昨年8月9日に
おかんは死んだ
と
姉から娘に
娘から電話で聞いた
ちょうどわたしが
多可町水田
一斉ヘリによる農薬散布で
自分の命守るため
養父市やぶ温泉駐車場で
1カ月間、車締め切って
寝泊まり
わかばととろ連れて
逃げながら
たか町の猫2匹と外犬三びきに
二日に一回、農薬くぐりぬけて
えさとみずあげに通ってて
数回ある農薬散布のうち
一番さいごの
一番きつい
というのも
わたしのからだに
どんどん農薬蓄積され
大気、木々、土、道路、家全てにも
蓄積され
最後の農薬散布の翌朝、
これ行ったら死ぬかもな
と
それがなぜか?
そりゃもちろんらきついのは
きつかったが
予想より楽で
アレ?
でも
終わった
やっと、今年の農薬、生きれた
と
まだまだ家の中外、大気や素材についた
農薬充満であと半月は帰れんな
おもたときに、連絡あった
おかんが死んだ
畑のかぼちゃ引っこ抜きよって、下の道路に
落ちた
出血と骨折で
手術したが
3日後にしんだ
と
おかんもきょうだいも
わたしが
一番苦しい時、知らん顔
とうに死んだおとんが生きてれば
おとんは
そんなことは
せん人間
聞いた当初、
おかんの魂は
引っ張られていった
と
思った
お前、もうええやろ?
と
おとんの魂や宇宙がら引っ張っていった
と
なぜなら
わたしが実家に帰れるように
続く
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