今はネットの時代です
3.11テロの「本当のこと」を知っている人も多いと思うし、神戸市の「少年A事件」や、、「宮崎つとむ事件」のえん罪説もありますね、、
特にこと、「少年A事件」の冤罪説には、根強いものがあります
当初わたしは冤罪を疑いませんでしたが、、
だんだんと、社会に疑問を持ち始めてきてから・・・
本当はどうなのか?
と、思うようになっていきました
警察・検察・裁判所・行政・・・もう今や(これまでも)
『三権分立の崩壊』だと思っています
少年Aが、事件以前から「猫・はと」などたくさん殺していたということも
本当なのか?
昨年春に、この事件の全判決文を週刊誌に売った元判事には
『意図』があったと思うし、、
確かあの時判事はその理由を
「親にこういう育てられ方をしたらあんなふうになるのも仕方ない」というような感じのことを言っていたが、、
そのために週刊誌に全判決文を売った・・・
のではない
と、わたしは思うんですよね・・・
結局、ああいうことを元判事がやるというのも、
『操作』な気がする・・・とか思ってて、、
「A」本人の本の出版(内容)とかも、、
なにか、
『操作』的な気も・・・
2か月くらい前ですか・・・
サイバー犯罪をされた際に、西脇警察から刑事二名が来てくれました
グーグルが、「なりすまし」をブロックしてくれた画像を写真で取ったりした刑事は40前後かな・・ほとんど終始無言・無表情だった人
別の、主にしゃべった刑事は50過ぎかな?
わたしが保護活動をしていることも知っている(なりすましサイバー犯罪をした人間が、
どういう人間であるかなど含めて、可能性として話したので)
で、いつもわたしは警察に言うのですが、、
この時も刑事たちを店の玄関まで送りながら・・
「警察も、動物の事件は全く本気で捜査しないですよね?
ほら、神戸の「少年A事件の犯人」なんかも、人間やる前に、『猫やはと』いっぱい殺していたっていうじゃないですか!
動物の命を警察は全然大切にしてないですもんね
わたし、当時、事件があった友が丘中学校の近くに住んでたんですよ」
瞬間、、
50代?の刑事の『ギョッ』とした顏・・・
(内心 ここまでギョッとするかな・・?と)
わたし
「車で八分くらいのとこですけどね」
すぐに
これまで、ほとんど無言・無表情だった40前後の刑事が
急ににこやかに振り返り、
「まずは動物の命を大切にしないといけないということですよね?」
外を車の方に向かいながら、またやけににこやかに
「このもみじはきれいでしょうねえ~~」
わたし(普通に)
「はい 秋はきれいですよ」
で、車で降りていくのを店の玄関前で見送るとき
わたしの前を通るとき
40代前後刑事が
やけににっこりと、おじぎ・・
50代刑事は、、神妙な顔つきのまま・・
わたし、、
(んーん、、、やけに不自然すぎる・・・)
と、思ったことは、実際にありました
が、、
とにかく、
『物的証拠がひとつもない』
のに犯人としたことは、
この事実のみで
『えん罪となる』はずだと、思いますよ
この事件、、
いつか、大きく方向が変わるかも?しれませんね・・
今年また、同じ友が丘中学校で猫の死体が見つかっているし・・・
国民が、こういったことをどうとらえていくのか?
一人ひとりが、よく考えないと、「えん罪」などは今後もなくならないと、思います
↓は、「少年A事件の判決」矛盾点をネットより引用したものです
が、、、この新聞記事についても、思います
まず題名としてデカデカと
『ふんだんな愛情が必要』
となってしまっています・・・
ここがもう
『マスメディアの操作』
なんですよね・・・
もう、、宗教の洗脳・・みたいなものだと思いますよ、、
この題名じゃなくて、デカデカと
『神戸家裁が「警察によるA少年の自白誘導を認定』
などのような表題としていたら、世論は180度変わっていたかもしれません
そこがだから『操作』なんですよね
筆者は↓の最後に
裁判官はその圧力に屈しながらも、せめてもの抵抗として“警察調書全部の排除”をする一方、仕方なく“検察調書は採用”という異例の「決定要旨」を作成したものと、筆者は考えている。
とあるのですが、、
わたしはちょっと思いが違います(内容は書きませんが)
そして、わたしが最も言いたいことは、こういう『操作』が、最も『悪』で
ある
ということです
そして、わたしが最も言いたいことは、こういう『操作』が、最も『悪』で
ある
ということです
↓以下、ネットより引用
神戸家庭裁判所・決定要旨
家裁は警察が偽計をもって自白させた事を認定!
