2022年8月6日土曜日

結局

山上さん母親が統一教会に再入信したのは、下村が統一教会による名称変更申請を許可した後であって、 旧統一教会が●脱会した信者を取り戻せ計画!によって、なのよね。 もうすべて安倍と統一教会のおもうがまま。 おじさんが返金させた5千マンも、再入信により献金して使い果たしたのか??知らんが、そらもう山上さんからしたら、魂うちくだかれた感じやろうなあ。 安倍を恨んで当然やろ!こんなこと、週刊誌にバラしたかて、大した問題にゃならん!どうせ安倍が、ひねりつぶすのやからな。安倍が死んだから、ようやく、 ほんまのことを国民が知れるように、なったのやからな→幼少期に父を亡くした山上容疑者は、兄、妹とともに奈良県内の祖父のもとに移り住んだ。当時の山上一家は比較的裕福な生活を送っていたという。 「山上一家は祖父と一緒に暮らしていました。おじいさんは建設会社を経営し、不動産をいくつか持っていた。マンションを徹也君の母親が案内してくれたこともあります。母親は特に仕事もしていなかったと思います」(近隣住民) 山上容疑者は、祖父の家に高校生頃まで住んでいたと見られる。 「お兄ちゃんは徹也君の一つ年上。妹さんは3~4歳下でした。お兄ちゃんと徹也君とは、小学生のときによく野球をして遊びました。お兄ちゃんは首のところにコブがあって、体も弱かった。一方の徹也君は、運動神経は良いんだけど、とにかく大人しい子という印象でしたね」(山上容疑者の兄の同級生) 中学時代の山上容疑者は、バスケットボール部に所属。持ち前の運動神経を活かし、レギュラーとして活躍していたという。中学の同級生が明かす。 「同学年の部員が約30人いるなかでレギュラーでしたから、バスケはうまかった。みんなからは『こてつ』というあだ名で呼ばれていました。性格はとにかく大人しかったです。自分からはほとんどしゃべらない。ただ、イジメとかはなく、他の部員ともうまく付き合っていた。それに、勉強もトップクラスでした」 高校は県内有数の進学校に進んだ。応援団に所属し、変わらず勉強にも真面目に取り組んでいたという。 生活に不自由はなく、学校生活にも問題はなかった。だが、山上容疑者を取り巻く環境は、祖父の死により一変した。 「’90年代の後半ですかね。おじいさんが亡くなり、母親は女手ひとつで子供3人を育てなければいけなくなった。おじいさんの会社を継いだからすぐに経済的に困窮したということはないんだろうけど、いろいろと大変だったんじゃないかな。当時は、この辺にも統一教会の勧誘がいっぱい来ていたしね……」(近隣住民) 7月11日に行われた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会見によると、山上容疑者の母親が入信したのは’98年頃。祖父が亡くなった時期と一致する。祖父の家を売却し、一家は奈良県内の別の一軒家に移り住むが、母親は教団への献金を重ね’02年頃に生活は破綻した。 旧統一教会について取材するジャーナリストの鈴木エイト氏が言う。 「旧統一教会の関係者によると、山上容疑者の母親は『篤志家』として有名だったそうです。教団で『篤志家』とは、1億円以上の献金をした人を指します」 山上容疑者は海上自衛隊に’02年から3年間所属した後、’20年から京都府内の工場で派遣社員として働いていた。 FRIDAYは、当時の山上容疑者の心境を示す重要な資料を入手した。ある相談機関に向けて送ったメールだ(下)。日付は、一家の破綻から2年ほど経った’04年5月8日、メールの件名には「統一協会について」とある。統一教会にのめり込む母に思い悩み、外部へ助けを求めようとしていたのかもしれない。 前述した旧統一教会の会見では、’09年頃に山上容疑者の母親は一度教団から離れたことも明らかにされた。息子たちの必死の説得があったのかもしれない。だが、8年ほど過ぎた’17年頃、再び母親は教団に戻ってしまう。 「5年前といえば、脱会した信者を再び呼び戻す指示が旧統一教会内で出された時期と重なります。親しかった信者に連絡を取らせ、集会やイベントに誘うというやり方です」(前出・鈴木氏) 母親が再び教団に戻ったときの山上容疑者の絶望はどれほどだっただろうか。供述によると、山上容疑者は昨年春頃からYouTubeを見て銃の製作を始めたという。当初は教団のトップを狙ったが、「接触が難しかった」。そんなときにネット上で目にしたのが、安倍元首相のメッセージビデオだった。 ’21年9月12日、旧統一教会の関連団体である『天宙平和連合(UPF)』の大規模オンラインイベントが開かれた。安倍元首相はその集会にビデオメッセージを送り、「世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、みなさまに敬意を表します」などと、旧統一教会の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁を称賛したのだ。 山上容疑者はこのビデオメッセージを見てつながりを確信。「殺すしかないと思った」と供述している。 安倍元首相と教団とのつながりは、祖父・岸信介元首相にまで遡る。’68年に統一教会系の政治団体『国際勝共連合』が結成された際、岸元首相はこれに協力。その後も、信者の前での講演や教祖との対話も行っていたとされる。 「密接な関係は受け継がれ、’06年に安倍元首相は『UPF』主催のイベントに祝電を送っています。’10年、’12年には関連団体の定例会とシンポジウムに安倍元首相本人が登壇。8万票と言われる組織票だけでなく、選挙の際の人員派遣を期待できる教団との関係を維持しておくことは、安倍元首相にとっても利点があったのでしょう」(前出・鈴木氏) 山上容疑者が旧統一教会と安倍元首相との関係をどこまで知っていたかは定かではない。ただ結果として、「密接なつながり」があったがゆえに安倍元首相はビデオメッセージを送り、それが山上容疑者を凶行に走らせたことは事実だ。 全国霊感商法対策弁護士連絡会の紀藤正樹弁護士が言う。 「山上容疑者の母親のように、破産するほどのめり込むケースは珍しくありません。旧統一教会には現在も、間違いなく献金ノルマがあります。目標額が課され、達成できなければ信者は厳しく叱責を受ける。多額献金による被害は、現在進行形で続いているのです」 旧統一教会は本誌の取材に、 「以前は、献金に関して行き過ぎた指導をした教会の責任者もいたようです。ただ、’09年のコンプライアンス宣言以降に問題となる行為をしたことはない」 と、答えた。 背景にある献金制度、そして安倍元首相と旧統一教会の関係を解明しなければ、「真の動機」は見えてこないだろう。 『FRIDAY』2022年7月29日・8月5日号より

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