2016年1月25日月曜日

命を軽んじる「神戸市行政」/神戸「須磨警察署へ要望」

神戸市須磨区はわたしが17年間住んでいたところです

その頃わたしは東白川台というところに住んでおり、最寄駅は神戸市営地下鉄「名谷(みょうだに)駅」でした

昨年7月と9月に同じ名谷駅近辺の「竜が台」と「中落合」で猫の虐待死体がおかれる事件があり、そして先週、同じく名谷駅近辺の「神戸市立友が丘中学校」で猫の虐待死体がおかれるという事件がありました

わたしの娘が小学校1年の時に、あの事件はおこりました

もうみなさん、なんのことかおわかりだと思います


あの事件も、同じ界隈であり、友が丘中学校というのも、全く今回と同じです

同じだからといって、わたしは何かを結び付けようと考えているのではありません


日本人が、動物虐待を甘くみすぎていることが、結果昨日も書きましたが、人間社会の犯罪の量や質も過激になっているのは誰もが理解すべきことではないでしょうか


もう、この段階になってしまっては遅すぎる、とも思いますが、今回またこのような事件がおきていることは、やはり社会に対して警笛を鳴らしているのだ

と、わたしは思います

その警笛とは
「いいかげん気付け 気付け
いつになれば気が付くんだ」

というものだと思っています


須磨警察署の動物の犯罪に対する姿勢も、日本全国の他の警察署にもれず、甘いものだと思っています

昨年4月に、千葉県立高校の教師が子猫4匹を生き埋めにするという事件がありましたが

教師に下された処分は
●3か月間の自宅謹慎
●罰金

それだけ

法ももちろん甘いです


こんなことがまかり通っているから、動物虐待がどんどんエスカレートする→人間社会の殺人・詐欺・いじめ・覚せい剤乱用なども、どんどんエスカレートしていく

というのは、わたしは当たり前だと思っています

いつも書きますが、当たり前というのは、決して

やって当たり前だと言っているのではなく

大人たち、政治家や公務員(もちろん教員含む)など特に子供の見本となるべき立場の人間が、命を大切にしないことをしたり、詐欺的なことや不正をしてきたから、、そういうものをみて育った子供たちは

「何が悪いのか?」程度にしか、思わなくなっている人が増えているのだとわたしは思います

なので簡単に人をいじめ簡単に殺し反省の気持ちなどよぎらない

こういった精神構造になってしまっているのだと思います


わたしが現在民事訴訟や刑事告訴をしているのも、


こういったことが許されるなら、子供のあいだでいじめやいじめによる自殺が
もっと増えますよ

という気持ちも発端でした

相手の人間には、わたしを侮辱・名誉棄損をした責任を
必ずとってもらうために
鳥取市Nに対しては刑事告訴を
京都府MMとHMに対しては民事訴訟を起こしました

なので
わたしが名指しでNに「キチガイ」とネット上に書かれたこと他についてもですが、供述調書作成の際にたちあった 福知山警察署の担当刑事や鳥取地方検察庁の担当検事に対して、それから

「不起訴処分」の決定に対して鳥取検察審査会に提出した審査申立書には

●不特定多数の誰でもが簡単に閲覧することができるインターネット上に名指しで

「キチガイ」と書いた大人がなんの罪にもならないなら
日本全国の小中学生が

○○小(中)学校の○年○組 ○○○○(フルネーム)は『キチガイ』だ

と書くことになってしまうでしょう

そしてそれによる自殺なども増えることは間違いないでしょう

わたしは絶対に納得いきません


などと理由を書きました

当たり前のことです


見本を造るべき大人社会で

いくらでも『あいつはキチガイだ』と書いて問題ないと検察が判断したのですから


民事訴訟についても同じです
MM・HMが、同じく、公然性あるインターネット上で、わたしを名指しで

『動物愛護法違反のオンパレード』『アニマルホーダー(精神病)』ほか、ねつ造記事を含めた
たくさんの誹謗中傷文言を書いた

この2名(ほかにもいますが)も、わたしが訴訟をおこさなければ、いつまでも書き続けたでしょう

『京都神戸動物愛護団体崩壊レスキュー』に
また新たな目次を造っていつまでもいつまでも・・・


こういう人たちは、現代社会で起こっている若者間での集団いじめの手本を見せているのと同じだ

と、わたしは思っています


この人たちはみな『殺処分派』ですから

自分以外のイノチを殺せばいいなどと
誰一人、決めてよい人間などいない

そんなことを決める権利も言う権利も、だれにもない

これは、行政機関の人間も全く同じだ


今朝電話で須磨警察署 生活安全課の方(まだ若そうな女性)に質問と要望をしました

この人は、人の話を聞く姿勢をもっているな
と思いました(そうでない人もたくさんいますので)