(毎日新聞1997年10月18日付より)
日本列島を震撼させた神戸事件つまり神戸小学生惨殺事件は、なんと当時15歳の少年Aが逮捕されて、然る後に家庭裁判所で審議され、その「決定要旨」が発表されました。下記は、たまたま毎日新聞の記事を掲載しますが、全国の新聞に掲載されたものです。
当時の“世論”は、「少年イコール犯人」説の空気が当然のように“作られていた”ため、その決定要旨「第4」の部分(上記の赤で囲んだ部分を下記に拡大)に極めて重要な内容があったことを、多くの人々が見落としてしまいました。
【 予備知識 】
●少年事件だから、ちゃんとした裁判は行われていない。またこの「決定要旨」とは、大人の裁判における「判決文」に相当するものと認識して下さい。
●文中「2月の事件」と「3月の事件」は、それ以前の連続少女殴打事件の事で、実はこの殴打事件に対する容疑もおかしな事が多いのであるが、ここでは議論を省略する。
●文中「5月の事件」こそが、小学生を惨殺してその生首を校門に置くという、天下を震撼させた神戸事件の本体である。
こうした予備知識のもとに、下記「決定要旨第4」をご参照下さい:
第4 少年の警察官に対する供述調書等の証拠能力
証拠を検討すると、以下の取り調べ状況を認めることができる。
少年は、警察官の取り調べに対して、2月の事件(非行事実1及び2)と3月の事件(非行事実3及び4)については自白したが、5月の事件(非行事実5及び6)については、自白しなかったが、当時、警察で集めた証拠の中で、筆跡鑑定は最も証拠価値が高い位置にあったところ、
科学捜査研究所が上記声明文の筆跡と少年の筆跡とか同一人の筆跡か否か判断することは困難であると判定したため、逮捕状も請求できず、任意の調べにおける自白が最後の頼りであった状況において、
物的証拠はあるのかとの少年の問いに対し、物的証拠はここにある旨言って、机の上の捜査資料をぱらぱらとめくって、赤い字で書かれた上記声明文のカラーコピー等を見せるなどして、
あたかも筆跡鑑定により、上記声明文の筆跡が少年の筆跡と一致しているかのように説明し、その結果、少年は物的証拠があるのならやむを得ないと考え、泣きながら自白したというのである。
取調官がこのように少年に説明したことは、もとより違法
であり、同一取調官に対する少年の非行事実5及び6についての供述調書全部を、刑事訴訟規則207条により本件少年保護事件の証拠から排除する。
他方、検察官は、少年に対し、「言いたくなければ言わ
なくてもよいのはもちろん、警察で言ったからといって、事実と違うことは言わなくてもよい」と明確に告げてから少年の供述を求めているから、いわゆる毒樹の果実の理論(注1)の適用はない。従って、少年の検察官に対する供述調書及びそれらの供述調書の中で触れられている証拠物については、証拠排除の理由がない。
(注1)違法に収集した証拠を元に得た証拠の能力は否定されるという原則。
【 問題点解説 】
■上記「決定要旨」赤文字の部分を読めば、警察の違法行為は明白。つまり:
■筆跡も一致せず、証拠が何も無かった状況で、
警察官が偽計をもって自白に追い込んだ事を家裁が認定し、供述調書全部を証拠から排除している。
■ところが不思議な事に、家裁は検察官調書は採用している。
しかし、同じ取調室に入れ違いで入ってきた人物が、警察官なのか検察官なのか(といった状況で取り調べられたという証言がある)は、泣きながら“不本意な自白”をした直後の15歳の少年にとって、どうでもよい事だったのではないだろうか。
大の大人ですら、こうした自白の強要による冤罪は後を絶たないではないか。
どうも、A少年を最初から犯人にすべしという、当時の世論及び「何らかの外圧」があって、裁判官はその圧力に屈しながらも、せめてもの抵抗として“警察調書全部の排除”をする一方、仕方なく“検察調書は採用”という異例の「決定要旨」を作成したものと、筆者は考えている。
↓は、別の人のブログより
内容に差別的な表現がありますが、そのまま掲載したのは
内容に差別的な表現がありますが、そのまま掲載したのは
このような考えはよくないと
もちろんわたしは思っている人間です
ただ、えん罪であるなら、やはり犯人とする人間が、そういう考えの人物である可能性があると思うので、このまま掲載しました)
