2022年9月28日水曜日

ノルウェー

素晴らしいな。負けるが勝ちとは、、こういうことなんじゃないかな。自分が我慢する負けでなく、全体の成長、社会の成長を、思う負けは、結局は勝ちなんだよな。日本も、山上さん事件を機に、ノルウェー方式を取り入れるきっかけとなるといいな。→ノルウェーの刑務所は世界一人道的 77人殺害犯も個室三つ、ゲーム…遺族の感情は? 9/28(水) 12:13 Yahoo!ニュース 1312 ノルウェーで2011年に起きた連続テロ事件の被害者セシリエ・ハルロブセンさん=2022年6月、中川竜児撮影 大きな事件が起きると、日本では容疑者や被告が反省しているかどうかにことさら重きが置かれるように思う。厳罰化を求める声も絶えない。では被告は判決を受けた後、刑務所でどんな生活をしているのだろうか。更生や反省とは何か。世界の刑務所をめぐり、考えた。 世界一人道的な処遇として知られる、ノルウェーの刑務所は明るく、受刑者は「自由」に見えた。驚くと同時に二つ引っかかった。犯罪被害者は受刑者への軽い量刑や人道的処遇をどう思うのかと、人道的処遇で人は反省するのか、だ。 治安が良いことで知られるノルウェーで、近年最も社会に衝撃を与えた事件の被害者に会った。 2011年、ノルウェー国籍のアンネシュ・ブレイビク受刑者(43)がオスロの政府庁舎前で爆弾を爆発させ8人が死亡。その後、約30キロ離れたウトヤ島で労働党青年部のキャンプに参加していた若者らを襲い、69人を殺害した。 ブレイビク受刑者は「欧州をイスラムから救うためだった」と供述し、無罪を主張。翌12年、最高刑の禁錮21年の判決を受けた。 ノルウェーには死刑も終身刑もない。量刑も日本などと比べると軽く、凶悪犯も原則、釈放されて社会へと戻っていく。 ただ、受刑者が刑期を終えてなお、社会への脅威とみなされたら収監を延長できる制度がある。ブレイビク受刑者には適用されるとの見方が大勢だ。 そうは言っても、77人を殺して21年とは。刑罰を見直すべきだという声はなかったのだろうか。 「もっと厳罰を、と言う人はいました。でも私は判決に満足しています」 セシリエ・ハルロブセンさん(27)は答えた。3発の銃弾を受けて右腕を失った。 キャンプに一緒に参加していた親友のアンドリーネさん(当時16)は銃殺された。腕は今も時折痛み、月1回カウンセリングを受けている。 「憎しみはもちろんありました」とハルロブセンさん。だが、自分のエネルギーを人を憎むことに使いたくない、という思いがあった。 移民排斥など過激な主張を社会に広げようとした犯行に対し、「厳罰という過激な処分で応えると、ノルウェー社会は彼の思うようになってしまう」という懸念もあったという。 「彼の狙いは私たちを変えることだった。私には二つの選択肢がありました。家に引きこもって泣いて過ごすか、強くなって人生を前に進めていくか」 ハルロブセンさんは傷口が見える服を着て法廷に立ち、ブレイビク受刑者と対峙(たいじ)し、銃撃の様子を証言した。 「勝ったのはあなたじゃないということを見せようと思ったのです」 法廷を振り返り、特異な事件だったからこそ、「法に従って判決を出すことが大切だと考えました」と語った。 事件で次女スィンナさん(当時18)を失ったリスベット・レイネランドさん(64)も「おそらく彼はずっと刑務所にいるでしょう。それがふさわしい刑だと思っています」と話した。 だが、感情は揺れた。「当初は憎しみしかなかった。彼を撃ちたいと思いました」。裁判所で5メートルほどの距離に座った時は、手にしていたスマホで襲いかかろうかとも考えた、と明かした。 それでも、死刑は望まないという。「いつの日か彼に、自分がやったことをきちんと理解して欲しいと思ったんです」とレイネランドさん。 憎しみは消えたのですか? 「法廷で彼が話すのを聞いていると、極端な思想の持ち主だと分かりました。奇妙に思われるかも知れませんが、だんだん彼への関心がなくなっていったのです」 やがて、ゆるすでも、拒絶するでもなく、起きたことを起きたこととして受け入れようと決めたという。罰については「もしスィンナが生きていたら、死刑を望まなかったでしょう。私たちと同じ考えだったと思います」と話した。 当のブレイビク受刑者は今のところ更生には遠いようだ。仮釈放を審理する法廷で、白人至上主義を訴え、ナチス式敬礼のパフォーマンスを見せた。 数年前は、刑務所内での処遇改善を求めて提訴。外部との通信制限などを「非人道的」と訴えたが、その過程で三つの個室が与えられ、テレビやゲーム機もそろっていることが明らかに。ノルウェーの刑務所は「人道的すぎる」と国際的な注目を浴びた。 しかし、ハルロブセンさんもレイネランドさんもブレイビク受刑者への処遇を「人道的すぎる」とは考えていないという。 憎しみや悲しみと論理をそんなにうまく切り分けられるものなのか問うと、ハルロブセンさんは笑った。 「私たちだって完璧じゃないです。拷問すべきだという人もいますから」 懲らしめではなく、再犯防止のためのアプローチこそ大切だと考えている。同じ犯罪が繰り返されると、同じように苦しむ人がうまれるからだ。「被害者は自分が経験した苦しみを他の誰にも経験して欲しくないんです」 ウトヤ島の生存者の1人、ミリアム・アイラングソイクさん(27)はこう語った。 「受刑者を非人道的に扱えば、結果はもっと悪くなる。