会の名称「全ての生命を尊ぶ」ことはいうまでもなく、 地球や地球に生きる鉱物や水蒸気や植物、動物、人間を 含む宇宙全てにおけるあらゆる魂たちと統合をし、あらゆる魂たちが 愛と自由の元活躍出来ることを目指します。
2022年1月28日金曜日
台湾
知人は、15で満州へ戦争に。戦争に勝ち土地をもらい家族を呼ぶ予定が、終戦となり。命があったのは、蒋介石だったからなそう。今度は蒋介石と中国共産党が打ち合いするなかを歩いていたらしい。
蒋介石は台湾に逃げたそうな。
あ〜だから台湾と中国は違うのか。だから台湾は新日なのか。
しかし蒋介石はイケメンだな。
ユダヤ12士族の血統なのでは?
特に若い時、西洋の顔立ちやん。
うちのオヤジも若い時の写真は西洋顔。
ユダヤ血統じゃあないのかなあ。
↓
蒋介石にとって、波乱に満ちた生涯の中で、大陸反攻は最後の夢だった。国共内戦で一敗地に塗(まみ)れた蒋介石は、1949年、中華民国の国家機能をそっくり台湾に遷移させ、台湾を拠点に中国全土の再統一を目指した。蒋介石は大陸反攻を最優先目標として「一年準備、二年反攻、三年掃討、五年成功」とのスローガンを唱えた。
中国共産党も「台湾解放」を目標としていたので、台湾海峡を挟んだ国共両者が相手を打倒する機会を狙っていたことになる。ただ、1950年代から60年代にかけて、軍事的な作戦を実行に移そうと懸命に動いていたのは蒋介石の方だった。一方、毛沢東は、台湾統一へ武力行使を発動しても、米国に阻まれることが分かっていたので、そこまで短期的に実現したい課題とは見ていなかった。
蒋介石が死去する75年まで、台湾では大小さまざまな大陸反攻計画が策定された。その中で最初に練られた計画は、実は、日本人の手によるものだった。その計画名は「光計画」と呼ばれた。
策定者は、旧帝国陸軍参謀たちで構成された軍事顧問団・白団(ぱいだん)だった。筆者は2021年6月に「白団」をめぐるノンフィクションの文庫版『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)を上梓したが、その白団の一員だった陸軍軍人、戸梶金次郎の日記に、52年から53年にかけて、光計画の記述がたびたび登場する。
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