

許しの最初のステップは、それが無意識に行われたものだと理解すること。そして相手がしたことと、その人のパーソナリティを同等に考えることは出来ないと理解することです。あなたを「傷つけた」人は、自分の育った環境や条件によって、制限された思考によって動かされているだけなのです。
許すということは、悲しみや怒り、その他のネガティブな感情に留まらないことです。そしてそれが可能になるのは、「かたち」を超えた、あなたそのものに触れている時のみです。その次元には、恐れるべきものや、リアルでないものは、何も存在しません。なぜならそこは、神さまが存在する次元だからです。

傷とは、起きた状況に対してマインドが下す判断によって形成されます。実際、判断を取り払ってしまえば、さほど大きな事件は起きていないのです。
たとえば、あなたが誰かと会う約束をしたとしましょう。5時に集まろうと約束したのに、彼は現れませんでした。マインドは、こう判断します。「彼はひどいやつだ」「私は裏切られた」。そのような判断によって、「傷つけられた」と言う感情が生まれます。けれども、ありのまま起きた事実だけを見つめれば、「彼は来ると言ったのに、来なかった」という、たったそれだけのことです。しかし「裏切られた」という判断が、「傷つけられた」という感情を呼び起こし、マインドによって何度も反復・強化されます。そこで感じる「傷」は、エゴの自分が感じるものです。
なぜなら、エッセンスとしてのあなたは、それらを超えた存在だからです。

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思いやりとは

思いやりとは、あなたとあらゆるすべてを結ぶ深い絆に気づくことです。この絆、つまり思いやりには、二つの側面があります。一つは、あなたはまだ物理的な肉体としてここに存在しますから、肉体のあなたが持つ弱さや儚さを、他のすべての人間、すべての生物と共有することです。「私はこの人と共通点がありません」と言うときには、あなた方には多くの共通点があることを覚えておいてください

不死の次元、あなたの本来の性質を理解することが、思いやりのもう一つの側面です。深い感情のレベルで、あなたは自身の儚さだけではなく、他のあらゆる生物の儚さにも気づきます。肉体のレベルでは、死すべき運命にあります。存在そのもののレベルでは、あなたは永遠であり、輝く命です。これが思いやりの二つの側面です。思いやりとは、悲しさと喜びという一見反対のものが、一つに融合し、深い心の平和へと変容することです。これが神さまの平和です。

許しというのは、許したから優れているとか、愛があるってことではないんですよね。宇宙には善悪はなく、出来事はニュートラルですから、許そうが許さなかろうが、どっちでもいいんです。でも、それが痛かったり苦しかったりするなら、和らげることもできて、それがここで言われている許しなのだと思います。
『 思いやりとは、悲しさと喜びという一見反対のものが、一つに融合し、深い心の平和へと変容することです。これが神さまの平和です』は、名言中ですね。生きることは、時々不格好だけど、それでも人生にイエスを言いたいです。

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