2026年7月3日金曜日

中高生も知るべき「真実の歴史」①

→武士の世から大政奉還を経て、明治維新という政権交代と文化文明的革命を経た日本は急速に国力をつけ、明治27(1894)年の下関条約により日本は、中国の属国扱いだった朝鮮を、清国から独立させ、おまけに経済援助しています。 これにより「大日本帝国」に並ぶ「大韓帝国」が成立し、高宗光武帝が大韓帝国の初代皇帝として即位、ここからすでに、植民地からの搾取で世界に拡大していた列強の西洋社会とは全く違う、和の世界が始まった!はずでした、、、。 本来朝鮮半島は世界で初めての、日本の兄弟国となるはずだったのです。 しかし、明治33(1904)年、凍らない港を極東に望むロシアは、なかなか国家としての体をなさない朝鮮半島への南下を狙い、日本との間に日露戦争が勃発。 日本帝国海軍東郷平八郎元帥(げんすい)がバルチック艦隊を破った「日本海海戦」は、教科書でもさらっと習っているでしょう。本当にさらっと、ね。 同時に陸上では乃木希典(のぎまれすけ)大将の指揮で旅順攻略戦を展開、特に「203高地」は有名ですが、日本はこのとき、場所の使用料を当時の清国に支払って戦うほど、律儀(りちぎ)に戦(いくさ)に臨んだのです。 日露戦争は日本が勝利を収め、この戦争を講話したポーツマス条約で、朝鮮半島における優越権などを獲得。 有色人種の小国が、白人の大国に勝利したことは、世界に衝撃を与え、大韓帝国内の親ロシア派も発言力を失い弱体化。 帝国内親日派は、また来るかもしれないロシアに怯えながら、どうにもならない国政や、親日化する世論の高まりを受けて、大韓帝国の、日本への併合を申し出たのです。 守りを固めて国力をつけねばならない日本の都合もあり、明治43(1910)年に大日本帝国が大韓帝国を併合。 日本は最後までこの「大日本帝国朝鮮地方」のインフラを整備し発展を目指し、同じく併合していた「大日本帝国台湾地方 」を合わせ多額の国家予算をつぎ込みました。 普通は植民地から搾取するのが当たり前の時代に、日本は、 国家予算の半分以上をこれらの国に割り当てて、生活インフラを整備し、学校を造り、 子供に学ばせて、防衛のための軍人を現地から募集し、幹部にまでしているのです。 つまり、当時の朝鮮も台湾も、教科書が教えるような「植民地」ではなく日本本国としての扱いであり、西欧列強がアジア各地に造った植民地とは全く違う統治を行っていますので、そもそも「植民地」という呼び方自体が間違っています。 東南アジアでは、現地人を支配する列強を追い出し、文明を伝えつつ、現地の文化伝承を促進し、武器を持たせて独立を促すなんて、、、とんでもない侵略国家??だったものです(笑 )。 その後の大東亜戦争はご存じの通りですが、莫大な予算を投じて発展させた、台湾地方はその後黒字に転じたものの、 朝鮮地方だけは最後の最後まで赤字のままでした。 さて、こうした時代のなかで。同じ日本人となった大日本帝国朝鮮地方のひとたちは、日本が巨額の予算を割いても、なかなか立ち行かない朝鮮よりも、本州に移り職を見つけることに憧れたのですが、日本側は、急激な変化は本土に混乱をもたらすことから、その行き来を制限していました。 当然ながら多数の密航者が来日し定着し、また労働力を必要とする企業の募集には、定員をはるかに超える人数が応募していたそうです。 さて、戦争が終わって全く時代が切り替わった私たち日本人は、かつて国土だった台湾や朝鮮の歴史的知識が途切れているのですが、戦争が終わっても、人類の歴史は戦いで続きます。 半島は敗戦直後に大日本帝国が撤退したのですが、 「大日本帝国」から切り離された「朝鮮」 という地方のままというわけにはいきません。 北緯38度以北をソ連軍に、それより南をアメリカに占領されたまま大韓民国臨時政府が樹立。 1948年.アメリカが占領する南側は、ソ連が北側を占領したままで大韓民国が誕生。 さらに北側抜きの単独政権により、李承晩を初代大統領に選出し、 国家元首が誕生しました。 一方、米ソによる分断のため、この大韓民国の実質的統治が及ばなかった北側に、リーダ一シップを発揮し地位を確立した、金日成が首相となり、朝鮮民主主義人民共和国が誕生。 日本が終戦した5年後には、朝鮮動乱が発生して、南北は今に至るまで戦争状態が続き、 現在も仲直りをせずに、停戦状態なのです。 以上。坂東忠信著「在日特権と犯罪」より抜粋。 この中の「日韓併合」について、李栄薫著「反日種族主義」 では、「朝鮮皇帝が朝鮮を日本へ売り渡して、皇帝自身は日本の皇室に統合された朝鮮出身の 王公族の身分として、贅沢三昧な暮らしをしたが、売国については 朝鮮国民には知らされておらず、朝鮮皇帝は国民にあがめられたまま」だと。

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