2022年6月8日水曜日

大切なこと

は、人それぞれ違う。わたしは内面を磨くこと、そしてあるがまま生きること。そしたら成長するごとに、そのあるがままが変化する。それが面白い。 どう考えても、動物サッ処分に正義はない。 かむ犬でも、人間側に責任ある。だってかむ犬をこさえたのも、かむ犬に向き合わんかったのも人間の責任 。野犬、猟犬、病気の犬猫、年とった犬猫。このこらをサッ処分して、よいと思う人間は三次元人間。 もちろん闇人間。サッ処分してよいとは思わないが、どうすることもできひんとかも、逃げ。今は都会ならなんぼでも、探せばペット可住宅ある。 助けへんと知らんぷりは、全部自分にふりかかる。 自分が苦しむ。 サッ処分公務員は、闇そのもの。おんなじレベルの三次元人間からみたら、ほんのわずかに、光の部分も、あるやろう。低レベル人間には、高レベル人間の書いとる意味、言うてる意味がわからない。 自分と似たレベル人間からしか、まなべんのだよ、残念なことに。だからいくらわたしがサッ処分公務員を 諭そうが、彼らには意味がわからない。だから言う「法律の、どこに、殺したらいかんと、書いとんですか?」と。殺したらいかんのは、当たり前やから、書かないのだよ。サッ処分は、虐待であり犯罪だ。 サッ処分公務員は、犯罪者であり、同時に動物販売を許す公務員は、虐待の片棒を担ぐ仕事も、請け負っている。 そして、金を出して買う人間も片棒をかついでいる虐待者と同じ。ただし、わたしもだが、購入したことにより、 その後魂が成長して変わる人間がいる。 それは例外。 あとは、サッ処分を見て見ぬふりの人間。 彼らもまた、「自分には関係ない」という無責任人間。 全員、全国民、関係あるのだよ。 関係ない人間なんて、一人も、いないのだよ。 そこ、きちんと自分自身と、向き合わないと、逃げていると、いうこと。 逃げれば 逃げるほどに、追いたてられる。 他に目を向けて、意識せずとも、ごまかしていればいるほどに、命への責任が、追いかけてくる。 「危機回避能力」こんなものは、逃げる人間は、どんどんと、失なわれる。 結局、責任のがれは、自分自身へと振り返り、危機回避能力が、育っていない、ために大事な時に、自分の命が、失なわれる。ということ。 それを発揮できるかは、そのうち、はっきりするであろう。

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