今回の事件については『軽犯罪法違反』となっている

猫を切断してから殺すのは「動物愛護法違反」で今回は猫が死んでから切断したので
『軽犯罪法違反』となる
法律の解釈にのっとって、警察は捜査している

ということでした

わたしは
「なぜ『軽犯罪』=『軽い犯罪』となるのか?
司法も間違っている
こんなことをしているから、動物の虐待が増えているんです
昨年千葉で高校教師が子猫4匹を生き埋めにしても、3か月間の自宅謹慎と罰金だけで済んだでしょう

そうやって動物のイノチを軽んじるから虐待犯が

『猫を虐待して殺しても、大した罪にならないんだから』
と、簡単に殺すんですよ
警察だって、人間の殺人事件のようには捜査しないでしょ?
動物のイノチを大切に思っていないことはそういうことからわかりますから
交通事故の目撃者捜しのような看板を立ててくださいよ
『いついつこの場所でこんな事件がありました
目撃した人は通報ください』というふうな」



生活安全課の方は

「看板は立てていませんが、職質(職務質問)や聞きこみなどしていますよ」

わたし

「職質や聞き込みをしても、なかなかつかまらないでしょ?
何年も前から加古川市方面で起きている猫の虐待殺害事件もいまだに犯人つかまらないし・・

看板をたてるということは、
『警察は動物の犯罪にも真剣に取り組んでいるんだな』というふうに見られるし、そういうことが
『簡単に動物を虐待したり殺したりしちゃいけないんだ』とか
『動物にひどいことをしたら警察に通報されるかもしれない』などと一般住民が思うようになり、それが動物の犯罪を産みにくくするという抑止力にもなる

そしてそのイノチを大切にするという警察の姿勢が、人間社会の犯罪も抑制するという方向に
向かうことになるんですから

前に同じ友が丘中学校におかれていた、人の切断遺体の事件だってそうですよ

あの子の同級生や教師は、あの子が以前からハトや猫を殺していたことを知っていた

っていうことだったじゃないですか

わたしが思うのは
同級生たちがそういうことを知っていて、自分の親に話した時に(話せる親子関係でないといけないと思う)親が

『あの子とは関わらんとき』って言うんじゃなくて
学校に連絡して学校が警察に通報して、全生徒の父兄に話をする機会をつくるべきだと思うし
警察は警察で、そういった事件が起こらない社会にするための啓発の努力をしないといけない

と、わたしは思いますよ

もちろんあの子が悪いことをしたのは確実ですが、あの子は人間を殺める前に、鳥や猫を殺めていた
あの子からしたら、心の悲鳴をあげていた
んだと、わたしは思いますよ

そうなるまで気付かなかった、小学校時代の担任教師の仕事にも疑問がわくし、猫やはとを殺していた段階で、教師を含めた周りのだれかが、もっと声をあげて行動を起こしていたら

あの子は人間を殺すような精神状態にならずに済んだかもしれない

って、わたしは思っています

だから、真剣に捜査をするために、

交通事故の目撃者捜しのような看板を立ててくださいよ」

生安
「そのようなご要望があったということは、上のものには伝えておきます」

わたし
「ぜひ、よろしくお願いします」


そして、そのあと、神戸市立友が丘中学校に電話をしました

猫を発見したとされる教頭が電話に出ました


教頭は、確かに今回の事件を認めていました

「今回は前の事件と同じ場所におかれていたのではありませんが」と

わたし
「はい 正門ではなく裏門の方ですよね」


教頭
「今回の事件については捜査中ですので何もお答えできません」

わたし
「はい まだ犯人が捕まっていないということで、そうだと思います
が、前の事件の際、あの事件の前にあの子が動物を殺していたとされることについての学校の対応などについて質問があります」

と、質問しました


まだ返事が返ってきていませんので、

今日書こうと思っていた
『神戸市行政』のことと、友が丘中学校のその質問の返事については、後日書きたいと思います

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