今回は『真相 神戸市小学生惨殺遺棄事件』(安倍治夫監修・小林紀興編 早稲田出版 1998)からA少年は犯人ではない証拠を紹介します。
1、友が丘中学校の正門前に淳君の頭部を置いたのはA少年ではない。A少年の「自供」とは完全に食い違う多数の目撃証言がある。また現場近くでは不審な黒いブルーバードと黒いごみ袋を持った男が目撃されている。この目撃者2名に詳しい話を聞こうと訪ねたところ、「警察でもマスコミでもない怪しい人間が徘徊するようになった」「怖い」「口止めされている」「あのことはもう思い出したくない」などと再度の証言を拒否された。
2、淳君の頭部は第二頸椎で切断されていたが、第二頸椎は口の後ろにあり、ここを切断するためには遺体をテーブルの上のようなところにあおむけにして寝かせ、頭部をテーブルから外に出して下に垂らす。このような姿勢でなければ切断することができない(淳君の遺体を解剖した法医学者らによる)。A少年の「自供」のように平らなコンクリートの上ではこのように切断することは不可能。また「頚部のように均一性の組織でないものを金のこぎりで切ることは非常に難しい(整形外科の教授)。
3、淳君の死斑が「淡紅色」であったことからすれば、一酸化炭素中毒死、青酸中毒死、死後に冷たいところに置かれていた―以上3つしか考えられない。淳君は首を絞められて殺されたのであるから、死斑が淡紅色だったのは、冷凍して切断したとしか考えることができない(複数の法医学の専門家による)。2と合わせると、つまり遺体は冷凍され、首は電動丸ノコのようなもので一気に切断されたと考えられる。
4、A少年の「自供」通り向畑ノ池から引き揚げられた金ノコについて、実際に犯行に使われたという証拠が何一つ示されていない。
その他、「文芸春秋」に掲載された検事調書の矛盾について詳細に検討しているが、省略します。
その4
『神戸事件を読む 酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』(熊谷英彦著・鹿砦社2001)
この本もまた少年の「自供内容」の矛盾点について詳細に検討しています。遺体の様子(死斑、血の流れ具合など)から、やはり冷凍して頭部を切り落としたとしか考えられない旨、証拠をあげながら論を詰めています。また少年にはアリバイがあることにも触れています。その他、少年には不可能だったと思われる証拠をいくつもあげています。
いままでに取り上げてきた本にはなかった分析として、非常に恐ろしいことが書かれていました。「非常に言いにくいですが、鬼薔薇はオニバラ(鬼腹)のことで、障害者を産んだ母体に対する差別用語として捉えることができることが分かった。聖斗は生徒の意味。そして、酒を『裂け』と解釈したらどうなるでしょうか。つまり『裂け、鬼腹生徒』ということ。これは恐ろしいまでに差別意識の言葉ですよ。言い換えれば、身障者や知的障害者を殺れ、という意味ではないか。そう考えると辻褄があってくるんです」(捜査関係者)。
淳君の頭部は口を耳まで切り裂かれ、目には×印に傷がつけられ、顔には縦にいく本も筋(傷)がつけられており、ハロウィーンのカボチャを想像させるとのこと。「カボチャという野菜は、日本では知恵遅れの人間を象徴的に表しているといわれる。つまり、このメッセージは、知的障害を持つ人間をターゲットにしたという意味です。要するに淳くんはたまたま犯人にやられたのではなく、ずっとつけ狙われていたということなんです。(略)ヘドがでるほど、嫌らしい犯人のメッセージですよ」(捜査関係者)。
事件のあった友が丘地区は障害者と健常者が共に暮らす「共生の街」として知られてきたということで、そんな場所でこの事件が起こったので「捜査関係者が『酒鬼薔薇』や『汚い野菜』に特別な意味を読み取ろうとしたのもしごく当然のことといえる。けっして荒唐無稽な推理と一蹴はできないと思うが、どうだろう」と筆者は述べています。
「せいいっぱい書いたこの本が、A少年のご両親の目にとまることをねがって」という後藤昌次郎弁護士の言葉を繰り返し、このテーマを終わります。
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