だけど、近所の目もあって、ゴミを出すことができずに、掃除もしないから、室内は徐々に不衛生になっていく。外出もほとんどしないから体力が衰えて、何よりも食がどんどんと偏る。お母さんが亡くなる前までは、ちゃんとしたモノを食べていたんだろうけど、1人になって味の濃いジャンクフードやお菓子という暴飲暴食の食生活が、徐々に彼の身体を蝕んでいったんだと思う」
買いだめしたカップ麺や、加工品のゴミの山がそれを物語っていた。
私自身、元ひきこもりの当事者である。男性の生活スタイルが痛いほどに理解できる。ひきこもりが続くと、室内でできることは限られるので、昼夜逆転してゲームとパソコンでネットサーフィンばかりしていた。
わずかな居場所である部屋の中という小世界では、それぐらいしかできることがないからだ。内閣府は、広義のひきこもりとして、自室からほとんど出ない状態だけでなく、趣味の用事や近所のコンビニ以外には外出しない状態が6カ月以上続く場合と定義している。
ひきこもりでも外出はできるが
ひきこもりというと、家にこもって外出すら困難だと思われがちだが、近所へ食料の調達など、没コミュニケーションの外出ならできるものだ。
しかし、私の場合、昼間は外に出ると誰かが見ているような気がするので、夜に隠れてコソコソと外出していた。
私自身、親の車でスーパーなどには外出するが、内心は葛藤の連続だった。私がひきこもりだったのは中学時代だったため、まだ親と同居していた。かろうじて親を接点にして外界とつながっていたが、親が亡くなった後は社会との関係は遮断される。しかも時間が経てば経つほど、焦りは強くなる。
もし自分が亡くなった男性と同じようにそのまま、何十年もに渡ってひきこもりが続いていたら、どうしていただろうか――と思う。男性のように孤独死していたかもしれない。そして、それは紙一重だったと感じるのだ。
親も老いて、いつかは死ぬ。だからといって「そのとき」に、外部に助けを求めることは難しいだろう。親が亡くなった後、金銭面で苦しくなり最悪、餓死というケースも考えられるが、ひきこもりの支援を行っている関係者によると、親の遺産として500万円以上の現金を所有しながら、セルフネグレクトとなり若くして孤独死したひきこもりの人の例もあった。
ひきこもりの元当事者として感じるのは、決して現状でいいと思っているわけではないということだ。自分は、このままでいいのか、これから自分はどうなってしまうのか、未来を憂いて焦りばかり募る。なんでこんなことになってしまったのかという、怒りや悲しみ、どうしようもない焦燥感に襲われる。
社会に置いていかれていると感じる日々は、生きながらにして死んでいるような地獄である。そんな孤立した生活は、ますますセルフネグレクトを深めて、不摂生な生活へ向かい、知らず知らずのうちに自らを追い込んでいく。
いつか、叔母からの仕送りが止まるかもしれない、そのとき自分はどうなってしまうのだろう――。そんな不安が、高橋さんの頭の片隅にあったのではないだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