2019年12月26日木曜日

終着駅じゃなく執着

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願望実現のための最大の障害・執着

悩みから抜け出すためには、辛い感情を否定せずに受け止めるとともに、「次に似たようなことが起きた時、どのように違った反応と選択をするのか?」を考える必要があります。
そうでないと、自罰か(「私がダメだ」)他罰か(「あいつが悪い。あの人のせいだ」)の堂々巡りにはまり込み、否が応でも自尊感情は低下します。自尊感情を支えるものの一つに、問題解決能力があります。自罰も他罰も、要は犯人探しです。問題解決にはつながりません。もっともらしい「正しい/正しくない」のレッテル貼りをし、思考停止に陥ります。思考停止は脳にとって楽なので、自覚なくそこに逃げてしまいます。辛い感情を否定せずに受け止めるのは、単なるお慰めのためではなく、思考停止せずに問題解決をするための、下準備と言えます。

人の行動の二つの動機・愛か恐れ。そして執着は愛ではなく恐れ

人の行動の動機には二つしかない、それは愛か恐れかだ、と言われます。
そして執着は恐れです。「もし、実現できなかったらどうしよう」「これが実現できなかったら困る・・・!」しがみついている状態であり、これを愛とは言いません。
マラソンのラストスパートとか、津波から走って逃げるなど、極々短い時間であれば、「何が何でも・・・!」の執着心が効果を発揮する時もあります。
しかし、長期的なことだと、「もし、実現できなかったらどうしよう」の恐れが生じます。そしてこれは、「実現できない」というフレームで物事を見ているので、「実現できない」方向へ突き進んでしまいます。そしてその恐れは「世界を信じていない」「自分を信じていない」の暗示にもなります。
自分や世界を信じている時、人は過剰な恐れは抱きません。電車が時間通りに目的地に着く、と信じきっている時に「もし、遅れたらどうしよう」とは考えません。
そして世界を信じていないのに、その世界の中で、自分の目標・願望が実現するのは矛盾があります。
執着を手放しましょう、とは、「世界を信じている」と心底思える状態になることと同義です。

過去の執着を手放すと、未来への執着も減る

ところで、潜在意識は過去・現在・未来の区別をつけません。
ですので、過去の執着を手放すと「執着を手放せた」=「未来の執着も手放せた」という暗示を入れることができます。
未来に対して過度な不安を抱きがちな人は、過去の執着も手放し切れていないことが多いです。過去に執着していればこそ、未来にも執着する(「またもしあんなことが起こったらどうしよう」)、と言ってもよいでしょう。

「この程度ですんで良かった」の8つのステップ

過去の執着を手放すとは、「望んだ通りにはならなかった。その時は悔しい思いをしたけれど、まあ、この程度ですんで良かったなあ」と自然に思えることです。
松下幸之助が、社員を採用する時に「君は運がいいかね?」と必ず尋ね、「運がいいです」と答えた若者だけを採用した、という逸話があります。これはただのラッキーボーイ、ラッキーガールという意味ではありません。望まない出来事にも「この程度ですんで良かった」と前向きに、そして謙虚に受け止められる姿勢があるかを見ていたのだそうです。
この程度ですんで良かった」は、過去と現在の状況を認め、肯定しています。つまり、「自分の望み通りにはならなかったけれど、そのままの世界を肯定している」になり、「世界を信じている」になります。
世界を信じているということは、未来の世界も信じているということなので、過度な不安、そして執着は持てなくなります。
そしてこのことは、段階を追う必要があります。

1.先に「この程度ですんで良かった」と無理に言い聞かせようとしない

最も大切なことは、まだ感情が傷ついている時に、無理やり「この程度ですんで良かったじゃない!」と自分や他人にお説教しないことです。
そうすると、傷ついた感情のもって行き場がなくなり、不適切な行動化(八つ当たり、自分を責めるなど)や身体化(やる気が起きない、ぐったりするなど)になりかねません。
自然に「この程度ですんで良かった」と湧き上がってくるための、プロセスを踏むことが重要です。

2.悲しみ、悔しさ、怒りを受け止め、「何が欲しくて悲しんでいるのだろう?」

人が何かに傷つき、悲しみ、怒る時は、「自分が本当に欲しかったものを得られなかった時」です。どうでもいいことには、私たちはそれほど感情を揺さぶられません。
「私は一体何が欲しかったのだろう?相手にどうして欲しかったのだろう?私はどうしたかったのだろう?」と静かに考えることそのものが、客観視になります。自分の本音を探る段階です。
例えば、信頼、友情、愛などを、傷つけられたために辛い思いをする、これは人間であれば当然のことです。

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