2026年7月26日日曜日

日本企業をユスリタカリした朝鮮総連

→近年、韓国で訴訟が相次いだ朝鮮人徴用工の「未払い賃金」問題。日本の炭鉱や軍需産業で働いていた朝鮮人たちの賃金は、どうなったのか。政府は各企業に対し、未払い賃金や貯金などを政府機関に供託するよう要請していた。だが、例外措置があったのである。  ここに労働省労働基準局給与課が作成した「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査集計」(1953年7月20日)という資料がある。  1946年、日本政府は朝鮮人労務者を雇っていた事業者に対し、終戦時の未払い賃金や債務などの供託を義務付けたが、これはその調査報告書である。 表 債務の内訳(他の写真を見る)  報告書の数字は何度か書き替えられているが、これは最終版と思しきもので、前の数字は件数、後の数字は金額を表している。「1」の供託分は、政府が、各地に作った供託局や司法事務局に供託されたものだが、ここで注目すべきは「3」である。「第三者」に対し、未払い賃金などが引き渡されていたのだ。  該当箇所を見ると、各事業所が第三者に引き渡した、帰国朝鮮人労務者への未払い賃金や退職積立金、退職慰労金、預金、厚生年金脱退金などが詳しく書き込まれている。  記載された事業所は23都府県57カ所。炭鉱、鉱山が22カ所あり、他に機械工場や建設業、運送業などもある。  そしてその引き渡し先の項目に並んでいるのは、ほとんどが在日本朝鮮人連盟(朝連)の各地支部なのである。引渡時期は1945年11月12日が最初で、1947年3月1日が最後だ。 未払い賃金に関する調査記録  詳しくは掲載の表を参照いただきたいが、例えば、宮城県の三菱鉱業細倉鉱業所は、1945年12月28日から翌年2月26日にかけ、3回に分けて朝連栗原支部に計5万3159円17銭を支払っている。債権者数は643名。債務の内訳は「不明」とある。  栃木県の古河鉱業は、1945年12月14日に、朝連足尾支部に49万5217円72銭を支払った。その内訳は、預金2万3767円72銭、退職慰労金35万3250円、特別慰謝料(2項目あり)8万円、1万4200円、贈与金2万4千円とあり、2751名の債権者がいたことがわかる。  茨城県の日立製作所水戸工場は、朝連那珂支部委員長に退職積立金9万円を引き渡している。日にちの記載はない。  三重県の石原産業(紀州鉱山)は、その債務の内訳が最も詳しく、別居手当金、家族手当金、延長手当金、基本補給金、徴用解除手当金、酒肴料、厚生年金脱退金、退職積立金、鉱夫貯金、国債貯金、死亡者負傷者慰労金など21項目が並び、1946年6月26日に朝連大阪本部住吉支部、11月28日には朝連三重県木ノ本支部に、合わせて48万8530円44銭を引き渡している。 2022年05月17日 朝鮮人労務者の未払金要求に関する国側の資料  この資料は全県を網羅しておらず、内訳にもばらつきがあるため、全体を示すものではない。おそらくは、調査に応じた企業の申告に基づいて作成されたものであろう。 『朝総連研究』(高麗大学校亜細亜問題研究所)で、朝連の資金源を分析した田駿はこう書いている。 「朝連は日本当局に対し、または日本経営主に対して帰国者に対する退職金、旅費、慰労金等の金品を要求した。(中略)その実数を知ることはできない。ただ証拠として残っているものとして、一九四六年三月末まで朝連中央労働部長名義となった各処に対する請求額は四千三百六十六万円であり、その中で受領されたものは三百五十九万円であった」  金額はこれよりかなり少ないが、労働省の「調査集計」はまさに、田駿が書いた朝鮮人労務者の未払金要求に関する国側の資料なのである。  実は朝連が労働部長名で各企業に宛てて、未払い賃金や債権の回収を要求した文書の雛形が残っている。大阪市中之島中央公会堂で行われた朝連の第3回全国大会(1946年10月)で、韓徳銖(後の朝鮮総聯初代議長)が行った発表を、『朝鮮人強制連行の記録』の著者・朴慶植がまとめた「総務部経過報告」の中にある。  それは「強制労働者、使用主に対する覚書」と題され、このように始まる。 