この国が彼を人道的に扱っているのは喜ばしいこと。私だって、誰だって、罪を犯すかも知れない。でも、私たちを人道的に扱うということなんですから」 事件の被害者が、仮定とは言え、加害者の立場で刑務所を見るのか、と驚いた。 ノルウェーでは加害者支援も手厚いが、被害者支援も手厚い。それが「加害者だけ優遇されている」「被害者が置き去りにされている」といった声が出にくい要因の一つでもあるようだ。 犯罪被害者への補償金(現在の最大補償額は9000万円余り)支給などを担う専門の官庁がある。このテロ事件の被害者や遺族は事件から11年たった今も支援について無料で弁護士に相談でき、レイネランドさんが代表を務める被害者や遺族でつくる団体には、国が財政支援しているという。 一方、イタリアの矯正関係者は、処遇について複雑な心境を語った。開放的な政策を採り入れたボッラーテ刑務所の所長を務め、現在はトリノ刑務所長のコシマ・ブッコリエーロさんは「葛藤はある」と明かした。 今年1月、同刑務所の受刑者3人が大学でスポーツ学部の卒業資格を取ったという。 「大変喜ばしいが、被害者には、私たちは被害を受けたのに、あの人は刑務所内で大学卒業の資格までとっているのか、という気持ちはあるだろう」 その後、続けた。 「だが、私たちは物事をてんびんにかけなくてはならない」 受刑者にかかる経費はできるだけ少なく、いわば「自給自足」で暮らしていけるようにするのが役割だという。加害者が適切な教育を受け、技術を習得することで、再犯防止の可能性は高まる。 逆に受刑者の再教育が不十分であれば「こんな危険人物を釈放したのか」と、国への信頼感が失われる。「それは国家にとって大きな損失だ」と指摘した。 もう一つの疑問、人道的処遇で人は「反省」するのかについて、ハルデン刑務所のアーレ・フイダル所長(63)は「私たちの仕事は受刑者を更生させること。更生に反省が必要とは考えない」と明言した。 刑務官の役割を「モチベーター(やる気を引き出す人)」と説明するように、「やり直し」へ向かう受刑者を励まし、犯罪にたち返らず社会で生きていけることを最重要の使命とする。 反省を軽視しているのではない。「やり直し」には過去の自分を見つめ、決別する意思が必要だからだ。 そこにはおのずと「反省」のプロセスは含まれる。ハルデンには宗教者との対話や内省プログラムがあり、「反省」や「罪の意識」を深める受刑者もいるという。 ただ、受けるかどうかは受刑者の判断で、日々の作業や教育と同様、強制はしないという。 実際、ノルウェーの受刑者に尋ねると、「反省」の度合いは様々だった。「無罪だから反省なんて必要ない」と主張する者もいれば、「犯罪をしたのは自分が馬鹿だったから。でも相手も刃向かってきたんだ」と言う者も、「被害者全員に謝りたい。ゆるしてもらえないだろうけど」と沈痛な表情の者もいた。 その中で、ノルウェーのバルドレス刑務所の受刑者は、更生への具体的なイメージを持ちつつ、被害者への思いも語っている印象が強かった。バルドレスは、自分の犯したことや境遇について自由に語る「グループトーク」に力を入れている刑務所だ。 バルドレス刑務所のグループトークを視察した同志社大学心理学部の毛利真弓准教授(犯罪心理学)は「人の話に耳を傾け、対話することで、自分の言葉を獲得し、人との関わり方を学んでいくことができる」とグループトークの効果を説明する。 毛利准教授は、官民協働で運営されている日本のPFI刑務所、島根あさひ社会復帰促進センターの更生支援プログラム「治療共同体(セラピューイック・コミュニティー」にも関わった。 受刑者たちが生い立ちや家庭環境、犯した罪などを車座になって語り合うプログラムで、人間的に成長することで、再犯防止につなげることを目指す。受講者の再犯率(再入者率)は受講していない人に比べ、およそ半分になったとの追跡調査も発表している。 プログラムで、「反省」はどう位置づけられるのか。毛利准教授は「反省を強要することはありません。変わりたい、生き直したい、という人が自分で答えを見つけるのを手助けします」。 中には、「悪いことをした」と心の中で思っていても、開き直るような態度を示したり、何も感じていないふりをしたりする人もいるという。「対話の中では、相手を人として尊重し、『悪かった』『良かった』という評価はせず、『何が起きたのか、一緒に考えましょう』とアプローチします」(毛利氏)。 考え方や行動のどこに問題があったのか、犯罪にいたる経緯で自分が受けた被害やつらい体験を自身で言葉にすることで、「痛み」の意味を知り、やがて被害者の痛みや悲しみに共感できるようになるという。 そうしたプロセスを毛利准教授は「感情を耕す」と表現し、「犯罪を起こすのは、自分の痛みや感情を麻痺させていて、他者(被害者)に共感することができないからなのです」と話す。 思い出したのは、ノルウェーの受刑者たちの多くが、刑務所や刑務官への感謝を口にしていたことだ。それは自分という存在を認めてくれた「他者=社会」への感謝につながるものにみえた。犯罪の背景に他者への共感や思いやりの欠如があるならば、それを理解する一歩になるかも知れない、と感じた。 「刑務所にいる間に助けをもらった人は社会に感謝するようになる」 フイダル所長の言葉が心に残った。

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