一人で毎日たくさんの動物を世話し続けて行くことの孤独感や、雑種や老犬の貰い手がなかなかなく犬や猫などを棄てる人間が減らずやってもやってもどんどん受け入れしなければいけない現状にも疲れていました
もともと、義務感のみから始めたことです
人間がやったことは人間全体の責任なのだからやらねばならぬと思いやってきました
うちはそんなにかまってやれず、緊急避難所という感覚でやってきました
里子に行ってから幸せになってくれればいいと思ってきました
昨年末くらいからでしょうか
苦しいと思い始め、笑顔がなくなっていきました
春くらいからは、もう死にたいとか、、
そんなふうにも思うくらいで、、
自らは死なないですよ
でもそう思ったりもして
そして今回、もう引き取りはやめようと思いました
茶トラたちをできるだけ生きれるように努力し、今いる子たちで人慣れしていて
健康に問題ない子にできるだけ里親さんを見つけていこうと、、
成猫たちは人慣れしない子が多いし、小型犬の「手術犬」「ダックスサン」「ポメラニアンハッピー」は、からだにリスクがあるので里親さんはみつかりにくいと思います
あと、「老柴犬トラ」も、、
飼い犬3頭と飼いネコ2頭を除くと
犬7頭、成猫18頭と茶トラ子猫たち
おそらく里子に出る子より、貰い手のない子がかなり多いと思います
この子たちを最後まで幸せにしていきます
保護に関しては、今後は自分自身が偶然みつけた子はもちろん保護していきたいと思います
保護以外の活動についてですが、、
犬猫に関してはやはり啓発や啓蒙はとても大切なのでブログなどを通じて続けたり、あと、当初から感じていたことは、、
人間社会自体が変わらなければ動物の立場は一向に良くならないという考えを貫き、そのために自分の夢であることを仕事にしてみたいと思っています
もうしばらく、自分の肉体と精神が安定することに重きをおきながら犬猫たちの世話をし、ひとつひとつ乗り越えて考えていきたいと思います
今回のことで
どうして自分はここまでやるのかとか、大の死などをきっかけに、いろいろ考えさせられました
それはたぶん、、
自分が幼小時に両親の愛をあまり受けずに育ったことが大きいのではないかと気づかされました
上の兄弟二人に比べ愛というものをもらっていません
1年前、保護活動に反対する母親と住んでいた実家を出る際には
母親にも、近くに住む姉、兄にも、誰にも行き先を告げずに鍵だけ置いて来ました
わたしは自然な生活をはじめてから考え方が変わり、血縁というものや儀式などに全くこだわらなくなりました
大事なことを分かり合えない肉親よりもそれを分かち合える他人との結びつきを大切にしたいと思うようになりました
それは今も変わりません
娘とは、そこの部分で共感できるので繋がりがもてています
これからも、そういうふうにやっていくつもりです
自分よりか弱い立場の人や動物たちの命を、心から大切にできる人、、
それはなにも猫可愛がりでなく、依存でもなく、動物たちと対等に接することができるような、、
そういう方々との繋がりを大切にしながら、これからも悩みながら進んでいきたいと思います
自分はなんのために生まれてきたのかとか、、
どういうふうに生きていくのだろうかとか、、
物事がおきるたびに、これはどういう意味があるのかとか、、
悩みながら生きていくのだと思います
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