「日本帝国主義侵略戦争の全期間中を通じて、わが朝鮮民衆に犠牲を強要する惨虐な搾取的労務雇傭条件によって奴隷的苦境に呻吟した朝鮮労働者は栄光なる聯合国の勝利によって祖国再建と、侵略者日本帝国主義の壊滅によって屈辱的奴隷状態から解放され、民族的国際的人格として自由平等の権利を奪還したのである」     現場を見た人 物 は、こう回想する。 「製鉄所だけでなく、こういう要求を、彼らは県内のあちこちでやり出した。  外交部長というのが、立派な腕章をつけており、額に向こう傷があって、その上、話すときには、持って来た手錠まで眼の前に出してね、脅迫するわけですよ。凄かった。 『日本人は……われわれ朝鮮人を強制労働させたんだぞ』  このようにして、県内のあちこちで金を出させたそうで……ついに大橋の日鐵鉱山でも、当時の金で三十万円位出したのですよ。  だから、東北でもっとも大きな企業の釜鐵に金を出させなかったら『話にもならん』とそう思ってるわけです。  額?たしか百何十万円か……を要求したね」  だが、わたしはそれを拒絶した。 『日鐵は公傷者に対する慰労金は日本人も徴用労務者も、全部同一の規則、同一の規準で支払っている。朝鮮人なるがゆえに差別して払っていたわけではないから、そういうことはできない』  だが、それでも彼らはあきらめずに毎月、一、二回は団体交渉にきた」(同)  わたしは県に相談したが、「役人はおびえていて頼りにならない」。 「そこで、日鐵本社や労働省……いや当時はまだ内務省だったかな。いろいろ相談の上、結局、裁判所に何十万円だったか供託したんだが、それが日本での供託金第一号だった」(同)  未払い賃金をめぐっては、朝連以外の組織も目をつけ、争奪戦が行われていた。北海道の朝鮮民族統一同盟(朝連の一組織)の創立メンバーで、共産党でも活躍した金興坤が「怒りの海峡―ある在日朝鮮人の戦後史」(「季刊人間雑誌」草風館)に記している。  帰国する同胞を援護するという触れ込みで、「朝鮮建国準備委員会」という団体が北海道にやってきた。彼らは、金から炭鉱の使用者や朝鮮人組織、そこで働いていた朝鮮人の情報などを聞き出した上で、 「夕張、美唄をはじめ歌志内、赤平など大小の鉱山を訪問した。が、同胞を訪ねるのではなく会社側の事務所を訪ねては、死亡者、逃避者その他の労働賃金、傷病者手当金、保険金など、さまざまな名目で取れるだけ金を会社側から取り、同時に旧協和会系幹部から多額の寄付金を集めていた」  金はだまされたのである。その上、 「我同盟関係者の欠点を探し集め、統一同盟はアカだのギャングだのと司令部に密告したため、安先浩委員長はじめ、強制連行で連れてこられた家族のいない幹部八名が強制送還されてしまった。一時期に八名もの幹部を失った我統一同盟は、まったく手足をもがれたのと同様であった」  金は、一連の動きは、組織を潰すための策略だったと考えている。 回収した賃金の行方  さて、朝連は回収した未払い賃金などのお金を、帰還していった労働者に届けたのだろうか。  朝連の集計だけでも4万3314名もいる。しかも社会は混乱し、その後、朝鮮半島は分断されてしまうから、容易なことではない。  当時のことを知る人々を訪ねて歩いたが、なかなか明解な回答はいただけなかった。その中で、 「帰郷した同胞にお金を返金しようにも居所がわからなかったので朝連に留保され、一部政治活動に運用したのであろう」  と、かつて在日本朝鮮人連盟支部と共産党支部を掛け持ちしていた人物が語った。  返還されたと考える朝連関係者も研究者もおらず、記録もない。それどころか田駿は『朝総連研究』でこうも書いているのだ。 「帰国者の不動産を管理するという名目でその権利書を引継ぎ委任され、これを処分して朝連財政に投入した。ここには帰国者の寄付的心情も多少は含まれていたことは見てとれるが、その額は巨額に達した」  公安調査庁の坪井豊吉も、帰国していった同胞の財産を朝連が管理処分したことについて法務研究報告書で触れている。  戦前から長年日本で暮らした朝鮮人は、多くの財産を日本に残したことだろう。それを管理し、資金としたのも朝連だった。そして彼らの活動と一体化していた日本共産党をも支えたのである。 近現代史検証研究会 東郷一馬 週刊新潮 2022年5月5・12日号掲載

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