貼るのを忘れていました
とてもわかりやすい記事です↓
「大きな要因のひとつは日露戦争です。明治政府はなるべく多くの税金を集めたかった。加えてたばこの場合、国内での紙巻たばこ(シガレット)の登場と流行が無視できません。それまでのキセルで吸う刻みたばことは違い、紙巻たばこは定型の工業製品なので、巨大資本を投下することで利益が生める産業だった。しかしその分、外国たばこの脅威にもさらされるわけで、実際、海外企業による国内企業の買収もありました。そこで自国のたばこ産業を守ろうという目的もあって、国がたばこを作って売る『製造専売』を明治37年に始めたんです」
なるほど。では塩が専売になったのは?
「塩は翌38年から製造専売が始まりました。もともと日本では岩塩は取れず、塩水を太陽にさらして天日塩を作ろうにも、雨が多い気候なので作れなかった。意外かもしれませんが、日本で海水から塩を作るのは大変な作業だったんです。また、塩は生活必需品なので税をかけやすい事情もあった。加えてたばこと同じく、外国産の輸入塩も入りつつありました」
お金も取れるし、自国産業も守れると。
「ただし塩の専売は、第一次世界大戦の物価高から事情が変わります。塩は生活必需品なので値上げするわけにいかないし、全国に平等に流通させなくてはいけない。そこで『収益専売』から国民の利益を優先する『公益専売』へと路線転換したんです」
その後、たばこは1985年に、塩は1997年に専売制が廃止されるわけです」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それは『唐』の時代(今の中国)でもあったそう
↓
唐の後半に行われた塩の専売制。塩の密売も盛んだったので反発した密売人による黄巣の乱が起きる。
安史の乱の最中の761年、唐は困窮する財政を補うため、塩の専売制に踏み切った。かつて漢の武帝は塩・鉄・酒の専売制を採用したが、その後も各王朝は財政が苦しくなると塩を専売として切り抜けており、唐もそれに倣ったものである。淮河と長江の間の海岸(江淮地方)からとれる海塩が主であるが、他に山西省の塩池のように塩分の濃い湖水からとる池塩、四川省のように地下水から塩分をとる井塩などがある。
唐の塩専売制
唐ではそれまでは製塩業者と塩商人が自由に取引していたが、756年に江淮地方で専売とし、さらに761年に全国に拡大、さらに塩価に10倍の専売税(塩税)をつけて売り、中央歳出の半分以上を塩専売の利益でまかなうほどになった。塩専売制は、781年からの両税法施行とともに唐王朝をなお1世紀以上存続させる財政安定策となった。しかし、農民が働くために補給しなければならない塩に課税するという間接税政策は、悪法でしかなく、闇で安価な塩が出回り、また塩の密売人が利益を上げることとなった。政府は塩の密売を厳しく取り締まったが、そのような中から875年に塩の密売人であった黄巣が反乱を起こすことになる。そして
もう少しくわしく
0 件のコメント:
コメントを投稿